6月16日木曜日。今、成田発、ベンガルール(バンガロール)行きのフライトの中だ。移動中の機内で旅の記録を綴るなどということは、かつてない。それほどまでに、この2年半ぶりの故国での滞在は、わたしにとって書き留めておきたい衝動を与えるものだったのだと、改めて思う。
今回、毎日のように予定を入れていたことに、懸念を抱いていないわけではなかった。無理をしていい年齢ではないのは重々承知。しかし、東京の滞在中、疲れを感じることなく楽しめ理由の一つは、利便性高く快適で、さらには懐かしくも恋しいマンハッタンを感じさせてくれるホテルのおかげだろう。
朝晩、湯船に浸かり、毎晩7~8時間は寝心地のよいベッドでぐっすりと眠った。昨日の午後は、ホテル手配による最寄りサロンからのマッサージ出張サーヴィスにも来てもらい、リラックスできた。
今後の定宿になるであろう「ザ・ゲートホテル東京」については、後日、改めて書き残しておきたい。
さて、昨日の朝は、元ミューズ・クリエイションのメンバーだった真梨子さんとホテルのラウンジで待ち合わせをしていた。一時帰国の直前に、取材の依頼を受けていたのだ。
彼女はバンガロールに帯同赴任される前、朝日新聞の記者をされていた。インド生活、ご出産、新型コロナ禍を経て、この4月より約5年ぶりに職場復帰。現在はアエラの編集部に所属しているとのこと。今回、インドに関する記事を担当されるということで、その取材を受けた次第。
ミューズ・クリエイションは、ハンディクラフトやコーラス、ダンスなどのチームに分かれて活動していたが、それ以外にも、そのときどきで有志を募っての別途活動も実施していた。中でも「EduMuse」の活動は、短い実施期間ながらも、その成果をオンラインに残すことができたという意味において、非常に有意義だった。
彼女は、他の有志メンバーと共に、「EduMuse」の集いにも積極的に参加。中でも「帯同ヴィザでインド赴任。働きたくても働けない妻の課題」をテーマにした座談会などは、海外赴任をされる方々にはぜひともご一読いただきたい内容だ。
バンガロールのオリジナル便利マップなどは、情報が古くなっているので改訂が必要だが、それでも参考になる情報はたっぷり。ぜひ目を通していただきたい。
🇮🇳インド生活に役立つオンライン情報誌『バンガロール・ガイドブック』
➡︎https://lit.link/en/bangalore
ところで、真梨子さんご一家は、2020年3月、新型コロナの感染拡大により、世界各地の旅の扉が閉じ始めていたころ、まさに、閉じかけた扉をすりぬけるが如くぎりぎりの便でご帰国された。
しかし、問題はそれだけではなかった。折しも真梨子さんは第二子をご懐妊中で、安静を要される体調でいらした。そんな中、一時帰国されていたご主人が日本滞在中に、感染拡大が深刻化、「インドに入国できないかも!」の事態に。真梨子さんは、身重でありながら、帰任に向けてのお引っ越しなど、怒涛のような日々を送られていた。
帰国後は、無事に第二子をご出産され、ご家族みんなお元気な様子。ちなみに2020年のオンラインによるミューズ・チャリティフェストでは、STUDIO MUSEの子ども向け動画に参加してくれている。
彼女に限らず、あのとき、別れの挨拶もできないまま、一時帰国のつもりで帰られたが、そのまま本帰国になったメンバーも少なくなかった。そういう混沌と宙ぶらりの気持ちのまま、インドを離れた人も少なくなかったことを改めて思い返す。
今、彼女の帰国前日、バンガロールに残っていた「EduMuse」のメンバーとのランチ会の写真を発掘した。すでに外出禁止令が出始め、「ソーシャル・ディスタンス」が叫ばれ始めていたころ。牛が道路を闊歩し、食事をしたホテルのダイニングはガランとしていた。いろいろと、思い返せば、泣けてくる。みんな、元気かなあ……。
🌸
思い出は巡る。取材以外の話で盛り上がりがちなのを軌道修正しつつ、いかようにでも編集しやすいように、当該のテーマについてをダ~ッとお話しし、素材をご提供する。
それにしても、だ。
東京の人口は1000人くらいしかいないのか?
というような、またしても奇遇があった。実は取材の前日、眞代さんから写真が送られてきた。それは眞代さんと真梨子さんがセルフィーで写っているものだった。
わたしはてっきり、真梨子さんがインド関連の取材で眞代さんにもコンタクトをとっていたのだろうと思っていたのだが……違った。だいぶ違った。
真梨子さんが、新大久保を歩いていたら、見覚えのある人物を発見。わたしの最近のソーシャルメディアを見ていた彼女は、マスク越しにも関わらず、眞代さんの顔を確認できた模様。しかし自信が持てなかったため、しばらく見失わないよう、後をつけつつ、スマホでわたしの投稿を見て検証しつつ、眞代さんの風貌を再確認。
写真内で眞代さんが履いていたサンダルと、その日着用していたものが一致したことから、眞代さんと確信。ドラッグストアに入っていった彼女を確保、声をかけたという。
てかさ、人違いでもいいから声かけなよ! 怪しいだろうよ! という話だ😂
そんな次第で、二人が出会い、たまたま眞代さんも時間があいていたということで、二人でランチを共にしつつ、インド関係ということで、眞代さんからもお話をお聞きしたのだとか。
新大久保といえば、今から30年ほどまえ。フリーランスになったばかりのわたしが編集に関わっていた四ヶ国語情報誌『We’re』の編集部があったところで、わたしは足繁く通っていた。時空を超えるご縁の強さに、驚かされるばかり。
それはそうと、真梨子さんが別れ際に「あ~、『ニャエラ』持ってくればよかった!」と後悔されていた。ニャエラ? なんじゃそりゃ。サイトで確認するに、我が家のROCKYとJACKを足して2で割ったような顔をした猫が表紙を飾っている。そんな魅惑的な雑誌がアエラ編集部から発行されていたらしい。欲しかった。確かに欲しかった。
もしも『ニャエラ』が再び発行される暁には、なんとしても我が家の4猫を紹介してほしい。インドの猫事情、ペット事情、動物事情についてなら、いつでも取材を受けますと、そこは強く念をおして別れたのだった。
すっかり長くなってしまった。……寝る。
(追記)真梨子さんの長女のお名前は「真遥(まはる)」さん。他でもない、タージ・マハルから取られたということ。インド風味しかない。真遥さんは、いつか必ず、バンガロールに来たくなることだろう。いつでも待ってるよ!
⬇︎日本旅3週間を詰め込んだ動画。どうぞお楽しみください💝
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