2006年2月20日 (月)

半年ぶりの再会。73の段ボール箱。

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昨年の6月にワシントンDCを離れて以来、半年余りの不在を経て、ついには届いた73箱。自分自身で取捨選択をし、詰めずにはいられず、しかし時間に追われて、一人で100箱以上の段ボール箱を、作っては詰め、作っては詰め。

乱雑なガムテープの貼り方に、慌ただしい日々のようすが偲ばれる。

随分と多くのものを処分したつもりで、しかし開封すれば、「なにゆえに、これを送る?」というものもあり。

主には書籍。半年先の住処が定かではない我々。当面は閉じたままに。書斎のバスルームを物置代わりに、段ボールを積み上げる。定住までには、まだまだ遠く。

19oyako[おまけ写真]日曜日。昼間からビールを飲み、スナックを食べ、くつろぐ親子。何をしているかって? それはもう、言わずもがなのクリケット観戦。

今日もまた、インド対パキスタン。この上なく大切な試合だとのこと。午後にはスジャータもやってきて、ウマも参加して、インド家族そろってクリケット観戦。

2006年1月11日 (水)

米国からの荷物、第一弾到着。

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本日、カリフォルニアのシリコンヴァレーから送っていた荷物(段ボール43箱)が、2カ月を経て、ようやく届いた。ストレージルームに預けていたワシントンDCの荷物(段ボール73箱)は、年末に発送したので、きっと2月末から3月にかけて到着するのだろう。

米国西海岸からの荷物は、太平洋を通ってチェンナイの港に到着した。東海岸からの荷物は、どういう経路で来るのだろう。

それはさておき、米国の引っ越し会社から委託されているインドの引っ越し業者(Writer)が、こちらの窓口だ。船から荷物を引き取る際の税関手続きの際、夫のオリジナルのパスポートが必要とのことで、過去3年間の記録のあるパスポートをスタッフに託していた。それを持ったスタッフがチェンナイ港に飛び、手続きをしてくれるのだ。

本当なら、我が家に月曜日の午後、荷物が到着する予定だったが、「予想通り」に税関手続きの遅れたのに加え、引っ越し業者が荷物の計算を間違えて「小さめのトラック」を用意していたゆえ、出直すことになり、結局水曜日の今日、配達となった次第。

まあ、2日の遅れくらいは、許せる範囲だ。

予告されていた時間通り、彼らは正午過ぎに到着した。マネージャーが一人に、作業員が4名。今回もまた、家具屋と同様、なぜかマネージャーが長身で、以下作業員はみな小柄である。南インドは小柄な人が多いようだが、それにしたって「絵に描いたような」一団に、またしても、ちょっと笑える。

しかし彼らは、小柄ながら、当然だが腕力があり、重たい箱もひょいひょい抱え、わたしの指示する通り、あの部屋、この部屋へと、荷物を運び入れてくれる。家政夫モハンも一緒に手伝う。

(ああ、またこれらを開封して片付けねばならないのか……)

次々に運び込まれる箱を見ながら、気が重い。さらには2カ月後、より多い荷物が届くのだと思うと、早くもいやになる。ここ数年、「身軽に」をテーマに暮らして来て、極力、かさばらないように努めて来たのだが、なんだかんだと荷物は増えてゆく。

更にはインドで、「欲しくなるもの」に次々と出くわして、よりいっそう増えていく。

2カ月以上、なくてもよかった荷物なんだから、これから先、なくても大丈夫なものばかり。更にはDCから届く荷物なんて、半年以上の不在。大半が書物や書類の類い。あとはキッチン用品、食器、衣類にインテリアの雑貨類。しかし具体的な内容物がいったい何だったのか、思い巡らすことさえ困難だ。

そもそもわたしは、ストイック <禁欲的> な性格ではなく、部屋を素敵に飾りたい、おしゃれをしたい、ジュエリーだって好き……と、物欲はしっかりあるのだが、その反面に於いて、身軽に、遊牧民みたいにいつでも駆け出したいという願望がある。

その矛盾は、このインドに来て、一層拡大したように思う。

あらゆる価値観の両極が、渾然一体と具現化している国。「有」と「無」の錯綜が、あからさまで、一目瞭然の国。

あってもなくてもいいものを手にすることが、豊かさの象徴なのか。などと、真剣に発想してしまうから、自分でも驚く。

経済的に可能であれば、欲しいと思う物は、買いたくなる。しかしながら、積み上げられる段ボールを見ていると、「なんなの、これは?」と思う。これらが、わたしたちの軌跡の、一つの象徴でもあるのか? 

人生の折り返し地点に立つ今。「幸福の定義」というものについて、これから先、真摯に考えて行くべきだな、などと、現実逃避を兼ねて気が遠くなっているところで作業は完了。

マネージャー氏曰く、「マダム、開封を手伝いましょうか?」とのこと。

「追加料金はいくらです?」

「いくらでも。お支払いいただける金額で」

つまり、ある程度のチップを払えば、手伝ってくれるという訳だ。書類の箱などは自分で整理するとして、キッチン用品や衣類の箱を開けてもらい、半分ほどの開封とゴミの片付けを手伝ってもらった。みな手際よく、作業してくれる。こういうところは、インドの「極楽」部分である。

彼らが手伝ってくれた甲斐もあり、衣類を除いては、今日、片付けを終えた。明日にはすべて、片付け終わることだろう。家政夫モハンが手伝ってくれることもあり、予想以上に捗った。

自分に慣れ親しんだ品々が、身近に戻って来た感覚は、とてもやさしげだ。特に、今日は、久しぶりの「音楽」がうれしかった。

しかし、価値の所在が覚束ない、43箱の荷物に心が乱れたのは、インドのせいだろう。

2005年12月10日 (土)

最初の晩餐

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今夜、我が家での、最初の晩餐。
(あの夜の、カップヌードルの夕餉はなかったことにして)

買ったばかりのワイングラスに、
シンガポールのチャンギ空港で買って来ていた赤ワインを注ぐ。

夕飯のメニューは、ニルギリで買っておいたナスとピーマンの炒め物。
でもそれだけじゃ、あんまりなので、お隣のバンガロア・ビストロから、
スープとアントレの出前を頼む。
なにしろ、「お隣」だから、
焼きたてガーリックブレッドもまだ温かく、いただきます。

約1カ月ぶりの、自分の家での夕食。
なんだか、うれしい。


2005年11月28日 (月)

そして引っ越し。人手過剰の一日

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今日、月曜日は新居にあらゆるものを搬入する、事実上「引っ越しの日」である。と同時に、夫のボス及び関係者が米国からやってくる日でもあり、お互いにそれぞれ忙しい。夫を見送ったあと、THE TAJ WEST ENDをチェックアウトする準備。3度目、2週間あまりも滞在し、すっかり愛着のあるホテルとも今日でお別れだ。とはいえここはご近所だし、またナターシャとの打ち合わせもあるから、しばしば訪れることになるだろう。

1時以降、各業者が来ることになっているので、12時にホテルを出てアパートメントに向かう。アパートメントコンプレックスのゲートには、つねに3〜5人のガードマンが常駐しており、セキュリティがしっかりしているのがいい。彼らに、今日、我が家を訪れる業者のリストをわたし、スムースに中に通してもらうよう依頼する。

アパートメントに入り、クローゼットを拭いたり、キッチンを整えたりとあれこれ下準備。ニューデリーの使用人が来るまでは、日雇いの使用人を使ったら?、とスジャータにアドヴァイスされてはいたけれど、今日のところはひとりでやろうと思う。

ほどなくして、玄関のドアを開けて空気を入れ替えようと、ドアを開けようとしたところ、鍵が開かない。何度やっても、鍵が中で膠着した感じで、開かないのだ。つまり部屋に閉じ込められた状態となった。やれやれ。あと20分もしたら誰かが来るのに。

内線でガードマンを呼び、合鍵を持っているかを確認すると同時に、大家夫妻の携帯に電話を入れる。5分ほど経過したのち、「ドアの下から鍵を渡して!」と、外から声が聞こえる。その他、やんややんやと複数の声が聞こえる。ドアの小窓(?)から外をみると、なんだか無闇にたくさんの人がいる。

ちなみに鍵は、外からなら問題なくあいた。

ドアを開ければそこには、ガードマンが数名、大家夫妻が経営する会社の社員(会社はすぐ近所らしい)が3名、それから使いっ走りボーイズが数名ずらりと参上している。いくら人口が多いからって、そんなにたくさんの人が来なくたっていいと思うのだが、なんかこう、これがインド的なのね。

みなが「ああでもない」「こうでもない」と言い合いながら、のろのろと作業を進めて行く。それがインド。それを「あ〜もう、じれったい〜!」と、一刀両断せねば気が済まないのが、ちょっぴり短気なわたし。

鍵は、外から開けたあと、鍵を引き抜く際に、鍵穴と水平に引き抜けば問題ないのだが、ちょっと回転させると中で何かが詰まって、中から開けることができなくなるらしい。「これは最新式ですから」「水平に抜けばいいんです」と、また皆が好き勝手にやんややんやいう。

「わたしは絶対に、この鍵はいやです。新しい物にとりかえてください! そう大家夫妻にも伝えてください!」

もともと声が大きいわたしであるが、普段にもまして大声だ。だって、不器用なハニー(夫)が、毎度そんな器用に鍵を引き抜けるとも思えないし、ぐずぐず検討している時間もないし。

結局、大家夫人の手下(というか片腕)氏に、本日交換を依頼するよう確約する。その他、取り替えてもらったはずのシャワーヘッドの不具合や、便座カバーの取り付け不具合も直してもらう。

そうこうしているうちにも、電話会社の人が来るはずだ。今日は人の出入りが多い日だから、貴重品はクローゼットの中に入れておこう。と、ハンドバッグなどをまとめて入れ、鍵を閉めた瞬間、いやな予感。

開かない。また開かないよ!! 

他のクローゼットは全部開け閉めスムースなのに、なぜかわたしが使ったそこだけ、開かない! またしても、大家夫人の手下、というか片腕氏を携帯で呼び出し。彼は1時間ほども、あちこちの鍵を試していたけれど、ついには業を煮やして鍵を壊した。わたしだったら、5分後に壊していたね。

2802●最初に到着したのは電話会社のAirtelの社員2名。二人は英語を話せず、身振り手振りにて、交流。まずは家庭の電話線を設置。電話器も付いている。電話が開通したところで、同じ会社のインターネット接続担当者3名が登場。こちらはみな、英語が話せる。うち一人がもう、超キュートな青年。なのでみぽりん(わたしだ)、超親切。なことはどうでもいいか。ワイヤレスのインターネット接続の設定をしてもらう。またしても、みなでやんややんや言いながら、作業をしている。わたしのコンピュータは日本語と英語が交じっているので、わたしも床にしゃがみ込み、ここでもない、あそこでもないとあちこち設定画面を開いたり閉じたりしながらの作業。1時間ほどのち、無事にインターネットも開通。

2801●インターネットの接続をやっている最中にカーテン屋さん2名登場。店のマネージャー自らの参上だ。窓を採寸して、最終的な見積もりを出してくれる。わたしの予算のぎりぎり範囲以内に収まっていてお見事。仕上がりは木曜日に届けてくれるそうだ。すばやくていい。


2804●そうこうしているうちに、マットレスも到着。これが「背骨にいいマットレス」。ちょっと怪しげだけど、寝転んでみると、いい感じなのよ〜。隣に寝てる人が寝返りを打ってもまったく気にならない感じ。我々愛用の形状記憶なテンピュール枕と同じような作り。でも、テンピュールのマットレスよりも、もんのすごく安い。

なんだかんだで4時を過ぎ、ランチを食べ損ね、こんなこともあろうかと、ホテルの部屋から持って帰って来ていたリンゴやなし、みかんなどを食べつつ、掃除などをしつつ、家電店が登場するのを待つ。玄関を開け放ちて作業していたら、日本語が聞こえて来た。大家さんから噂に聞いていたが、お向かいさんは日本人駐在員ご一家なのだ。

お子様3名と奥様がいらしたので、ご挨拶。先方はいきなり日本語で声をかけられて、ちょっと驚いていた様子。簡単な自己紹介などをし合い、しばらく立ち話。すでに3年半、バンガロアに滞在していらっしゃるとかで、来年はご帰国の予定だとか。

「ちょっと、ご覧になります?」と、お宅へ通してくださったので、厚かましくも一瞬、おじゃまする。入り口の棚に、日本のTV番組のヴィデオがずら〜〜〜っと並んでいるのに驚く。日本の会社から支給されるらしい。すごい。目を丸くしているわたしに、「お貸ししますよ」。

落ち着いたらまた、ご一緒に、お茶でもさせていただこうと思う。


2803●さて、家電店の配達員2名が到着。英語可能なおにいさんと、不可なムスリムのおじいさん。バンガロアではヒンディー語がほとんど通じないとはいえ、せめてヒンディー語は習得せねばと思う。そうそう、ニューデリーから来る使用人は英語ができないから、なんとしても勉強せねばならんのだった。


2805●カリフォルニア時代、TVなしの生活だったから、かれこれ半年ぶりだ。ケーブルを引く手配をしなければ。DVDとヴィデオプレイヤーは米国から送っているが、変圧器使用でうまく見られるかどうか。


2806●冷蔵庫、TV、電子レンジ、そして洗濯機、すべて韓国のサムソン製でまとめた。メーカーの人が、後日デモンストレーションに来るらしい。インドじゃ家電などを購入すると「メーカーが後日ご家庭を訪問してデモンストレーションをする」のがどうやら常識らしい。このあいだブレンダーを買ったときも、「メーカーに電話をして来てもらってください」と言われた。人と人との交流が密なのね。

当初は4時から6時の間に来るはずだった家具店からあらかじめ電話が入り、6時以降になるとのこと。塗り替えを要していたため後日配送の予定だったTVスタンドも、まもなく乾燥して仕上がるからすべて一緒に納品するとのこと。「うちの社員、総出で向かいますから!」とオーナー。いずれにしても、待つしかない。

またしても米国話だが、米国で家具などを注文しても、配送予定時間に来ることなどまずなく、人を待たせた挙げ句、「明日になる」などと言われるようなこと、かつてはしばしばだった。ここ数年、サーヴィスも向上したが、ともかく、ひどいのが常識だから、あらかじめ電話で遅くなると連絡が入るだけで、もう満足してしまう。

そして本日のメインイヴェントである家具店の到着。総出とはいったい何人だろう。長身のマネージャ男性を筆頭に、一人、二人、三人……。合計10名の、そろいもそろって小柄な男衆だ。彼らが次々に、家具のパーツや椅子などを、部屋に運んでくる。マネージャと10人の小人、という感じの、まるで漫画でも見ているような光景である。

それにしても、部屋が家具で満たされて行くにつれ、言いようのない、感動がこみ上げてくる。思えば人生40年目にして、はじめて「まともな家具をひとそろえ」購入したのである。それも「100年、150年は持ちますよ!」と、言われるようなものを。うちは子供もいないし、そんなに長持ちしてくれなくてもいいのだけれど、まあとりあえず。

何もかもをおきざって来て、遊牧民みたいな暮らしを続けていて、けれどあの日、偶然にもこの店にであって、一生使えそうな家具に出会えたことは、本当に幸運だったと思う。何が幸運だったって、やっぱり、もんのすごく、お手頃価格だったことである。


2809●ダイニングテーブルを組み立てる。どっしりとした脚の感じがすてき。水平が完璧ではないけれど、まあそういうのも、ご愛嬌ね。


2810●キングサイズのベッドフレーム。4人がかりで組み立てます。あっというまに仕上がって行く。


2811●どこか、傷がついたところはありませんか〜? 絵筆と塗料を持って、部屋をうろうろする「塗り担当者」一名。汚れや傷を、その場で補修していく。

家具店が到着したころ、大家夫人の片腕プラスもう一名の片腕、計2名が、玄関の鍵の付け替えを終えた。片腕氏は、家具店の男衆に「ゴミはまとめて片付けるように」とか、「床を傷つけないように」などと、指示を出している。英語じゃないからよくわからないが、多分、そういうことを言っている。頼りがいがある感じ! とちょっとうれしい。

家具の組み立てその他が完了し、部屋の片付けを終えた頃には8時を過ぎていた。組み立てほやほやのダイニングテーブルに座り、マネージャと納品リストを確認し合い、差額分の支払いなどを計算して渡す。

8時をすぎ、ようやく一人になった。家具が入り、呼吸をはじめた部屋のなかで、はじめてのお湯をわかし、はじめてのお茶を飲む。長い一日だった……。と感無量である。が、いつまでもここで感慨に浸っている場合ではない。

明日から約2週間の、夫の出張用スーツケースを準備して、わたしも2泊分の荷物を用意して、今夜の宿、LEELAへ向かわねば。第一、昼食抜きでおなかがぺこぺこなのだ。タクシーを呼び、荷をまとめ、部屋を出る。すでに時計は9時をさしていた。

2005年11月15日 (火)

サイババに、呼ばれて決まったアパートメント

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物件探しを始めた初日、気に入った物件を見つけてはいたが、同じアパートメントビルディング内に、まだいくつか空室があるとのことを別の不動産会社を通して知った故、昨日再び下見に出かけたのだった。けれどやはり、初日の部屋が、いちばんいい。だから、今日中になんとしても契約をすませようと、夕べ夫及び義父と相談したのだ。

夫と義父は、今朝、知り合いの弁護士に契約書を見てもらい、3人はそのまま、大家夫妻と不動産業者と打ち合わせ。ホテルのカフェで延々と数時間、契約内容をすりあわせる。その間、わたしは部屋でブログを作ったりなどして、久々の休憩。

夕方、改めて物件を見に行き、関係者総出でアパートメント内をチェック。部屋の掃除はもちろん、シャワーヘッドや蛇口の取り替え、トイレの便座の交換、痛んだ箇所の修繕など、引っ越し前にやってもらうべきことを、大家に伝える。

10カ月分の家賃を前払いの上、彼らの提示額をほぼのんだ形だから、こちらも直してもらえる限りは直してもらおうという状況。それにしても、大家夫人はとても押しが強いが協力的で、仕事も早い。何が何でも契約をとっとと成立させたいらしく、携帯電話をじゃんじゃんかけては、その場で修理人を呼びつけて直させる。

ともかくは、占星術によれば、満月から3日間の今日、それからあさって金曜日が「いい日」らしいから、なんとしても今日には契約書にサインをさせたい模様。わたしたちにしても、早くまとめたいから異存はない。

一旦ホテルに戻り、ラウンジで、改めて書類を交わし合う。大家夫人は、サイババ信者でもあり、だから部屋の一画に、サイババの写真が飾られていたのかと納得する。

わたしはサイババに関して詳しくはないし、ましてや信者でもないけれど、がらんとした部屋の壁に貼られた、手を掲げたサイババの写真を見たとき、「わ、呼ばれてる!」と思ったのだ。

大家夫人曰く、吉兆を招きたいがゆえ、敢えて写真を貼ったままにしておいたのだという。

ともかくは、夜。すべての契約書にサインをし終え、小切手を切り、米国とは著しくことなる粘着的な経緯を経て、しかし極めて速やかに、契約成立と相成った。

大家夫人曰く、金曜日の、特に午前7時半から9時までが「いい時間」らしいので、その間、アパートメントを訪れ、「ミルク」を供えて、ちょっとした「お祈り」をしてくれるのだという。もしもわたしたちが来られるなら、ほんの少しでもいいから、何らか「引っ越す」という意味合いを込めて、スーツケースなどの荷物を持って来てほしいとのこと。

大家夫人と長年付き合っているという不動産会社の担当者は、わたしたちを気遣ってか、「無理に彼女たちに合わせることはないからね」とこっそり耳打ちしてくれる。が、郷に入れば郷に従え。別段、困ることが起こる訳ではないから、お祈りにつきあおうと思う。

ちなみに彼女は、家具や家電の買い物にも案内してくれるとか。ありがたく、手伝ってもらうことにした。そんなわけで、明日からはショッピングである。

なんだかよくわからないけれど、夫がなんと言おうと、わたしはここに来るべくして来ているという気がしてならない。

1601_1●物件探しをはじめて4日目にして、「住みたい!」と思った部屋に住めることになった。バンガロアの中心地。だけれど緑が豊かな一画。ご近所のことは、また改めて少しずつ、レポートしたい。

1604●大家夫人。見かけはあか抜けた雰囲気だけれど、異邦人であるわたしの手前でもまったく容赦なく、自らの信心路線を爆走する。契約書を受け取るときは、両手で。それからサインをするまえに、なにやらマントラのような言葉をメモ帳に数回記す。それから、黙祷。で、ようやく、恭しくサイン。小切手を受け取るときも丁寧に両手で。そしてテーブルの上に……。

1602●ハンドバッグから取り出した金色の小さなガネイシャ神の像をポンと載せた。「ガネイシャ神に立会人になってもらいます」と、微笑みながら彼女。なんかもう、笑いがこみ上げてくるが、笑っちゃ失礼だから我慢する。でも、彼らがわたしたちの引っ越しを、丁寧に受け止め、祝福を望んでくれている証でもあるわけで(多分)、妙に和むのであった。

大家さんとの対面など。

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今日は、初日に見つけたアパートメントの不動産業者を介し、大家さん夫妻とご対面。別の不動産業者も同じ物件を斡旋していて、同時期に、わたしたちを含めた複数の借り手が関心を寄せているらしく、気に入った物件を見つけたら即決した方がよさそうな気配。

「大家はインド人よりも外国人に貸す方を好む」と、あらかじめ不動産業者から聞いていたので、「きれい好き」として知られている「日本人」であるわたしはすでに、情勢優位であろう。

しかし、ともあれ、提示された額や条件を、そのまま飲むのは寛大すぎるはずだから、きちんと交渉すべきだと夫はいい、でも、それはわかるけれど、つべこべ言って他の人に持ってかれたらいやだと、妻は思う。そのあたりの案配、インド標準か、インド内国際標準か、見極めがつかない。

約束の時間に少し遅れて、ホテルのロビーに到着した夫妻。華やかな印象をまき散らし、好感度高い。事業を経営しており、バンガロアのこの界隈に昔から暮らし続けているという。

親類、家族の多くは米国暮らしで、しばらくは当たり障りのない世間話など。それから、インドの食や住まいや文化のあれこれを、かなり和気あいあいと語り合い、「インド内国際標準」なムードにちょっと安心。

「あの部屋、わたしは入った瞬間から気に入ったんです。方角や空気が、とてもいい気がして」

わたしがそういうと、大家夫人は大きくうなづく。

「あの部屋は、あのアパートメントコンプレックスの中でも、最もいいレイアウトなんですよ。風水、ご存知かしら? 風水にのっとって判断するに、窓の位置、バスルームなど水回りの位置、すべていいんですよ。あの部屋は、本当にいいんです」

そういう「いい話」は、ウェルカムなわたしは、「なんだかなあ」という顔をしている夫をよそに、「やっぱり!」と確信を強め、うれしいのである。

やがて本題に入り、具体的な内容をすりあわせる。契約の日程その他、スケジュールを相談する段になり、大家夫人がきっぱりと言った。
「12月1日以降は、物事を決定するのによくない星回りなんです。だから、今月、26日までがいい星回りなので、それまでに決めてほしいですね」

出た! 物事を占星術で判断する「インド標準」発言だ。星回り云々はさておいて、いずれにしても数日中に確定する予定だから、彼女の提言に異論はない。
さてさて、お互いに好印象、とみたが、油断はならない。今夜契約書を受け取ったあと、内容を熟読し、それから義父ロメイシュの知る弁護士に、明日の朝、内容を見てもらうことにした。うまくいけば、明日の午後には改めて内容を確認しあい、契約成立……。となってほしいところだ。

一方、夫のオフィススペース。ファンドを正式に立ち上げるまでは、一時的なレンタルオフィスを借りる予定だったが、どこもここも、「インド標準」で、米国の一流企業の一流オフィスを渡り歩いて来たエリート夫は、初日から疲労困憊、茫然自失。

「こんなラットホール(ネズミの穴)みたいなところで仕事できない!」
「ああもう、いくら急成長してるからって、インドはみすぼらしいインドだ!」

と、車に戻るたび、悪態をつき、深いため息。

数カ月のことなんだから、ちょっとは辛抱しろよ。ったくそんなこと、最初っからわかってたじゃん。と思うのだが、どうもだめらしい。これからホテル内の物件などをあたる必要がありそうだ。

まだまだ、定住までの道のりは遠いぞ。


2005年11月12日 (土)

部屋探し開始。早くも見つかった?!

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たっぷりのフルーツ、ドサ、そして南インドのコーヒーで朝食をすませる。
タオルハンカチに水を携え、いざ、排ガスいっぱいの町中へ!
まずはバンガロア中心地にて、夫のオフィススペースの下見、
それから数軒のアパートメント見学……。

午前中はいずれも収穫がなく、午後は町外れの新興ビジネス街(と呼べるのか)、コラマンガラ (Koramangala)へ。

ショッピングモール"Forum"のフードコートでランチを食べ、
その隣にある、高級アパートメントへ。
アクロポリスという名からして仰々しい、ギリシャ建築風のたたずまい。
部屋の感じは気に入ったけれど、通勤には遠いし、理想的とは言いがたい。

夕方、別の不動産業者と連絡を取り、再び町中の物件へ。
カニンガムロード沿いのそのアパートメントは、
わたしたちの好きなコロニアル建築の要素が鏤められていて、
緑いっぱいで、規模も小さく、町中なのにとても静か。

部屋の雰囲気もとてもよく、一目で気に入ってしまった。
まだ、確定ではないけれど、多分、ここに住むことになるだろう。

初日にして早くも、住みたい場所が見つかって、ひとまずはよかった。


1204●コラマンガラは、バンガロア市街南東部にあるIT都市。オフィスビルやアパートメントが続々と建築されている。この写真はアクロポリスという名のアパートメントの部屋から撮影。駐在員家族らが多く住んでいるようだ。

1206●スパイシーな香り漂うショッピングンモールのフードコートにて、ドサなどでランチ。意外においしかった!

1201_1●今日、最後に訪れたアパートメント。ドアを開けた途端、「ここだ!」と思った。でも、大家さんとの契約のやりとりなどがあり、即確定というわけにはいかない。どうかこの部屋に決まりますように!

2005年11月11日 (金)

新たしき、日々のはじまり

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1111と、1が4つも並んで、始まりに相応しい日。
小鳥のさえずりで目を覚まし、
と言いたいところだが、カラスのけたたましい叫びで叩き起こされ、
ヨガをして、シャワーを浴びて、一日をはじめる。
携帯電話を手配したり、不動産業者へアポイントメントをいれたりと、
インド生活の準備開始だ。


1104滞在しているのは、南国の豊かな緑に包まれたTHE TAJ WEST END。コロニアル建築の、クラシックな雰囲気に満ちたホテルだ。随所に瑞々しい花が生けられている。

1105夜、義父ロメイシュとその妻ウマがやってきて、一緒に食事。THE TAJ WEST ENDの一画にあるベトナム料理店、Blue Ginger にて。

1107毎度おなじみ、キングフィッシャービアで乾杯!

2005年11月10日 (木)

ついに到着! バンガロア

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ずいぶんと時間をかけて、ようやくたどり着いたバンガロア。
深夜の空港は、いつものように煌々と灯が点り、
欧州からの飛行機も到着し、活気に満ちあふれている。
市街を覆い尽くす排気ガスも、夜は晴れて、
秋の、軽くやさしい風が心地よく吹き抜ける。
出迎えてくれている、ホテルのドライヴァーにようやく、
山ほどの荷物を託して、
渋滞のない夜の道を、ホテルに向かって走り行く。
もう、旅行ではない。
アメリカに、帰る場所はない。
ここが、わたしたちのしばらくの、帰る場所になる。
……変な感じだ。

1018長旅の果て、うすら汚れた、というかどよんとしている我ではあるが、この山ほどのスーツケースに、引っ越しの臨場感が出ているかと思い、敢えて載せるのである。

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一方、散髪して妙にすっきりした雰囲気のハニー。到着したTaj West Endの部屋のバルコニーで、ウェルカムドリンク(スイカジュース)を飲んでいるところ。ちなみにわたしは、パイナップルジュース。