夕べは、義姉夫婦とともに、ITCウィンザーで夕食。
彼らと会うときには、よく利用するこのホテル。
昨日、夫が注文したのは、ホットストーンのグリル。
熱々に熱せられた石がテーブルに運ばれ、
その上に肉や魚介類を載せて焼きつつ食べるというもの。
サーモン、ポーク、ビーフ、エビなどいろいろあるが、
夫が注文したのはニュージーランド産のラムチョップ。
味見をさせてもらったが、これがかなりおいしくていける!
次回はわたしもこれにしよう。
などと思いつつ、わたしはブッフェで久々にインド食を楽しむ。
熱せられた石の「余熱」でしっかりうまく焼けるところがすばらしい。
遠赤外線効果だかなんだかがありそうな、いい石だ。
……と食事の途中に降り出した大雨。
その勢いはすさまじく、ホテルを出る頃には小ぶりになってはいたものの……、
行く先々で、道路は冠水。
それはもう、劣悪な道路交通インフラストラクチャーの典型例。
路肩が濁流と化している。
水没するクルマがあちこちで。
結局、あっちこっちの道路が水没しており、迂回を繰り返すこと1時間半以上。
いつもなら、深夜であれば15分でたどりつくところ、何倍もの時間がかかった。
あちこちで鳴り響くホーン、随所で大渋滞。
ドライヴァーのアンソニーに、
「モスクロードから迂回した方がいいんじゃない?」
と言えば、
「いや、フライオーヴァーの方がいいと思います」
と彼は主張。普段から頼りになるドライヴァー故、余計な口出しはしたくないが、しかし選ぶ路地がどうにも、間違えている気がする。
途中、ザバザバとクルマの底まで水浸しになりながら通過するポイントがあり、どこに深みがあるかわからず、緊張する。
「知ってるとは思うけど、水の中に入っても、絶対エンジンを切っちゃダメだからね」と念を押す。
ようやくフライオーヴァーにたどりついたと思ったら、その入り口が「湖」と化していた。最早、麗しくも幻想的な湖畔の光景だ。
結局もモスクロード側に戻り、ようやく自宅の近くまでたどりつく。ここからなら歩いてでも帰れる距離だというところにきて、一安心だ。
夫はといえば、ホテルを出た直後から、すやすやとおやすみタイム。動じない男である。というか、危機感皆無であるともいえる。
家の近くまできたところで、
「美穂、ターミナルの番号はなんだっけ?」
ね、寝言ですか?!
どこまでもマイペースなマイハニー。すてきすぎます。
季節感淡いこの場所で、しかし季節は巡り来る。
一年のうちのわずかな時期だけ、Namdharisに並ぶジャパニーズ・パンプキン。
去年は見かけなかったので、2年ぶりのご対面。
和風の煮付けにしてみたり、蒸してサラダにしてみたり、
あるいはパン粉をまぶしてフライに。
ほくほくと、おいしい。
数日前は、店頭にたくさんのイチゴを見つけた。
いつもよりは廉価だから、きっと今が旬なのか。
たっぷりのイチゴを購入し、またしても、軽く砂糖と煮込んでみる。
これは、ストロベリー&カスタードクリームのタルトのトッピングに。
いちごといえば、つい先日、夫が話してくれたエピソード。
彼が初めていちごを食べたのは、10歳の時だった。それは、家族そろってスイスに旅行へ行ったときのこと。彼にとって初めての海外旅行でもあった。ホテルにチェックインし、家族は時差ぼけもあって昼寝をしていたけれど、彼は「麗しい街」に興奮し、一人で街に出たという。
インドとはまるで異質の、清麗なる光景。スーパーマーケットに入ったときには、その食材の豊かさ、美しさに驚嘆したという。
中でも、10歳の彼の心を奪ったのは、いちご。いちごの存在は、もちろん知ってはいたけれど、食べたことはなかったという。粒のそろった赤くて愛らしい、きれいないちご。買ってホテルへ持ち帰り、家族で食べたという。そのいちごの甘酸っぱい、なんともいえぬおいしさ!
その話を聞いて、腑に落ちた。彼の、これまでの、いちごに対する姿勢に。たとえば、わたしがいちごを買ってくると、彼は数粒を丁寧に洗い、お皿に入れて、ひどく大切そうに味わいながら食べるのだ。そこには、スイカやバナナやマンゴーなど、他の果物に対するのとは異なる、一種の「リスペクト」さえ、ある。
そういえば、今年のわたしの誕生日には、スパークリングワインといちごを買って来てくれた。彼曰く、「プリティ・ウーマン」のリチャード・ギアに学んだとのことだけれど、彼にとっては格別の、果物なのだろう。
一粒一粒つまんでは、いちごのへたや、傷んだところを取り除きながら、思う。どんなに時を重ねても、どんなに言葉を交わしても、それがたとえ夫であっても、他者を知り尽くすことなど不可能で、だからこそ、丁寧に、人と人とは、関わり合わねばならないなということを。
人の「現在」を育む、因果関係を、他者が一朝一夕に理解するなど、不可能だ。自分のことでさえ、腑に落ちないことはたくさんあるのだから。
きっとこれからこの先も、それがたとえ、ささやかな、取るに足らないことであったとしても、「なるほど、だからそうだったのか」ということが、折に触れて、わかることだろう。
南アフリカへ赴いていた夫が、昨夜、約2週間ぶりに帰って来た。
スーツケースを開くなり、さまざまなお土産。
滞在していたワイナリーのワインなど。これはうれしい。大切に味わいましょう。
経由地ドバイに2泊した際、買ったという、わたしの好きなPatchiのチョコレート。とはいえ、Patchiはドバイではなく、レバノンはベイルート生まれのチョコレート。
これもまた、ドバイ土産。イスラム世界をモチーフにしたモダンアート。これは我が家ではなく、ムスリムの隣人にあげたら喜ばれるのではなかろうか。あげないけど。
ピンクフロイド『アニマルズ』のLP。なぜにLP? 我が家にプレイヤーはないのだけれど。ともあれ、1970年代の、メッセージ性の高い音楽。ジョルジュ・デ・キリコの描く光景を彷彿とさせるすてきなジャケット。
ネルソン・マンデラの棺が故郷に運ばれ、埋葬された日の新聞記事。ちょうどこの時機に訪れた夫にとっては、忘れ得ぬ思い出だろう。
「お土産店にあるような、観光客向けのお土産よりも、こういう方がいいよね。これは伝統的な手づくりの陶器だよ」と夫。かわいい。確かにこういうの、うれしいお土産。カクテルタイムのおつまみ入れにも好適。
「それからもう一つ、手刺繍のクッションカヴァーも買って来たよ。すごく南アフリカらしいモチーフ。丁寧に作られてるんだ。ミホ、こういうの、好きでしょ?」
*
*
*
*
*
怖いよぅ。
かわいくないよぅ。
部屋のどこに置いても、視線が気になって落ち着きません。
いくら「手工芸品」が好きだからって、そら、モチーフによるというもの。
しかし夫はいたく気に入っている様子。
さすがマイハニー。毎度、予想外の展開を見せてくれる男。
ううむ。静かに、クローゼットの中でおやすみいただこうかと思う。
わたしたちが訪れるとき以外は、
ほとんど誰も使わないマルハン実家の2階。
普段はベッドルームとリヴィングルームを使うだけだが、
今回は、古い家財道具などが置かれている部屋をのぞいてみた。
古いアルバムが、引き出しの中にあってなお、
たっぷりと埃を被って、眠っている。
いくつかの、フォトフレームもまた、打ち捨てられたように。
真っ先に目に飛び込んで来たのは、夫の亡母アンジナの父。
手前の女性は、インドにゆかりのある人なら知っているであろう、
インディラ・ガンディ元首相。見るからに、強く鋭い存在感。
実業家であった祖父は、政界(コングレス)に身を置いていた時期もあり。
このような写真も残されていた。
ちなみに亡母の旧姓は「プリ」。
マルハンも、日本的にはいかがなものか、な名字だが、
「坂田プリ美穂」というのも、なかったな、と思う。
まだ、マルハンの方が、よいようだ。
ついでに義姉スジャータの名字「ヴァラダラジャン」というのも、
日本人にとって、発音するのもスペルを相手に伝えるのも、超困難。
「坂田ヴァラダラジャン美穂」
くどい。くどい上に、ふざけた感じさえ漂う。
名前って、大切ね。
微笑ましすぎる、この一枚。アルヴィンドの両親と、中央はたった一人の従兄弟。
アルヴィンドと義姉スジャータの、酷似した脚線美!
アルヴィンドの眼鏡といい、澄ました表情といい、
……笑える。
厳格だった「プリ」側の祖父。
翻って「マルハン」側の祖父は、日本でいう林野庁のようなところに勤務していたのだが、
「パーティー好きな夫婦だった」という話ばかりを聞く。
散財して蓄えを使い果たし、晩年、身体を壊した父のために義父ロメイシュが苦労したことを、折に触れて聞かされる。
今のこの実家も、若いころにロメイシュが働いて、ダディマのために購入した。
その後、大幅に改築し、今の4階建ての家になったのではあるが。
タキシード好きだったという、祖父。右隣がダディマ。
クリスマスの帽子を被り、見るからに、パーティがお好きな様子。
こちらは、屋外のパーティの様子。
英国統治時代につき、英国人との交流も深かったようである。
これはロメイシュとアンジナの結婚式の光景。
わたしの育った日本での環境とは、悉く異質の世界。
現在よりもむしろ、過去を遡るときに、
国際結婚の面白さを実感する。
先日、バンガロールの拙宅に来訪したランジート伯父の話もそうだが、
まだみなが存命のうちに、
過去の話をインタヴューして書き留めておきたいとも思う。
事実は、小説より奇なり。
思えば、バンガロールにいるときには、
夫と二人で「町歩き」をすることがない。
町歩きをしたくなる場所がない、というのが正解だ。
年に一度のニューヨークほか、旅先に集中している。
だから日曜日、夫と二人で出かけたのは、新鮮な感じだった。
昼ごろ向かったのは、数日前にクライアント女史と赴いたクラフト・ミュージアム。
先日、十分な現金を持っていなかったので買えずにいた、
ペーパーマシエの小さなトレイをいくつか買い求める。
1年半前にカシミールのスリナガルを訪れた際、
ペーパーマシエの工房も見学した我々。
それなりに審美眼が備わったがゆえ、品選びも熱心だ。
それにしてもあのときは、
夫の突然の「飛び入り参加」に、心底呆れたものである。
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左側のトレイは、最後まで迷って、買わなかった。
シンプルで技巧は浅いが、モダンなデザインを選ぶか。
高度な技術が駆使された、伝統的な、少々「詰め込み過ぎ」なデザインを選ぶか。
インドの伝統工芸を選ぶときに、悩むポイントはそこにある。
技巧に走り過ぎればいい、というものでもなく。芸術性と実用性のバランス。
そして、1回訪れて心奪われたCafe Lotaへ。
前菜には例のチャートを注文。
デリーに生まれ育ったアルヴィンドも、いきなり満足。
そしてこの、新鮮な麺のシッキム風ヌードル。
ちなみに、麺の下には、茹でられた葉野菜が敷かれている。
この、見るからにおいしそうな料理は、フィッシュ&チップス。
この独創性がすてき。
ポテトはサツマイモ。
砂糖を絡めていない大学芋、という感じ。
これは、ココナツ風味が利いたコンカン風フィッシュカレー。
グレイビーが重すぎず、しかし風味豊かで、バスマティライスとよく合う。
食前にはニブパニを。食後にはチャイを。幸せな満腹感。
食後、Dili Haatに寄ってみたが、あまりの人の多さに、即撤退。
やっぱり、DastkarのNature Bazaarの方が、かなり洗練されている。
次回は、バザールの時期に! とまたしても思う。
実家のすぐそばだというのに、
アルヴィンドが訪れたことがないというHauz Khas Villageへ。
去年訪れた時とはもう、店の様子がほとんど変わっていて、
栄枯盛衰の早いことに驚く。
とはいえ、アルヴィンドは初めて訪れたゆえ、
お洒落なブティックなどを数軒、眺めつつ、ゆっくり散策。
足場は悪いが、人だらけのDili Haatよりは、歩きやすい。
この日は好天、肌寒かったものの、いい日和だった。
休憩に入ったカフェで、お茶のつもりがつい、
我々お気に入りのKingfisher Ultraで乾杯。
おいしい!
カフェの窓から、公園のクジャクが見えました。
そしてマルハン家での、今回最後の夕飯はヴェジタリアン。
ロメイシュ・パパとウマは、友人の銀婚式パーティに招かれていて不在。
スジャータと3人での食卓。
インドのレンコン、小ぶりで、やさしい味。
そしてデリーのパニール(牛乳たっぷり新鮮チーズ)のおいしいこと。
これはバンガロールでは決して味わえない、まろやかさ。
外でおいしいパニールが手に入らないので、たまに自宅で作る。
牛乳を沸騰させてレモン汁を垂らし、分離させたものを布で漉し、
冷蔵庫で冷やし固める。
が、こんな風においしくできない。
なにしろ、ふわふわとしている。
スジャータは、「牛乳の味がいいのだ」というけれど、
それだけではない、なにかコツがあるのだろう。
ともあれ、わずか1週間の間にも、
公私ともに有意義なデリー滞在であった。
今回は間を置かず、また3月、訪れる予定。楽しみだ。
ヴァレンタインズ・デー。「女性が好きな男性にチョコレートを贈る」というのは、日本特有の習慣。数年前からインドでも、ヴァレンタイン商戦が賑やかになりはじめたが、それはあくまでも、欧米のスタイルに近いもの。
愛し合うカップルが、花などのプレゼントを交換したり(主には男性が女性へ花を贈る)、あるいは、二人で夕食に出かける。
富裕層や外国人を顧客に持つレストランは、2月14日のみの特別メニューを準備。それにしても、今年のヴァレンタイン商戦は、例年になく、バブルに派手。欧米のそれよりもはるかに、バブル感を漂わせており。
夫がタージグループのインナーサークルのメンバーであることから、バンガロールにあるタージ各ホテルのヴァレンタイン関連のイヴェント情報が届いたらしいが……。
英国統治時代の伝統を引き継ぐ高級ホテル、タージ・ウエストエンドからは、「ディナー&宿泊(1泊)数十万円」という案内が届いたらしく、夫は大いに呆れていた。
我々は、最寄りのタージの、お気に入りのレストランへ。
テーブルのデコレーションがすてき。お店の雰囲気がいいと、気持ちがぐっと盛り上がるものだ。実はここ数週間、なにかとバトルが多発している我々夫婦。しかし、おいしいものを食べているときには、たいてい休戦する。食事はとても大切なのである。
弾き語りの男性に、早速リクエストをする夫。わたしからは、懐かしの"Right Here Waiting For You"(リチャード・マークス)を。夫と出会う遥か前に好きだったラヴソングだが、気にすまい。
料理は4コースメニュー。ドリンクは、スパークリングワインにはじまり、白、赤、白と、選んだ料理に合わせて4杯が提供される。もっとも、グラスになみなみ注がれているわけではないので、わたしたちには、「ちょっと飲み過ぎたかな?」程度の、いい塩梅だ。
貝柱のグリル、マッシュルームとくるみのスープ、鴨のミルフィーユ風、ロブスターのグリル……と、いずれも美味なる料理であった。
外のバーでは、驚くほどに大勢の若者が集っていて、「ドレスコードはミニなのか?」というくらい、超ミニスカートを履く女性だらけで、もう、本当に驚く。
「あんな服、みんなどこで買うの?」と、目を丸くして夫。
今のインド、欧米のファッションと、なんら変わりはないのです。
誰彼構わず、色粉、色水、かけあって、狂ったように賑やかな祭り。
北インドでは、盛大に行われるこの祭りだが、
南インドのバンガロールは、すでに盛夏。
春の訪れもなにもないけれど、
それでも「地味」に、ホーリーを楽しむ人々もいる。
我が夫もデリー出身につき、どうしても「粉をまきたい」らしい。
春を祝うだけでなく、「豊饒を願う」とか「悪魔を追い払う」とか、
あれこれご利益もあるようなので、取り敢えずは、ハッピー・ホーリー!
ホーリーで使われるケミカルの色粉は、肌や目に悪いからと、ここ数年来、天然素材の色粉が奨励されている。この粉は、夫がFabIndiaで買って来たもの。オーガニック・インディアの商品。これならば、ひとまずは安心。
普段は「インド、いやだ」と常々言っている夫だが、しかしインド人。粉を手にするや、張り切って首筋やら手やらに粉を塗り付けてくる。日ごろの鬱憤を晴らしているのか?! とも思える執拗さ。どうにも、嫌がらせとしか思えないが、楽しいらしい。
朝、起きてすぐ、エクササイズの途中のわたしは、こんなこともあろうかと、古くなった黒いTシャツを着用しておいた。ボンベイ、すまぬ。
「わたしの写真を撮っても、どこにも載せないからね。眉毛、描いてないから」と言ったところ、夫が青い粉で描いてくれました。
これはネット流出禁止の域だと思われるが、「悪魔除け」の効果は抜群な気がするので、載せておく。なんか、こういう芸人が、日本にいるよね。
お見苦しい一枚。失礼いたしました。写真をクリックしても、拡大しません、させません。
Happy Holi!
久しぶりに、朝8時過ぎまでゆっくりと眠り、
急かされることもなくのんびりとした朝を迎えた。
自分ちでもないのに。
昨日の午後、デリーの実家に到着。
先月訪れたときには冬だったのに、
今はもう、夏の始まり。
今回は3泊4日。仕事ではなく、初の甥に会うために、来た。
★ ★ ★
ここしばらく、濃いめの日々が、続いていた。
久しく手がけていた一大プロジェクトを納品し、
ハッピー・ホーリーで春を迎え、
数日ゆっくりしようと思いきや、
ロイヤルエコーの開催が早まり、司会の準備。
金曜日は、ミューズ・クリエイションのセミナーをやって、
コンサートも大盛況&大成功で、
達・成・感の祝杯を挙げた翌日土曜日に、デリーへ。
生後1カ月あまり。まだまだ小さい! 特にインドの子供は頭が小さく手足が長いので、なおさら小さく感じる。
「今日は、頂きもののチリ産のワインがあるよ」と、カベルネ・ソーヴィニョンのボトルを差し出すパパ。喜んでコルクを抜く嫁。
毎度おなじみ、マルハン実家のシェフ、ケサールによる優しく素朴な北インドの家庭料理。チキンカレーが美味であった。 食後、戯れる父子。 パパの手とアルヴィンドの手は酷似している。すべすべ、ふわふわの触感もまったく同じ。二人揃って、箸より重いもん、持ったことないんじゃないの的な手。いや、箸すら持たないな、インド人。アルヴィンドの手は、皇后陛下に握手をしていただいた手だからなあ。無碍にはできない。
今まで多くの人々と握手をしてきたが、こんなにソフトな手を持つ人は、ごく稀である。今のところ、いい勝負だったのは、アルヴィンドの部下の青年1名。インド人の中には、たまにいるらしい、ふわふわの手を持つ男たちが。
そしておはようございます、朝食です。食卓に、懐かしき枇杷(びわ)が! 枇杷といえば、インドとも関わりのある食べ物だ。果物そのものは、中国原産のようであるが。枇杷の名前は、楽器の琵琶から来ているという説もあるらしい。枇杷と琵琶の形は似ているからね。楽器の琵琶を奏でているのは、弁財天である。弁財天の起源は、インドのサラスヴァティと呼ばれる女神だ。で、サラスヴァティが奏でている楽器は、琵琶の起源でもある、ヴィーナと呼ばれる弦楽器だ。
それはそうと、お味の方は、まあ、普通。多分食べるのは20年以上ぶりだと思う。
そして、おはようナヤンくん。実は数日前、夫の従兄弟の妻、タヌーのお母様が亡くなられた。なにしろ家族親戚が少ない一族ゆえ、マルハン家にとっても、非常に身近な存在でもある。わたしも何度か、お会いしたが、非常に聡明で知的な女性であった。合掌。
この写真は、本日の新聞に掲載された葬儀の告知。インドでは、このような告知が一般的だ。
久しく癌を患った果ての他界でもあり。ロメイシュ・パパと妻のウマは、本日午後から葬儀の行われるチャンディガールへと向かう。車で片道約6時間。飛行機の発着時間が不便なので、車で赴くとのこと。
せっかく私たちが来ているからと、日帰りで赴く予定だったらしいが、「そんな無理をしてはいけない!」と、夕べ、せめて1泊するように説得し、ホテルを予約した。1日で12時間ドライヴなんて、辛すぎる! ドライヴァーも疲れるに違いない。
というわけで、わたしは今日の午後、明日と、一人気ままに街を探検する予定。デリーの気候は今がもっとも快適な時期。のんびりと、楽しもうと思う。
福岡から、初インドのゲストが来訪中。
彼女は、まずアーユルヴェーダグラムに1週間滞在。
昨夜からの週末3泊4日を我が家で過ごし、
月曜日の早朝、日本へ。
今日は、ランチタイムから外出。
都会的、なUBシティでランチのあと、
ローカル、なコマーシャルストリートへ。
おなじみのFabIndiaをはじめ、
インドのローカル色があふれたテキスタイルショップなどを巡る。
その後は、グレード・アップしたブティック、シナモンでしばし買い物。
最後には、我が行きつけの小さな便利スーパーマーケット、
トムズ・ベーカリーへも訪れた。
「多様性」という言葉の概念が、
そもそも、違うのだ、日本と、インドとでは。
ということを、わずか氷山の一角の世界に触れただけでも、
実感されている様子。
インド世界の一端を、
日本の人々に「伝える立場」にある者としては、
そういう感性の鮮度を、自らもときに蘇らせるべき、
なのだということを、久しぶりに思う。
同じ言葉を、同じ所感を、繰り返すことも、大切。
このごろは、
「以前、書いたから」
と、書かなくなったことが多々あり、
しかし、読み手にとっては、そのときがすべて。
お洒落なレストランでは決して味わえない、
ローカルの食堂のチャイ。
甘みの調整はお願いできるところも魅力。
おやつに、メドゥ・ワダを。
油っこいけど、おいしいのだ。
そう、昨日、夫が出張先のフブリで食べたものがこれ。
福岡からのゲストを歓迎しているのか、
敢えて、「九州男児」を選んできた夫。ぬかりがない。
そういえば夕べの夫は、たいへんだった。
昨夜は、9時半ごろには自宅に到着する予定だった。
ところがフブリからのフライトがエンジントラブルでキャンセル。
一日にムンバイ行きとバンガロール行きが一便ずつしかない、
その地方都市、フブリ。
夫が投資に携わっているロジスティックの企業の拠点があるため、
彼はボードミーティングに出かけていたのだった。
陸路では6時間程度の距離であるが、
深夜タクシーを手配しての帰宅は危険だ。
多分、もう一泊することになるだろうと電話を切った。
その後、再び電話。
ハイデラバードから代替便が飛んで来るので、
深夜1時に出発するとのこと。
このあたりのフレキシビリティ、インドならでは、ではなかろうか。
ともあれ、空港で何時間も待たされるとは気の毒に……と思いつつ、
わたしはゲストと飲み食い語り合っていた。
そして就寝前、夫から電話。
不思議と、ご機嫌である。どうした?
聞けば、投資先企業のCEOが、
同じフライトに搭乗するため、同行していたという。
CEO氏が待ち時間の間、ご本人の豪邸に夫を招き、
彼の奥様が、おいしい料理、
そしておいしいお酒で、もてなしてくださったとのこと。
それはそれは、なんという幸運!
おいしいものを、おいしく味わえるところには、憂いなし、である。
というか、ご機嫌、である。
そして本日。
夕食後は、最後の一切れ、分厚いロールケーキを、
ど〜んと大盤振る舞い。
本当は、作ったその日に食べるのが新鮮でいいのだが、
まあ、翌日でも、それなりに。
お幸せなご様子で、よろしゅうございました。
一日のはじまり。
目覚めてすぐ、新聞を読むのはやめよう。
インターネットのニュースサイトや、
Facebookを読むのも、
メールの確認をするのも、やめよう。
健やかな精神のためには、
眠る前と、目覚めたあとの時間がたいせつ。
わかってはいるけれど、
ついつい眠りにつく直前まで、くつろいでいない。
これでは、眠りの質を落としてしまう。
せっかくの睡眠時間を、
有意義に使えないのはもったいない。
せめて寝る30分前には、コンピュータから離れ、
日記を書いたり、瞑想したり。
覚醒から睡眠への移行を、滑らかに……。
朝、iPhoneの目覚ましで目が覚めたら、
ついでに、メールをチェックしてしまう。
この習慣も、やめなければと、思う。
まずは、「おはよう」。
洗面所で簡単に身支度を整える。
ぬるま湯、もしくは白湯を飲む。
庭に出る。
このごろは、NORAにおはようといい、餌をやる。
緑を眺め、花々の咲き具合を確認し、
それから軽くラジオ体操。
スニーカーに履き替えて、トレッドミルで数キロ歩く。
シャワーを浴び、
夫のお弁当を作り、
朝食を食べ、
コーヒーを飲む。
そのときにようやく、メディアに触れる。
心の準備ができてから、世界の出来事に触れる。
辛いニュース、
嫌なニュース、
残酷なニュースが溢れている。
が、目を背けられない出来事の渦。
情報の取捨選択と、判断力の育成。
ところで、これはなんでしょう?
もう少し、成長してから、種明かしをしましょう。
一昨日、一週間の出張を終えて帰宅した夫。
彼の不在中に、NORAがすっかり、うちの子となっており。
まだ打ち解けていない彼ら。
様子を伺いつつ、互いを観察している様子。
むしろNORAの方が、主のように、
堂々と、自由気ままに、我が道をゆく。
瞬く間に1週間は過ぎて、今日もまたサロン・ド・ミューズ。
久しぶりに、ストロベリーのタルトを焼くことに。
夕べのうちに、タルトの生地を捏ね、
カスタードクリームを作り、
イチゴを、軽く、甘く煮ておいた。
今日はのちほど、生地を焼く。
ミューズ・クリエイションを始めてから2年余り。
バンガロールにいるときには必ず、金曜日の拙宅を開放してきた。
思えばもう、100回は、超えている。
ほとんど毎週、お菓子を焼くのが習慣になり、
いったい、何百個の卵を割ってきたことか。
たくさん作ることにもすっかり慣れて、
暮らしのサイクルの一つとして、
夫もまた、金曜日の夜のおやつが楽しみ。
よく続いているなと、自分でも思う。
これからもずっと続けたいから、
自分のやる気を損なわないように、
楽しく、継続できるように、
その方法を模索しながら、ぼちぼちとゆこう。
自分が無理なく心地よくやれていなければ、
他者をもてなすことはできない。
ゆえに、敢えて、仕事を増やしすぎず、
適度を探す。適度を守る。
ところでこのフライパン。
昨日、HOME STOPで見つけた。
欧米の調理器具もまた、この5年ほどの間で、
たいへんな勢いでインド市場に進出している。
売れているのか否かはさておき、
質のいいものも少なくなく。
これまでは、数年前に購入した、
イタリアのBALLANIのフライパンを愛用していたが、
今回、同じブランドから、新製品が出ていた。
表面が石のような質感。
テフロンのように有害物質が溶け出る可能性がない、
これを大小2種類買ったのだが、
今朝、お弁当のために肉を焼いて感動した。
油を敷かずともこびりつかず、
醤油やヴァルサミコ酢が上手く素材と絡む。
保温性もあるので、余熱で加熱できる。
さっと水で洗い流せるところもすばらしい。
詳しくはこちら(←Click!)をご覧のこと。
同じ場所に売られていた、
白いフライパンも気になるところ。
別のサイズを一つ、買ってみようかと思う。
一日のはじまり。
目覚めてすぐ、新聞を読むのはやめよう。
インターネットのニュースサイトや、
Facebookを読むのも、
メールの確認をするのも、やめよう。
健やかな精神のためには、
眠る前と、目覚めたあとの時間がたいせつ。
わかってはいるけれど、
ついつい眠りにつく直前まで、くつろいでいない。
これでは、眠りの質を落としてしまう。
せっかくの睡眠時間を、
有意義に使えないのはもったいない。
せめて寝る30分前には、コンピュータから離れ、
日記を書いたり、瞑想したり。
覚醒から睡眠への移行を、滑らかに……。
朝、iPhoneの目覚ましで目が覚めたら、
ついでに、メールをチェックしてしまう。
この習慣も、やめなければと、思う。
まずは、「おはよう」。
洗面所で簡単に身支度を整える。
ぬるま湯、もしくは白湯を飲む。
庭に出る。
このごろは、NORAにおはようといい、餌をやる。
緑を眺め、花々の咲き具合を確認し、
それから軽くラジオ体操。
スニーカーに履き替えて、トレッドミルで数キロ歩く。
シャワーを浴び、
夫のお弁当を作り、
朝食を食べ、
コーヒーを飲む。
そのときにようやく、メディアに触れる。
心の準備ができてから、世界の出来事に触れる。
辛いニュース、
嫌なニュース、
残酷なニュースが溢れている。
が、目を背けられない出来事の渦。
情報の取捨選択と、判断力の育成。
ところで、これはなんでしょう?
もう少し、成長してから、種明かしをしましょう。
一昨日、一週間の出張を終えて帰宅した夫。
彼の不在中に、NORAがすっかり、うちの子となっており。
まだ打ち解けていない彼ら。
様子を伺いつつ、互いを観察している様子。
むしろNORAの方が、主のように、
堂々と、自由気ままに、我が道をゆく。
瞬く間に1週間は過ぎて、今日もまたサロン・ド・ミューズ。
久しぶりに、ストロベリーのタルトを焼くことに。
夕べのうちに、タルトの生地を捏ね、
カスタードクリームを作り、
イチゴを、軽く、甘く煮ておいた。
今日はのちほど、生地を焼く。
ミューズ・クリエイションを始めてから2年余り。
バンガロールにいるときには必ず、金曜日の拙宅を開放してきた。
思えばもう、100回は、超えている。
ほとんど毎週、お菓子を焼くのが習慣になり、
いったい、何百個の卵を割ってきたことか。
たくさん作ることにもすっかり慣れて、
暮らしのサイクルの一つとして、
夫もまた、金曜日の夜のおやつが楽しみ。
よく続いているなと、自分でも思う。
お菓子を焼くことが、ではなく、
この活動そのものが、である。
入れ替わり、立ち代わりであれ、
ミューズ・クリエイションの主旨を理解してくれる
いいメンバーに恵まれていること。
それに尽きる。
ここでややこしい人間関係のトラブルでも発生された日には、
続ける衝動も理由も喪う。
そういうことが、一番苦手だから。
そしてそういうことが、
一番、不毛で、無駄で、残念なことだから。
ミューズ・クリエイションは、
これからもずっと続けたいから、
自分のやる気を損なわないように、
楽しく、継続できるように、
その方法を模索しながら、ぼちぼちとゆこう。
自分が無理なく心地よくやれていなければ、
他者をもてなすことはできない。
ゆえに、敢えて、仕事を増やしすぎず、
適度を探す。適度を守る。
ところでこのフライパン。
昨日、HOME STOPで見つけた。
欧米の調理器具もまた、この5年ほどの間で、
たいへんな勢いでインド市場に進出している。
売れているのか否かはさておき、
質のいいものも少なくなく。
これまでは、数年前に購入した、
イタリアのBALLANIのフライパンを愛用していたが、
今回、同じブランドから、新製品が出ていた。
表面が石のような質感。
テフロンのように有害物質が溶け出る可能性がない、
これを大小2種類買ったのだが、
今朝、お弁当のために肉を焼いて感動した。
油を敷かずともこびりつかず、
醤油やヴァルサミコ酢が上手く素材と絡む。
保温性もあるので、余熱で加熱できる。
さっと水で洗い流せるところもすばらしい。
詳しくはこちら(←Click!)をご覧のこと。
同じ場所に売られていた、
白いフライパンも気になるところ。
別のサイズを一つ、買ってみようかと思う。
そうそう、今日はわたしたちの、
インドでの、結婚記念日である。
2001年7月。
初めてのインド。
あの、蒸し暑いデリーで結婚式を挙げてから、
早くも13年。
■インドで結婚式 (←13年前の記録)
約一カ月後のミューズ・チャリティバザールに向けて、
毎度着々と準備が進んでいる各チーム。
魅力的な手づくり品が次々と。
またしても、バザール前からすでに予約が入ったりしている。
こ、これは……。怖かわいい。
制作途中の生き物。リスにもウサギにもなる可能性が……。
チーム紙の商品も、着実に。
わたしも、もう少し、自分のできる作品作りをやってみよう。
ところで昨日、8月9日。
夫の誕生日のその日。
長崎に原爆が投下された日でもあり。
静かに思い巡らすことも大切。
夫はと言えば、NORAのお世話に余念がなく。
自分の身の回りのことは、放置しっぱなし、なのに。
「NORAの家が、なんか臭い」と言いながら、
クッションやマットを虫干し。
夫の古いサンダルが、お気に入りの遊び道具。
明後日は、避妊手術を受けさせに行く。
これに関しても、いろいろと思うところあるが、
半野良の身の上、界隈にはオス猫の出入りもあり、
年に何度も何匹も、出産されては手に負えない。
ところで昨夜は、夫のお誕生日会。
最近は、新しいレストランもたくさん増えているのだが、
お祝いごと、というと、行く店が決まっている。
静かに、ゆっくりとできる店。
料理が、それなりに、おいしい店。
というわけで、iTalia、もしくはGraze。
今回は、Grazeにて。
この店は、前菜、主菜のうち、いくつかの料理を、
ハーフポーションで供してくれるのが魅力。
小人数でもいろいろな味を楽しめるからうれしい。
レストランにサーヴィスしていただいたケーキ。
少しずつ、切り分ける夫。
家には、わたしが焼いていたタルトタタンが待っているので、
小さく味見をしたあと、
残りはドライヴァーのアンソニーにお裾分け。
インドでは、誕生日の本人が、
周囲の人たちのケーキを振る舞ったりするのが一般的。
食べかけで悪いけれど、おいしいからノープロブレムということで。
実は本日日曜日、
夫は先ほど出張に出かけた。
夫には悪いが、久しぶりにのんびりと、
日曜の午後を過ごそうと思う。
投資先の企業を訪れるため、
日曜の夜、北インドのチャンディガールへ飛んだ夫。
2泊の出張を終えたあと、
チャンディガールから車で数時間ドライヴ、
ヒマーチャル・プラデシュ州のKasauliというへ。
たまたま、結婚式に出席するため彼の地へ訪れている両親と過ごすため、
1日、休暇を取ったのだ。
家族を大切にするインドの人たち。
こういうことは、決して珍しくない。
忙中閑あり。
うまい具合に、大切な時間を見つける。
夕べは、滞在したホテルからの夕景を、
メールで送ってくれたのだった。
そして今朝は、近くをトレッキングしたらしく、
リアルタイムで写真が届く。
★ ★ ★
まだ結婚してまもないころの米国在住時。インドから義理の家族が訪れて、数週間滞在すると聞いたときには、率直なところ驚いた。辟易した。
しかし、周辺の日印カップルの話を聞いて、数週間どころか数カ月滞在される家庭が大半だと知り、腹をくくった。インドの人々は、親を大切にする。当たり前のことだが、それが当たり前でなくなっているのが今の世界。ともあれ、インド人の嫁となった以上は、好き勝手ばかり、言ってはいられない。
わたしの母が、米国在住時はもちろん、インドに来てからも、1カ月、3カ月、2カ月……と、これまで長期で滞在してきたが、夫は当然のように快く迎えてくれた。思えば、ありがたいことである。いや、それは、インドでは「当然のこと」なのではあるけれど。
そんな次第で、今日はJWマリオットのダイニングでブッフェのブランチ。
母のアーユルヴェーダのプログラムも残すところ2日。身体がずいぶん、軽くなったようである。
コンチネンタル、オリエンタル、いろいろな料理が揃っていたが、
予想以上にインド料理がおいしかった。
こうして素敵に気分転換ができるホテルが、
いくつもあるのもまた、インドの魅力。
日ごろはヘルシーな家庭料理が中心なので、
たまには気分転換に、外食も愉し。
そんな次第で母、引き続き、元気に過ごしております。
金曜日はガネーシャ祭り。
象の頭を持つ神様、ガネーシャ。
ムンバイに住んでいたころは、
この祝祭はことさらに盛大で、
祝祭前はまるで「博多山笠」のごとく、
街の随所に展示されたガネーシャ像を見たものだ。
金曜の朝は、わがアパートメントの自治会主催の儀礼に参加。
ガネーシャにちなんで、ゾウ柄のワンピースを着用。
10時20分が「佳き時間」とのことで、
儀礼がスタートするはずだったのに、
まだまだ準備は整っておらず。
祭司が祭壇の準備をする様子を見守りつつ……。
最後には、海や川、湖など、水辺に流されるガネーシャ。
近年は環境汚染の問題が取沙汰されており、
自然に還る素材で作られたエコ・ガネーシャがメインストリーム。
この「上品な色合い」のガネーシャも、エコである。
額に日の丸?
な、はずはなく。
白い三本の線に、赤い印。
マントラの渦の中、
たなびくお香の煙に無心。
異郷でも、異質でも、
祈りは神聖に全身を包む。
■派手派手ガネーシャ・マンダルを見に、街を巡る。2009年@ムンバイ (←Click!)
その後は、久しぶりにアンサナ・スパへ。
バースデー・ウイークエンドということで、
夫からのプレゼント。
夫とともに、マッサージとフェイシャルを受けに。
以前はしばしば利用していたアンサナ。
しかし、アーユルヴェーダのトリートメントを受けるようになってからは、
すっかりご無沙汰していた。
効能は、アーユルヴェーダが勝るけれど、
そのときの、優雅な気分、リラックスする心持ちは、
もちろんアンサナのほうがずっと、上。
わたしよりもむしろ、夫のほうが、
いつもより、よりすべすべ、つるんとなっている。
つやつやするのはいいけれど、
歳の差な妻からすれば、
あまり若返らないで欲しいものよ。
ところで我々の暮らしを撹拌している、NORA。
彼女の脱出ルートを発見した。
思いがけない1カ所を見つけたので、
その踏み台となっているテーブルを移動させたら、
また直後に、別のルートを開拓。
それがまた、ずいぶんと「頭脳」を働かせており、
脱帽、完敗だ。
猫好きな読者もいらっしゃるようなので、
この件については後日、
写真付きで解説したい。
そんなわけで、夜遊びに繰り出す彼女を誰にも止められない。
が、毎日のようにこのごろは、
お土産(リス)を持って来る。
しかも昨日は昼間ということもあり、
家族みんなが見守る中、
庭中を衝撃的な姿で走り回り……。
母も夫も大騒ぎ。
いやなら部屋に籠っていればいいものを、
二人とも、見たい、でも怖いで、騒々しい。
ワイルドなわたしだけが、ワイルドな彼女に接近。
以下、比較的マイルドな写真をアップするが、閲覧注意。
センシティヴな方は、クリックせずに、スルーされたい。
どこまでも、野性味満点の野良。
たいそう、シンパシーを感じる。
もう、彼女の好きにさせておこう。