昨夜、シンガポール経由でバンガロールに戻って来た。久しき不在の果てに、再び始まる日常。
その渦に巻き込まれてしまう前に、夫と旅した日本の秋を、ここに急ぎ、残しておこうと思う。
以下は、11月13日〜17日の4泊5日の旅記録の第一弾「奈良、京都編」だ。
【新幹線などJRを乗り継いで、博多から奈良へ。】
夫にとって4年ぶりの日本。どこを旅したいかと尋ねる前に、「京都で紅葉を見たい」と言っていた。しかし、彼とはすでに3度、京都を訪れている。2度だと思い込んでいたが、思い返せば3度だった。
しかも4年前は秋に訪れており、十分に紅葉も堪能した。
もちろん、京都にはまだまだ見尽くせぬ魅力があるのはわかっているが、訪れたことのない場所へ赴きたい。というわけで、3泊の旅先を奈良に決めた。
その後、福岡へ戻る途中に異なる情景を楽しもうと、1泊を宮島で過ごすことにしたのだった。
以下、旅の様子を、ざっと書き留めておく。
先日、博多駅で引き換えておいたジャパン・レイルパス。これは外国籍のパスポートを持つ人、あるいは、海外に居住している日本人(永住権などを持っている人)が日本で使用できるもの。
海外で引換券を購入しておき、日本のJR窓口で引き換える仕組み。新幹線(のぞみ、みずほを除く)などの乗り降りも自由にできる。
詳細はこちらを参照のこと。
■ジャパン・レイルパス (←CLICK!)
■JAPAN RAIL PASS (←CLICK!)
さて、わたしたちは、実家に近い千早の駅から博多駅経由で、新大阪乗り換え、京都へ。そこから奈良への鉄道に乗り換えての旅だ。
【皇室御用達。由緒あるが、「微妙」な、奈良ホテルにチェックイン】
幼稚園児のころに訪れたきり、わたしにとっても、ほとんど「はじめて」の奈良。滞在先はネットでサーチしたが、この時期、どこも込み合っている。
あちこちを探して決めた奈良ホテルは、創業100年を超える由緒ある宿。奈良の中心部という地の利の良さに加え、日本ならではの風情が満ちている様子。
というわけで、ここに3泊を決めた。ホテルの詳細は、下記のホームページを参照されたい。
■奈良ホテル NARA HOTEL (←CLICK!)
昔ながらの風情が残る旧館の部屋を予約しておいた。天井は高いが部屋はさほど広くはない。バスルームもかなり狭い。が、外国人にとっての「異国情緒」は漂っている。
館内には、皇室の方々が来訪した際の写真が飾られていたり、アインシュタインが弾いたピアノが飾られていたりと、歴史あるホテルであることを偲ばせている。
結論からいうと、歴史はあるかもしれんが、言うほどのホテルではなかった。インドの宮殿ホテルなどに泊まってしまうと、贅沢になってしまって、いけない。
……という以前に、やっぱりこのホテルは、なんだかずれていた。
歴史や伝統があるというだけで、特にサーヴィスが優れているという印象は受けなかった。従業員は、確かに「日本的に親切」ではあるが、全体に「子供っぽい」印象。
スタッフが、ロビーでばたばたと走って移動をするのには、本当に驚いた。その姿を見るたびに、「廊下を走らない!」と言いたくなるのを我慢した。
外国人客が多いのに、英語で話せる人が少ない。せめて簡単なやりとりくらいは、勉強するべきではないだろうか。
ともかく、設備やサーヴィスが、宿泊料金にそぐわない。バスルームのアメニティなどは、昭和のビジネスホテルを思わせて、安っぽすぎる。
資生堂の「スーパーマイルドシャンプー&リンス」だもの。
にも関わらず、ホテルのダイニングでは、手頃な値段での食事が楽しめない。高すぎる。わたしたちは、外で食事を楽しんだが……。
というわけで、実は突っ込みどころが満載のホテルであった。結論からいうと、奈良ホテルは「見学」するにはいいかもしれぬが、個人的には、宿泊をお勧めしない。
と、いきなりネガティヴな話題でなんだが、率直な感想だ。
到着した日の午後は、さほど時間もなかったので、まずはホテルから徒歩で赴ける興福寺へ。阿修羅像がおさめられている場所だ。
インドに暮らすようになったせいか、それとも歳を重ねたせいか、かつては関心のなかった仏像や神々の像に、心をひかれるようになった。
日本で崇められている神々には、その起源をインドに持つものが少なくない。たとえば阿修羅もそのひとつ。インドの魔神アスラが起源だ。
インドで育まれた神が、姿形を変えながら、今の日本に息づいていることがまた興味深く。
今からちょうど10年前。夫と二人で、二度目の京都を訪れたとき、蓮華王院 三十三間堂を訪ねた。その迫力もさることながら、インドとのつながりが明確に見えることが面白く、好きな場所の一つとなった。
五重塔がそびえ立つ興福寺では、仮金堂、そして阿修羅像を含む数多くの文化財がおさめられている国宝館を巡った。
小柄で繊細で、しかし圧倒的な存在感のある阿修羅像。その、すっきりと端正な、しかし複雑な表情。眉が、表情全体を左右しているところが興味深い。
なお、奈良にせよ京都にせよ、建物内の仏像などを写真撮影することは禁じられているので、ここでは各施設のホームページのリンクをはっておく。
■法相宗大本山 興福寺 THE KOHFUKUJI TEMPLE COMPLEX (←CLICK!)
■阿修羅 (←CLICK!)
興福寺を訪れたあと、夕暮れの奈良公園を横切り、すでに拝観時間には間に合わないだろうと思いつつも足を運ぶ。が、途中で大雨が降り始め、ホテルへと戻った。
宿から傘を借りて来ていたので助かったが、それでも足下がかなりぬれるほどの雨。この雨を機に、寒さが一段と増す、日本の秋である。
夜、ライトアップされた興福寺。この日は小雨が降っていて、ひとけもなく、非常に静かな夜であった。
夜は、ホテルのダイニングで夕食を……と思っていたが、1人1万円を大幅に超えるコース料理がメイン。そんなに気合いを入れる気分ではなかったので、ホテルにほど近い「はり新」という店へ。
奈良の夜は、驚くほどに早い。夕食は6時ごろスタート。8時や8時半にはラストオーダーという驚異的な早さであることを知り、あわてて店へ向かったのだった。
畳の間に通され、梅酒で乾杯し、カラフルな「弁当」的夕餉を堪能する。
いずれの素材も美味で、余すところなく平らげる我々。夫の好物である「高野豆腐」や「しその天ぷら」も入っており、幸せそうである。
中でも「蘇」という名の手作り古代チーズを味わえたのは興味深かった。塩が利いたクリームチーズという感じだ。
■はり新 かみつみち弁当 (←CLICK!)
【奈良ホテルの朝食、茶粥に和食、洋食メニュー】
奈良ホテルでは、朝食付きのプランを予約していた。毎朝、ホテルのダイニング「三笠」で優雅な朝食である。和食は白ご飯と茶粥の2種、そして洋食。
二人して、茶粥、洋食、和食をそれぞれ3日に亘って味わった。
上品な味わいの赤だし、ほどよく炊けた白米、質のよい魚に出し巻き卵、繊細な味付けの湯葉やこんにゃくの煮つけ、ごま豆腐に切り干し大根……。いずれも美味で、朝から満腹である。
洋食は、良質なベーコンの味と、繊細な焼き上がりのオムレツが印象的だったが、それ以外は和食の豊かさに軍杯があがった。
今回の旅で、自分の日本料理好きっぷりを再認識した夫は、自らそう言う通り、実に見事に、おいしそうに、料理を平らげてゆく。
国際結婚において、食生活の相違はかなり大きな障壁となりがちなのだが、我が家の場合はそれが一切ないという点において、非常に幸運だったと思う。
二日目の朝。この日の午前中は、外国人対象の英語ヴォランティア・ガイドの方をお願いしていた。
当初、奈良ご出身の当サイト読者の方の勧めで、奈良S.G.G クラブというところに、ガイド依頼のメールを送っていたのだが、行き違いが発生。
急遽、奈良YMCA善意通訳ガイド(EGG)の方を手配していただいた。駐在員夫人として海外在住経験のあるご婦人。とても丁寧に案内をしていただけて、本当に有り難かった。
■奈良市観光協会:ヴォランティアガイドのリンク有 (←CLICK!)
奈良ホテルを起点に、鷺池のあたりを経由しながら、東大寺へと向かう。鷺池に浮かぶ、檜皮葺きの六角形の浮見堂の姿が麗しい。
千頭以上いるという鹿。公園内の随所で見かける。夫は「鹿せんべい」を購入、餌をやろうとすると、たいへんな勢いで集まる鹿ら。
修学旅行生らが行き交う参道を抜け、東大寺に至る南大門をくぐりぬける。と、左右に立つ金剛力士像の、その迫力に満ちた姿! 生命力がほとばしり、なんと格好いい姿であろうか。
仰ぎ見る大迫力の、その彫像。
しかし! 惜しむらくはその、鳩よけの網。網があるために、中がしっかり見られないのが、残念すぎる。
こういうところにこそ、日本のテクノロジーを駆使して、中の作品を傷めないよう、しかしなるたけしっかりと見られるような工夫ができないものなのか。
この、じれったい感じの見え方の、残念さ。網の穴から覗いて見るも虚し。と、フィレンツェのウフィツィ美術館を訪れたときのことを思い出した。
ボッティチェッリのプリマヴェーラが、人気のある作品故か、それだけガラス張りになっていた。ガラスの青みが邪魔をして、オリジナルの色合いが見られなかったのが、ひどく残念だった。
ともあれ、阿吽。口を開けた阿形も、口を結んだ吽形も、それぞれに、力みなぎる存在感だ。
多分、時間帯によって、光の反射具合が異なり、見えやすいこともあるかもしれない。
時期によっては、夜間のライトアップを行っているそうだ。それを見に、再びここへ来る機会があるとは思えないが、しかし見てみたいものである。
なお、この金剛力士像は、運慶、快慶、定覚、湛慶(運慶の子)らが、大勢の小仏師を率いて、約70日間で彫り上げたと言われている。
夏目漱石の『夢十夜』の第六夜を思い出す。
「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。
(中略)自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。
三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片っ端から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋っていないものだと悟った。
夏目漱石の作品には、今の日本を、世界を予見するような、壮絶な洞察力を秘めたものが、多数ある。ということを、今になって思う。
特に夢十夜は、短編集ながらも伏線がわかりやすく、しかし深い。読んでいると、絶望的な思いかられ、泣きたくなるような作品が少なくない。
彼は明治を憂いていたが、それは大正、昭和、平成へと連なって、現在……。
今回の福岡滞在時、大学時代の友人と再会した。同じ日本文学科だった彼女と漱石の話題で、瞬間的に盛り上がった。『三四郎』『それから』『門』の三部作を、改めて、読み直すべし。
この件については、いつか丁寧に記したいものだ。
話を膨らませている場合ではなかった。軽くレポートのつもりが、それもなかなかに難しいものなのだ。
サイトへの旅の記録は、自分の過去を遡るのに非常に便利な備忘録であるゆえ、まずは写真と簡単な言葉を残しておくことが鍵である。
というわけで、東大寺。
写真で見るよりもずっと迫力がある、雄大な大仏殿。前面に敷き詰められている石は、仏教の伝播を伝えるべく、中央の黒い石がインドから、その両脇の石が中国から、そしてその隣の石が韓国から取り寄せられたものだという。
インドからの石の上に立つアルヴィンド。
今回訪れた寺院などのなかで、唯一、内部の写真撮影ができたのが、この東大寺だった。この大仏(東大寺盧舎那仏像)が作られたプロセスがまた、たいへんなものである。
オリジナルは745年に造られ始め、754年に完成した。当時は全身が金箔に覆われていたという。どれほどきらびやかだったことであろう。
ご興味のある方は、こちらをご参照のこと。
ところで、大仏のパンチパーマ風は、螺髪(らほつ)と呼ばれており、この奈良の大仏のそれは、1つが人間の頭と同じくらいのサイズだという。
詳しくはこちらをご参照のこと。
この柱に掘れられている穴は、大仏の鼻の穴と同じ大きさなのだという。
そこをくぐるスリムな女性たち。
くぐってみたかったが、絶対につっかかりそうだったので、やめておいた。
■華厳宗大本山 東大寺(←CLICK!)
東大寺を巡ったあとは、春日大社に向けて歩く。途中、ガイドの方に導かれて、二月堂へ。
【二月堂経由、奈良公園を散策しつつ春日大社へ】
黄金色に色づいたイチョウの葉がまた、目が覚めるような鮮やかさ。この季節だけの贈り物だと思うと、やはり、アルヴィンドが望む通り、紅葉の時季に訪れてよかったと思う。
二月堂は、どことなく京都の清水寺を思わせる造りで、眺めが非常によい。
澄み渡る青空に浮かぶ雲。そして紅葉とが得も言われぬ調和を見せている。寒風に震えつつも、眺望を楽しむ。
世界遺産であるところの春日大社。全国に約1000ある春日神社の総本社だとのこと。
観光客や修学旅行生たちが行き交うがしかし、神聖な空気が漂い、独特の静寂に守られている。参道には無数の石灯籠が並んでいる。
■春日大社(←CLICK!)
ガイドの方とは、ランチをご一緒したあと、午後は自分たちで行動することに。唐招提寺と薬師寺へ赴くことにした。
という言葉が、つい浮かび上がってくる、その見事な様子。
ここでの伽藍巡りもまた、深く心に刻まれた。個人的には、金堂の千手観音立像が興味深かった。現在は953本あるという腕。そもそもは、その名の通り、1000本の腕があったと見られているそうだ。
■唐招提寺 (←CLICK!)
日が傾き始めると、急に気温が下がって身体が冷え込む。二人して、着込んでいるものの、冷たい風にさらされて耐えきれず、救いを求めるように喫茶室へ。
お薄と干菓子を味わい、ほっと人心地つく。このあと、徒歩数分の場所にある薬師寺へと赴き、1時間ほどかけてゆっくりと巡ったあと、奈良市街へと戻ったのだった。
■薬師寺(←CLICK!)
薬師寺にほど近い近鉄郡山駅まで歩き、そこから近鉄奈良駅まで戻る。商店街を散策し、無印良品で手袋を購入。この日よりも、翌日がより冷え込むとの天気予報だったので、万全を期すのである。
夕食は、夫の好物のひとつである「うなぎ」を食するため、うなぎ専門店の江戸川へ。
夫はうな丼を、わたしは軽めに、うなぎと野菜が一緒になったどんぶりを注文。この日もまた、地元の梅酒で乾杯し、身体を温める。
それにつけても、夫の「日本料理好きっぷり」に、つくづく感心する。日本人でさえ、こうも毎食日本料理ばかりを口にしたのでは、飽きてしまうのではなかろうか。
【天候不順につき、急遽、京都へ。ひたすらに、東寺で過ごす午後】
奈良の3日目は、南へ足をのばし、吉野山へ赴く予定であった。桜の季節が有名だが、紅葉も麗しいとのこと。トレッキングを兼ねて「歩く一日」を楽しもうと思っていたのだ。
ところが、急な冷え込みに加え、雨が降る可能性もあるという。
ホテルのフロントで尋ねたところ(奈良ホテルには、コンシェルジュも存在しなかった……)、吉野山出身の青年が出て来て、説明してくれる。
彼曰く、好天ならぜひお勧めしたいところだが、雨が降ると景色も見渡せないし、寒さが増すので、楽しめないかもしれないとのことである。
わたしとしては、ぜひとも吉野山を訪れたかったが、雨が降ったときのことを考えると、リスクを負いたくない。やむなく夫の好きな京都へと、訪れることに決めたのだった。
紅葉で込み合っているはずの京都。曇天のもと、傘を携え京都駅の南側に位置する東寺まで歩いて行けば、しかし人影はまばら。静けさに包まれている。
当初はもう一カ所、別の場所も訪れる予定だったが、結局は東寺でひたすらに数時間を過ごしたのだった。やがて、最初は小雨模様だったのが、のちに青空が広がり、紅葉も色鮮やかに映えるようになった。
冷えた身体を甘酒で温める幸せ。アルヴィンドは初めて口にするそれを、「おいしい!」と喜んで飲んでいる。
東寺。ここでも内部の写真が撮れなかったので、そのすばらしさの断片すらも伝えられないのが残念だが、本当にすばらしい場所であった。関心のある方には、ぜひ東寺のホームページをご覧いただきたい。
五重塔の中を巡り、心を鎮めたあと、金堂に足を踏み入れた途端に射抜かれる心。
光背に七体の小さな「化仏」を配する「七仏薬師如来」が中央に。台座を支えるように、十二神将がぐるりと取り囲んでいる。
左右には、穏やかな様子で蓮華に立つ日光菩薩、そして月光菩薩。すばらしき調和。
一方の講堂は、ダイナミックな立体曼荼羅。大日如来を宇宙の中心に据え、取り巻くように五大菩薩、五大明王、四天王に梵天、帝釈天……。
日本とインドとの結びつきの強さを、強く感じずにはいられない。
京都には無数の見どころがあり、再び訪れたい場所、まだ見ぬ場所がたくさんあれど、三十三間堂に並んで、この東寺には、また改めて足を運びたいと思わされた。
来年は、母をつれて、京都に来ようと思う。
■東寺 世界遺産:真言宗総本山 教王護国寺 (←Click!)
東寺を出るころには、すでに時計は3時を回っていた。昼食を食べ損ねており、すっかり空腹である。駅のレストラン街で、夫が希望する「とんかつ定食」を食す。即ち、夕飯は不要である。
食後は地下鉄で北上し、錦市場の界隈を散策。4年前、ここを訪れた時は、ムンバイのテロの様子をニュースで見た直後だったので、本当に心が塞いでいた。
おいしそうなものがたくさん並ぶ市場ではあるが、もう、昔のようにあれこれと食べたい! という衝動がない。目で愛でつつ、歩く。
1560年創業。老舗の刃物店「有次」で足をとめる。かつては、日本刀をつくる店であった。
この店を初めて訪れたのは20年前。フリーランスのライターになったばかりのころ、「京都ひとり旅」という企画の取材で訪れた。
当時、JTBから出版されていた『旅』という旅行雑誌の仕事だった。取材、写真、そして文章をひとりで行った。
デジタルカメラがないころ。ポジティヴフィルムをたくさん携え、「きちんと撮れているだろうか」と緊張しながら、旅をしたものだ。
文章は、あとからいくらでも調べて書けるが、写真はそうはいかない。取材のたびに、写真の仕上がりに心を配ったものである。
有次では、4年前に包丁を買っていた。今回は、少し小さめの包丁を購入。ハガネはお手入れが少々面倒だが、それでも、ほどよい重量感と切れ味が、気に入っている。
錦市場を散策したあと、小雨の降る先斗町あたりをのんびりと歩き、カフェで休憩したあと、ホテルに戻った。
途中、艶やかに着飾りタクシーに乗り込む二人の舞妓さんに遭遇。間近に美しい彼女たちの姿を眺められて、夫はうれしそうであった。
奈良最終日。吉野山に訪れることができなかったのは残念だったが、京都でまた、東寺というすばらしい場所に巡り会えたことは幸運であった。
さて、翌日は奈良から宮島へと向かい、1泊を過ごした。その記録もまた、近々残す予定だ。
■2008年の日本旅の記録。秋の京都滞在の様子も残しています。 (←Click!)