喧噪が遠い日曜日。
乾いた匂いの風が吹き込んでくる。
白墨が、黒板を打つ、時折、ポキリと折れる。
20年前の梅ケ峠が蘇る。
学長の、漱石の『三四郎』の講義。
「囚われちゃ駄目だ」
あの言葉があったからこその。
あの言葉をきいたからこその。
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※2000年に記したメールマガジン「ニューヨーク通信」から、以下抜粋。
……当時の大学の学長が、夏目漱石研究における第一人者でした。学長の講義はいつも情熱にあふれ、興味をそそられたものです。今でも忘れられない講義があります。その日は漱石の「三四郎」がテーマでした。三四郎が、熊本から上京する列車の中で、髭を生やした年輩の男性に出会います。
列車の中で、西洋人の夫婦を見た後、髭の男性は、三四郎に語り始めます。そのあたりの文章は、日本の現代にまで至る、西洋に対する姿勢を予言しているようで、漱石の洞察力の鋭さをも垣間見せるので、少し長いけれど抜粋してみます。
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「どうも西洋人は美しいですね」と云った。
三四郎は別段の答えも出ないので只はあと受けて笑っていた。すると髭の男は、「御互は憐れだなあ」と云い出した。「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になっても駄目ですね。尤も建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応の所だが、-----あなたは東京が初めてなら、まだ富士山を見た事がないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれより外に自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだから仕方がない。我々が拵えたものじゃない」と云って又にやにや笑っている。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出逢うとは思いも寄らなかった。どうも日本人じゃない様な気がする。
「然しこれから日本は段々発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、「亡びるね」と云った。-------熊本でこんなことを口に出せばすぐなぐられる。わるくすると国賊取扱にされる。三四郎は頭の中のどこの隅にもこう云う思想を入れる余裕はない様な空気の裡(うち)で成長した。だからことによると、自分の年齢の若いのに乗じて、他(ひと)を愚弄するのではなかろうかとも考えた。男は例の如くにやにや笑っている。その癖言葉つきはどこまでも落付いている。どうも見当が付かないから、相手になるのをやめて黙ってしまった。すると男が、こう云った。
「熊本より、東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」で一寸切ったが、三四郎の顔を見ると、耳を傾けている。「日本より頭の中の方が広いでしょう」と云った。「囚(とら)われちゃ駄
目だ。いくら日本のためを思ったって、贔屓(ひいき)の引倒しになるばかりだ」
この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出た様な心持がした。
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学長が読み上げたこの一節の、「囚われちゃ駄目だ」という言葉を、私は折に触れ、思い出します。
囚われる、という漢字は「人」を囲いの中に入れて成っています。何事かに悪い意味で執着しすぎたり、あるいは何らかの支障によって、先へ進むことをためらっているときなどに、この言葉は非常にさっぱりと、私を勇気づけてくれます。