「わたしたちは ”同じ船に乗っている” と言うけれど、果たしてそうだろうか。同じ嵐に巻き込まれてはいるが、同じ船には乗っていない。あなたは難破船に乗っているかもしれないが、わたしは違うかもしれない。あるいは、その逆かもしれない……。」
我が家のアパートメント・コンプレックスのコミュニティWhatsAppが、荒れている。ある家が、外からメイドを通勤させていることについて、賛否が分かれて喧々諤々なのだ。例外を作ってはならない事態だと思う一方、メイド、特に料理をしてくれる人がいないと、日々、まともな食事ができない人も、いる。
そんな中、上階のご近所さんが、この詩をシェアしてくれた。
多様性の国インドは、わずか50世帯ほどのコンプレックス内でも、異なる宗教、ライフスタイル、価値観が渦巻いている。そこから一つのスタンダードを導き出すのは困難で、だから折に触れて、揉め事が起こる。今回の件に限らず、これまでも何かしら、あった。
わたしは基本的に、友人やコミュニティの中においては、「穏健派」でいようと努めている。「中庸」「中正」でありたいと思っている。そうは見えないかもしれないが、少なくとも自分では、それを心がけている。
中庸を貫くのは、一筋縄ではいかない困難さを伴う。双方の言い分をきちんと理解する必要があり、軽はずみなことを口にできない。
ごく当たり前のことを綴られているこの詩は、しかし、この特異な状況に陥っている我々にとって、心しておくべき基本だろう。COVID-19の蔓延以前から在る差異について、このたびは「考えを及ばす」に大切な機会だと切に思う。
ともすれば、自らを正義とばかりに、他者を糾弾したり、論(あげつら)ったり、批判するに終始するも人間。
人と争ったあとのご飯はおいしくない。人と争ったあとは、よく眠れない。
おいしく食事をし、よく眠るために、こんなときこそ、わたしたちは他者を思いやる気持ちを大切にすべきだと思う。