今朝、目覚めたら、季節が変わっていた。それは、夏の到来のようでもあり、秋の到来のようでもあり。静謐な空気が窓から流れ込んで来て、あたりはしんとしていた。
そういえば、夕べはほぼ、満月であった。澄んだ夜空に煌煌と、それは見事な月だった。餅つきをするウサギはいったいどこだろうと、目を凝らしてみたが、よくわからなかった。
今日は思えば、中秋の名月か。昨年の今ごろ、インド3カ月滞在をした母を見送りにシンガポール(←文字をクリック)へ赴き、月餅を買ったことを思い出した。凝った月餅って、かなり高いのよね。
そんなことはさておき、今日のバンガロール宅の庭はまた、楽園だった。
朝から蝶たちがひらひらひらひら、何種類も舞い込んでくる。木漏れ日がゆらゆらと、吹く風はそよそよと、今朝ほど家を離れたくないと思ったことはなかった。
が、後ろ髪を引かれる思いで荷造りをし、ムンバイ宅行きの準備である。
こんなに平和な場所で、若いうちからのんびりしているのはよくない。やっぱり我々はあちこちへ飛び回って刺激を受けるべきなのである。と自分にいい聞かせつつも、日曜の午後、のんびりしたいのである。辛いのである。
アルヴィンドに至っては、昨日は芝生の上に直接ごろりと寝転んで、メイドのプレシラを驚かせていた。
「マダム、さっき庭師が水を撒いていったのに、サーが芝生に寝転んでますよ!」
慌ててわたしに報告して来たのだった。幸い、庭師は芝生ではなく周辺のみに水を撒いたらしく、夫は別段、汚れもせず、蟻に噛まれることもなく、しばし昼寝をなさっていたようである。
芝生に寝転ぶと言えば、マンハッタンのセントラルパークや、ワシントンDCの国立樹木園を思い出す。広大な緑が懐かしい。
さて荷造りをすませ、ぐいぐいと後ろ髪を引かれつつも午後2時、二人で家を出る。そうして、数時間後にムンバイ到着。と、町の様子がなにか違う。道路はすいているが、歩道から人があふれている。
どうやら今日が象の神様、ガネーシャ祭りの最終日らしい。みんなこぞって象の像を海へ奉納しにいくのである。それにしても、歩道の人出の多さといったら。平時でさえも往来激しいインドの市街。その何倍もの人々があふれかえっている。
昨日のデリーのテロのことなど、気にしてどうなることか。次のターゲットはムンバイと聞いているが、気にしたところでどうなるだろう。そんな杞憂にとらわれることなど、ないようである。
むやみやたらとエネルギーに満ちあふれた群衆が、これまたみなうれしそうに、元気そうに、うろうろうろうろしているのだ。
やっぱりすごいな、この国。やっぱりすごいな、この心身ともに免疫力の強い人々。
大小のガネーシャ像を積み込んだトラックが、大勢の人々を乗せてびゅんびゅんと行き交っている。
右の写真など、まだ序の口。
これの2倍、3倍の人々が、びっしり張り付いたトラックも、何台も見かけた。
こんな危険な状況で、死傷者が出ないことが不思議だ。
いや、実は出ているが、メディアにあらわれていないだけかもしれぬ。
実際にはテロよりも、死傷者が多いんじゃないだろうか。そんな懸念さえしてしまう激しさだ。ともかく、むちゃくちゃである。
やっぱ、わけわからんこの国。
空港から南ムンバイの中部までは、渋滞もなくすいすいと走ってこられたのだが、祭りの舞台となるマリーン・ラインにさしかかるところで大渋滞に巻き込まれた。
花火やら太鼓やら笛やら何やら、とにかくどんちゃん騒ぎが延々と続いていて、さすが人口密度世界一のムンバイだけある人間の多さだ。
自宅の周辺も、スラムな漁村の人たちが総出で、いや彼らばかりでなく、我がアパートメントの住人たちも、ガネーシャ像を手に手に捧げて外へ繰り出し、今日ばかりは貧富の差も階級の差も関係ないのか、みなが一緒になって騒いでいる風である。
窓から人々の喧噪を見下ろし、打ち上げ花火を眺め、そのあまりの騒がしさにしかし、耳が慣れたのか気にもならず、夫はテレビを見て、わたしは本を読み、インターネットをサーフし、日曜の夜は更けゆくのだった。
写真では、むちゃくちゃ感がまったく伝わらないのが残念だが、祭りは深夜を過ぎても続いていた。みんなほんと、元気。
もんのすごい人出である。
こんなところでテロなどが起こったら、などと仮定することすら無意味な群衆の勢い。
それに加えて、奉納されるガネーシャ像の多さ。
「環境にやさしい素材」で作られているんだろうか。作られていないと思う。本体は土かもしれないが、派手派手な塗料は……。
だとすれば、もんのすごい環境汚染である。神様だから、OKなんだろうか。そんなわけ、ないんじゃないだろうか。
なにもかもが、かなわんな、と思う。ともあれ、わけのわからん国に住めて、実に愉快ではある。