昨日、デリー近郊のグルガオンにあるマルチ・スズキのマネサール工場で、人事を巡る暴動が発生。
暴徒化した従業員が工場に火を放ち、人事部長だったインド人1人が死亡、日本人役員2人を含む約90人が負傷するという事態に発展した。
スズキは、日本企業の中で最も早い時期の1981年、インドに進出。インド政府との合弁会社「マルチ・ウドヨグ」として誕生した。
日本の軽自動車に近い「マルチ800」は、1980年代から90年代にかけてのインド国で人気を博していた。
最近でこそ、海外の自動車メーカーが猛烈な勢いでインド市場に進出、さまざまなブランドの自動車が見られるようになったが、2001年に初めてインドを訪れた際、デリーで見かけた車の多くは、マルチ・スズキ車であった。
2002年には、スズキが出資比率を過半数の54%に引き上げ子会社化した。しかしインド人の中には、「スズキは国産車」との認識を持つ人も少なくない。
上の写真は、ヒンディー語のテキスト。インド移住前、一瞬だけ、ヒンディー語の練習をしたことがあった。その成果は、問わないで欲しい。
ともあれ、この教科書で印象に残っているのは、冒頭のこのページ。右上写真の下部に、会話の英訳が載っている。
会話の終盤、
「あの車は日本車ですか?」
「いいえ、日本車ではありません。マルチです」
というやりとりがある。
ヒンドゥー語を覚えるよりも、この会話に突っ込みをいれた記憶だけが、鮮明に残っている。
とまあ、それほどに、インド社会に浸透したブランドだということであろう。インドにおけるスズキは、障壁の多いインド市場進出にあたっての、ひとつのお手本のような存在でもあった。
事態の詳細を知るわけではないので、これ以上のことに言及するのは控える。ともあれ、この国の身分制度の複雑さは、外部の人間に、一朝一夕で理解できるものではない。
わたし自身、カーストについてをここで触れることはほとんどない。なぜなら、「いけないことだ」とひと言で片付けることのできない、果てしない歴史と、複雑な構造があるからだ。
インド歴の長いマルチ・スズキがこのような事件の舞台になってしまったのは、本当に残念なことである。
急激なインフレ。その一方で労働者の賃金は据え置き。そもそも著しい貧富の差は、益々色濃くなっている。労働者たちの声を聞き、暮らしぶりを理解することは、今まで以上に重要なことになってくるだろう。
以下、事件の詳細が記された記事のリンクをはっておく。
●スズキのインド工場で暴動 (←Click!)
●契約社員で賃金抑える手法に反発 スズキのインド子会社暴動 (←Click!)
ちなみにここバンガロールでは、上記のニュースの扱いは小さい。むしろここ数日、目に留まったのは、貧困層の子どもたちの教育問題。
今年から実施されているRTEと呼ばれる教育支援制度。この制度そのものは、活用されればすばらしいと思っていたのだが、一概にそうとは言いきれない事態。
India★Mediaでも記録を残しているが、その制度自体を知るすべのない人たちが大勢いること。
そしてここ数日のニュースはといえば。
制度を利用して学校に行き始めた低カースト(ダリットと呼ばれる不可触民)の子どもたちが、教師に髪を刈られたという話題。
他の生徒たちと一瞬で見分けがつくようにとの処置らしく、その対応のひどさが、問題となっている次第。
日々の新聞をめくれば、ため息の出るようなニュースがあふれ。ディワリ(持参金)をめぐる殺人が、増えているという記事なども。
なにしろ広い国。多様性に満ちあふれた国。古い伝統が根付く国。
ところで先日、インドでの工事の風景をして「前時代的」などと書いたが、改めたい。彼らが最低限の工具で、こつこつと作業する様子は、エローラの石窟を彫っていた、何千年も前からさほど変わらぬ様子でもある。
一方、産業革命が起こり、工場制機械工業が世界に導入されはじめてからの歴史は、たかだか数百年。
「前時代的な工法」ではなく、「伝統的な工法」なのだ。
大切なのは、異なる価値観への敬意。
この件についてはまた、時を改めて、記したい。