今回の日本旅。福岡では実家で過ごすことを目的にしていたけれど、東京では、なるたけ友人たちと会うことに決めてよかったと、今日はしみじみ思った。喉元過ぎれば暑さ忘れる……ではないけれど、2年半ぶりの祖国。2年ぶりの飛行機。何もかもが、久しぶりだったのだ。
毎年、この時期訪れていたニューヨークにも、もう3年も飛んでいない。そんな中、ホテルに戻るたびに、マンハッタンにいるような気分にさせられる場所を選んだのも、ご縁だなと思う。若い頃は「ホテルは寝るだけだから」と大して重視しなかったが、今は「寝るだけだからこそ」、快適なベッドやバスルームなどの環境が大切だと痛感する。
睡眠7~8時間を確保しつつ、お酒は控えめ、腹九分(腹八分は難しい)で抑えていれば、疲労は溜まらない。朝晩、ゆっくりと湯船に浸かれてリフレッシュできる。本当に、このホテルはいい。
🐼さて、数日前には、雨が降りそうだとの天気予報だった今日。しかし、雨は束の間、概ね晴れ。恵まれた天候だった。まず、上野へ赴いた。日曜日の上野界隈は、家族づれで賑わい、とても活気に満ちている。わたしがこの界隈を訪れるのは、多分、20年以上ぶり。昔よりもずっといい雰囲気に生まれ変わっている上野公園界隈を歩き、待ち合わせの場所へ。
👋まずは昨年、ロックダウンの時期にしばらく利用していた「Clubhouse」のインド関係のルームで出会った方々とのご対面。ソーシャルメディア上では、言葉のやりとりを幾度となく交わしてきたが、お会いするのは初めてのこと。幹事を引き受けてくれた方が、すてきなロケーションのレストランを選んでくださった。初めてお会いするとはいえ、すでに「気心が知れている」不思議な感じで、会話も弾むひととき。みなさんそれぞれに、インドのことにお詳しく、専門的な知識をお持ちの方もいらっしゃる。お話を通して、インドの面白さを改めて思う。
🌸その後、ミューズ・クリエイションのメンバー家族2組もまた、同じお店にて、時間差で再会! バンガロールで初めて会った時には、どちらも新婚さんだったのが、今や双方、2人のお嬢さんが誕生。幹事の方が個室を予約してくれていたお陰で、心置きなく賑やかに過ごせたのは本当によかった……。今、思い返すに、子どもたちは黙々と静かにごはんを食べていて、わたしが最も、騒がしかったのではないか。
昨日の若女子との会でも話題になったが、昨今の日本では、「グランピング」が流行っているとのこと。我が新居は、庭で遊ぶため用に、すでにテントなどを買っているのだが、いっそモンゴルのゲルみたいなものも設置したいと思っていた矢先のタイムリーな話題。みんなには、バンガロールを第二、第三の故郷として、遊びに来て欲しいと改めて思う。
🗽そして夕刻。ニューヨークに移住した当初に出会った、かれこれ四半世紀の友、メイクアップアーティストのみちるっち(しまのみちるさん)と渋谷のヒカリエにて食事。ここに来るのも初めてのこと。昔との変貌ぶりに感嘆しつつ、すっかりお上りさんの気分で待ち合わせの8階へ。
みちるっちとは、2020年のロックダウンの時に、インスタライブでインドのコスメのことなどを語り合ったりもしたが、実際に会うのは3年半ぶり。「ヘルシーな食事を」という、わたしの毎度おなじみなリクエストにぴったりのお店を選んでくれた。
ちなみに昨今は、日曜日だということで営業していないお店が多いらしい。このお店も、7時でラストオーダーという驚きの早さだったので、6時半ごろに集合。インドでは考えられない早い時間に夕食をすませ、閉店とともにバンガロールでの再会を約束して解散。身体には非常によい。ゆえに少し早めに銀座へ戻り、こうして記録を残すこともできている。
繰り返しになるが、パンデミックを経て、旅ができなかったからこそ、人と自由に会えなかったからこそ、人とリアルに会う時間の大切さを実感する。離れたところからも、都合をつけて、わざわざ会いに来てくれた友人知人に感謝しつつ、こういうご縁を大切にしたい。
🌱ホテルに戻る前に、日比谷シャンテのあたりを少し散歩した。旅行ガイドブックの編集プロダクションに勤務していたころ。24歳から25歳にかけての数カ月、わたしは転職をする予定でいた。しかしお給料が安すぎて貯金がなく、転職のタイミングをはかるのが難しかった。少しでも蓄えを増やしておこうと、仕事が終わった後の午後8時過ぎから数時間、ウエイトレスのアルバイトをしていた。終電で千葉県柏市の家まで帰宅し、翌朝、また神楽坂の編集プロダクションに出勤……。今思えば信じがたいほど、よく働いていた。
そのアルバイト先が、日比谷シャンテに隣接する「日比谷シャンテ・シネ」という映画館1階の「ガルボ」というカフェ・レストランだった。今は、TOHOシネマズシャンテになっていて、カフェは中国料理店になっており、当時の面影はない。しかしながら、当時の自分の気持ちが、鮮やかに蘇った。
「日比谷シャンテ・シネ」では、世界各国の、非常に情趣豊かで物語性の高い映画が上映されていて、一人でしばしば、見に来ていた。なかでも1991年に公開された、張芸謀(チャン・イーモウ)監督、鞏俐(コン・リー)主演の『紅夢』を見た夜のことは、今でも忘れられない。
あの映画の、なんとも衝撃だったこと……! 映画館を出てからも涙が止まらず、ほぼ号泣状態で、夜風を受けながらほとぼりを冷まして、地下鉄に乗った。悲恋続き自分は、もう結婚はできないだろうな……とも思っていた。それがニューヨークで出会ったインド人と結婚してインドに住むことになろうとは、人生とはわからんもんだ。
そんな30年以上も前の記憶をたどりながら、目頭が熱くなる。わたしの拠点は遠くになったけれど、魂は時代も距離も超越して、自由だ。
いつもに増して、思うところ多い今回の日本旅。中途半端な記録ばかりだが、備忘録として、残す。
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