情報誌、TimeOut Mumbaiをめくっていたら、ご近所コラバのアートギャラリーでグレゴリー・クルードソンの作品展が今日から始まるとの情報を見つけた。
グレゴリー・クルードソンは、ニューヨーク・ブルックリン出身の写真家。
今回、彼の近作、BENEATH THE ROSESからいくつかの作品が展示されるとのことで、午後、さっそく出かけたのだった。
そのギャラリーを訪れるのは初めてのこと。
あたりをつけた場所で車を降り、路傍の人々にビルディングの名前を尋ねながら数分歩く。
コラバ・コーズウェイ。
古びたビルディングが立ち並ぶ、まさに悪臭があふれたゴミ溜めのすぐ隣に、白くて清潔に改装されたビルディングがあった。
大きなガラスのドアを開けば、冷房のシンと冷たい空気が溢れ出して来て、目前には白い壁が広がり、別世界へ招き入れられる。
エントランスフロアの右手に展示された、唐突なほどにその大きな作品を一瞥して、目を見張る。
書籍などで目にするのとは迫力が大いに異なる、そこには世界が作り上げられていた。
絵画、と言われても驚く。写真、と言われても驚く。どちらでもないような、独特の質感を備えた超リアリティ。
彼の写真は、まるで映画を撮影するかのような大掛かりなセッティングで、大枠から細部に至るまで、つまりファインダーに映り込むすべてを入念に作り込んで撮影されるという。
これらの写真のキーとなるのは、活人画、と呼ばれる技法で捉えられたところの人物。どの作品にも見られるのは、現代のアメリカの、地方、郊外に暮らす人々の、ほとばしる悲哀。炸裂する倦怠。
川に落とされたショッピングカート。サイドテーブルの上の薬のプラスチック・ボトル。手あかにまみれたコンセント。しみだらけの壁。裏地のはみ出したスカート。緩んだ肉体。少女の放心の視線。
いきいきとしているのは、キッチンに置かれた、焼かれる前の赤いステーキ肉ばかりである。
アメリカで暮らしていた十年間、折に触れて目の当たりにして来た、豊かさの果てにある空虚や、途方もなくがらんどうな郊外の光景や、アメリカ大陸横断ドライヴのとき、肌身に感じた茫漠の地平の取り付く島のなさ、を思い出して、胸が迫る。
滑るように走るハイウェイの、車内の、キーンと耳鳴りがするような、静寂などもまた。
さておき、グレゴリー・クルードソン、及びアートギャラリーに関する詳細は、下記を参考に。
■グレゴリー・クルードソン(Gregory Crewdson)
■SAKSHI GALLERY(作品の写真が掲載されている)
活人画、と言う言葉から思い浮かぶ写真家は、ヤン・ソウデック。チェコ出身のユダヤ人写真家である。彼の家族の多くは、テレジン強制収容所で殺害されている。
左の写真がそれだ。
確か大学時代に、どこかで手に入れた。
心に刻印された写真であったが、以降、このポストカードのことは忘れていた。
昨日に引き続くが、やはり27歳のときに欧州を3カ月放浪した際、あれはプラハだったか、いやウィーンだったか、町中の書店で写真集を眺めていた時、ヤン・ソウデックの写真集を見つけた。
長旅の途中、重いにも関わらず、衝動的に購入した。
その写真集の中に、このポストカードの写真を見つけて、彼の作品だったということを知った。
当時は、彼がチェコの写真家であるという以外、ほとんど何も知り得なかったが、今、こうしてインターネットで検索してみると、さまざまな情報が瞬時に入手できる。彼のドキュメンタリー映画の存在さえも、今初めて知った。見たい。
アートギャラリーで、しばらく過ごした後、まるでドラえもんの「どこでもドア」のように、開いた瞬間に別世界に飛び込むような感じのドアを開けて、外に出る。
目前に広がるのは、まるで作り込まれたかのような、奇妙にありのままの、光景。
●インドのホテルビジネスとホスピタリティについて
ギャラリーを出て、しばらくコラバ商店街を散策し、久しぶりにTHE TAJ MAHAL PALACEへと赴く。このホテルのドアもまた、「どこでもドア」である。
開かれた瞬間、冷たい空気と、そして甘酸っぱいフレグランスのよい香りが全身を包み込む。昨年11月26日のテロから、あと1カ月余りで一年がたとうとしている。
遠い昔の出来事のようでもあり、ついこの間のことのようでもあり。
高級ブランドのブティックなどをのぞき、それから書店へ赴く。オーナーが変わったのか、それとも従来のオーナーが心を入れ替えたのか、以前は雑然としていた店内が、たいそうきれいに片付いている。
本は見やすくきれいに並べられ、雑貨やポストカードの類いも、これまたきちんと整頓されている。空間も適度に確保され、たいへん気分がよい。従っては、しばらくここで過ごす。
それから、夕方までを「ぼんやりと、思慮」の時間にあてようと、SEA LOUNGEで過ごすことにする。いつものように、インド門を眺める窓辺に席を取り、一息つく。
インドに暮らし始める前から、ここはムンバイでも、最も好きな空間のひとつ、であった。そして今でも、ここは心を鎮めるのに好適の場所である。
いつもと同じように、老齢の給仕たちが出迎えてくれる。あまり巧みとは言えないピアノの旋律が、あたりを満たしている。ビジネスマンらや、有閑マダムらの会話もまた、耳障りにならない程度のBGMである。
インド門<インドへの入り口>と、あたりを行き交う無数の人々を眺める。いつも、黄色いバラが飾られていたテーブル。去年のテロ以来、白いバラに変わってしまった。あの日から、微妙にずれた世界。
カフェラテを注文したら、「ハイティーはいかがですか?」と給仕が問う。店の一画には、プチガトーやサンドイッチ、それにインドのスナックが並び、今はハイティーの時刻なのである。
「結構です。カフェラテだけ、お願いします」
ほどなくして、彼はカフェラテのほかに、小皿に菓子を二つ、取り分けて持って来てくれた。いつもは、小さなビスコッティ、もしくはクッキーが添えられるだけなのだが、これは彼の心遣い、のようである。
ノートを広げ、しばし書き物その他をしながら、ふと、ホテルのビジネスに思いを巡らす。インドの、例えばタージやオベロイといった高級ホテルのサーヴィスは、とてもよい。
他国ではなかなか見られない、ホスピタリティを感じさせる。そのホスピタリティは、決してマニュアル通りではない、血の通った、心のこもった感じである。
あらゆる分野に亘って、インドのビジネスに関する否定的な意見は多いが、ホテルのホスピタリティは、なかなか真似できるものではないと、感じている。印象に個人差はあろうが、少なくともわたしはそう思っている。
インドにはホテル・マネージメントの専門学校や、ホテル・マネージメントのコースを設けている大学が少なくない。世界的に評価の高い学校もあるようで、一度見学したい、いや、通いたいとさえ思うくらいだ。
つい先日、近所のインドにしては高級スーパーマーケットであるところのNATURE'S BASKETで、輸入のハムやチーズのセクションをうろうろとしつつ、店員の青年に商品について質問した。
すると、商品に関する知識が豊かで、驚くほど流暢に答えるので驚いた。
「仕事を始める前に、研修を受けるの?」
と尋ねたところ、
「ぼくはホテルのマネジメントスクールに通っていたんです」
とのこと。ホテルの仕事が見つからず、スーパーマーケットに勤めているのかどうかは定かではなかったが、どう見積もっても月収10,000ルピー弱であろう店員の仕事をさせておくには惜しい知的な青年であった。
尤も、ホテルの従業員も、似たり寄ったりの給与であろうことには違いないのだが。
SEA LOUNGEでは、都合、2時間ほども過ごしたのだが、1時間を過ぎたころ、給仕が「そのコーヒーは冷めてしまったでしょう」といいながら、新しいカフェラテを持って来てくれた。
と日本語で言いたくなったが、英語でのうまい表現がとっさに出てこなくて、「ありがとう」とだけ答えた。
フォームの上にハートマーク。
わたしは一人で行動することが多いため、カフェやレストランでも一人で入ることが多い。
しかしインドでは、女性が一人で飲食するのは、比較的珍しい。まして外国人とあっては、人の注意をひく。その結果、安い食堂でも、高級なレストランも、「それぞれの形」で、親切にしてもらうことが多い。
「そっとしておいてくれ」
と思うことがないでもないが、今ではインドの人々の、こういう小さな関わり合いについて、煩わしいと思うよりも、微笑ましいと思うようになった。
もちろん、自分にとって心地のよい干渉のレヴェル内であれば、のことであるが。
街角のチャイ屋でチャイを立ち飲みする場合、1杯は5ルピーから10ルピー。
インド版スターバックスであるところのBARISTA や CAFE COFFEE DAYでカフェラテを頼めば、50ルピー前後。
このホテルのカフェラテは、195ルピー。サーヴィス料に加えてチップを奮発すれば、250ルピー程度。
インド全体の物価を考えれば、確かに高い。しかし、都合2時間ものんびりと過ごせて、プチガトーも出してもらい、さらには2杯目のカフェラテまでも出してもらった日には、たいそう価値のある5ドル程度、500円程度である。
特に、スイスフランに対する米ドルの弱さに打ちのめされ、なにもかもが高く感じたスイス滞在のあとに、この5ドルには重みがある。
思えば、先日の、ウダイプールのレイクパレスのダイニングで感じた、料理の値段の高さ、には愕然とさせられたのにも関わらず。尤もSEA LOUNGEの料理の高さにも苦言を呈していたというのに。
物価の高い、安いの判断が、あまりにも主観によって左右されている気がしないでもないが、ともあれ、国内物価差の著しいこの国に住みながら、なおかつ同時進行でその他先進諸国を行き来していると、経済観念が揺さぶられて、何が何だかよくわからなくなる。
夜。
大音響とともに、近所で打ち上げ花火が始まった。
昨今、インドは祝祭のシーズンである。
今日がなんの祭りだかは最早よくわからないが、ドライデーだったので、祝祭日だったのだろう。
ドライデーとは、アルコール類の販売禁止の日である。
ビールとワインを買って帰ろうと思ったところ、リカーショップが閉まっていて気がついた。
今月はドライデーがやたらと多い。
花火は我が町内、カフパレードの一画で行われており、たいそう盛大だ。かなりの数が打ち上げられた後、連発で締めくくりの花火である。
それがまた、ビルの谷間の低い場所に打ち上げられるものだから驚く。最初は事故かと思ったが、どうやらそうではないらしく、まるで爆発物が炸裂するかの勢いで、ビルの谷間を赤く染めている。
間近に見れば、相当な迫力であるに違いない。
それはそうと、危険ではないのだろうか。
ないんだろうな。
消防車などは待機しているんだろうか。
してないんだろうな。
インドだもの。