今年に入って、10日。
毎日が、しっかりと、している気がする。
アーユルヴェーダグラムでリフレッシュしてきたばかりで、心身の調子がなかなかによいのも理由かもしれない。
仕事も、昨年末に始めた英語の勉強も、日々の雑事も、無駄なく丁寧に、の心がけが生きている。が、今年からジャーナルの体裁を変えたことも、その理由の一つかもしれない。
これまでは、見開きで1週間を見渡せるタイプのスケジュール帳と、メモ用のノート2冊を持ち歩いていた。
今年は、見開きで1週間のほかに、1日1ページの記入欄があるジャーナルを買った。重量感があるのでこれまで避けていたタイプだが、通販の注文ミスで届けられたのだった。
しかし、これは怪我の功名であった。
特別なインタヴューや取材などがない限り、メモ用のノートを持ち歩かず、これ一冊のみを持ち歩くことにしたのだ。
1日1ページのスペースがあると、その日の行動予定だけでなく、思うこと、メモ、TO DO LIST……あれこれたっぷりと綴ることができる。一日の終わりには、ページの下部に、簡単な日記も記せる。
自分の一日一日が、実によく見渡せる。
スケジュールノートが大好きなわたしは、自分が使いやすいノートの体裁を、自分でよくわかっているつもりだった。
しかし、望まずに手に入れたものによって、暮らしの有り様がささやかにでも変わった、というところが、新鮮な驚きだ。
■ようこそ、『インド発、世界 2012』へ
ご挨拶が遅れましたが、今年もまた、心機一転、新ブログへようこそお越しくださいました。縁あって、あえてここまで来てくださった皆様、今年も坂田のインド発レポートを、楽しんでいただければ幸甚です。
ところで、「なぜ、毎年ブログを変えるのか」と尋ねられることが、ある。特に、新年のこの時期。
「なぜ?」という素朴な疑問もあれば、「変えない方がいいのでは?」という助言、あるいは「読者の手間を考えていない」という不満など、さまざまである。
毎年変更することで、一気にアクセス数が減ることも、検索エンジンにかかりにくくなることも、ブックマークの変更で読者がひと手間かかることも、あるいはリンクをはってくれている方にとって不都合だということも、なにもかも承知している。
承知した上で、自分なりに理由があり、やりたいようにやっている。
ブックマークが面倒な方は、その程度の関心しかお持ちでないのだから、仕方がない。
そら、多くの方々の目に触れる、という意味では、検索エンジンにかかりやすいほうがいいかもしれないが、読者数が多ければいいというものでもない。
それもこれも、あなたもわたしも、つまるところ、縁(えん)である。
わたしは、ブログという媒体を使って日々をインターネット上に発信しているが、自分を「ブロガー」とは思っていない。
わたしは「ライター」であり、ライターが、仕事とは別のところで、「書きたいという衝動」から、個人的な視点で書いているだけである。
とまあ、新年早々、理屈っぽい話は鬱陶しかろうということで、このへんにしておこう。
■「灯台下暗し」を打破するこの1月の予定
上にも記しているが、今週末は、ここカルナタカ州のフブリという場所へ、夫と共に、カンファレンスへ訪れる。カンファレンスの詳細については、後日別途記す。
そのフブリから、世界遺産のハンピまでが比較的近いので、1日早めに現地入りして、ハンピ観光をすることにした。
ハンピには、世界遺産に指定されている都市遺跡がある。バンガロールに住んでいながら、ここを訪れたことがないとは、いかがなものか。と思っていたので、いい機会である。
そして月末には、ついに隣国スリランカへの旅が実現だ。バンガロールから空路わずか1時間半という至近な国ながら、わたしは今まで一度も訪れたことがなかった。
去年の年初は、エローラ&アジャンタの遺跡巡りをたいそう楽しんだ。今年も年初から、スリランカで仏教遺跡を見られることが、本当にうれしい。
ついでにいえば、アーユルヴェーダグラムで(今更のように)読んだインドの神話、「ラーマーヤナ」において、南インドやランカ(スリランカ)が物語の舞台に不可欠であることを知った。
「ラーマーヤナ」について思うところがたいそうあり、これについても改めて綴りたいところだ。
上の写真は、昨夜の夕餉。義姉スジャータの手料理だ。IIS(インド科学大学院)キャンパスにある彼らの住居を訪れた。
毎年、米国から帰国している親戚の青年ラホール、義兄ラグヴァンの弟家族、近所の教授仲間、ヨガ仲間のミュージシャン、米国から長期出張に来ている友人一家……。
顔なじみの面々が再会しての、楽しい宴であった。
スジャータの手料理。夕べは変化球で、「ビルマ風ヌードルスープ」が主役である。ココナツミルクの風味が利いた、ユニークな一品。スイーツも用意されていて、美味であった。
『ローカルフード探検隊』の「隊長」には飽き足らず、今年からは、『MUSE BAR』のママという肩書きも加わった。
それと、昔から『SALON DE MUSE』のマダムでもある。なんなんだそれは? とお思いであろうが、まあ、なんでもありである。
昼間のお茶会ではマダム。飲み会ではママ。ローカル飯屋では隊長。誰かがうっかり呼び間違えて「番長!」と言っていたが、それはないので、念のため。
ところで上の写真は、リヴィングルームを「バー風」にアレンジした様子。中央に例のバーカウンターを据えて、「飲み」の世界を演出である。
ママは途中から面倒になって、大したものも作らなくなってしまうのが困りものだが、今後はカクテルのヴァリエーションも増やしてみようかしらん、と思う次第。
■パンジャビ夫の真実を知って愕然とする英語クラス
今日、一番書きたかった話題は、この話題であったのに、もう時間切れだ。
昨年末から英語の家庭教師に来てもらっているのだが、彼女のバックグラウンドや出自に、わが夫の家族親戚に重なるところがあり、勉強以外に学ぶことも多い。
今日はパンジャブ地方の人々(わが夫の出自もそう)の「典型的な」男性優位社会(優位というより、「甘やかされ」)のこと、一方、南の女性優位な社会のことなどを知った。
その上で、わが夫に対して、常々、「これはないだろ」と思っていたことが、アルヴィンド独自のものではなく、「パンジャビ夫の典型である」ということを知って、もう、目からウロコな授業であった。
夫婦関係に大きな影響を及ぼすほどの。
この件については、時間とエネルギーのあるときに、一気に書いておきたいと思う。