5泊6日のムンバイ滞在も、今日で終わり。昼過ぎのフライトで、バンガロールに戻る。最後の2日は、誰に会うこともなく、一人で過ごした。若き日々、一人旅を重ねたころを思い出すなど、それはまた、稀有な時間だった。
どんなに写真を撮影しても、ネット上にアップロードしておかなければ、未来、紐解く機会がほとんどない。だから今回は、将来の自分のためにも、多めに写真を残しておこうと思う。
今から100年以上前、ムンバイにもまた、からゆきさんたちが暮らしていた。身体を売って生計を立て、母国にお金を送る若き日本女性の娼婦たちだ。ムンバイに来るたびに訪れている日本人墓地には、彼女たちの御霊もまた、祀られている。
フォートを歩きながら、『からゆきさん 異国に売られた少女たち』(森崎和江著)で描写されていた、熊本県天草出身の島木ヨシさんを思い出す。シンガポールで娼婦として働いていた彼女は、日本へ帰国するも居場所を見つけられず、ボンベイ(ムンバイ)に渡る。そしてこの地で「マッサージ医院」を開業するのだ。性的なビジネスではなく、あくまでもマッサージを提供する場所だったという。
マハトマ・ガンディはじめ、多くの政財界の人々を顧客に持っていたという彼女の物語は、ブログやセミナー動画で言及してきた。また、眞代さんとの「教えて! みほ先輩!」のYoutube動画でも、詳しく語っている。
タタ財閥を筆頭に、少数派ながらもインドの経済や文化を牽引するパールシー(ゾロアスター教徒)のコミュニティ。マラバーヒルと呼ばれるエリアには、パールシーの人々が多く暮らし、「沈黙の塔」と呼ばれる葬場もある。
このフォートにもまた、パールシーの文化を映した建築物が随所に見られ、パールシーの各種ビジネスの拠点ともなっている。
『からゆきさん 異国に売られた少女たち』の中で、島木ヨシさんは、パールシーの人から、マッサージ医院を開業するための物件を借りたとの旨が記されていた。今から100年以上前、彼女はまた、このあたりに店を持ち、このあたりを往来していただろう。
古い建物が林立するこの界隈。そのビルディングを見つけ出すことはできないものだろうか。
ともあれ、この界隈では、書店、図書館、露店……と、今なお「本」が多く見られたのが、とてもうれしかった。
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