今朝、目覚めたら、少し喉が痛い。「風邪?」と一瞬思ったが、違う。昨夜久しぶりに、やんややんやとしゃべりすぎたせいだ。
今月に入ってからは、諸々のリアルなイヴェントなどが始動して、急に世の中が目まぐるしい。本当は、今月末にデリー宅へ行き、義父が他界後、2年間放置したままの諸々を片付ける予定でいたのだが、どうにも無理。なんとか5月ごろには、2年半ぶりの一時帰国を実現したいと願っている。
そんな矢先の、九州沖縄県人会。2017年に結成されて以来、多い時には数十名が集っていた気がするが、昨日は十数名と少なめ。しかし、それぞれに自己紹介をし、お顔と名前が一致して、リラックスできる雰囲気でもあり、むしろよかった。
2020年3月にインドがロックダウンに入って以降、多くの在留邦人が帰国した。ミューズ・クリエイションのメンバーもまた。
「一時帰国のつもりが……本帰国になった」というご家族も多く、やりきれない中途半端な別れが続いた。
この2年間というもの、先行き不透明な歳月が流れたが、こうして再び、顔馴染みだった人と再会し、初めての人と挨拶を交わせる日がきて本当によかった。同時に、言葉を交わした参加者の、ビジネスが堅調とのお話を聞くにつけ、撤退する企業も少なくない中、希望が持てるようでうれしかった。
地元の酒を酌み交わし、
「同じ高校やったと!? そこ、高校野球が強いとこやろ?」
「わたしと幹事、生まれ故郷が同じやけん。熊本県荒尾市」
「え? 西区のどこ? え? 西鉄バスの終点? 知っとう知っとう見たことある」
「大学、下関やったけど、24時間営業のロイヤルホストに行くために、深夜、関門海峡渡って小倉までドライヴして夜明けまで遊びよった」
「え? 北九州で働きよって、なんで梅光しらんと?!」
などと、地球儀の上の一箇所を、爪楊枝の先で指し示すような会話を交わすも愉し。
諍いの多いこんな時代だからこそ、老若男女、バックグラウンド、さまざまな垣根を取り払い、異郷の地に暮らす日本人同士として、建設的に前向きに、協調していきたいものだと、改めて思う。
🍜バンガロール九州沖縄県人会に参加希望の方は、坂田まで直接メッセージをください。次回からの新幹事にお繋ぎします。ご自分は住んだことがなくても、ご親族がいらっしゃるなど、それなりに縁のある方でしたら歓迎です。ただし九州弁のテストはします(嘘😂)
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