便宜上、旅した日に合わせて「1月23日」と設定しているこの記録。しかし現在、すでに2月1日。スリランカから戻って数日がたち、あっという間に日常のどたばたの渦の中だ。
買い物に打ち合わせ、ローカルフード探検、会食……と、旅愁に浸るまもなく「インド的日常」が押し寄せている。
諸々、時間も押している。
というわけで、なるたけ文章少なめに、を自分に言い聞かせつつ、スリランカ旅の記録、とっとと仕上げたいと思う水曜の午後だ。
■湖畔のホテルをチェックアウト。ふりふりサリーの実態
2泊滞在したホテルをチェックアウト。結局、アーユルヴェーダのトリートメントも受けずじまい。
去り際、チェックインするゲストを歓待する踊りが披露されていた。その際に、スリランカ的サリーを着用のスタッフ女性を発見したので、撮影させていただく。
ご覧の通り、ウエストの周辺にひらひらのプリーツが添えられた女子的な着こなしだ。袖もふんわり提灯袖(!)で、益々ガーリーである。
調べてみたところ、このキャンディアン・スタイル(キャンディという街の名前に因んでいるのか?)、インド同様、普通に長方形のサリーを用い、着用時に自分でプリーツをつけながら着る方法が紹介されていた。
しかし、スリランカンエアのフライトアテンダントや、この女性が着ているのは、どう見ても、スカートとブラウス、そしてストールが3点セットで分かれているように見える。
スカートにはあらかじめフリルが縫い付けられている塩梅だ。正確なことはわからないが、インドのレンガチョリー的3点の組み合わせのように見える。
若い女性向けの着こなしに見えるが、旅行中、ふりふりをつけたサリーを着用している老婦人を何度か目撃した。年齢は問わないようである。
■スパイスガーデンを見学。アロマオイルなどを買い求める
本日はスリランカ中部を南下して、セイロンティの故郷であるヌワラエリヤを目指す。道中、スパイスガーデンがあるというので、ドライヴァーから立ち寄るよう勧められる。
インドのスパイスと重なるものも多々あったが、栽培されている状態を見たことがないものもいくつかあり、興味深い。
こちらは、インドでも産されているところのヴァニラビーンズ。先進諸国では高価なヴァニラビーンズだが、インドでは廉価で手に入るのが魅力。菓子作りに欠かせない。
ガイドとして庭を案内してくれていた、スリランカ人にしては恰幅のいい(肥満体の)お兄さんが夫に向かって言う。
「このパイナップルとハチミツなどをまぜた濃縮ドリンクが、メタボリズムを高めてくれるんです。ダイエットにいいんですよ!」
確かに夫は肥満だ。
痩せて欲しいと妻は思う。
だが、ガイドの兄さん。
人のことより、まず自分のことが先決では?
と心の中でつぶやいた瞬間、彼は言った。
「僕はこれを飲んで6キロ痩せたんですよ!」
そう言いながら、得意げに、身分証明書を見せてくれた。
そこには、現状よりさらに二重あごがダイナミックな彼の写真が!
密かに、ウケた。
香りのよいアロマオイルもあれこれと。インドでも手に入る物が大半だが、ロータスオイルというのは、初めて。それからありがちなローズオイルも、その香りのよさに、ついついひかれた。
何もかもが高い。
ツーリスト向けのハーブ&スパイスガーデンが点在するこのエリア。
多分、どの店も同じような値段設定なのであろう。
インドで廉価で入手できるものを、わたしたちが敢えてここで購入することもない。
とはいえ、ロータスとローズの香りはとても気に入ったので、小さめのボトルを2本、購入したのだった。ダイエットに効果的らしいパイナップルドリンク(高価!)は、却下である。
ひたすら片側一車線の道路をのんびり走る。たまに小さな街を通過する。確かこのあたりだったろうか、ベーカリーや食料品店の店頭に、円盤形の素焼きポットが積み重なっているのを目にした。
まさかあれは、ヨーグルト?
と思いドライヴァーに尋ねたところ、そうだとのこと。遠目に見る限りで、写真すらないのだが、そのポットは直径が20センチ、高さが7センチ、といったところ。
見るからに「おいしいに違いないムード満点」な土地の名物ヨーグルト、という印象だったが、車を停めて、ヨーグルトをどか食いするわけにもいかず。
どこかでまた出合えるだろうと思ったが、以降、見ることはなかった。
午後1時を過ぎたころ、車は仏歯寺で有名な仏教の聖地、キャンディに接近。既述の通り、今回は立ち寄らないと決めたことから、渋滞を避けるためにも、街を迂回する。
その途中、川辺の眺めのよいレストランでランチをとることにした。
先ほど見かけたヨーグルトのことが頭から離れず、つい、ラッシーを注文。インドと同様、
「甘さ控えめで!」
とお願いしたら、本当に控えめでおいしいラッシーであった。料理は「ライス&カレー」を注文。
これもすでに記したが、インドと異なり、スリランカでは「ライス&カレー」という定食的メニューがあることが新鮮である。
今回の旅では、どの店にも魚や鶏肉といったノンヴェジのカレーが用意されていた。ダルはインドのものよりも汁気が少ない。そして例の青菜料理もある。
毎度毎度、本当においしい。
■ヌワラエリヤ Nuwaraeliya: セイロンティーの故郷。重苦しい歴史に支えられる茶産業
やがて、車や山道をくねくねと奥深く入り、周囲の緑の様子が、その表情を変え始めた。今回の旅行前、夫がヌワラエリヤに行くと周囲の人に言ったところ、
「今は寒い時期なのに?」
と数名から言われたらしいが、言うほど寒くない。
朝晩は冷え込むとのことだたので、フリースやジャケットも、実は持参していたのだが、結果的には一度も着用する機会がなかった。
山肌に、黄緑色も鮮やかな茶の葉が、一面に。なんとも言えず、潤いに満ちた光景だ。いくつものエステート(茶園)が存在することは、その看板などを見るだけでわかる。
インドやスリランカにおける紅茶産業は、英国植民地時代の賜物だ。
そもそも中国が茶生産の中心地であった時代、英国は、茶の需要の高さをして、インドやスリランカでの栽培を開始することを決めたという。
1834年、英国政府は、北インドのアッサム地方に調査団を派遣。当初は中国原産の茶樹を植樹する予定だったが、アッサムで原生の茶樹を発見。その茶樹をもとに茶園づくりのための研究が開始された。
その後、数十年に亘り、北インドのダージリンや南インドのニルギリ高原などで、中国産茶樹による茶栽培の研究、開発が進められたという。
研究の成果は徐々に実り、いくつもの茶園が作られ、やがてはインド産紅茶(ブラックティー)が、大量に生産されるようになる。
現在のスリランカであるセイロンも英国の手により、茶の一大産地に成長した。
と、こうして事実の一部だけを書き上げると、なるほど英国のお陰で、わたしたちはおいしい紅茶を味わえるわけだ、と思ってしまう。
しかしこの、茶園開拓の歴史には、悲惨な史実が伴っている。
当時の英国人支配者たちは、茶園の開拓に従事する労働力として、南インド居住のタミル人を強制移住させた。
半ば奴隷のように連れてこられた彼らによって、この豊かな茶畑は育まれたのである。
スリランカにそもそも暮らしていたシンハラ人(仏教徒)、英国によって奴隷として連れてこられたタミル人の子孫(ヒンドゥー教徒)との軋轢。
つい最近にまで至っていたスリランカ内戦の発端は、この茶園開拓に端を発している。
ざっと資料を読む限りでも、それはそれは、凄惨な殺戮の歴史が横たわっているのがわかる。
どの宗教が穏やかで、どの宗教が暴力的、などということは、本当に言えないな、と思う。
宗教の相違などを超えたところの、人間そのものに潜む残虐さを突きつけられるような、大量虐殺の事実など。
夫から、資料の記述、要点を説明してもらうだけも、ぐっとくる。
……と、茶が苦くなるので、暗い話はこの辺にしておこう。
※旅の最中にはまだ知らなかった克明な真実を、帰国後のリサーチで知ることになった。手放しでスリランカがすばらしいと言えなくなるほどの、つい数年前まで行われていた、それはそれは凄惨な民間人殺戮の事実。特にインド人である夫にとっては、衝撃の強いものだったようだ。この件については、また別の機会に考えをまとめて、記せればと思う。
夫が勧める茶園へ行く前に、ドライヴァーが勧めてくれたエステートで車を降りた。スリランカ産の紅茶の大半が輸出用ながら、この茶園ではほとんどを国内向けに生産しているという。
他に見学者は誰もいない中、若い女性スタッフが、工場内を案内してくれる。茶の製造や茶の種類などに関する説明は、ここでは割愛する。
それよりも書き留めておきたいのは、女性スタッフの様子についてだ。
夫とわたしたちがインドのバンガロールから来た、と言った途端、彼女の目はぱっと輝き、
「タミル語を話せますか?」
と夫に問う。バンガロールはカルナタカ州でカンナダ語が主流だが、隣接するタミルナドゥ州のタミル語を話す人も多いのだ。
事実、我が家のメイドのプレシラ、ドライヴァーの新アンソニー、いずれもタミル人で、タミル語を操る。
夫が、
「僕はパンジャブ出身なので、タミル語は話せません」
そういうと、あからさまにがっかりとする彼女。
「本当に、なにも話せないの?」
と尋ね返して来る。インドに暮らすインド人と、タミル語を話したいのだ、ということがストレートに伝わってくる。
工場見学の合間に、夫が控えめに尋ねれば、彼女の祖先は強制移住させられたタミル人であり、先祖は壮絶な苦労を強いられたとのことである。
スリランカに限ったことではなく、インドでもそうだが、現在の日常が、遠い過去の歴史から分断されることなく、連綿と連なりながら、百年前も二百年前も、すぐそばにあるような心持ちにさせられるのだ。
翻って日本を思うとき、1945年以前からばっさりと、過去が過去として見えてしまう。そう感じるのは、わたしだけだろうか。
現在の日常から、1945年以前の匂いを感じることが、あまりないように思うのだ。それがいいとか悪いとか、そういうことはさておいて。
工場見学のあと、ティールームでオレンジペコーを1杯。爽やかな風味。おいしい。
太陽も傾き始めて、さて、もう少し車を走らせ、夫が行きたがっていたエステートへと急ごう。
車を降りるや否や、「なんて素敵な場所!」と口にせずにはいられない、それはラヴリーな光景である。
山間に広がる茶畑。色とりどりの花。そして、「ここはコッツウォルズ?」と言いたくなるような、英国ムード満点のティーハウス。
1841創業の、マックウッズという名のエステート。夫のリサーチに狂いなく、いい感じのエステートだ。
■MACKWOODS:日本語のサイト (←Click!)
エリザベス女王への献上品である最上級の紅茶なども展示されている。
ここでも工場見学を行ったが、詳細は省く。紅茶製造について興味のある方は、さまざまなサイトで説明がなされているので、ご確認いただきたい。
見学のあとは、ティールームへ。ここではゆっくりと時間をかけて、紅茶を味わうことにした。出されたチョコレートケーキのおいしさにも感激だ。
最初は、味見を兼ねて1つ注文したのだが、一口食べたらおいしくて、追加でもう1皿頼んだ。
帰りにショップで紅茶を購入。驚くほどに廉価で驚いた。帰国時に空港で、2倍以上の値段で売られていた。
思えば初めてインドを訪れた2001年。夫の故郷デリーにあるスンダナガールマーケットの紅茶専門店でダージリンティーを買ったとき、そのおいしさ、そして安さに感動したものだ。
スリランカもまた、そうなる日が近いのかもしれない。
だからといって、買い込みすぎるのもいかがなものか。
というわけで、お土産に、自分たちにと、適量を、購入したのだった。
さて、今夜の宿もまた、夫のセレクトによるもの。
ヌワラエリヤには、英国統治時代の歴史的な建造物が数多く残ってるようで、当時の別荘などを改修して作られたホテルがいくつかあるようだ。
わたしたちがチェックインしたのは、セント・アンドリューズという名の宿。1985年に建造されたのち、さまざまなオーナーによって住まわれてきた。
古い建物のエレガントさを保ちつつ、使い勝手がいいように適宜、手が加えられている印象を受ける。さほど寒くはないので、暖炉に火が入っていないのが残念。
チェックインの準備をしている間、出されたのはウェルカムスープ。
豆のポタージュのようである。
寒くないとはいえ、気温は下がっている。
温かなスープでの歓待はうれしい。
なんと静かで、雰囲気のいいところだろう……
と優雅な気分に浸っていたのも束の間。
ツアーバスが到着して、大勢のゲストがどやどやと入ってきた。
けたたましい中国語にムードは一転。そそくさと、部屋に退散するのであった。
どの国の誰がどうとは言うつもりはないが、「郷に入れば郷のムード壊さず」。
わたしたちも、どの場においても、周辺の調和を考えつつ、他のゲストの心情にも配慮しつつ、写真の撮り方ひとつをとっても、他者の迷惑にならぬよう、静かに行動したいものだと思わされる旅の途中だ。
部屋は潤沢なスペースがあり、普通に快適。ロフトには更にベッドが二つあり、家族連れに好適なスペースだ。
ただ、古い建物のせいか、壁が薄い。
自分の部屋で見ているくらいの音量で、隣室のテレビの音が聞こえてくる。これには辟易したので、フロントに連絡し、ヴォリュームを落とすよう頼んでもらったのだった。
ダイニングルームもまた、重厚な内装で落ち着く雰囲気。だが、数組の各国団体客が押し寄せて、たちまち満席大賑わい。あまりゆっくりするムードでもないので、手早くブッフェを選んだ。
スリランカ料理のコーナーのほか、肉類の料理も潤沢。豚肉のハチミツ煮が気に入った。
それはそうと、サラダブッフェのあたり、同じような野菜のサラダが並んでいて、プレゼンテーション的にはあまり見栄えがしなかったのだが……。
レタスやインゲン、ブロッコリーなど、野菜類を口にしてびっくり。「なぜ?!」というくらいおいしいのだ。
スリランカ料理には目もくれず、ひたすらサラダ、そして気に入った豚肉を少々、そしてポテトのグリル(これまた美味!)を味わう。
この野菜のおいしさは、間違いなく自家栽培であろうと思い、ウエイターに尋ねたところ、やはりそうだとのこと。
ホテルの裏手に畑があり、オーガニックの野菜を栽培しているのだとか。
素材がおいしければ、ややこしい調理などせずとも本当においしいものだな、と改めて思いつつ、幸せな晩餐であった。
ところでコッツウォルズ。どんなところか関心のある方、過去の旅記録をぜひご覧ください。いいところですよ〜。
■英国ロンドン&コッツウォルズの旅 (←Click!)
↑BIBURY, COTSWOLDS 2005/7年前の写真も、まるで昨日の記録のように、色あせないまま瞬時に取り出せる。インターネットってすごいものだなと、改めて思う。