3月も、早くも半ば。スケジュールノートのマーカー。ムンバイは水色。バンガロールは黄色。旅はオレンジ。三色が交互に入り乱れて6月まで。
大小仕事も立て込んで、しかし気合いを入れれば短時間ですませられるはずなのに、なんだかだらだらと過ごしてしまうこのごろ。
デリー滞在中、ホーリー当日の午後、親戚宅を訪れたとき、かなりヘヴィな頭痛に襲われていた。
普段、ちょっとした頭痛なら、肩こりから来ていることもあるので、足の裏をマッサージしたり、ツボを押さえたりすると治るのだが、その日は鎮痛剤を飲んでようやく治まった。
その後、帰宅したら肌に発疹が出たり、奥歯のクラウンがまたしても取れたりと、いまいち冴えない体調。ひょっとして遅れてきた高山病かも、などと思う。
特に頭痛に関しては。高山でアルコールやカフェインの飲み過ぎも控えるべきだったと、今更知る始末。
楽しく遊ぶためにも、健康管理は大切であると痛感した。
さて、デリーから戻りし12日木曜の夜。楽しみにしていたラン・ランのリサイタルを訪れるべく、ご近所コラバ地区のネイヴィ・ナガールにあるHOMI BHABHA AUDITORIUMへ。
実は前日の11日は、ウィーン・フィルハーモニーオーケストラと指揮者ズービン・メータ (ZUBIM MEHTA)、そしてラン・ランによるコンサートであった。
2日間に亘るこのイヴェントを主催したのはMEHLI MEHTA MUSIC FOUNDATION。
MEHLI MEHTAとは、ZUBIM MEHTAの父親で、指揮者でありヴァイオリニストであったという。
MEHTA父子は共にムンバイ生まれ。パルーシー(ゾロアスター教徒)の家系だ。
初日のプログラムは右写真の通り。ムンバイにいたならば、2夜連続で訪れたかったところだ。
さて、ムンバイ最南端の地区にあるコンサートホール。思ったよりもきちんとしている。当たり前か。開演までは、ロビーで語り合う人々、外のテラスでスナックやドリンクを楽しむ人々。
着飾った人々の様子を眺めるのもまた楽しく。インドでは有名なボリウッド男優、アミール・カーンの姿も見られた。特に気に入ったTAARE ZAMEEN PARについては、過去このブログにも記した。
噂には聞いていたが、本当に小柄で、素朴な感じの男性である。身長もわたし(166cm) と同じくらいか、やや低くさえ見える。あまり目立たないので、周囲にも気づいている人がいない。
映像で見ると、なんだかあくが強く感じるのだが、実物はそうではなく、むしろ「キュートな感じ」である。わたしは取り立ててファンでもないのに、ミーハー心がわき上がり、ひと言、挨拶を交わしたいと思う。
が、数人の人たちと話をしていたので、割り込むわけにもいかない。しばらくの間、激しく強い視線(怖すぎ)を送っていたら、何度か目が合ったので、ちょっとうれしかった。それで満足した。
ちなみに彼はわたしと同じ歳だが、とても若く見えた。ついでにシャールク・カーンも同じ歳だ。彼もまた若く見える。そんなことはさておき、ラン・ランである。
日本の男子学生が着る学ランを彷彿とさせるファッションでひょうひょうと登場した彼。割れんばかりの拍手がホールいっぱいに響き渡る。
26歳とは思えぬあどけない顔つきで、今にも「こうこ〜うさんねんせ〜い」とでも歌いだしそうである。古くさいたとえである。
さて、すぐさまピアノの演奏が始まった。彼の横顔と手の動きがきちんと見える席がとれて、本当によかった。
正直なところ、最初のシューベルトのピアノソナタは、もちろん、すばらしい腕前であることは感じたけれど、特に強い印象を受けなかった。好みの曲ではなかったのも原因だろう。
アルヴィンドに至っては、早くも「おやすみモード」である。
しかし、インターヴァルをおいてのち、ベラ・バルトークを演奏し始めたころから、場の空気が変わった。彼の沸き上がる力がほとばしりはじめ、旋律が身体にバシバシと突き刺さり始めた。
わたしは個人的に、旋律を記憶できそうにない不協和音な現代音楽は苦手で、率先して聞くことはまったくないのだが、しかし彼の演奏によると、いい。実にいい。
無差別に地表に降り注ぐ雨音のように、調和を無視して各々音を立てる。彼に似合っている。普通なら聞いていたくない不協和音なのに、それがとてもしっくりときて、おもしろい。
鍵盤を駆け巡る指。鍵盤がもっとたくさんあってもいいのではないか、とさえ思えるような。
その後はドビュッシーのプレリュード。やさしさと力強さが交互に訪れるようで、指が鍵盤と一体化しているようで、これもまた、よかった。
そして最後にショパンのポロネーズ(英雄)。あまりにも聞き慣れた曲なのに、まるで新鮮に、これは本当にすばらしかった!
巧みな指の動き。驚くほどの速さ。しかし雑ではない。つきすぎているほどのメリハリ。香ばしい響きの心地よさ。思い返すだに、もう一度聴きたい。
すっかり覚醒したアルヴィンドも、ここにきてようやく「すばらしい!」と感激の声を上げた。
そしてアンコールに、リストの「愛の夢」。わたしが中学時代、とても好きだった曲だ。これもまた、今まで聴いたことのないような躍動感で、曲の印象が一変するような演奏だ。
そして最後に中国の民族音楽を。最後の三曲で大いに盛り上がって、リサイタルは幕を閉じた。
徐々に静かに山を登り、山頂に到達してクライマックス! というようなリサイタルであった。すばらしかった。
欲を言えば、最初のシューベルトとバルトークなしで、別の曲を聴きたかった。リストのハンガリアン・ラプソディも聴いてみたかった。いつかまた、聴く機会があることを願う。
演奏中の表情や身体の動き、演奏の合間、手ぬぐいで顔を拭く仕草など、確かに個性的だが、それがかわいらしい。そして演奏を終えたあとの挨拶もまた、彼のやさしい人柄が出ていて、とても温かな気持ちにさせられた。
音楽に満ちたすばらしい一夜を過ごすことができて、本当に、よかった。