日本滞在10日目の土曜日は、終日、実家の大掃除をしていた。インドでも、日本でも、こんなことばかりしている気がする。片付けるのが好きなわけではないのだが、散らかっているのが嫌い。片付けたあとの達成感と心の平穏が好き。というわけで、片付けることになる。
先日も記した通り、週に一度はダスキンさんに来てもらっているし、ぱっと見はきれい。しかし数日、生活をすれば、ものの多さと、それに伴う危険性が次々に浮かび上がってくる。何かと「もの」が増えがちな日本の暮らし。溜め込まれているものを折に触れて捨てなければ、大切なものが埋没してしまう。
多分、あまねく人々は、年齢を重ねるほどに、片付けが億劫になる。「不用品は家屋の皮下脂肪」だと思う。軽症のときに思い切って動くに越したことはない。自宅の片付けは先延ばしにしがちだが、一時帰国という限られた日数につき、前倒しで片付けたい。今回は、埋もれている陶磁器や古書などを発掘し、バンガロールの新居に船便で送ろうと思っている。ぼちぼちやろう。
さて、11日目の昨日。実は、旧友の美砂さんが暮らす西戸崎を訪れ、海を楽しむ予定でいた。博多湾に浮かぶ陸繋島「志賀島」と、本土を結ぶ間に位置する西戸崎。「近所で釣った魚を料理して食べる」こともできるほどに、海が身近な彼女のライフはまた、とても魅力的だ。しかしながら、昨日の朝は、雨。
美砂さんから「九州国立博物館で北斎展やってます。あいにくの雨なので、太宰府天満宮の紫陽花をみて、展覧会に行くのもありかなと。」というメッセージが届いた。前日に、太宰府天満宮に行きたいと思っていた矢先のことに、雨さえうれしい。
「おはよう! いいアイデア! 太宰府行きたいです。北斎も魅力的だけど、観世音寺に行きたいです。いいかしら。そして紫陽花もみたい。」と即答。この急な予定変更は、しかし思いがけないすばらしい時間を、わたしたちに与えてくれたのだった。
美砂さんとわたしは、これまでの人生、数年に一度、会ってきた程度。日頃から連絡を取り合っているわけでもない。にも関わらず、彼女とのご縁は深い。そもそも、我が両親が出会う契機を作ったのが、美砂さんのお母様だから、我が出生時からのご縁でもあるのだ。
お互いが20代だった東京で、彼女の住んでいたパリで、わたしが住んでいたニューヨークで、そしてバンガロールで……と、互いの「人生の節目」に会ってきた。会った回数は少ないのに、そのときどきのエピソードが強いので、毎度、復習するように、思い出話に花が咲く。今回も、彼女の車に乗り込んでまもなく、話の序章で太宰府に到着した感あり。
わたしが再訪を希望した観世音寺は、太宰府天満宮の近くにある穴場ともいうべき名所。実は、わたしが初めてここを訪れたのは、14年前。我が夫アルヴィンドの案内によって……であった。このときのエピソードがだいぶ面白いので、下部に一部を抜粋しておく。
折しも観世音寺に隣接する戒壇院では、6月初旬のこの時期にだけ咲くという中国伝来の「菩提樹」が花をつけていた。なんでも、鑑真和上が唐から仏舎利(お釈迦様の骨)と一緒に持ち帰ったとのことで、文化遺産となっている。
そんな事情を知らず「いい匂い〜」と喜んでいたら、雨の中、この花を見に訪れる人の姿もみられて、ありがたみが増す。そして隣接する観世音寺。正確には、観世音寺の境内の近くに立つ寺院の文化財収蔵庫「宝蔵」へ。
なんども太宰府を訪れている美砂さんも初めて訪れるというここ。階段を登って、高さ5メートルを超える彫像が数体、目に飛び込んでくるや、その圧倒的な存在感に驚愕して動揺している。まさか、こんなところに、こんなすばらしいものが……という衝撃は、わたしも14年前に経験したので、驚く気持ちはよくわかる。詳細は割愛するが、とにもかくにも、太宰府を訪れる機会がある方には、ぜひともこの観世音寺の宝蔵に立ち寄って欲しい。🙏
内部の写真撮影ができないので、写真入りの資料を購入した。迫力はまったく伝わらないが、参考までに。
🖋[Fukuoka] 夫の案内で太宰府観光。妹夫婦お勧め串カツ美味。(2008/11/23)
➡︎https://museindia.typepad.jp/2008/2008/11/post-2.html
ガイドブックを熟読済みのアルヴィンドが、「ダザイフテンマングウの近くの、カンゼオンジとコウミョウゼンジに行きたい」という。観世音寺? 光明禅寺? どこそれ。わたしは、行ったことがない。
観世音寺は太宰府天満宮のすぐ近くにあり、妹や両親はもうずいぶん昔に赴いたことがあったらしい。光明禅寺は太宰府天満宮の「ほぼ内部」にあるらしいが、誰も行ったことがない。「まあ、時間があれば行くことにして、とりあえず観世音寺は行ってみようか」とわたしが適当に言えば、「僕は光明禅寺も絶対、行きたいんだ。石の配された苔の庭があって、紅葉の時季が一番美しいんだよ」と、譲らない。
わかった。行きましょう、行きましょう。(略)
黄金色に染まった銀杏の木がまばゆく出迎えてくれた。まずは庭を散策。
「ここには、有名なベルがあるから、それを見よう」
とアルヴィンド。ベル。ベルとは言うまでもなく鐘のことである。
「鐘は……、ここにはなかったと思うよ」
と妹がそう言うが早いか、目前に鐘楼が現れた。あいにく鐘そのものは、外部機関へ展示するため貸し出しとなっていたが、そこには「国宝の梵鐘」があるのだった。京都妙心寺の鐘とともに、日本最古と言われる梵鐘らしい。おおぅ、と感嘆する日本人3名。言った通りでしょ、とばかりに得意げなインド人1名。
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