そろそろ完成させねばと、昨日は「朝子さん」の動画作りをしていた。昨日はまた、夫の伯父(母の兄)の誕生日だったので、夫に電話をかけるよう促した。先日、朝子さんとお会いしたことを話したところ、伯父は、かつてラホール最高裁の弁護士だった夫の曽祖父の話をしはじめたという。
曽祖父が、パキスタンの父ジンナーが弁護士だった時代に、ムスリムとスィク教徒の聖地紛争(Shaheed Ganj Mosque)で闘い、ジンナー側のムスリムに勝訴したことは知っていた。
多くの偉業を成し遂げて来た人物とは聞いていたが、なんと、日本軍と深い関わりのあったINA(インド国民軍)の戦後対応に関わる「インド国民軍裁判」の法廷にも携わっていたとのこと。
インド国民軍の将校のひとりだったプレム・サーガル。曽祖父は、彼の弁護に尽力したとのことである。プレム・サガールの妻は、朝子さんも所属していた「インド国民軍婦人部隊」の指揮官であるラクシュミー・スワミナタン。この間、朝子さんに「女神ラクシュミー」の和製マジョリカ・タイルをお送りしたのは、ほかでもない、このラクシュミーを意識してのことだった。
ちなみに、指揮官ラクシュミーは、すでに夫がいたにもかかわらず、プレム・サーガルと恋に落ちて、離婚手続きが完了しないまま、再婚(重婚)したという、なかなかに香ばしい女性で、彼女への関心も一気に高まる。
これはもう、今すぐにでもデリーへ飛んで、伯父に話を聞きたいところだ。
この話がいかに「鳥肌が立つほど」のことなのかは、状況を知る人にしかわからないだろう。それでも敢えて記録を残しておく。この事実を知った直後、昨夜招かれた友人のパーティで、一度だけ会ったことのある知人と話をし、彼女がインド軍の元女性兵士だったことを知った。
驚きつつも、彼女ならこの話に関心を持ってくれるに違いないと思い語り、二人で大盛り上がりをしたというおまけもついている。
恐ろしいほどのご縁。
「このような話は、関心のない人には、まったく理解してもらえないけれど、わかる人には、鳥肌ものよね〜!」と、彼女も同様のことを言っていた。深い共感。
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🗽1996年。ニューヨークへ赴いて2カ月後の七夕の夜。インド人の男性と出会い、付き合い始め、5年後に結婚した。特に関心があったわけでもないのに、自ら絶大なるエネルギーを投じて、嫌がる夫と説き伏せて、インド移住を実現した。
幾度となく記してきたが、自分でも自分がよくわからないのだ。
やがて50歳を過ぎたころから、「時空を越える奇縁の重なりの多さ」に驚くことが続いている。
「インドに来るべくして来た」としか言いようがない。わたしはレールに乗っかっているだけ。
個人レベルでの奇縁は数えきれず。佐々井秀嶺上人や日本山妙法寺など、仏教に関わるご縁。インド・パキスタン分離独立前後の、夫の祖先の物語。先日お会いした「インド独立の志士」朝子さんとの関わり……。
確かにライターという職業柄、アンテナの感度は高めだ。しかし、四六時中稼働しているわけではなく、適度に緩く生きている。にもかかわらず、「この人に会いにいけ」「これを調べろ」との指令が、天から降りてくる。
つい先日出版されたばかりの書籍『BOSE』。読破できる気は全くしないが、「事典」のように使えそうな一冊だ。それにしても、わたしの身に余りすぎる、これらの課題。かといって、気づかなかったふりはできない、調べずにはいられない史実の連なり。
専門家でもないわたしが中途半端に発掘するには、あまりにも手に余る。このごろはもう、自分の数秘の運命数が33だからこうなのだと、甘んじて受け入れてみたりもしている。なんのこっちゃである。
我が夫の母方祖父と、その父(曽祖父)については、過去ブログにも記した。以下、転載。
【母方の曽祖父/Rai Bahadur Babri Das】
●Rai Bahadarとは、英国統治時代、帝国への奉仕や公共福祉に貢献した人物に与えられた名誉の称号
●ラホール(現パキスタン)出身
●ラホール最高裁の弁護士。パキスタンの父ジンナー(元はコングレスに所属)が弁護士だった時代、ムスリムとスィク教徒の聖地紛争で闘い、ジンナー側のムスリムに勝訴。→Shaheed Ganj Mosque
●パンジャブ・ナショナル銀行の創業メンバー
●1881年パンジャブ州ラホールで創刊された新聞「ザ・トリビューン紙」の創刊メンバー
●Doaba Collegeはじめ複数の大学や教育機関の創設メンバー
●印パ分離独立時の裏事情に精通していたが、家族には一言も漏らさず。ラホールでの裁判のミッションを終えて後、家族がすでに移住していたデリーに移る。
【母方の祖父/Dev Datt Puri】
●ラホール出身、事業で財を築く
●フリーダムファイターを志すも、マハトマ・ガンディの影響を受け平和運動家に
●ヤムナナガール創業の、英国統治時代の製糖工場受け継ぎ経営(Saraswati Sugar Mills Ltd)。
●鉄鋼会社ISGEC創業(古くから日本企業との関係がある。現在、製糖工場と共に夫の従兄弟が経営。日立造船と合弁会社も設立している)
●インド製糖協会(ISMA)会長
●ILO (International Labour Organization)のインド代表。スイスへもよく訪れた。
●コングレス(インド国民党)政治家。ローク・サバー(連邦議会下院)、ラージヤ・サバー(連邦議会上院)双方の議員を経験
●印パ分離独立時の『007』並の国境越えエピソードなどは、ブログの記事にて軽く言及している。
●軍医だった義兄(姉婿)は、第二次世界大戦中、マレー半島のコタバルで日本軍の攻撃により戦死。
●晩年、ロンドン滞在中、心臓発作で客死。そのエピソードもまたドラマティック……
このテーマに深入りされたい方は、ぜひこちらのブログをご覧ください😻
🇮🇳🇯🇵8月15日。インドの独立記念日と日本の終戦記念日が同じ日なのは偶然ではない。印パ分離独立を巡る家族の物語など。
➡︎ https://museindia.typepad.jp/library/2021/08/815.html
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