先週の日曜日の朝、福岡に降り立ってから、早くも1週間が過ぎた。暦は神無月から霜月へと変わり、福岡も少々冷え込み始めている。
日本へは1、2年に一度、戻って来ている。この時期は2年ぶり。周囲からは、「寒いから気をつけて」と言われるが、毎年訪れている4月5月のニューヨークに比べれば、まだ暖かい。
ニューヨークのあの時期は、寒暖の差が激しく、いつも服装に悩まされる。
今年の4月に訪れたニューヨークでは、急激な冷え込みにすっかり体調を崩してしまった。
冷え込みだけでなく、外食続きで胃腸を壊し、7年ぶりに訪れたワシントンDCでは、結膜炎になりかけて、目が赤く炎症を起こし、コンタクトレンズをつけられなくなってしまった。
インドでの暮らしに慣れているせいか、先進国の「菌」には弱くなっているようだ。
しかるに今回は、ともかく予定を詰めすぎない。外食を取りすぎない。アルコールを飲み過ぎない。胃腸に負担をかけない……を心がけているところである。
ところで上のバラの花。名前をなんというのだろう。母の友人が庭で育てているのを届けてくれたらしい。このバラの、見た目の愛らしさもさることながら、その香りの芳しいこと!
バンガロールの庭でバラを育てるのはどうだろうか……と思いを巡らす。
かつてわたしがとても好きだった黄色。その色の花々を玄関先に飾って、母が出迎えてくれた。仏壇とは言いがたい、父の場所にも挨拶。
背後には、わたしが大学時代に発作的に描いた「曼荼羅もどき」が今でも飾られている。
日本の実家に戻ると、天井や鴨居の低さに、自分がよりいっそう巨大化した錯覚に陥るが、同時に家屋の「端々のきれいさ」に感嘆する。
どこもここも、きちんと水平、垂直。これは、インドだけでなく、米国に住んでいたときも同様に感じていた。あの国も、かなりおおざっぱな国である故、細部が荒い。
近所を歩けば、ごみのなさ、人気(ひとけ)の少なさがまた、新鮮。
日本に帰国しての翌朝は、「定番」の卵かけご飯。実家では、母は産地直送の有機野菜などの宅配サーヴィスを利用している。
基本的には九州産のものが主であることから、気分的に安心して食している。
しかし、今回ほど、「国産米使用」とか「国産大豆使用」とかいう文字に対して、どう反応してよいのか、困惑したことはない。
たとえば外食。右上の柳川の老舗のうな丼にしても、「国産米使用」と高らかに書かれていることに、むしろ戸惑う。
ともあれ、もちろんおいしく食してはいるのだが。
それにしても、デパート(岩田屋)の地下食料品売り場の魚屋へ赴けば、新鮮な寿司や刺身が満載で、思わず心が躍るのも事実。
寿司屋へ行くのもいいけれど、自宅にいろいろな刺身を買って帰り、家でゆっくりと味わえるというのもいいものだ。
先週は満月も眺められ、シンガポール空港で購入した、リーズナブルな赤ワイン(スペインのリオハ)が意外においしくて、それだけでも気分がよかった。
福岡では、母や妹など家族と過ごしたり、友人らと過ごすのが常だが、今回は少々大きめの講演も控えていた。講演前日には、主催をしてくださった村山由香里さんにお会いすべく、春日市へ。
春日市には、「福岡県男女共同参画センター あすばる」という、福岡県の機関がある。
このあすばるの館長を務めているのが村山さん。あすばる主催の講演などもしばしば開催されているようだが、わたしが依頼されたのはあすばる主催ではなく、また別の団体。
福岡県中小企業家同友会という、今年創立50周年を迎えた団体の、女性部の部長をも、村山さんは任されており、その女性部会の特別例会でお話をすることになった次第。
福岡の繁華街から電車で数十分。郊外の静かな駅に降り立てば、しかしずいぶんと立派な建物が目に飛び込んでくる。ここにあすばるの拠点がある。
右上の写真、左が村山さん。
ご挨拶のあと、講演の打ち合わせのためにプレゼンのデータを入れたコンピュータを持参していたのだが、会議室でプロジェクターを通してみることになり、さらには他のスタッフの方々も参加され、10名弱の前で講演の予行練習状態。
結局1時間以上語り、予行練習というよりは実践状態だったが、みなさんの関心のポイントなどがわかって、こちらも勉強になった。
講演の日の朝は、近所の川縁をウォーキング。バンガロールでは、毎日トレッドミルでウォーキングをしている。その運動の習慣を途絶えさせたくないとの思いである。
なんとまあ、麗しく整備された歩道。多々良川の河口に近い、ここは名島という場所で、わたしが幼い頃もこの界隈に住んでいた。
もっとも今はその地名を喪った「汐見町」という場所であった。現在の千早界隈である。
河口だということもあり、ほのかに海の匂いがする。
思えば去年は、東京で開催された『日印グローバルパートナーシップサミット』で、連日サリーを着たものだ。
招かれたわけでもないのに。
ただ、あのときは開催地のホテルに泊まっていたから、外を歩かずにすんだ。
今回は、外、である。
サリーを着ることに若干の躊躇はあったが、妹が会場まで送ってくれるというので、着ることにした。
それに、折しもその日は「ハロウィーン」。本気な仮装にも思われよう。
せっかく着るのなら、派手系のものをと、パルシーの伝統刺繍が施されたサリーを選んだ。これを着ていれば、パルシー、即ちゾロアスター教徒のことなどを話すにも、糸口としての関心を集めやすい。
インドにおけるパルシーの人口は極めて少ないが、タタ財閥やゴドレージ財閥などをはじめ、インド経済を動かす重要なコミュニティの一つでもあるのだ。
本来は、女性部のメンバーが対象らしいが、今回は一般の人も参加可能だったので、家族や親戚、そして一部友人にも声をかけた。
100名収容の会場に、130名を超える方々が集まってくれて、ずいぶんと盛況だった。
講演に与えられた時間は90分。最初の30分は、わたし個人のキャリアについて。日本での「駆け出し」な日々から、ニューヨークでの起業、ワシントンDCでの暮らしとインド移住に至った経緯などを語る。
そして残りの60分でインドの概要とライフスタイル。主に、インドの多様性の実態、そして「激変するインド」の、新旧の価値観が混在するさまを、具体的に語った。
今までいろいろな場所で語って来たが、この講演は、今までで一番、濃厚だった。
前日の打ち合わせで、「ゆっくりめに丁寧に話すべきか」それとも、「なるたけ多くの要素をたっぷり話すべきか」と相談したところ、聴衆の大半がビジネスに携わる人たちであるから、後者で構わないと言われていた。
従っては、冒頭から「マキが入った」速度で、飛ばさせていただいた。
ちなみに、速くしゃべって聞き取りにくいと思われては困るので、はっきりと話すことを心がけてはいる。
壇上からは、聴衆がよく見える。ごく数名、ついて来れずに居眠りしていた方も見られたが、大半の聴衆がこちらをしっかり見て、興味深く聞いてくださっていたので、居眠りの人は放置して突っ走ることにしたのだった。
講演のあとの質疑応答の時間も貴重だった。なにしろ1時間で、インドの概要を語るのは無理なのだ。1つ聞かれたら10答えるくらいの勢いで語った。
このころにはもう、最早、自動操縦状態で、言葉が口からするすると出てくる。
わたしのインドの仕事では、レポートを作成することが多い。誰かに語る機会よりもはるかに、取材し、情報を収集し、整理して、レポートにする「自己完結」的な仕事が多い。
脳内に無意識に蓄えられている情報が、質問を受けることによって刺激され、あまり考えなくてもすいすいと出てくるようになっていたのかもしれない。
そんなわけで達成感が高く、自分で言うが、たいへん盛況な講演会になったと思う。
講演終了後も、名刺交換のために大勢の方々が並んでくださり、40名ほどの方々とご挨拶をさせていただいた。少しでも多くの方にインドについて関心を持っていただけたことが、本当にうれしかった。
中学時代、同じバスケットボール部で仲の良かった和田さんも駆けつけてくれた。中学2年。わたしは、なんやかんやで「ぐれて」おり、勉強もせず、転落の日々を送っていた。
一方の彼女は、似たような「青春」を過ごしていながらも、勉強を欠かさず、当時から本当に優秀な女性であった。今は福岡市内の総合病院で看護師長をしていらっしゃる。
彼女が贈ってくれたきれいな花束。本当にうれしかった。実は彼女とはずっと音信不通になっていたのだが、2年前に、25年ぶりだかの再会を果たしていたのだった。
彼女たちは、高校時代にはあまり交流のなかったのだが、数年前に母校の創立記念日の際に講演をしたときに駆けつけてくれた人や、同窓会で再会した人、卒業以来30年ぶりの再会の人も来てくれた。
ところで右上の写真は、仕事でお世話になっている方が、講演会の際にくださったお土産。実はこの「かやのや」のだし、本当においしいのだ!
去年の帰国時、DJの相越久枝さんが連れて行ってくださった博多駅の「ごはん家 椒房庵」。
この椒房庵の母体である久原本家が「かやのや」のだしを販売しているのだ。このだし。実は岩田屋の地下食料品店街を訪れた際、店舗ですべての種類を味見していたのだった。
すべてが、本当においしかった。
いくつか購入し、後日「大人買い」をしようと思っていたところにいただいた次第。
今までは、「博多うまだし」を愛用していたが、素材の安全性などを追求している点において、個人的に、かやのやのだしが優勢。
放射能検査を行っているということを、きちんと明記しているところのポイントが高い。
日本における「食の安全」に関連する事項として、書きたいことはたくさんあるのだが、今はネガティヴなことを記す気分ではないので、今日のところはやめておく。
これは大丸の1階で、キャンペーン中だったところに出くわし、購入した商品。
今まで、米国で購入した「かわいいけど安っぽい」カラフルな老眼鏡を使っていた。
が、この老眼鏡をかけると、ずいぶんと目が楽なことに気づいた。
オーダーメイドではない商品にしては、少々高い(1万円ちょっと)だったが、購入した次第。
わたしは、自宅で仕事をするときは遠近両用の眼鏡を使っている。
老眼鏡は、コンタクトレンズをつける外出の際に必要になるのだ。外出先ではさほど文字を追う機会が少ないとはいえ、iPhoneやラップトップの画面を見る必要がある。
PC用ブルーライトカット、紫外線カットの鯖江製レンズと、イタリアンデザインのフレーム。かなりいい感じのコンビネーションである。ご興味のある方、こちらのサイトをご覧あれ。
■プロフェッション老眼鏡 (←CLICK!)
記事を見ると「敬老の日の売れ筋商品」的な存在感だが、まあ、気にすまい。
さて、インドから日本へのお土産は、毎度のごとく、アーユルヴェーダ関連商品や、自然派石けんなど。
あれこれと種類豊富に取り揃えた中でも、ヒット商品はこの筋肉痛オイルだ。
これは、わたしたちが毎週末通っている、ケララ・アーユルヴェーダの診療所で販売されている商品。
腰痛や肩こりなどの筋肉痛にかなり効くので、1年ほど前から愛用している。
数カ月前に母にも送ったら、膝の痛みなどが軽減したというので、その後、多めに送って親戚の伯母さまにも渡してもらっていた。
と、今回、帰国して伯母さまへ電話をしたところ、激しく感謝されたのが、このオイルであった。
彼女は数年前に肺がんの外科手術をしており、肋骨を切断している。その後遺症から、日々痛みとの闘いであったらしい。
毎日、湿布を貼ったりしていたが、さほどの効果が得られなかったところ、このオイルを塗ったら痛みが軽減し、ときに痛いことを忘れている日もあるという。
また、寒くなると、喉の辺りがひゅーひゅーと鳴るような症状に見舞われるので、胸のあたりに塗ってみたところ、その症状も治まったとか。
「美穂さん、申し訳ないけど、また買って来てくれる?」
と、言われて、本当に効くんだと驚いた。高価なものだと思われていたようだが、1本150円程度。日本の物価にすれば、本当に安い。
とりあえず、アルヴィンドに頼んで、来る際に追加で持って来てもらうよう手配をした。こういうささやかな1本が、痛みを和らげ、暮らしを楽にすると思うと、アーユルヴェーダとは本当に偉大である。
インドにお住まいの方。ぜひ、お試しになってみてはいかがだろう。ちなみに我が愛用のフェイスクリーム、"SWARNAMUKHI"もお土産で好評ですよ。
■KERALA AYURVEDA (←CLICK!)
さて、来週は東京出張。旅の第2弾が始まる。夫が合流してからの第3弾が濃密になりそうなので、体力温存しつつ、仕事に遊びに、楽しみたいと思う。
第3弾の奈良、宮島旅については、きちんとレポートするつもりだが、それ以外について、今回はブログをこまめに書く予定はない。
帰省の記録や視点は、毎回、似たような感じになるなあと、過去の記録を見て思うので。だいたい、服装も、何枚かは前回と被っているところが痛い。
同じ人と、同じ服装で会わないよう、過去の記録をチェックするべし、だな。
■日本旅の記録2011年 (←CLICK!)
■日本旅の記録2010年 (←CLICK!)
■インド発、元気なキレイを目指す日々:日本旅 2010年 (←CLICK!)