生前、父が、自分の父親(つまりわたしの祖父)のために建てた立派なお墓。しかし、諸事情があり、わたしは久しく訪れる機会がなかった。最後に訪れたのは、20年以上前のことだ。
日本社会の少子化に伴って「墓じまい」の傾向が進んでいる昨今。紆余曲折を経て、守ることになった。
久しぶりに訪れたこの墓地は、薫風も心地よく、なんとも言えぬ、よい「気」に包まれていた。
奇しくも墓地の隣の丘の上には、弁財天を祀る祠が佇む。弁財天はインドの女神、サラスワティがその起源。わたし自身、日本でも、インドでも、ご縁のある神様につき、ありがたく思う。
靴を脱ぎ、裸足になり、水をかけながら、墓石にうっすら広がる埃や苔を洗い流す。
裸足の方が、心置きなく掃除ができるということもあるが、インドでは神様の宿る神聖な場所では必ず裸足になる。ゆえに、靴のまま、墓に上ることに、抵抗を覚えたのも事実だ。
年を重ねてこのごろは「水仕事」の尊さを、いっそう肌身に感じる。
ゆえに、インドの家は、メイドに家事の一部を任せてはいるが、炊事は敢えて自分でしてきた。
木漏れ日のもと、森を抜けてきた風に吹かれつつ、過去の諸々を「水に流す」思いで水を流す。清めれば、たちまち輝きを取り戻す石。
まさに、心も洗われる。
掃除を終えて、道中の花屋で購入した芍薬や百合など、自分の好みの花を手向ける。
なんという美しさ……!
線香のやさしい香りに包まれながら、手を合わせる。父が他界した18年前、即ち2004年5月が間近に迫る。
変幻自在な記憶の中で、時空は歪みながら、この瞬間に密着する。
経験や記憶の「順番」の曖昧さ、を改めて思いつつ。
帰路、妹の夫と合流して、4人で亡父も行きつけだった寿司屋へ。おいしい寿司や刺身を味わって、満たされるひととき。
ひとつの節目を乗り越えて、引っかかっていた小さな棘も、洗い流された思いだ。
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