■シンハラジャ Sinharaja: 熱帯雨林の一隅を歩く。そして、奴にやられる。
バサバサッ、とシーツをめくるような、大きな音で目が覚めた。夫が起きたのかしら、と確かめるに、まだ寝息をたてて眠っている。
どうやらそれは、ロッジの天井に舞い降りた、大きな鳥の羽根の音だったようだ。時計を見ると、午前4時半。まだ眠れる。
次に目覚めたのは6時。アラームクロックで起こされた。
蛇口からちょろちょろと流れ出る、冷たい水で顔を洗い、身支度をして、分厚い木のドアを開ける。朝靄に包まれたあたり。ここは、雲の上だ。
夕べはまったく見えなかったが、左上の写真が、宿泊施設だ。屋根の上にも草が茂っていて、本当に自然と一体化している。
鳥のさえずりばかりが空気を貫く、静かな庭。そこから脇道を出れば、見事な眺望が広がっている。
山間(やまあい)にたなびく雲海。茫然と眺めていると、夫もやってきた。二人無口に、眺め入る。
相手が相手なら、
「来世もまた、あなたさまと出会いとうございます。あの木のたもとで、いつまでも、お待ちしております」
くらいのことを、言ってしまいたくなる光景だ。
刹那、夏目漱石の『夢十夜』の、第一夜を思い出す。
「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。
「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」
はじめてこのくだりを読んだ高校生のわたしには、「百年」という歳月が、途方もなく長く感じられたものだ。
しかし、今、百年と聞いても、さほど長いものではない、とさえ、思ってしまう。
「次に生まれ変わっても、わたしに会いたい?」
……。
……。
おいおい、即答しようよ、即答!
黙るなよ、そこで!!
と、夫は口を開いた。
「ミホ。……次はなんに生まれ変わるわけ? それがわからないと、見つけられないよね。……昆虫?」
こ、昆虫……?
ああもう、聞くんじゃなかった。
有り難き幽玄ムード、ぶち壊しである。
さて、「来世は昆虫?」の妻は、フルーツたっぷりの朝食を目にして、たちまち「視覚的幸福感」に満たされる。
オムレツやトーストもつくのだが、トレッキング前なので、たくさん食べ過ぎるのもよくないだろう。というわけで、フルーツだけを食することにした。
ところで熱帯雨林系ジャングルを歩く時に気をつけなければならないのは、「ヒル」の存在。
思い返せば、人生初めての熱帯雨林、マレーシアはボルネオ島のキナバル山をはじめ、ハワイのカウアイ島、南インドのカビニやクールグなどで、ヒルに遭遇してきた。
足首の締まったパンツをはき、ソックスを2枚重ねにするほか、ヒル対策用の大きなソックス状のものなどを宿で借りるなどして、防御してきた。
今回も、このトレッキングのためだけに、山歩き用のパンツとスニーカーを持参し、準備万端に整えて出発したのだった。
あらかじめ手配しておいたジープがホテルに到着したところで、午前6時半、ホテル出発。まずは森林保護区のオフィスのようなところで、入場料を支払う。
そこから更に荒々しい山道をジープで上り、トレイルの入り口に到着した。
実は、ツアー会社やホテルの人からは、入り口まで30分ほどかけて歩けると聞いていたのだが、時間を節約する意味も含め、ジープを頼んでおいたのだった。
これは大正解だった。
徒歩で訪れたら、間違いなく30分以上かかっていた。
インドのジャングル関係に比べると、ここはまるで米国の国立公園のように、雰囲気が整えられている。大したことではないのだが、小さな心遣いが見られるのだ。
率直に言えば、わたしたちにとって、このトレッキングは、確かに気分転換になったし、楽しかったけれど、わざわざ来るほどのことではなかったな、という結論だ。
というのも、鳥を見るための双眼鏡などを持参するほどの鳥ファンでもないため、飛び交う鳥を目視できない。
むしろ、バンガロールの自宅の庭の方が、バードウォッチングに好適である。
「巨大な木」とされている木を見ても、米国の、たとえばヨセミテ国立公園の超巨木な「ジャイアントセコイア」などを間近に見てきたせいか、さほど大きくは感じない。
今、過去のアルバムを見直していて思う。やっぱり、アメリカ大陸のダイナミックさは、強烈だな。と。
参考までに、ダイナミックなセコイアの写真は、こちら(←Click!)の下部にあります。
といったことは、あくまでもわたしたちの個人的な所感であり、森に詳しい人にとっては、ここならではの魅力を大いに感じることだと思う。
逆に言えば、他の国に行かずとも、この小さな島国で、さまざまな魅力を一度に体験できる、という言い方もできる。今回のわたしたちの旅のように。
小さな島国で、起伏に富んだ豊かな自然。と言う意味では、ニュージーランドに共通するところがあるかもしれない。
サイズ的には、台湾もまた、似たような印象だ。どちらも、表情豊かな自然の光景を見せてくれる島国だ。
上の写真、よく見てくださいね。木の葉と同化している爬虫類。硬直している姿がキュート。
澄んだ空気の中、ガイドに案内されて約3時間ほど、森を歩いたのだった。バンガロールの日常生活では、「森歩き」どころか「街歩き」もままならない道路交通事情につき、旅の途中の散策は、不可欠である。
夫は特に、わたしよりも歩く機会が少ないので、こんなときこそ、張り切って歩くのである。
トレイルの入り口から、山の麓まで、最初はジープで下っていたが、あまりのラフロードっぷりに、むしろ歩いた方がいいだろうということに。
ジープには下で待機してもらうことにして、日差しが強くなり始めた山道を、歩く。
★ご注意★ 下記、爽やかさに欠ける事態が、かなり克明にレポートされております。飲食中の方など、次の写真まで一気にスクロールされることをお勧めします。
歩き始めた直後、夫がわたしの後ろ姿を見て、言う。
「ミホ、太もものあたり、なんかついてるよ。木の実か、なにかの果汁?」
え? っと振り返り。足の付け根を見たところ……
それは直径7センチほどの……血痕!!
ま、まさか、ヒルにやられたの?! なんで? どうやって太ももに入ったの? 足首の防御は万全なのに?!
ダイナミックな血痕にヒルんで、いや、怯んで、山道のど真ん中でズボンをずりおろして(失礼)、首の筋が違えるくらいに振り返って確認するに、太ももが、血まみれ。
いや〜〜〜〜っ!
血を吸われるだけで、よほどのことがないかぎりは、実害はないとはいえ、気持ち悪いし、いや。
アーユルヴェーダや中国漢方では、悪い血を抜くために、あえて患部の血をヒルに吸わせる治療法もあるが、だからって、この状況は、いや。
それにしても、なぜ、太もも?
そこで思い当たったのが、トレッキングの途中で入ったトイレ。トレイルの途中に、そこそこきれいなトイレが設置されていた。
「森の中に、きちんとトイレがあるなんて、インドじゃ考えられないな〜」
などと感心しながら、呑気にしゃがみ込んでいたわたしが阿呆だった。
多分あのとき、床に待機していたのであろうヒルが、わが太ももにジャンプしたに違いない。嗚呼。
ヒルって、ジャンプするのね。忌々しすぎる!
そんなわけで、今後、熱帯雨林を歩く機会のある方、おトイレ時には、ご注意を。
苦みを伴う結末となったトレッキングを終え、ホテルに戻り、シャワーを浴びる。ズボンを洗う。そして荷造りをする。
一段落して、ふと、部屋を見渡せば、なんだか結構、いい感じ。というわけで、気を取り直して写真を撮ってみたりする。
雰囲気がいいだけに、プールでひと泳ぎして、くつろいで帰りたいところだが、今日も結構な距離を走らねばならず、そんなにのんびりしている場合でもない。
サンドイッチとサラダ、そしてジュースで軽いランチをすませる。
隣のテーブルに、英国から訪れた老夫婦が座っていた。挨拶を交わす。
世界各地の旅先で思うことだが、欧米の「旅する老夫婦」には、タフな人たちが多い。
老夫婦にも関わらず、きつめの旅程をこなすうえ、体力勝負なトレッキングなどをやっている人によく出会うのだ。
彼らもまた、これからトレッキングに出かけるという。
しかもジープは頼んでいないという。
この時間の炎天下、トレイルの入り口にたどり着くまでに疲れるに違いない。心配した夫とわたしが、「ジープを頼んだ方がいいですよ」と、アドヴァイスをしてしまったくらいだ。
タフな人たちだからこそ、旅に出るのだ。と言えばそれまでかもしれないが。
ともあれ、そういう高齢者を見ていると、わたしもまだまだ、これから何十年も旅を楽しめるのだ、そのためにも健康第一だな、という気分にさせられる。
ロッジから山道の入り口まで、歩いて下ることにした。このあたりにもまだ、茶畑が広がっている。
今回の旅、スリランカの地理を強引に九州の地理に重ねて例えてみるに……。
出発地点のコロンボは、熊本の八代あたり。
コロンボから直行したダンブッラの遺跡は阿蘇山周辺。
茶葉の一大産地ヌワラエリヤは宮崎の霧島、えびの高原。
そしてこのシンハラジャ森林保護区は鹿児島の桜島。
旅の最終地点であるゴールは鹿児島の開聞岳&指宿温泉。
といったところだ。
なお島の北部、即ち長崎、佐賀、福岡、大分の臼杵あたりにかけての一帯は、内戦による殺戮が展開されてきた、たいへんな場所である。
で、何が言いたかったかといえば、茶畑は、宮崎県のみならず、鹿児島県にも及ぶ、改めて広大な地域であるということだ。
ホテルまであと200メートルなのに! の地点。
このような道が、昨日の夜、我々の進路を阻んでくれたのだった。
ぱっと見たところによると、たいしてラフには見えないのだが、一般の自動車には堪える悪路である。
さて。今日のルートは、桜島からぐっと西に走って海岸線へ出て、坊津経由で指宿温泉だ。
ルートが見えているだけ、気分が楽。というわけで、またしても、途中でキング・ココナツである。
やがて、山道が終わり、まっすぐにのびる道を走ることの、なんとほっとすることか。目にも麗しい田園風景が広がり、改めて、緑の豊かさを感じつつのドライヴである。
この枝葉はシナモン。茎の樹皮を剥がして、少し噛んでみると、シナモンの香りが広がる。
このシナモンもまた、東インド会社なオランダが、この国に侵攻してきた理由の一つであった。
荷台に人々が乗っている風景。インドでもよく見る風景。しかしながら、乗っている様子が、妙にさまになっていて、なんだか「クール」だ。
途中で、スリランカの伝統工芸のひとつであるところのマスク(お面)の工房を訪れた。すでに夕刻で作業場の見学はできなかったが、閉店間際の店舗を見せてもらう。
クジャクをモチーフとした、色味を抑えたお面を一つ購入した。それはまた改めて、別の機会に紹介しようと思う。
海辺の道を南下している最中、日本の国旗が目に留まったので、車をとめてもらった。
津波本願寺佛舍。津波の被害者を追悼すべく建立されたという。
2004年12月26日。スマトラ沖大地震により発生した大津波。各国、各地に甚大な被害を及ぼした。
インドネシアをはじめ、タイ、インド、ミャンマーなど多くの国が多数の死者を出したが、このスリランカでも、3万5千人以上が亡くなったという。
特にこの海辺の被害はすさまじかったようだ。ちょうどこのあたりで、列車の転覆事故が起こり、多くの命が一瞬で奪われたとのこと。
我が家のメイドのプレシラは、津波の際、家族の故郷であるチェンナイに帰省中、被害にあった。迫りくる波から逃れ逃れて、命からがら、丘の上まで走ったという。
その後のすさまじい光景のことは、今日はここでは記すまい。
■ゴール Galle: 旅の最終地。植民地時代の面影残す海辺のフォートへ。
やがて、太陽は沈み、あたりが闇に包まれるころ……。ゴールの街が近づいてきた。
今回の旅で初めて目にする、「賑やかな街の夜」だ。駅前には人々が行き交い、寺院の照明もきらびやか。延々1車線だった道路は2車線となっている。
わたしたちが滞在するのは、ゴールの街の中にあるフォートと呼ばれる一帯だ。
城塞の、門をくぐり抜けた瞬間、そこは別世界だった。
場所も、時代も、異質の世界に紛れ込んだかのような。
それはあたりのようすがはっきりとは見えない、夜だったからこそ、いっそう強く感じられる差異だった。
古い教会。狭い路地。低層の家々が並び、夜空が広い光景……。
門をくぐってすぐのところで、車は静かにとめられた。
ここが、ホテル?
車を降りた瞬間にもう、この場所に惚れた。ホテルに入った瞬間、ハートを射抜かれた。
と思う基準はいったいなんなのだろう。
と、自問したくなるほど、特に豪華でもない、しかし「味わい深い」空間が、心をつかむのである。
ゴールという街が、植民地時代の面影が残るコロニアルシティだということは、知っていた。しかしディテールは、知らなかった。
ゴールに3泊の滞在を決めたのは、夫だった。
夫は、海で泳ぎたかったこともあり、また、クジラ&イルカのウォッチングにも興味があったこともあり、丸一日はビーチで過ごすべく、3泊にしたのだ。結果的に、ビーチへはいかずじまいだったのだが。
このときに悩んだのは、宿の選定だった。
ジェフリー・バワの設計による有名なホテル、ライトハウスにするか、それともフォート(砦)の中のブティック・ホテルにするか。
バワのホテルは、ダンブッラでも泊まらなかったので、ゴールではぜひ、と思っていた。一方、海に面するライトハウスよりも、この街ならではのフォート内の滞在にもひかれた。
昨年末、アーユルヴェーダグラムに滞在しながらも、ホテル選びで悩んでいた我々夫婦。
スリランカには、洗練された建築のブティック・ホテルが少なくないとのことを、知ってはいたが、ウェブサイトを見る限りでは、どこを選ぶべきかわからない。
フォートの中にも泊まりたいホテルがいくつかある。どれも、それぞれに、趣きあるすてきな宿のように見える。選びがたい。
そんなときにがんばりを見せるのがマイハニー。ホテルを選ぶにも、いくつものレヴューなどを読みリサーチを重ねる。そらもう、しつこいくらいに。
即決型のわたしには決して真似のできない行いだ。
やたら悩む夫に向かって、「ああ、もう、優柔不断!」などと言い放っていた自分を、ホテルに入った瞬間、反省した。
「ありがとう。ハニー」
と、素直に感謝の言葉を述べずにはいられない。
「僕はね、ミホの好みを熟知しているからこそ、ここを選んだんだよ」
と、勝ち誇った余裕の笑みを見せる夫。我が夫ながら、侮れない男である。
「ウェルカムドリンク、何がよろしいですか? ビールですか? ワインですか?」
と尋ねるスタッフ。
「では白ワインを」
と答えながらもう、顔がにやけてしまう。夕べの圏外な山奥チェックイン時とは、雲泥の差の状況だ。
そしてマイハニーお得意の、なぜかまたしても「アップグレード」な幸運。
全部で12室しかないこともあり、スタンダードルームがすでに埋まっていたらしく、我々はスイートルームに通された。
ひやっほ〜!!
という気分である。
ともかくは、服を着替えて、ダイニングルームへ。夕食はタイ風のメニュー。ゲストが少ないこともあり、コースメニューからの選択となる。
ここの料理がまたおいしくて! ゴールでもかなり有名なレストランらしい。
朝の熱帯雨林歩きの際に被った帽子のせいで、髪の毛は跳ね散らかしているが、それはそれ。
約10時間前には、流血騒ぎを起こしていたは思えぬ、幸せっぷりである。
スリランカ旅のゴールを飾るゴール。(失礼)
ここでの滞在を3泊と、長めにしておいて本当によかった……と、しみじみと思いつつの夜である。