新しいブログ『インド百景 2022』をご覧ください。
➡︎ https://museindia.typepad.jp/2022/
Today, I cooked Osechi-ryōri which is traditional Japanese New Year foods. The food is prepared with gratitude to the gods, and ingredients that are associated with good luck are chosen. I chose shrimp, lotus root, burdock, kelp, egg, and other ingredients that are available in India. It was fun to prepare the dish.
P.S. This year’s zodiac sign is the year of the tiger, so I decorated a papier-mache tiger (a traditional craft from my hometown, Fukuoka). The tiger’s friend is a Rajasthani doll. 🐅😁
🎍昨夜は夜更かししたこともあり、のんびりと10時ごろに起床する元旦。新年もまた、バンガロールの空は青く、風は心地よく、気持ちのよい幕開けだ。
軽くストレッチをし、シャワーを浴び、簡単な朝食をすませたあと、動画サイトを検索しまくって、日本の紅白歌合戦の様子を見る。
藤井風がファンタスティックだったと聞き、なんとしても見たい。と思っていたら、シャネルズ!? 更には、いつかSAREESでカヴァーしたいと思っていた、大好きなWoman ~Wの悲劇~を歌う薬師丸ひろ子! ……宮本浩次も? 布袋寅泰?! えっ、MISIAと藤井風の共演?!!
久しぶりに見たすぎる紅白歌合戦だ。話がそれるが、わたしは宮本浩次が歌う荒井由美の『翳りゆく部屋』が好きすぎる。ぜひ聴いてほしい。
🎍さて午後は、昨夜、下拵えをしていた「おせち風」の料理に加え、お吸い物(餅がないので雑煮とはいえない)などを作って、遅めのランチ。
ありったけの「日本っぽい」食器を集め、それらしく盛り付けるのが楽しい。思えば9年前に、一度おせち風の料理を作ったことがあった。そのときは、ゲストを招いたこともあり、前日、結構時間をかけて準備をした。
今回は、自分たちだけということもあり、ややこしい料理は作らず、さほど手間もかからなかった。しかし「盛り付け」を工夫するだけで、前回よりもむしろ華やかに見え、かなりの達成感である。華やかに見える理由の一つは、9年前には入手できなかった刺身などの和の食材が手に入るようになったこと。バンガロールの食生活も、本当に変わった。
普段は丸鶏だの塊肉だのと、ダイナミックで大雑把な料理ばかりを作っているが、実はちまちまとしたものを作るのも好きなようだ。今日は「料理って楽しいな」としみじみ思った。
さて、参考までに、料理の説明をしておこうと思う。
①お煮しめ(筑前煮)。インドの蓮根は小ぶりなのでかわいらしさが増す。カシミール料理などでは使われているが、バンガロールでは従来、入手困難だった。最近、Woollyfarmsのサイトで恒常的に購入できるようになった。当日もしくは翌日届く。サトイモ(Colocasia)や、北インドで冬に出回る赤いデリー人参も同サイトで注文。
②ご飯はアラハバード有機農業組合の日本米&モリンガソルトと梅干しを混ぜ合わせたもの。
③梅ゴボウもアラハバード有機農業組合の乾燥ゴボウを使用。歯ごたえがあっておいしい。
④エビはFreshtohome.comの、よくあるタイプ(!)のエビ。この日、尾頭付きはこれしか売られていなかったので選択肢はこれのみだったが、旨味が染み込んで、十分においしい。
⑤マグロの中トロや昨夜のハマチの刺身(端っこを昆布と一緒に炊いた)、それにヒジキや油揚げは、maindish.inで購入。切り干し大根はいただきものを活用。こういう「乾物」は、実にありがたい。マグロは、熊本産(養殖)福岡経由インド。自分のルートと近いので親近感。米国経由してないだけ新鮮。中トロ、本当においしい。
⑥今回maindish.inにて、初めて「明太子」を購入したが、故郷の味とはいえ、このような加工食品はもう、自分がおいしいと全く感じなくなったことを再確認。あくまでもわたしの舌が食品添加物に敏感になっているだけなので、商品そのものに問題があるわけではない。昔、魚屋に木箱に並べられて売られていたような、添加物の入っていない、素朴な「めんたい」が食べたい。
久しぶりに和食をたくさん作って思ったのは、日本料理って本当に、しょうゆや酒、砂糖、みりんに頼っているなということ。わたしは日本酒やみりんの代わりに、インド産の白ワインで代用することもあるが。故に、それらの調味料はなるたけ天然に近く、良質のものを選ぶべしと改めて思う。
アラハバード有機農業組合の醤油は、薄口醤油風に色が薄いので、見た目もさっぱり仕上がるところが気に入っている。ヒマラヤの岩塩で作られているのも長所。ヘルシーな「米」「しょうゆ」「味噌」がインドで入手できるのは、本当にありがたいことだ。
以上、彩り豊かに栄養のバランスもとれた、ヘルシーなおせち料理に仕上がった気がする。よき一年の幕開けだ。
◉参考資料/【謹賀新年2013】 カレーもいいけど、おせちもね!
➡︎ https://museindia.typepad.jp/eat/2013/01/osechi.html
バンガロールに暮らし初めて16回目の年の瀬。この家で、こうしてのんびり大晦日を過ごすのは、初めてのことだ。
10回余りをアーユルヴェーダグラムで過ごし、あとはバンガロールクラブやホテルにて、賑やかにカウントダウンを楽しんだ。
今年、やり終えておきたいこと、書き終えておきたいことを仕上げられないままだが、それはそれ。焦燥や悔恨を捨てて、まずは元気でいられることに感謝だ。
パンデミック世界でも、夫と4猫、そして家族、身近な友人らが、つつがなく一年を終えられそうで、よかった。
先ほどランチに、年越し蕎麦を意識して、蕎麦を食べた。ちょっと早いが、一年を締めくくりつつある感じがする。
🙏
信心深さもスピリチュアルの片鱗をも感じさせなかった我が夫。昨年一月、義父ロメイシュ・パパが急逝して直後は激しく精神状態が荒れていた。
しかし、しばらくしてのち、心の寄る辺を精神世界の指導者に学び始めてから、ずいぶん落ち着き、価値観に変化を得た。
彼は週に一度、サットサンに赴いている。偶然にも近所に、同じ師を仰ぐ人がいて、サットサンを実践していたのだ。「サットサン」とは、いくつかの解釈があるようだが、サンスクリット語で「真実を探求する人々の集い」といったところか。心の在り方の勉強会のようでもある。
今日はその集いの、今年最後の日。仲間たちに何か贈りたいのでお菓子を焼いてくれと頼まれたのだが、お菓子よりは、こちらがいいだろうと、毎度おなじみの短冊を書く。ミューズ・クリエイションの活動指針には、慈善活動だけでなく、日印友好の文化的交流も含まれる。
こうして、日本の文字を伝えることも、ささやかながら、文化交流になっていると願いつつ……。仲間たちの名前の意味を英語で書いてもらい、そこから日本語に訳す。
永遠、光明、守護、寛大、繁栄、道徳、慈愛……。
漢字とは、なんと美しい文字だろう。日本語とは、なんと美しい言語だろう……。この文字や言葉を操ることができること楽しさを思う。
ことばを、丁寧に紡がねば。
頼まれていないけれど、「希望」をたくさん書いた。去年に引き続き、来年にもまた、希望を託して。
それでは、よいお年を!
去年の3月下旬にインドがロックダウンに入って以降のパンデミック世界。昨年7月ごろの第一波、そして今年5月ごろの激しい第二波という、大きな起伏があり、その周辺で活動していた。
飛行機に乗っていないとはいえ、カビニのジャングルを旅したり、ハンピで時空を超えたりもした。たくさんの動画を作り、無数の文字を記し、働いたり、遊んだりした。
そんな全てが、なぜか渾然一体と混沌で、出来事が順番通りに並ばない。茫洋と掴みどころがなく、長かったような短かったような捉えどころのない時間。
そもそも季節の変化に浅くメリハリのない気候のバンガロールゆえ、意識的に節目を作らねば、歳月は淡々と流れる。そんな中にあって、このパンデミック世界は、節目をも曖昧にする。
確実に、2年近くの歳月が流れているのに、そんな気がしない。この違和感に包まれているのは、わたしだけではない……と思いたい。
あれもやろう、これもやろうと、課題やテーマはたくさんあったはずなのに、手をつけられないまま、2021年が幕を閉じようとしている。それはそれで、いいのだ……と思う一方で、自分自身のモチベーションが低下していることを自覚する。
罪深いほどに、心地のよい高原の風が吹くこのバンガロールにて。在るがままに任せていたら、日がな一日、本を読んだり映画を見たり、猫らとダラダラ過ごしたり、おいしいものを作って食べて、今より軽く10キロは増量して、何もかもが面倒になるだろう。
そもそも、そういう事態に陥りやすい年齢につき。どの程度、自らを鼓舞すべきなのか。心身ともに、自分の取り扱いが、今は一番、難しい。
🎸写真は、BOOK SOCIETYの文字が刻まれた、しかし今は、HARD ROCK CAFE。
1912年に設立されたこの建物は、英国統治時代、キリスト教関連の書籍や教科書、文房具などを作成していたという。やがて、カンナダ語の聖書が作られるようになり、図書館としても機能していようだ。
わたしがバンガロールに移住したばかりのころは、コーヒーショップのバリスタ・カフェが入っていたが、2007年にハードロック・カフェとして生まれ変わった。とても好きな建築物で、目にするとつい、写真を撮ってしまう。
🍔HARD ROCKなハンバーガーとともに、歳月の流れを噛み締める。
➡︎ https://museindia.typepad.jp/2021/2021/08/hrc.html
第二次世界大戦が終結した1945年から今日に至るまでの間に。世界で大きな変革が起こったのは、1990年前後だったと、このごろは痛切に感じる。
1988年に大学を卒業し、海外旅行誌の編集者となったわたしは、公私に亘って旅に染まった怒涛の日々を送った。これまでは「自分が若くて成長著しかったがゆえの怒涛」だと思っていた。しかしこのごろは、思うのだ。
世界そのものが、怒涛だった。
あのころ、世界は、イデオロギーの転換期で、わたしは取材を通して、それを自らの目で目撃し、肌身に感じる出来事を経験してきたと。
深海に沈んだままの記録を、きちんと整理してライブラリに収めたいと思うが膨大。
1988年。蒋経国死去し李登輝総統就任、戒厳令解けた直後の台湾取材に始まった我が編集者人生。
1989年、昭和が終わり平成がはじまった。シンガポールにマレーシアを巡ったその秋、ボーイフレンドに振られ、心身ともに凍る冬を過ごしていたころ、バブル経済が崩壊しはじめた。
わたしはもう仕事に生きるのだと、バルセロナ・オリンピック直前のスペイン取材。マドリード、バルセロナ、アンダルシア……。初の欧州に心躍る。
転職後も海外取材は続く続く。
ベルリンの壁崩壊&東西ドイツ統合直後のアウトバーン走り、西から東へドライヴ。湾岸戦争最中の南仏ピレネー山麓。ペレストロイカにソ連崩壊。天安門事件2年後の上海はまだ人民服に自転車も見られ。北京からウランバートルまで36時間の列車旅……。
全ての旅が、呆れるほど鮮明に思い出されるのだ30年の歳月を経てなお。
先日、Twitterを通して勧められた書籍を入手することができた。『南アジアを知る事典』。折しも日本からバンガロールにお戻りの駐在員氏が、スーツケースに余裕があるので必要なものがあればと、申し出てくださった。
大変ありがたく、お言葉に甘え、無添加だしやら海苔やらを日本のご自宅宛に注文送付。併せて、古書ゆえ、海外には送ってもらえなかったこの本を購入し、お送りしたのだった。まさかこんなに分厚く重い本だとは知らず恐縮したが、手にできてとてもうれしい。
その内容の濃さ豊かさに感嘆。常に持ち歩きたいと思わせられる。スマホで確認……では決して得られない、専門家たちによって監修された信頼感。
パーティや会合の席などで、インドの友人らと話をするとき、なにかしら、確認したい事柄が出てくる。そんなときに取り出したい一冊だ。
1991年に編纂され、1992年に初版発行されたこの本。1991年はインドが市場を開放し、自由経済の政策を図った年。印パ分離独立後、社会主義的政策を取っていたインドもまた、ペレストロイカの影響を大いに受けた。
執筆された時期を念頭に置いた上で紐解く必要があるが、30年の歳月を経て、読み応えある内容だ。
✏️記録を残すこと。過去を反芻することの大切さについて、しばしば言及してきたけれど。
いったいぜんたい、それを未来に、どう生かそう。歳を重ねれば重ねるほどに、模索も深まる人生だ。
ここカルナータカ州。今夜から1月6日まで、夜10時から早朝5時までの外出が禁止されている。
つまり新年のカウントダウンで大騒ぎということもない。
あまりにも、振り返ることの多く。
あまりにも、書き残しておきたいことの多く。
しかし驚くほどの速さで歳月は流れ、年齢を重ねる。
焦燥は無意味。無意味どころか毒。
その日その日を大切に、慈しみ暮らそうと言い聞かせながら、しかし夜になれば、残す空欄3日分となった「5年日記」の重さが軽い。
あられもない姿で岩盤浴を楽しむ奔放な次女CANDY。
心臓病を患いながらも、来年には8歳になる長男ROCKY。
お天気屋さんな甘えん坊、次男JACK。
孤独を愛すNORA姉さんは、夫の書斎の書棚の高みでまどろんでいる。
またしても、収穫の時期がきた庭の胡椒。
ついこの間、粒胡椒の塩レモン漬けを作ったばかりだと思っていたのに。
わたしが作る料理は、概ね我流で大雑把、そのときどきで使う調味料なども異なるなど、勘に頼っているので、レシピを尋ねられると困る。しかし、どういう感じで作っているのかが分かれば、似たような味を再現できると思うので、今回、可能な限りに詳細をシェアしておこうと思う。
🍖丸鶏グリルと並んで我が家の定番パーティ料理は、ダイナミック豚肉。近所のポークショップで豚肩、もしくは豚バラの皮つきブロック肉を買う。今回は2キロの肩肉を購入。シーソルトや胡椒を揉み込んで焼くだけとか、醤油とバルサミコ酢でマリネするとか、塩麹で柔らかくするとか、味付けはその時々で異なる。
今回は、アラハバードの調味料を使いたく、お気に入りの甜麺醤、有機大豆醤油を使用。その他、ショウガのすり下ろしや料理酒なども。そうそう、今回は庭で獲れたパパイヤも少し入れた。パパイヤやパイナップルを入れると、酵素の働きにより肉を柔らかくなるのだ。それから、底に大根の輪切りを敷いた。
加えて今回は「こんがりがっつり系」ではなく、「しっとり柔らか系」にしたく、ストウブ(STAUB)で蒸し焼く。この鍋、数年前にニューヨークのWilliams Sonoma(大好きな店)で見つけ購入した。トマトの形がかわいいだけでなく、この楕円形が丸鶏を調理するときにも使い勝手よく、小人数の料理に便利なのだ。我が家の、他のル・クルーゼ鍋は主にパーティ用。日本では販売されていない巨大なものがメインなので(油断すると、本当に腱鞘炎になる)、このサイズは使用頻度が高い。
🧀バンガロール在住の友人Sunetraが最近はじめたクリームチーズのケータリング。友人宅でのパーティで何度か口にして、非常においしかったので今回注文した。新鮮な自家製クリームチーズにドライフルーツが混ぜ込まれている。クラッカー付き。どれも風味豊か、食べ過ぎ注意なおいしさだ。関心のある方は、坂田まで直接メッセージを。連絡先をお知らせします。
🍋アラハバードからのお土産。お気に入りの調味料類に加え、新鮮なレモンをいただいた。インドのレモンといえば、ピンボール状の見た目はライムが定番。こんなレモンレモンした紡錘形のレモンを手にするのは久しぶりのこと。いい香り! レモンの木を育てたくなる。
🥬オーガニック野菜のデリヴァリーも選択肢が増えたバンガロール。最近はwoollyfarmsをよく利用している。味わい豊かなローマインレタスやリーフレタス、アレギュラ(ルッコラ)ほか、Snacky Peppers と言う名の小ぶりなパプリカなどを購入。いただいたレモンをスライスして添える。肉類がこってりなので、ドレッシングはなし。なお、woollyfarmsでは、小ぶりながらもレンコンなど個性的な野菜も売られているのでしばしば購入している。
🌽トウモロコシは皮ごとオーヴンもしくはオーヴントースターで焼く。旨味が濃厚になる。輪切りにしたものを縦に切ると齧りやすくてよい。マッシュルームは新鮮だったので加熱せずスライス。
🐓インド移住以来、普段から鶏肉は丸鶏を購入し自分で捌いている。インド料理で使う鶏肉は皮が剥がされていることが多いが、鶏肉は皮付きも売られていることや、骨をスープにするなど余すところなく旨味を享受できることもあり。ゆえに、我が家ではしばしば登場する鶏肉料理。
その時々で、使う鍋も付け合わせの野菜も異なるが、昨日は定番の「じゃがいも、玉ねぎ、ニンジン、ニンニク」を使用。味付けは、バター、オリーヴオイル、岩塩、庭で収穫しレモン塩に漬けておいた粒胡椒のみ。バターは、皮と肉の間に押し込むと、肉に旨味が染み渡っておいしい。ガーリックはペースト状になるので、絞りつつ食べる。激うま。
今回は、「こんがりグリル焼き」ではなく、「タジン鍋をオーヴンに入れて蒸し焼き」にしたので、焼け色は浅いが肉がしっとりとしている。蓋をせず焼くときは、表面にオリーヴオイルやバターなどを満遍なく塗ると、こんがりきれいに焼ける。インドのアマゾンでセール時に購入したル・クルーゼのタジン鍋。想像を遥かに超えて使い勝手がよく、使用頻度が高い。
🍣アラハバードのあいがも日本米アキタコマチでおにぎり風巻き寿司。酢飯にしていないので、おにぎり風。サーモンは、maindish.inで購入したフィレをほんの少し解凍して捌く。鱗を取り、皮を剥ぐのがなかなか大変。上部のコンデイションがいいところを刺身にし、端っこや尻尾に近いところは後日、煮付けにする(これがうまいのだ)。サーモンはあらかじめ、醤油とワサビでマリネして巻く。
あと卵焼きも巻く。こちらには、アラハバードの「モリンガ・ソルト」を使用。スーパーフードなモリンガにヒマラヤの岩塩を加えたこれ、ヘルシーなふりかけのようで、とてもおいしい。おすすめ。丁寧に作ったつもりが、全体に巻き方が下手。具がずれている。味に問題はないが、要精進。
🥒日本の料理動画で見た蛇腹キュウリ。やたら切れ目を入れたきゅうりを韓国料理店アリランで購入した自家製ゴマ油、アラハバードの有機大豆醤油、ヒマラヤの岩塩に漬け込むだけ。これがおいしい。余剰な水分は和風ドレッシング代わりに葉野菜の上にかけて食べてもおいしい。鰹節とか炒りごまとかをトッピングしてもよさそう。
ところで蛇腹キュウリを作る際のレシピは割り箸を添えているものが多いが、そんな手間をかけず、包丁を持つ手の肘をやや上げた状態で包丁を斜めにし、刃先が軽くまな板に当たる感じで切っていけばあっという間よ。
🍰日本のクリスマスケーキといえば、いちごのケーキ。我が家の定番焼き菓子のひとつであるロールケーキと生地は同じ。巻かずに二つに切って重ねる。材料は、砂糖、卵、小麦粉、コーンスターチの4種類。
生クリームは普段、ニルギリスのビニル袋入りを使っているが、今回、トムズにはこれしかなかった。ニルギリスものと似たような味で、ヨーグルト的にやや酸味がある。悪くなっているわけではない。乳脂肪分が多いのでコクがある分、泡立てすぎると分離する。分離したら徹底的に泡立てて、水分を取り除くと新鮮バターになる。これはこれでおいしい。スコーンなどにつけて食べるとかなりいい。
クリームもスポンジも無精製の糖を使用しているため、やや茶色っぽい。不揃いのイチゴたち一筋でデコレーション。日本のいちごに比べると硬いし甘味も少ないが、クリームやスポンジと共に食べるとおいしいのだ。
年末年始の予定を立てないまま迎えた師走半ば。過去10年以上に亘って年末年始を過ごしてきたアーユルヴェーダグラムの予約も、今年は入れていない。
陽光穏やかに半袖が心地よいこのバンガロールで、今年はよりいっそう節目も浅く、静かに一年を終え、新年を迎えることになると思っていた。しかし、昨日は小さなクリスマス会を開き、くっきりと節目ができた。
パンデミック以前は数カ月に一度は開いていた大小のパーティ。しばしば大人数の料理を作ってきたが、昨夜のゲストは6名と小人数。久しぶりの宴とあって塩梅を掴みかねる。料理が足りないよりは残った方がいいと、少し多めにあれこれと準備した。
ゲストは、北インドのアラハバードにお住まいで、現在、南インドを旅行中の松田さんと関口さんご夫妻。そして先日、小さなバザールで手伝いをしてくれたミューズ・クリエイションのメンバー、木幡さんと吉田さんの4人だ。
我が家では従来、日本米といえば。年に一度のニューヨークで、カリフォルニア産コシヒカリ「田牧米ゴールド」をまとめて購入するのが常だった。しかしパンデミックで渡米が叶わず、どうしたものかと思っていたところ、「アラハバード有機農業組合」(以下AOAC)*がバンガロールにも日本米を送ってくれることを知り、以来、米をはじめ、味噌や醤油なども購入している。
合鴨農法による日本米は、最初こそ少しパサついている気がしたが、あらかじめ数時間、水に浸けたり、使う鍋や水の分量などを工夫してみたところ、うまくおいしく炊けるようになった。玄米もまた、滋味があっておいしい。ちなみに我が家では、電気釜も電子レンジも使わない。米は鍋で炊いている。
販売サイトは構築中とかで、現在は、毎月、電子メールで注文票が送られてくる。メールに添えられた、アラハバードの農家の様子やご自身の所感を記した松田さんの文章が我が琴線に触れたことから、その感想などを送るなど、折に触れてやりとりをしてきた。ご夫妻とはまた、ZOOMですでにお話をしたこともあった。
アラハバードもまた、必ず足を運びたいと思っていると土地の一つだ。
……そんな次第で、昨日の料理は、AOACの食材をあれこれと利用して料理を仕上げた。インド友から注文した見目麗しき美味チーズにはじまり、我が料理の背景については、この投稿の続編で、詳細を記したいと思う。
松田さんが拙著『街の灯(まちのひ)』を読みたいとおっしゃっていたので、謹呈。木幡さんも吉田さんもすでに読んでくれているので、我が30代前半のニューヨーク在住時代のことも、大まかご存じ。ゆえに、話も速やかに核心に入れるので言葉が通じやすい。
久しぶりに日本人メインの宴席につき、夫は出たり入ったりしつつも、みなでよく食べ、よく飲み、よく語り合った。踊ってはいない😅
午後5時ごろから夜更けまで。久しぶりの集いもまた「長居をしたくなる」マルハン家は本領を発揮するのだった。いい夜だった。
*ウッタル・プラデシュ州のアラハバードにあるAOACは、日本のNPO法人である「アーシャ=アジア農民と歩む会」が、JICA(国際協力機構)の支援を受け、アラハバードの小規模農民と、サム・ヒギンボトム農工科学大学マキノスクール(継続教育学部)と共同で2004年に創設した農業組合。
地球環境の負担を軽減する「持続可能な有機農業の促進」をはじめ、無添加の農産加工商品の製造及び流通販売を実現。地元の小規模零細農民の自立を促進すると同時に、在留邦人をはじめ、日本の食材を求めるインドの人々に、安全な農作物を届けている。
ミューズ・クリエイションでは、インドがデルタ株による第二波で苦境に陥っていた時、日本から支援できるいくつかの団体を紹介した。そのときにアラハバードの「アーシャ=アジアの農民と歩む会」のことも紹介している。
🌾🇯🇵北インド拠点の「アーシャ=アジアの農民と歩む会」を通して、COVID-19で困窮する農村の人々への支援を!
➡︎ https://museindia.typepad.jp/2021/2021/06/aoac.html
Your "sustenance". My "sustenance". The meaning of sharing.
Our driver, Antony, is a devout Christian. Yesterday morning he came to work with his bags in both hands.
“Madam, I bought about 20 plum cakes to give as Christmas presents to the people who work here. May I distribute them?"
He had never done anything like this before, so I asked him if it meant anything to him this year, and he said that it might be the last Christmas we would have here (since we would be getting a new house next year).
I said, “Sure. Actually, I’ll pay for the cakes” but he refrained.
And he gave us one, too.
Antony has been with us for ten years now, and I have written many times about the tragedy that befell their family four years ago in a holy place for Christians. As one of the people who witnessed their suffering after the loss of their elder son, I wondered what was going through his mind.
I started doing community services shortly after I started living in this country. I've already mentioned the background of this in my Muse Creation (NGO) 8th anniversary video.
Philanthropy or social services are not about "the rich giving to the poor”.
In this unequal world, where we stand is not always the same. Even the positions that we seem to have grasped for ourselves are actually obtained through sheer luck.
It is about the happiness that comes from sharing. Perhaps we can only understand this when we share it with others. Or, if someone helps us when we are in pain.
This is completely different from the world where charity is considered "hypocrisy" or "publicity". Unfortunately, these words is sometimes heard in Japan.
More than a decade ago, there was a time when I hired a young driver named Ravi for about two years. He often wore nice, colorful shirts. One day, I asked him.
“Ravi, how many shirts do you have?”
"About ten." I replied.
"I think I've seen more shirts than that”.
“Madam, every month I buy one new shirt and donate one old shirt to the poor.”
I was at a loss for words.
I wondered how much "sustenance“ I needed to survive. Whether you think it’s a lot or a little depends on your own sense of value.
If you can spare some of your own sustenance, whether visible or invisible, you may be able to find peace of mind by sharing it with others who are suffering.
Compassion is not something you offer for the sake of someone else. If it goes around and results in happiness for you and those around you, so be it.
Merry Christmas.
🎁
我が家のドライヴァー、アンソニーは敬虔なクリスチャン。本日のクリスマス・イヴと明日のクリスマスは休暇を取っている彼が、昨日の朝、両手に荷物を携えて出勤してきた。
「マダム、ここで働いている人たちに、クリスマスプレゼントを贈りたいので、プラムケーキを20個ほど買ってきました。配ってもいいでしょうか?」
今までこんなことをしたことはなかったので、今年は何か意味があるのかと尋ねたら、(来年は新居ができるので)ここで迎えるクリスマスは最後になるかもしれないから、ということだった。
「ケーキ代はわたしが払うよ」と言うと、いや、僕が払いますという。
そして、わたしたちにも1つくれた。
今年で勤続10年になるアンソニー。4年前、彼らの家族を襲った、クリスチャンの聖地での悲劇については、これまでも幾度となく記してきた。長男を喪ってからの、彼らの苦悩を間近に見てきた一人として、彼の心の動きを思う。
いろいろな思いが脳裏を巡り、昨日から改めて、考えさせられることの多く。
わたしは、この国に暮らし始めてまもないころから、社会奉仕活動を始めた。その背景については、ミューズ・クリエイションの8周年記念動画などでも言及しているので、ここでは割愛する。
慈善活動や社会奉仕というのは、「富める人が貧しい人に施す」ということではない。
不平等なこの世界で、自分が立っている場所は、常に同じとは限らない。わたしたちは、自分で掴み取ったかのように思える地位でさえ、実は単なる「幸運」によって得られたものなのだ。
分かち合うことで得られる幸福感。分け合える何かがあるということの有り難さ。それは、分かち合って初めて、わかることなのかもしれない。あるいは、自分が苦しい時に、誰かに救ってもらってはじめて。それは、慈善活動をして「偽善」や「売名」などと発想する世界とは、完全に次元を異にする。
十数年前、ラヴィという若いドライヴァーを2年ほど雇っていた時期があった。彼は、しばしばカラフルですてきなシャツを着ていた。しょっちゅう異なるデザインのシャツを着ている彼に尋ねた。「あなたは、いったい何枚のシャツを持っているの?」と。
すると彼は「10枚くらいです」という。いやいや、もっとたくさんのシャツを見た気がするけれど……と問うたら、彼はこういった。
「マダム、僕は毎月、1枚新しいシャツを購入して、古いシャツを1枚、貧しい人に寄付しているんです」
わたしは、絶句した。
自分が生きていくために必要な「糧」はどれほどだろう。その糧を多いと思うか、少ないと思うかは、個々人の価値観に依るだろう。
目に見えるもの、見えないもの問わず、自分の糧に少し余裕があるならば、枯渇している人とシェアすることで、自らの心に安寧を得られるかもしれない。
情けは人の為ならず。巡り巡って、結果、周囲も自分も幸福を感じられるのならば、それでいい。
メリー・クリスマス。
*写真は昨夜、ご近所の子どもたちによるクリスマス・キャロルが披露されたときのもの。
*以下は、アンソニーの長男のことについて記したブログ記事です。
2017年11月9日。敬虔なクリスチャン一家。巡礼の旅先でドライヴァーの息子が非業の最期。
➡︎ https://museindia.typepad.jp/library/2021/11/anton.html
クリスマスを間近に控えた今日。友人Dekyiに誘われて、彼女の家へ赴く。チベット系インド人の彼女と出会ってからというもの、パーティなどでは、わたしをDekyiだと勘違いした見知らぬ人から、声をかけられることがよくある。彼女もまた、わたしと間違えられることがあるようで、折に触れては、姉妹を超えて、同一人物状態だ。
思えばチベットの家庭料理をいただくのは初めてのこと。料理人がサーヴしてくれるできたてのモモ(チベットの蒸し餃子)に始まり、独特のダル(豆の煮込み)、ビーフジャーキーを柔らかくしたような、旨味が詰まった牛肉料理、そしてシンプルに見えて、これまた独特の旨味がきいた卵料理など、どれもおいしくて、たっぷり味わった。
彼女の義母も同席して、3人でのランチ。夫とわたしの国際結婚にまつわるコメディでしかないエピソードなどを話しつつ、食べながら、笑い転げながらの、楽しいひととき。
同じインド人同士でも、異なるコミュニティ同士の婚姻は、国際結婚のようなもの。その差異を巡る互いのエピソードには共通項もあり。詳細を書き連ねたいところだが、Google自動翻訳に、間違った翻訳をされそうなので、夫婦の話題は避けておくのが無難😅
🎂帰路、立ち寄ったTheobromaもクリスマス仕様。お気に入りのケーキやクラッカーのほか、パルミエ(源氏パイ風)も初めて購入。さらには、Theobromaの歴史を記す本も買った。創業した女性の出自はムンバイのパールシー(ゾロアスター教徒)で、彼女の生い立ちから今日に至るまでが描かれているのだ。
インドのキッチンを通して、多様な文化やライフスタイルを伝える書籍は多く、手元にも、魅力的な本が何冊もある。そんな書籍をもまた、いつか紹介したいものだ。
わたしはバンガロールにいながらにして、旅の途中でもある……との思いを新たにしつつ。ここに在る自分を慈しむ。
年末年始は旅をするでもなく、バンガロールでさりげなく、過ごすことになりそうだ。
昨夜は美食とワインのひととき。赤白共にスペインのリオハ。いちいち、無性に、旅に出たくなる気持ちを抑えながら、過去の旅路に思いを巡らす。
隣席の友人知人らとの会話が弾み、またしても、日本料理が好きすぎる一家と遭遇。映画にもなった「すきやばし次郎」を訪れたときの話にはじまり、日本人のわたしですら食べたことのない料理の話が次々に出てきて呆れる。
日本料理のすばらしさ、そして彼の妻や子供たちがどれほど「ありとあらゆる日本料理」を愛していて、日常的に取り入れているかを滔々と説かれて、互いに料理の写真などを見せ合って、もはや食事の後半に食べた料理の味を思い出せない始末。
詳細を綴りたいところだが、割愛。
ところで昨夜は、過去10年以上、クリスマスやディワリのときに、何度となく着用してきたお気に入りのパールシー(ゾロアスター教徒)伝統の手刺繍のサリーをまたしても。滅多に、あるいは殆ど着ていないサリーもあるというのに、この偏りはいかがなものかと思いつつ……。
今年後半に購入したサリーのブラウスもそろそろ仕立てなければ。周囲に着用者がいなくても、来年もまた、頻繁にサリーを着ようと思う。
☂️季節外れの長雨が続いた今年の後半。ここ数週間は晴れ間が多く、バンガロール@デカン高原らしい爽やかな天候が続いている。
After the Rain。思えば2020年半ばには完成する予定だった新居。この2年の歳月の、なんともはや。
ロックダウン。それに伴う資材供給の遅れなど、そもそもの遅延に輪をかけて遅れてきた作業の工程。諸々、うんざりした時期もあったが、今となって全てが歴史。
パンデミック世界の前と後では、「家」に対する考え方が大きく変わった。わたしだけでなく、世間も変わった。この時期、インドのインテリア市場の趨勢も大いに変革、店舗を巡って実感するのはもちろんのこと、インド版コンデナストの『AD (Architectural Digest)』*などを見るだけでも、ここ数年の変貌ぶりに驚かされる。
土曜日は、久しぶりに夫婦揃って進捗を見に行った。
今年中には完成予定だったこともあり、各所で手配していた家具が届き始める。しかし新居はまだ、搬入できる状態ではなく。
マネジメントオフィス曰く「ほぼ完成しているものの、まだ数カ月先まで引っ越し予定なし」というご近所さんのヴィラにて一時保管状態。
既述の通り、わたしはインテリア・コーディネーターに発注せず、すべて自分で手配している。関連業者は軽く10を超えており、そこそこマネジメント力が試される。家具だけでも6カ所に分散しているのだが、そのうちの4カ所がこの日搬入。加えて窓枠採寸のため、カーテン作りの業者にも来てもらう。
15年前、現居の内装工事をしたときの大変さを思うと、比べ物にならないほど楽なのだが、一方で、諸々の選択肢が増えすぎたことによる「迷い」も増えて、時間はかかる。
たとえば写真のソファー。ヴィンテージのローズウッド(紫檀)のソファーに合うファブリック(布)の選択肢が、途轍もなく多い。そんな中から、絞り込んだこの柄。別の店で購入した他のソファーとのバランス、クッションの具合などとも、写真を撮り、脳内でアレンジし、じわじわと、決めてきた。
途中で自分の好みがなんなのか、わからなくなるような状況にも陥ったが、今となっては、「わたしが好きと思うもので統一すればよい」という結論に至っている。
たまに、夫の意見も取り入れつつ。
ある夜、ネットで検索して発見した木工家具職人、PERMANENT OBJECTSの机やテーブル類も届けられた。
組み立ては家が完成してからなので、1枚だけ、仕上がりを見せてもらった。その麗しさに、夫婦揃って感嘆する。夫もたいへんお気に召した模様。以前も写真を上げたが、夫の机はより、年輪の風合いがすばらしい。
新居は来年2月ごろには完成するだろう。
それまでに、重い腰を上げて、現居の掃除をし、来年にはこの築15年の家の改修工事などもせねばならない。いつの日か、ミューズ・クリエイションのメンバーの子どもたちが、バンガロールへ留学やインターンに来るかも知れず、そのときのために、今の家も整えておかねば……。
まだまだ遠い先のこと……が、どんどん目の前に迫ってくる歳月。未来をイメージして心の準備をしておくことの大切さを、改めて思う。
時折、気持ちが沈んだり、あるいは何もかもが面倒になり、うぉーっと投げ出したくなったりするけれど(昨日がそうだった)、気を取り直しながら、未来の灯火を見つめながら、日々、心を更新しながら、生きよう。
さて、今夜は『教えて! みほ先輩!』のレコーディングにつき。ランチのあとは、準備にかかるとしよう。
*しつこく書くが、インド市場(ライフスタイル)のトレンドを知る上で、コンデナスト社の雑誌(全種類)を定期購読することは、極めて有効です。
🌸ミューズ・クリエイションの小さなクリスマス・チャリティバザール。無事に終えることができた。
以前からの在庫に加え、ロックダウンの期間中に、メンバーが作ってくれた手工芸品を販売したく、今回は一人でやる予定だった。しかし、平日ながらも駐在員&学生メンバーの男子2名が手伝ってくれた。
友人知人が立ち寄ってくれ、人数こそ少なかったが、みなあれこれと購入してくれた。元メンバーとも久しぶりの再会。かつては日本人駐在員が多かったアパートメント・コンプレックスも、今は単身赴任者が主で、家族帯同者はとても少ないとのこと。
2012年にミューズ・クリエイションを創設して以来の8年間。そしてパンデミック世界となってからの2年足らずの歳月の、その変容を思う。
イヴェント時には、おにぎり持参が常だった。自分だけ……というわけにはいかず、男子らにも作る。豚スペアリブを細切れにしたものを甘辛く炊いたものと、卵焼きを、巻く。おにぎりではなく、非常に雑な巻きっぷりの巻き寿司状態だが、味はおにぎり。
自分の分は、曲げわっぱ入り。曲げわっぱに入れると、更に旨味が増すのだな……。見た目はともあれ、おいしかった。
コーヒーブレイクには、近所のスターバックスからデリヴァリーを頼んだり。おやつを食べたり。のんびりと語り合ったり……。
楽しい1日だった。お疲れさまでした!
💃子どものころ、繰り返し見ていた夢。いくつもの支柱。広い窓から夕陽が差し込む回廊。あたりがピンク色に染まるその空間で、きらびやかなドレスを着た女性が、長いスカートの裾を翻し、クルクルと回りながら踊っている……。
当時のわたしは、その夢の中で舞い踊る女性は自分で、シンデレラのような、西欧の「お姫様」の類だろうと解釈していた。
小学生になったころにはもう、見なくなっていた夢なのだが、数年に一度、ふとした拍子に、その情景を思い出してきた。今でも朧げに思い出せる。
2004年、初めてラジャスターン州のジャイプールを訪れたとき、この夢を思い出した。ひょっとして「夢」の舞台はここじゃないだろかと思った。鳥肌が立つ思いがした。
どういう妄想?! と、笑われるのを覚悟で記しておく。
その前世のわたしは「お姫様」だったのではなく、ひょっとして「踊り子」だったのだろうかと思い至ったのは、2018年、ジョードプルで毎年2月に開催される「World Sacred Spirit Festival」に赴いたときだ。
わたしの意思や願望が及ばぬ遠い場所からの強い指令によって、故郷の福岡から東京、ニューヨーク、ワシントンD.C.を経てインドへ移住することになった。その経緯には、わたしの「前世」さえも影響していると思わずにはいられない。
そんな次第で、今世においては、半世紀を生きてようやく、「踊りたい」衝動が湧き上がって止められず、三半規管が弱くて回れないのに、膝が痛いので無理はできないのに、ついつい踊ってしまうのだ。
昨日、友人からの招待で、スーフィーの音楽を奏で歌うミュージシャンのライヴに招かれた。
初期イスラム教の神秘主義思想家たちによる教団としてのスーフィー。彼らにとって、音楽は神との合一を果たすための、修行のひとつだという。旋律に合わせてグルグルと旋回する「セマー」と呼ばれる舞踏もまた、修行だとのこと。
宗教と音、音楽は、密接に関わり合う。彼らの声を、楽器の音を聴いていると、無意識のうちに魂が歓喜する。
カクテルで友人たちと会話を楽しんだ後、ラジャスターンから訪れた楽団の演奏を聞く。最初は座って聴いていた観衆だが、中盤からは踊り始める。男性は、用意されていた白いスカートとシャツを着て、くるくると回りながら踊り出す。
普段のパーティのボリウッドダンスとは異なる類の、しかし結局は皆、嬉々として屈託なく踊る。
北インドの料理もおいしく、毎度、飲んで食べて語って「聴いて」踊っての、濃密に楽しい夜。この年末、旅行の予定はないがゆえ、バンガロールにいながらにして、旅情に浸れることの幸せ。
ところで、昨日着用のサリーは、先日、VAYATI WEAVESの展示会で購入したベンガル地方の伝統工芸モスリン(綿織物)。若き職人起業家による手織りものだ。今回初めて着用したが、軽く柔らかく、本当に着心地がいい。
詳細は以下のブログに記している。ぜひご覧いただければと思う。
なお、ブラウスは、先日サリー専門店のTANEIRA(TATAグループ)で購入した既製品。幸いにも、お直し不要でピッタリサイズのブラウスが、デザインもおしゃれだったことから購入した。他のサリーにも合わせやすいデニム素材でとても気に入っている。
昨今、若い世代におけるサリーの復興を後押ししている現象の一つに「ブラウスの自由」と「着付けの自由」が挙げられる。その点についても、後日記しておきたいものだ。
【関連情報を記したブログ】
◉聖なる音楽に浸り続けた。ラジャスターン州ジョードプル紀行
➡︎ https://museindia.typepad.jp/library/2021/12/sufi.html
◉数千年前に遡る。若き職人起業家たちによる伝統的な手工芸の復興
➡︎ https://museindia.typepad.jp/fashion/2021/09/hiraeth.html
◉SAREE RUN! タタ・グループ傘下のサリー専門店TANEIRA
➡︎ https://museindia.typepad.jp/fashion/2019/03/saree.html
🇮🇳昨日は、夫婦揃ってカルナータカ州の州知事公邸、RAJ BHAVANへと赴いた。
1947年に、インドがパキスタンと分離独立し、今年で75周年になる。それを記念しての、YPO主催による会合に参加したのだ。
ドレスコードは、白い伝統衣装。わたしは白いサリーを持ってはいるのだが、どれも10年以上前に購入したもので、ブラウスが軒並み窮屈。
このごろは、伸縮性のある既成のブラウスなどと合わせて着ていたが、どうやら白で統一した方がよさそうなので、前夜、オリジナルのブラウスのマチをほどいて広げ、アイロンをかけるという作業をする。
インドのサリーブラウス。昔ながらのローカルのテイラーでは、後に太った際を想定して、大きめにマチを取り、約5ミリおきに縫い目を入れてくれている。窮屈になったら、糸を解いてアイロンをかければOKというわけだ。
この写真がそれだ。わたしは太ることを避けたかったがゆえ、その後のサリーのブラウスは、仕事が丁寧なテイラーに頼み、更にはマチに予備の縫い目を入れてくれるなと頼んでいた。
失敗した。
ちなみにこの白いサリーは、2006年に母がバンガロールに来た際、マイソールを旅したときに購入したマイソール・シルク。装飾が少なめの、しかし金糸が美しい。ラジャ・ラヴィ・ヴァルマが描くところの、サラスワティ(弁財天のオリジン)が着用しているサリーに似ている。
さて、公邸内を見学した後、バンガロールの経済を牽引する実業家メンバーの中から、数名がMy dream for Indiaというテーマでスピーチ。その後、州知事によるスピーチが行われた。
実は近々公開の『教えて! みほ先輩!』の動画で、「バンガロールでは、ヒンディー語が必要な場面は極めて少ない」と言った矢先なのだが……州知事はヒンディー語でスピーチを始めた。しかも延々と30分以上!
なぜヒンディー語? 無論、わたし以外のメンバーの大半は、ごく一部の海外育ちのインド人を除き、ヒンディー語を理解する。ゆえにヒンディー語でも全く問題ないのだが、しかしここはカルナータカ州。
こういう場では、たいてい英語が話されるはずなのに……と思っていたら、州知事の出身は北インド出身で、カンナダ語は話せないらしい。
途中で幾度となく睡魔に襲われるが、中盤、何度もJAPANとおっしゃる。話の内容が興味深すぎるが、まったく、何一つ、わからない。
その後、緑麗しい広大な庭園で、ハイティーを楽しんだのだが、そのときに、友人たちがわたしの近くに来ては、異口同音に「州知事はたいへんな日本贔屓だ」との詳細を語ってくれる。
ちょうど日本のバブル経済がピークの時期、州知事は日本企業と仕事をしていたらしく、日本が終戦以降、目を見張る経済成長で先進国の仲間入りをした、しかも英語ではなく「日本語」を武器にして……的な話をもされていたらしい。
若いころに、日本と関わりのあったインド人の多くは、親日感情が強い人が多い。現在の日本が抱える社会問題や、過去30年の停滞などについてを知る人は少なく、日本は今でも優れた先進国だとの敬意を表してくれる。好意的に思われるのはうれしい反面、複雑な気持ちになる。
ハイティーを終え、国旗が降ろされるのを眺めたあと、州知事に「わたしは日本人です」と英語で挨拶をしに行った。
ちなみにRAJ BHAVANを訪れるのは、実は三度目だ。インド移住まもない2007年、日本人コミュニティのイヴェントやジャパン・ハッバが開催されたのだ。スマートフォンの携行さえ許されない厳重なセキュリティの現在は考えられない、出入り自由な場所だった。
インドのホテルやモール、さまざまな場所におけるセキュリティが厳しくなった契機は、2008年11月26日のムンバイ同時多発テロ以降のことだ。
諸々、歴史を振り返りつつ、昨日もまた、有意義な日であった。
【過去の記録から】
◉マイソール週末旅行(4) そしてパレス見学。(2006年3月)
➡︎ https://museindia.typepad.jp/blog/2006/03/4_6d16.html
◉盛大に日印祭り。母、インドTVデビューならず。(2007年8月)
➡︎ https://museindia.typepad.jp/blog/2007/08/tv_21cf.html
隣の土地のアパートメント・ビルディングの工事が、いよいよ終盤らしく、数年に亘って立ちはだかっていたパーティションが撤去されたのだ。
晴れた日が続くと、あんなにも季節外れの雨が降り続けていた日々のことを忘れてしまい、眩い陽光が当たり前のことのように思えてしまう。
昨日の朝は、うれしい再会があった。久しぶりに日本から戻ってきた人へ、「おかえり」を言ったのだ。
きちんとお別れできないまま、ミューズ・クリエイションの多くメンバーが、バンガロールを去った2020年。一時帰国のつもりが、本帰国になった人も少なくない。
先日、チーム・ハンディクラフトの材料を収納しているクローゼットを片付けながら、2012年からの歳月を回想していた。これから、これらを、どうしよう……と思いつつ。
今後の日本にとって、インドを知り、インドと関わることは、非常に大切だと強く直感する。
世界各地でイデオロギーの揺らぎが発生している昨今。日印の文化的友好もビジネス協調も、新たなフェーズを開拓する好機だと思う。
バンガロールに進出する企業が増え、駐在員やその家族が増えた近い将来にはまた、わたし個人の知見に加え、ミューズ・クリエイションの経験を生かす場が出てくるだろう。
それまでは、活動のためのさまざまを、この現居に保管しておこうとも思う。
✈︎
羽田からデリーを経由して、昨日の朝のフライトでバンガロールに到着したメンバーの吉田青年。日本土産を携えて、我が家に立ち寄ってくれた。
初めて会った時は、高校を卒業したての18歳だった彼が、22歳になって戻ってきた。
当初は英語の語学学校に通いつつ、ミューズ・クリエイションのセミナーや慈善団体訪問などのイヴェント、我が家でのパーティにも積極的に参加していた。
その後、当地の大学に進学したものの、パンデミックに伴い日本へ帰国。正直なところ、もう戻ってこられないのでは……と思っていた。しかしながら、学生生活残り半年を過ごすために、再びバンガロールへ帰ってきた。
50代にとっての3、4年は、もはや誤差みたいなものだが、20歳前後の3、4年の変化や成長は偉大だ。有意義な半年を送ってほしいと思う。
ミューズ・クリエイションの活動にも、再び関わりたいとのことなので、先延ばしにしてきた「バンガロール/ライフスタイル・ツアー」もそろそろ実施しようと思う。まずは「インディラナガール」エリアのスーパーマーケットやショップなどを巡りつつ、視察旅行的に暮らしに踏み込むツアーにするつもりだ。
NEW ERA。
新たな時代の幕開けが、近づいている。
先日、ITCガーデニア・ホテルでのミーティングの帰りに、併設のチョコレートブティック、FABELLEをのぞいた。ITCオリジナルの高級手作りチョコレートが販売されており、カフェも併設している。
バンガロールの老舗ホテルITCウィンザーに1号店がオープンしたのは、5、6年前だったか。当時は画期的な存在に思えたが、今やすっかり日常的な光景となっている。
甘いカカオの香りがする店内にて、魅惑的な粒チョコレートやガナッシュ(生チョコレート)を眺めていると、今まで目にしたことのない板チョコレートが目に飛び込んできた。
「魅惑的なパッケージだが、中身は期待はずれ」というケースはありがちだが、FABELLEのチョコレートは、どれも概ねおいしいので、外れることはないだろうと3種類を購入。
パッケージを開いてみた結果、ご覧の通り、見た目も美しい! そして非常においしい!
特にアーモンドの香ばしさが格別。子供のころから「グリコ・アーモンドチョコレート」が好きだったわたしにとっては、非常に好みの味わいで、リピート確定である。
バンガロールには、SMOOR (Bliss Chocolates)という高級チョコレートのパイオニアブランドがあり、そこのチョコレートもお勧めなのだが、FABELLEはSMOORよりも、やや高級。確か昨年は、金箔入りの超高級チョコレートを販売してもいた。
また2年前には、一時期、世界的に話題となったピンク色のルビーチョコレートをいち早く販売。SOOMORも直後に追随し、現在も販売されている。甘さが控えめ、フルーティな香りのおいしいチョコレート。わたしも何度か購入した。
かつて、インドは贈答品がないと言われていたが、昨今では本当に「人にプレゼントしたい」食品や日用品が急増している。
なお、FABELLEのチョコレートは、ホテル併設のブティックほか、オンラインでの購入も可能。詳しくは、下部に添付のサイトを参考に。
🍫
ところでITCは、西ベンガル州コルカタが本拠地のコングロマリット。社名のITCは、英国統治時代、1910年創業時の社名Imperial Tobacco Companyの略であった。そう。元々は国営のタバコ製造会社だったのだ。その後、1970年にIndia Tobacco Companyとなり、1974年に民営化されて以降は、正式名称もITCである。
ITCは現在、ホテル事業や食品、FMCG(日用消費財)、IT、パッケージや製紙、アグリビジネスなど多角的に事業を展開している。実は我が家(現居)の隣の敷地は、ITCテックパーク。数年前に大きなビジネスコンプレックスが完成したが、従来ここにはタバコ工場があった。
我が家に隣接する、古いアパートメントに住んでいるご近所さんは「昔はこの界隈は、常にタバコの匂いがしていたよ」とのことである。絶大なる間接喫煙状態だった模様。
話は逸れるが、ITCのアグリビジネスの一環で代表的なものに、2000年に開始されたBOP* ビジネス「e-Choupal(チョーパル)」がある。
e-Choupalは、仲介業者の関与など、インドの農民が抱える課題に取り組むべく、ITの力を活用して、農民を支援。農作物を自社で購入して、商品化するなどの試みを20年以上も続けている。下部に同プロジェクトの20周年記念動画を添付しておくので、ぜひご覧ください。
*Base (or Bottom) Of the (economic) Pyramid
◉FABBELE オンラインショッピングサイト
➡︎ https://itcstore.in/pages/fabelle-luxury-chocolates
◉20 years of ITC e-Choupal
➡︎ https://www.youtube.com/watch?v=bC26MSKjA1s
◉ルビーカカオ豆から作られたルビーチョコレート★2019年5月/『マルハン家の食卓』ブログ
➡︎ https://museindia.typepad.jp/eat/2019/05/ruby.html
わたしは、去年のロックダウンを機にYoutubeでの配信を開始し、インドライフに関する情報を発信してきた。チャンネル登録者数も視聴者数も極めて少ないが、数少ないコア&すばらしい方々に向けて😄、自分の思うところを発信し続けている。しかし、今年に入ってからは、制作の本数がぐっと落ちていた。
自分でインドのあれこれを紹介する「インドはステキなものであふれている」略して「インステ」関係の動画も何本か作ったが、素材は山ほどあるのに、なかなか完成に至らない。世の中が動き出し、外出が増えると、動画作りの優先順位が落ちてしまうのが現状だ。
各種セミナーやバンガロールの街角取材なども、アイデアは脳裏を巡り、ノートにメモは溢れるものの、大半がお蔵入り。
そんな中、眞代さんとのコラボを始めたことで、「誰かと会話をしながらの撮影」は、モチベーションがあがるのはもちろんのこと、諸々、刺激を得られるし、新たな視界が開けることを実感している。
『教えて! みほ先輩!』は、眞代さんのチャンネルで公開されているが、わたしも自分のチャンネル向けに、「今のインド」を語り合う企画を始めようかしらん……と、立て込む師走に現実逃避が思い浮かぶ。
一体全体、2020年と2021年はどこへ消えたのだ?!
というくらい、脳内で歳月がモヤモヤしている。これほど「モヤモヤ」😶🌫️という言葉がしっくりくる状況が、かつてあっただろうか、いやない。というくらいに。
新居の準備に加え、「現居の片付け」という逃げ出したいテーマがど〜んとあるのだが、手付かずのまま今年を終えようとしている。まずい。まずいのだ。今の家も維持するとはいえ、一旦は大掃除をし、多くを新居に送らねばならない。
そういう一切合切、我が家は妻のミッションにつき……と言いながら、昨日も現実逃避で朗らかに外出。
さて、これらの写真は次回の『教えて! みほ先輩!』のための参考写真である。何のテーマの話をするか、おわかりいただけるだろうか。
ふふふ。お楽しみに!
師走初日。今朝は、今年最後のFM熊本収録。14年目を締めくくる話題は、インドの話題を超えて「歴史を学ぼう」。かくいうわたしは、学生時代、特段の思い入れがなかった歴史や地理の勉強。学ぶことの必要性、重要性を感じたのは、社会人になってからだ。
海外に暮らしていれば、その国の歴史はもちろんのこと、母国である日本の歴史や文化の背景を知っておくに越したことはない。日本に住んでいるとき以上に、海外では「日本人であるわたし」を認識する場面が多いからだ。
海外に出る機会が少ない人でも、今や異国との交渉なくして生きてはいけない。日本国内にいても、異文化交流は少なからずあるだろう。たまに海外旅行に出かける人ならば、旅行前に背景を下調べしておくと、旅の醍醐味は格段に増す。
わたしが大学卒業後に上京し、旅行ガイドブックを編集するプロダクションに就職したのは昭和時代の終焉、1988年だった。新米編集者として、その年、初めて経験した海外取材先は台湾。38年に及ぶ戒厳令が解かれた翌年であり、蒋経国総統が逝去、李登輝首相が就任した年でもあった。
台湾で、日本語を話せる年配の人と出会い、日本統治時代が半世紀も続いていたことを知る。教科書では数行でしか言及されていないその事実の「重み」を肌身で感じながら、衝撃を受け続ける取材旅行でもあった。歴史を知らなければ、編集できないと実感した。
その翌年1989年、シンガポールやマレーシアの取材した際には、「英国統治」「コロニアル文化」「大東亜共栄圏」「昭南島」「昭南旅館(ラッフルズホテル)」といった言葉の背景を知る必要があった。
昭和天皇が崩御、平成時代が始まった1989年はまた、日本のバブル経済がピークに達したと同時に、米ソ冷戦時代が終結、ベルリンの壁が崩壊し東西ドイツ国境が解放された激動の年だった。
イデオロギーが大転換した重要な年でもある。
1990年、ゴルバチョフ書記長はノーベル平和賞を受賞。そんな最中、わたしは小さな広告代理店に転職した。海外ドライヴ取材を特集記事とする昭和シェル石油の情報誌の編集をすることになったわたしは、当時、隔月で2カ国をドライヴ取材していた。今では考えられないほど、馬車馬のように働いていた。
1991年1月、湾岸戦争の開始に伴い、海外渡航の自粛が相次ぐ中、しかし旧西ドイツのフランクフルトから旧東ドイツのベルリンまで、ドライヴ取材を敢行。その後、南フランスのピレネー山脈からアンドラ公国、スペイン国境を経てプロヴァンスを取材、稀有な経験をした。今であれば間違いなく、中止になっていただろう。
いずれの海外取材も、当該国の歴史的背景や文化を学ぶ必要があった。無論、当時は目先の仕事で手一杯、十分な予習もできず、今思えば無知の極みで無謀でもあった。今のように情報がすぐ入手できるわけではない。何かを知ろうと思うと、図書館へ行ったり、書籍を購入したりする必要があった。
ともあれ、社会人になった直後に、濃密な海外取材と編集作業を経験したわたしは、世界史、日本史、地理を学び、異文化に対して敬意を持って接することの重要性を身を以て体験し続けてきた。その延長線上に、ニューヨークがあり、米国があり、インドがある。
学べば、地球を俯瞰してみやすい。偏見を持つことや隣人(隣国)との諍いの哀しさがわかる。謙虚になる。無知にも関わらず、わかったふりをして、異国や異文化や他者をジャッジすることの恥ずかしさもわかる。
若者向けセミナーで語っているメッセージにも、歴史を学ぶことの大切さを常に掲げている……と綴るに尽きない。ともあれ、自由に飛べない今だからこそ、歴史や地理を知ろう、学ぼう。話はそこからだ。
年に数回、日本のアマゾンで書籍を購入している。毎回テイストが異なる。今回は、オーディオブックで聞いた『最速で身につく世界史』(角田陽一郎著)が、極めてわかりやすく印象的だったので書籍も購入した。世界史を学ぶ導入として、本当におすすめ。坂田にとっての「1989年の重要性」も理解していただけるだろう。
以前購入した歴史関係の書籍。パラパラとめくるだけでも楽しい。
今年より「手書き」を意識的に増やした。明治以降の歴史と自分史を重ね合わせて年表を作ってみた。諸々俯瞰できるのがいい。
我が高校時代、約40年前の教科書。世界史の教科書の序章は、一読に値する。また大航海時代の地図の、まさに極東な日本(ジパング)の位置についても、思いを馳せたい。
このところ、『ANNAPURNA マルハン家の食卓』ブログを放置したままだったので、撮り溜めていた料理のなかからピックアップ。
①Honoreのサワードウブレッドに、自家製ペスト(バジルやチーズ、松の実、オリーヴオイル、岩塩、胡椒を一気にブレンダーで粉砕)を塗ってのランチ。自家製ペストは本当に便利。
②きしめん? に見えるがパスタ。食材があまりなかった日、ガーリックと玉ねぎを炒め、ナスを皮の面から焼いてしっとりさせたものにパスタと上記ペストを加える。緑がない時にも野菜っぽい色が出る。器の緑も視覚効果に貢献。
③この日はMaindish.inで注文した熊本産の鰻で贅沢な夕食。Gourmetgarden.inの青梗菜とマッシュルームのソテー。背後にアヴォカドもみえる。
④これは何だっただろう。なにしろ毎度独創料理につき、同じものを作れる気がしない。これは豚の角煮風だが、トマトやニンニクが入っている。多分味付けは、バルサミコ酢と醤油だろう。多分おいしかった。緑欲しさに庭のセロリの葉を摘んではみたが、いまいち、合わなかった気がする。
⑤このパスタも豚の塊肉を小さく切って入れている模様。トマトとズッキーニ、庭で収穫した粒胡椒など。
⑥これは旅行のあとの夕食だった記憶。外食続きのあとは、さっぱり一汁一菜的な和食がいい。アラハバードの乾燥牛蒡を戻したものと、ナスが入った味噌汁。卵が入ればおいしさ格別。副菜は何かの胡麻和えに見える。なんだ? キャベツかな。
⑦この間、動画で「ナスを揚げずにしっとりさせる」的なテクニックが紹介されていた。以来ハマっている。油をたっぷりめに入れた鍋に、「皮の面」を下にして蒸し焼く。我が家はル・クルーゼのタジン鍋が大活躍。弱火で加熱していると、途中でバチバチ水分が飛び散る音がするが、やがて静かになり、こんなにもしっとりと。アラハバードの甜麺醤を塗る。非常においしい味噌田楽のできあがり。
⑧この贅沢な刺身食卓にも、ナス田楽が輝く。きんぴらを構成しているのはニンジンとゴボウ……ではなく、バナナの茎。健康によいバナナの茎。小脇はほうれん草のお浸し。
⑨インドで日本風の細いキュウリが欲しい際には、English Cucumber, European Cucumberで探すと出てくる。蛇腹切りしたきゅうりに、胡麻油と岩塩、醤油をマリネするだけで美味! 生野菜の上に載せれば、ドレッシング的になり、野菜が進む。ちなみに、バンガロール在住の方は、韓国料理店アリランの1階にある食料品店の「自家製ごま油」をお試しあれ。自家製だけあって容器が水のペットボトルだったりするのだが、これが風味もよく非常においしいのだ。
⑩これもタジン鍋が役立つ一例。我が家で丸鶏のグリルといえば、玉ねぎ、じゃがいも、にんじん、ニンニクが定番なのだが、この日はそれらがなかった模様。グリーンピーとマッシュルーム、マウンテンガーリック(GourmetGarden.in) が投入されている。味付けは塩胡椒に、たっぷりのオリーヴオイル。ズッキーニはオーヴントースタで焼いた。とうもろこしは蒸した。見た目、雑だがおいしかった。
☕️Reunited with a friend after almost two years. Under this pandemic, she gave birth to a baby in Bangalore. He was four months old, and he kept smiling and looking at me. Very cute!
👶毎度おなじみすぎるARAKU COFFEE。今日はバンガロール在住で、ミューズ・クリエイションの活動に関わってもいた友人&ベイビーとランチ。パンデミックを境に、当地を去った日本人が多い中、彼女は数少ない日本人友のひとり。
最後に会ってから約2年ぶり。医療関係の仕事に携わる彼女にとっては殊更に、この歳月、タフだったことだろう。
4カ月前、インドで生まれたベイビーは、わたしとペアルック状態。ずっとニコニコしていて、わたしを見つめてくれる😁 かわいすぎる。
☕️ところでARAKU COFFEE。明日からオーガニック・コットンのブランドとのコラボレーションで、イヴェントが開催されるらしい。特別メニューが用意されるとのことで、この店のフードメニューを取り仕切るアディティもムンバイから訪れていた。彼女が経営するムンバイの名店@masquerestaurant にも、行ってみたい。やれやれ最後にムンバイに行ったのはいつだったか。
🙏ああ、そういえば、今日はムンバイ同時多発テロから13周年だ。当時、我々夫婦はムンバイとバンガロールの二都市生活を送っていた。2008年11月26日のことも『深海ライブラリ』ブログに、改めて書き留めておきたい。
ついこの間だと思っていた出来事が、どんどん歴史になっていく。
Really, comfortable!
A collaboration of stretchy jersey cotton and traditional ikat textile. I love these as well as the collaboration with the same brand, traditional Assamese handlooms, that I purchased the other day.
またしても、不易流行ファッション。
昔ながらのイカット(かすり)のテキスタイルと、木綿のジャージー素材のコラボで、極めて快適。
肘のスリットがお気に入り。
先日購入したアッサムの伝統柄もよかったけれど、こちらもいい感じ。
先日同様、Ulsoor Lake 沿いのAmbaraで販売中です。
#インドはステキなものであふれている 略して #インステ