若干、無駄だったとも言えなくない動きをした昨日。家具や家電をまとめて買うなら、郊外のモールに足をのばした方がいいと思いつつ、半端な下見で南ムンバイ中部のモールへ。
結局、品揃えや値段などを確認するなら、バンガロールの同系列店でもよかったのだということに気づきつつ、でも品揃えは若干異なるであろうと、それなりに市場調査。
数年前とは比較にならないほど、家財道具の調達は楽になっているインド都市部の昨今。もう下見などせずに、契約が完了した段階で突っ走った方が効率的だと思われる。
ところで、今週中にアパートメントは契約終了の予定だったが、大家曰く「星回りが悪い」とのことで、来週に持ち越したいとのこと。
でたっ!!
と、またしても、である。インドでは占星術をもとに冠婚葬祭その他主要な行事の日時を決定する人が少なくない、いや多い。それを考慮せず、こちらの都合を通すなどといった無理強いはできない文化的社会的背景なのだ。
インド移住当初の大家、チャヤのことが思い出される。あの人も占星術に基づいて、契約だの引っ越し日など、プジャー(儀礼)の日などを強引に決めてくれたものだ。
人々は人々を翻弄し、人々は人々に翻弄され、せめぎあいながら生きていくのである。それがインドなのである。多分。
思えば当初は「好印象」と思われた大家チャヤの豹変ぶり。「実態の耐えられない悪さ」に何度頭を抱えたことか。まだあのときは、インド的に人を見る目がなかった。無論、今だってまだまだ、「まじかよ!」の連続である。「やられた!」は頻発である。ただ、その状況に慣れてしまってい、特筆しないだけである。
マクドナルドで久しぶりにジャンクフードでも、と思ったが、アレルギー性蕁麻疹の件を思い出し、カジュアルなパスタ専門店へ。
そう。あの日あのときの、発疹(蕁麻疹)は延々と続き、あれからアーユルヴェーダの激苦な薬を飲んだりしたのだがなかなか治らず、今は小康状態といったところか。
ちなみに、ジャンクフードが原因だったわけでもなさそうだ。
だからといって原因がわかったわけでもない。そういうお年頃なのか。
蕁麻疹が出たら、インド産のお気に入りアロエジェルでお茶を濁している。
結構、濁せるので、よしとしている。
それはさておき、界隈で働く若者たちが、店内を賑わせている。
会社の同僚たち、といったところか。それにしても、先日のバンガロールのイタリアンでも驚いたが、皆が、しかも男女が、料理を分け合って食べたりしている様子に驚く。
説明すると長くなるからよすが、ともかくインドとは、そういう習慣のなかった国なのである。
値段をよく確認せずに、シーザーサラダとパスタ、それにフレッシュライムソーダを注文した。料理はそこそこにおいしく、ヴォリュームもちょうどよい。ただアラビアータ風のそのソースが、確かにチリを入れて作るソースだとはいえ、チリがきつすぎて辛かったが、決して悪くなかった。
支払いの段になって、しみじみと値段を見て、ちょっと驚いた。チップを含めると800ルピーほどもするのだ。日本円にして2000円を超える。もちろん、ここがニューヨークや東京なら、これくらいは普通であろう。
しかし、いくらムンバイとはいえ、ここはホテル内の高級レストランではない。ショッピングモールのカジュアルなレストランだ。そこでサラダとパスタと、ソーダ水で2000円。そんな店で、若者たちが和気あいあいとランチを食べている。デザートまで、注文している。
特に富裕層とは察せられない「新中流層」のムードを漂わせた、彼らは若者である。人を見かけで判断できるのか、と追及されそうだが、インドに暮らしていると、善し悪しはさておき、見た目でその人たちの階層などを、大まかであるにせよ、識別できるようになってしまうのだ。
なにかハレの日、かもしれない。それにしたって、使えるお金を所持しているのだ。貯めるよりも消費に走る若者たちの様子は、この件に限らず、現インドのあちらこちらで目にするけれど、今日は一例としてここに書き留めておく。
過激貧富の差が存在するこのムンバイという都市で、今日もまた、「お金」について、思い巡らす。
■ムンバイの車窓から
●曇天に映えるPOND'Sの広告。この美しい女性は、かつてミスワールドにもなったプリヤンカ・チョープラ。以前は空きのビルボード(広告板)が目立っていたが、最近は彩り鮮やかにあちらこちらで広告が見られる。
●久しぶりに登場のヴィクトリア駅。建物自体は非常に美しいのだが、内部はなにしろ雑然としている。特に朝晩のラッシュ時の喧噪は。特に魚売りが行き交う時間帯は。
●ユニークな施設を発見。「公共書斎」といったところか。読書する者あり、新聞を開く者あり、ひっくり返って寝る者あり……。ところでここ数日、たいして雨も降らず、湿度は若干低くなっている気配。ホテルの部屋のしっとり感も軽減されて、やや快適である。外の蒸し暑さも大したことはないような気がするのは気のせいか。
●ムンバイ新居にほど近い場所に新築中の高級アパートメント。メンテナンスフィー(管理費)だけで、ひと月100,000ルピーとのこと。つまり25万円程度か。こういうことを書き始めると、本当にきりがない。
■リライアンスに新たな動き
●今朝の新聞。米ドリームワークスとリライアンス・グループのエンターテインメント部門が提携するかも、という話題。折しも来週月曜の西日本新聞「激変するインド」は「財閥 (2) 」として、先月のタタ・グループに続き、リライアンス・グループの話題を取り上げている。原稿を書き上げた翌日に、アンバニ兄弟の喧嘩再燃のニュースが現れたり、今日は今日で弟のアニルとスピルバーグの写真が紙面を賑わす。タイミングがいいような悪いような。
●この写真の左下、青い看板が弟アニルが管理する通信部門の携帯電話サーヴィスである。弟の会社名は「RELIANCE Anil Dhirubhai Ambani Group」と、自分の名前に加えて創業者である父ディルバイの名前も入っている。長々としている。アニルはボリウッドのスターたちとの親交が深い。妻は元ボリウッド女優である。一時は100キロを軽く超える巨漢であったが、今はスリムで「フィトネスフリーク」らしい。
そういうネタをも新聞に書きたかったが、文字量の都合上、書けなかった。ちなみに兄は、先日新居ビルの写真を掲載した「ひょっとしてビル・ゲイツを凌いでる?」と噂のムケシュ・アンバニである。石油化学関連部門などを管理している。
■国歌斉唱してSEX AND THE CITY
米国では先月末に、インド都市部では今月上旬に公開された "SEX AND THE CITY"を見に行った。
アルヴィンドのオフィスにほど近いナリマン・ポイントのINOXシアター。上映は午後1時と11時の2回。
なんとも半端である。
最初はアルヴィンドも見に行きたいと言っていたが、レヴューがかなりひどいので、DVDを見るので十分とのこと。従って、わたし一人で、午後1時の回を見に出かけたのだった。
"SEX AND THE CITY"は、1998年から2004年にかけて、HBO(ケーブルテレビ局)で放送された、連続ドラマ。マンハッタンを舞台に4人の独身女性が登場、恋愛や仕事などを通した暮らしぶりが描かれている。全6シーズン。
わたしがこの番組をライヴで見始めたのは、実はワシントンDCに移った2002年以降。1998年ごろのわたしは、MUSE PUBLISHING, INC.を立ち上げたばかりで仕事一筋。テレビをゆっくりと見る精神的、時間的余裕などほとんどなかったのだ。
ワシントンDCに移り、仕事を減らし、半ば専業主婦のような状態だった時期、再放送を見て全容を掴んだ次第。
映画上映の前に、起立して国歌斉唱。
画面には、翻るインド国旗。
"SEX AND THE CITY"とは、あまりにもそぐわぬムードに、笑いが込み上げてしまう。
ところで、 "SEX AND THE CITY"は、もちろんフィクションである。ニューヨークに住んでいた人なら、主要な登場人物であるところの4人の女性たちが、存在しそうでしないということをよくわかっている。
そもそもニューヨークで働く女たちが、ランチだディナーだといって、いちいち4人揃って「つるんで行動する」など、ありえぬだろう。そこからして、不自然である。
しかしながら、ファッションやグルメのトレンドばかりを追うのではない、途中に織り交ぜられる、結婚や離婚、不妊治療、癌、訴訟、養子、転職、宗教、シングルマザー、その他リアルでシビアなテーマが効いてもいた。
特に、当時しぶしぶニューヨークを離れたわたしにとっては、マンハッタンでの5年余りを反芻するような気持ちで、彼女たちの背景にあるマンハッタンに思いを馳せていたようにも思う。
さて、本日の映画版。
その内容の善し悪しはさておき、エンターテインメント、としては楽しめた。ファッション業界とのタイアップ映画であると思いこめば、それはそれで楽しめる。そういう意味では数年前の「プラダを着た悪魔」に近い感覚か。
それより何より、心を動かされたのは、登場人物である彼女らそのものであった。
みんな、歳を重ねたな……。
としみじみ思った。目尻や口の周りのシワ。表情。みんな確実に老けている。しかし、歳を重ねてそれぞれの、魅力があるようにも感じられた。
そもそも主人公キャリー役のサラ・ジェシカ・パーカーの顔立ちは、わたしは苦手なのだが、それでもまったく整形などをしてそうにない様子に好感が持てた。
たとえばニコール・キッドマンのように、歳を重ねるほど幼児顔になっていく、いかにもボトックス系に頼っている顔は、ある意味、アンバランスで怖い。
4人のうち3人(キャリー、シャーロット、ミランダ)は、わたしとほとんど同じ42歳、43歳あたり(サマンサだけが52歳だかで大きく離れている)。
そのせいか、映画のストーリーを追いながら、ニューヨークの光景を追いながら、彼らの過去と自らの過去を重ねて、どうでもいいシーンで目頭が熱くなってしまったりする。不必要に親近感が沸いてしまうのである。
しかし、ドラマを見ていない人、マンハッタンに思い入れのない人にとっては、「なんじゃこりゃ?」と思われるに違いないストーリーであろう。かなり特殊な位置づけの映画とも言える。レヴューが悪いのには納得できる。
ところで映画の途中、遠慮のない会話、大笑いを繰り返すインド人若者集団には辟易したが、注意するにも遠すぎる場所におり、今日のところは辛抱した。
インドにおいて、映画館とは「お茶の間」の延長である。わかっちゃいるけど、許し難い。ボリウッド映画なら我慢しようとも思うが、せめて「海外もの」を見るときは、黙ってはくれないだろうか。
携帯電話に出て「今、映画見てるのよ! SEX AND THE CITY!」などと話し始めるのは、やめてくれないだろうか老齢のご婦人よ。
無理な願いであろうか。
無理な願いであろうな。