At shrines dedicated to Sugawara no Michizane, a great man in my hometown, there is always statues of cows. It is a testament to the influence of Shiva and Nandi.🇮🇳
江戸時代、日本が鎖国をしていたころ。しかし、玄界灘を舞台にした密貿易は、密かに、確実に行われていた。密貿易によって栄えた豪商。彼らゆかりの屋敷や神社。そして、「左遷」された菅原道真公……。
さまざまな史実が絡み合いながら、現在に連なる。
この日、ランチの前後。たまたま目に止まった二つの「天満宮」の鳥居をくぐった。「天神様」とも呼ばれる「天満宮」とは、菅原道真を祭神とする神社のこと。
以下、Wikipediaの情報を拝借して要約しておく。
・道真他界後、平安京で雷、大火、疫病などの天変地異が相次ぐ。
・道真左遷に関わったとされる者たちが相次いで死亡。道真の怨霊が理由とみなされる。
・ゆえに道真は大自在天や大威徳明王などと関連付けて考えられるようになる。
・道真が死後に送られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」が天満の由来。
・道真が優れた学者であったことをして、後世「学問の神様」ともされた。
🐃ところで、天満宮の境内には必ず「牛」の像が鎮座している。子どものころは「牛がいるのは当たり前」の、なじみある情景だったが、インドで暮らすようになってから、牛は極めて身近な存在となり、気になって調べた。すると、興味深い史実を見つけた。
日本最古の天満宮とされる、京都の「生身(いきみ)天満宮」のサイト。ここに菅原道真公と牛に関わる情報が記載されていたので、要約して転載する。
・菅原道真公の生年が承和12年(846年)6月25日で乙丑の年。
・薨去されたのも延喜3年(903年)2月25日の丑の日。
・道真公は日頃から牛を愛し、大宰府に下る際、牛に乗っていた。
・刺客から牛が菅原道真公を守ったことがあった。
・菅原道真公の遺骸を載せた車を引く牛が座り込んで動かなくなった場所が墓所と定められた。
・上記の説から「使いの牛」は、ほとんど臥牛と呼ばれる座った姿勢。
・農耕の神のご神徳から、その象徴である牛を崇める。
・死後の「天満大自在天神」という神号からきているという説。
🐮ところで「大自在天」とは、バラモン教の大本尊シヴァ神の仏教における姿。大自在天は、八本の腕と三つの眼を持つ八臂(はっぴ)三眼で、白い牛に跨がるとされていることから、「天満大自在天神」のシンボルとしての牛ともされているようだ。
ちなみに本家インドにて、シヴァの乗り物とされる乳白色の牡牛は「ナンディー」あるいは「ナンディン」と呼ばれる。
最後の写真2枚は、昨年11月に訪れたカルナータカ州のハンピにて出合ったナンディー像と、新居のご近所さん。🐄
書きたいことは尽きぬが、この辺にしておこう。
故郷の歴史の面白さを、故郷を離れ、歳を重ねて実感する。……太宰府天満宮が呼んでいる。
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