予定を詰め込みすぎないように……と思っていたが、今回ばかりは無理だった。無事に日本に戻り、自由に動けるようになってから、東京での滞在日数なども決めたのだが、あれこれと思案した挙句、「ご縁あってご連絡をくださった方々とお会いするための東京」と決めた。
できることなら、パーティ会場などを借りて、ミューズ・クリエイションの10周年同窓会や、インド関係者との集いなどを開きたいとの思いもあった。わたしは一度に多くの方々に会えるし、参加者同士も交流が図れる。しかし、まだまだマスク着用率100%の日本では無理。都合が合う方々とだけ、無理のない程度にお会いすることに決めたのだった。
東京到着直後の夕べから、すでに楽しすぎた。今から10年以上前、バンガロールに赴任していた藤田家。マルハン家とは、当時から親しく、その後も交流が続いてきた。小学生のころから顔見知りの藤田家の長女、杜さん。わたしにとっては「姪」くらいに身近な存在だ。バンガロールを離れてからも、母、夕子さんと共に何度か遊びに来たし、一人で遊びに来たこともあった。会うたびに大人っぽくきれいになっていて、びっくりする。
そして、やはり十数年前に、ご家族でバンガロールに赴任されていた思香さん。初めて出会ったとき、彼女は中学生だった。2020年にMuse Creationのオンライン・イヴェントを実施した時、杜さんと一緒に座談会に参加してくれた。あの動画のシリーズは本当に意義深く見応えがあるので、ぜひ見て欲しい。
🇮🇳子どものころ、インドに暮らした若者たち①
そして、満智さん。彼女は大学生のころ、一時期、インターン生としてバンガロールに滞在していた。わずか8カ月程度だったとのことだが、一年以上いたのではないかと思うくらい、ミューズ・クリエイションの活動にも関わってくれ、その後も交流が続いている。
以前、福岡で若者向けセミナーをやったときには、福岡まで駆けつけてくれたし、その後、東京で会ったこともある。杜さんと思香さんは、もちろんお互いに面識があったが、満智さんが合流するのは初めてのこと。しかし、みな「バンガロール」「帰国子女」という共通するキーワードがあることもあり、あっという間に打ち解けた。
満智さんが送ってくれた店選びの候補に、日本で最初に誕生したロシア料理店「ロゴスキー」が入っていた。無論、ソビエト連邦時代に誕生しただけあり、ウクライナやジョージア、ウズベキスタンなどの料理も供される。それを知るや、ほぼ、この店にしたいと即決。
ジョージアのワインで乾杯し、数々の美味しい料理に感嘆しながら、ひたすら語り合うひととき。料理のこともあれこれ記したいところだが長くなるので割愛。
遅れて参加の思香さんが合流してからは、またしても満智さんの冴えたリサーチにより、「ルパン」というバーへ。里見弴や泉鏡花、菊池寛らの支援によって1928年に創業。川端康成や林芙美子、岡本太郎、藤田嗣治といった、文壇や画壇の人々が通っていたという。
細い路地に入り、細い階段を降りながら、たちまち昭和へ時間旅行。風情ある文壇バーの一隅に席を取りつつ、作家ポーズなど取りながら記念撮影。
昨夜は、普段は知ることのない日本の様子や、彼女たちの仕事などについてを尋ねる。超理系な杜さんと、文系だと言いつつ理系脳に優れてもいる風な満智さんや思香さんから、「素材」やらテクノロジーやら、新しい系の話をたくさん聞いた。
杜さんの専門的な話も、難しいながら教えてもらって、彼女がなにを研究しているのかの「雰囲気」だけはつかめた。気がする。雰囲気だけね。
彼女たちはきっとまた必ず、バンガロールへ戻ってくるだろう。「待ってるよ!」と言いながら、未来への可能性を強く感じる夜だった。お店の方と、言葉を交わした時に、わたしたちがインドで出会ったことなどを話したら、「ナマステ・ファミリーですね!」とひとこと。言い得て妙。
思えば今回の東京は、ほぼインドに関わる人たちとの出会いでいっぱいで、全体的にナマステ・ファミリーだ。
飲み過ぎ食べ過ぎに注意して、東京滞在を楽しもう。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。