ジャイプルから空路1時間ほどでジャイサルメールに到着。3泊4日をここで過ごす。
見渡す限りの荒野の広がりに、モンゴルのゴビ砂漠を思い出して、心が躍る。
パキスタンとの国境あたりには風力発電の風車が並ぶ。国境に張りめぐらされた電線に、送電しているらしい。
軍専用のジャイサルメール空港に民間機が就航し始めたのは、つい数年前のこと。それまでは陸路を利用して入るしかなかった。現在も軍優先であるにはかわりなく、駐機場には物々しい戦闘機が並んでいる。
我々乗客が駐機場に降り立ち、簡素な空港ビルディングへと歩く途中、壮絶なる轟音があたりの空気を包み込んだ。戦闘機が離陸するところであった。空気をつんざきながらすさまじい速度で滑走、離陸し、瞬く間に雲間に消え去る。
その轟音たるや、大人でさえも、固唾を飲んでしまうほど。子供であれば、何をか言わんや、だ。
沖縄の米空軍基地から発着する戦闘機の轟音が、どれほど周辺住民の暮らしに影響を与えているかということを、肌身に感じる。
★ジャイサルメールの初日は城塞を望むブティックホテルにチェックイン
イタリア人女性が経営するピザが評判の宿。なぜジャイサルメールで敢えてピザ🍕なのかということはさておき、非常にホスピタリティ溢れる快適な宿だ。
ジャイサルメール。パキスタン🇵🇰との国境からわずか100km。
南インドでは直面することがない緊迫感に満ちた空気が漂う北インド。歴史も文化も一転して異なり、異国を旅するがのごとく。
街が黄金色に包まれる時刻。しかし界隈の喧騒は、インド的であり、カメラの被写体を地面から捉えるか、2メートルほど上からを捉えるかによって、その印象は著しく異なる。
下段中央の写真は、サティーの証。サティーとはヒンドゥー教の慣習で、夫が死しあと、残された妻が火に身を投じて自害するものである。現在はもちろん、法で禁じられているものの、数百年前までは頻繁に行われていたようだ。
死を前にした女性たちの残した手型は、この城以外でも、インド国内では各地で見られる。
マハラジャの妻らは、夫がまだ死ぬ前の出征の際にも、敵からの暴行から逃れるべく自害したという話もある。
2017年12月現在、その内容が物議を醸して公開が延期されている "Padmavati"という映画がある。主演は人気ボリウッド女優のディーピカ・パドゥコーン。ラジャスターン地方のマハラニ(王妃)の伝説がもとになっているのだが、史実と異なると「過激派」が主張。制作側を脅迫し、公開予定を1カ月以上過ぎた今も公開に至っていない。
◎ホテルに戻ってのディナーはスープにピザ、野菜のグリルなど。
眺めはいいが、寒いんです! 昼間は日差しが強く、そこそこに暖かいのだが、夜になるとぐっと気温が下がるのだ。
蒔が焚かれ、ブランケットを支給されても寒い。眺めよりも、気分よく食べることを優先したいと思う妻だった。
★旅をしながら、昔日の旅を思い出す。南仏カルカソンヌのことなど
ピンクシティのジャイプル。ゴールデンシティのジャイサルメール。
ここではイエローサンドストーンという石が採掘され、建造物に用いられる。ゆえに、街中は黄金色に包まれている。
ジャイサルメールはまた、「砂と岩」を意味するMERUの街とも呼ばれているらしい。沙漠のオアシスとも言うべく城郭都市は、1157年、ラーワル・ジャイサル王によって建立された。昨日の旅記録「24」の写真右下が、彼の肖像だ。
ネットでジャイサルメールの情報を探すと、バックパッカーの旅記録ばかりが目に留まる。わずか10年足らず前までは、ほとんど安宿しかなかったのが理由の一つだろう。昨夜から1泊したイタリア人女性経営の宿は6年前にオープンした。そして今夜から2泊するホテルも、同じころに造られたようである。
夕べ、城塞を眺めながらピザを食べていたとき、27年前に取材で訪れた南仏のカルカソンヌを思い出していた。北インドでは、ふとしたときに、欧州に近い雰囲気が覗き見える。匂いも、街の喧噪も、全く異なるにも関わらず、陸続きに欧州大陸があることを実感させる。
カルカソンヌでは、城塞の中にあるエレガントなパレスホテルに宿泊したのだが、チェックインが遅くなったので、城塞の外にあるピッツェリアで夕食を取ったのだった。南仏でピザ。ジャイサルメールでピザ。奇妙な一致だと思いつつ、先ほど「城郭都市」という言葉を検索していたら、真っ先にカルカソンヌの写真が出て来て、懐かしく思う。
築数百年の古い建築物もあれば、最近できたばかりの建築物もある。いずれも同じサンドストーンに彫刻を施して建てられているから、一目見る限りでは、新旧の差異がわからない。過去と現在が渾然一体と融合している。
堅牢な石の文化に育まれ、石の文化に育つということは、歴史から分断されない時間の流れが、暮らしの概念の中に息づいていると思う。欧州にしても、インドにしても。
ベルリンの壁が崩壊した直後の1991年、東西ドイツを旅した。旧東ドイツのドレスデンは、第二次世界大戦で激しい爆撃を受け、街は廃墟と化していた。当時はまだ、そのときの面影を残しており、特に聖母教会の瓦礫の山は痛ましかった。
東西が統一され経済が自由化すれば、きっと瓦礫は撤去されるだろうと思った。3年後、欧州を3カ月間鉄道で放浪旅をしたときに再訪し、聖母教会の跡地を訪れて驚愕した。瓦礫はひとつひとつ丁寧に撤去され、それらのパーツを用いて、同じ聖母教会が再建されている途中だったのだ! このときほど、木造と石造の家屋が宿す、精神世界の差異を見せつけられたことはない。
それから約10年後には、完成している。改めて訪れたいと思いつつ、まだ実現していない。
旅をすると、たくさんのことを思い出す。
城塞内にあるジャイナ教寺院を訪問。ジャイナ教については、ジャイプルの旅記録で簡単に触れたのでここでは言及しない。ムガール帝国時代、すべてのヒンドゥ寺院、ジャイナ教寺院が破壊されたことから、現在見られるのは、帝国が滅びて以降に建立されたものだという。
ジャイサルメールのこのジャイナ教寺院は、全国で唯一、イエローサンドストーンで造られているという。他の寺院はほとんどが白い大理石製だ。ジャイナ教では「24」という数字が吉とされているとのことで、24を割ったりかけたりした数で、諸々が構成されているらしい。
天蓋もまた、石を彫って造られたもの。わたしが映り込んでいるのは、天然染料で色付けされたもの。色付けされていないものと、全く同じモチーフらしい。精緻な彫刻が麗しい。
◎ジャイナ教寺院の神々もまた、イエローサンドストーン製。一枚の岩を彫り、研磨して、滑らかで艶やかに仕上げられている。左下の不思議なお顔は、神様の使い(名前は失念)! 下中央は、サンダルウッドを石臼でおろしているところ。これをターメリックと混ぜてティラク(額につける宗教的装飾)にする。
◎ガイドに案内に導かれ、寺院や邸宅などフォート内を観光する。
アルヴィンドが座っているのは、かつてマハラジャのアドヴァイザーだった人物の邸宅。
ベルギーのガラスで彩られてきらびやかな一室は、富裕だった人の住居の一室。
ここで見る牛は、色合いが水彩画のようで、美しい。
◎ジャイナ教寺院の支柱のひとつに使われていた石は3種類。右の写真の一番上は白い大理石、中央がイエローサンド・ストーン、そして一番下は、Sea Fossil、すなわち海の化石だとのこと。ここではHabur Stoneと呼ばれている。
遥か太古の昔、ラジャスターンは海だったことから、採掘されるのだという。この石には、触れれば心身を浄化し、清める力があるとのこと。市街の専門店で、自宅用にカップを購入した。
★残る2泊は、砂丘に近いパレスを模したラグジュリアスなホテルにて
ラジャスターン州の西の果て、タール砂漠の真ん中に位置するジャイサルメールは、かつてシルクルート(シルクロード)の一拠点でもあった。1泊目は城郭のそばに宿をとったが、翌日チェックアウト。残る2泊は、更に西へ進み、砂漠のただ中のホテル、Suryagarhに宿をとった。
本物のパレスではないのだが、あたかもパレスのように建築された豪奢な砂漠のリゾート。先にも記した通り、ジャイサルメールはかつて安宿が中心のバックパッカーの旅先だった。しかし、ツーリズムが成長するに従い、ジャイサルメールは一般旅行者だけでなく、「デスティネーション・ウエディング」の地としても選ばれるようになった。
ゆえに、8年前に開業したというこのホテルでも、昨夜まで結婚式が行われていたようである。72室しかないものの、インド式の賑やかな結婚式が行われていたら、音楽の騒音その他で決して落ち着けない。いいタイミングでチェックインした。
ホテルが増えつつあるのに加え、つい数年前よりジャイプールやデリーからのフライトも就航するようになった。無論、空港は空軍の所属につき、戦闘機が出入りしてものものしいのではあるが、アクセスは非常に便利になっている。
◎光と影の調和が麗しい空間。建物こそ新築だが、家具調度品はラジャスターンの伝統的なアンティークが配されており、いにしえの情景が偲ばれる。
月の沙漠をはるばると、旅の駱駝がゆきました……。
砂漠への憧憬を抱き始めたのは、いつごろからだったろう。『月の沙漠』は祖父の好きな曲だった。その遣る瀬ない旋律と、心細いまでに美しい歌詞は、子供心にも、深く染みた。
『アラジンと魔法のランプ』や『アリババと40人の盗賊』などは、ミステリアスまでに非日常で、読めば奇妙な感覚に襲われたものだ。
大学時代に安部公房の『けものたちは故郷をめざす』を読んだときには、異種ではあるが、砂漠への思いが一層強まった。
26歳のとき、砂漠を旅したく「サハラ砂漠」はどうだろうかと思ったが、なにしろ遠いし予算もかかりすぎる。世界地図を広げ、最寄りの砂漠を探したところ、ゴビ砂漠が見つかった。地図上には線路も見られる。鉄道で旅ができそうだ。
そんな契機で、北京からウランバートルまで36時間、列車に揺られたモンゴル、ゴビ砂漠の旅を実現したのだった。
あれから四半世紀。
図らずも、タール砂漠の真ん中にいる。そして駱駝に揺られている。
駱駝に乗ると、思うよりもずっと高くて見晴らしがいいということは、ゴビ砂漠で経験していた。🐪
昔日が、行きつ戻りつ、脳裏を巡る。
小学生のころ、阿蘇山の牧場で乗馬して以来、2度目。モンゴルの平原を駆け抜ける遊牧民を目の当たりにしたときから、裸馬に跨り、風を切って疾走できたらと夢想する。今世はゆるゆる観光乗馬にとどまりそう。
ともあれ、気持ちのよい朝!
旅行前からの懸念は、重くて濃厚な北インド料理で増量&胃腸を悪くすることだった。増量は免れないものの、胃腸の具合は比較的良好。思ったよりも新鮮な野菜や果物が多く、そこそこにおいしいイタリアンやコンチネンタル料理も味わえる。
昨日のランチのシーザーサラダやパスタも、想像以上においしかった。インドで最も早い時期に浸透した欧州の料理はイタリアンだと思われる。使われる食材に共通項が多いこと、またヴェジタリアン、ノンヴェジタリアンの区別を付けやすい料理が多いこともその理由だろう。
シェアしやすく、インド人が重視する「グレイビー(汁気がある料理)」か「ドライ(汁気がない料理)」かというバランスもとりやすい。ただインドの人たちは、従来から「ケチャップ」を大量に足すことによって、グレイビーを実現しているところが微妙ではある。
都市部では、10年ほど前から釜焼きの本格的なピザや、ホームメイドのパスタを出す店も増え始めた。
このホテルの朝食は、いくつもの野菜や果物をアレンジした絞り立てのジュースが提供され、どれもおいしい。ハーブ類は裏庭のオーガニックガーデンで栽培されている。諸々、想像以上にアドヴァンテージの多いホテルだ。
ヘルシー志向で貫きたいところだが、シンド州(パキスタンのインダス川下流部。インドのラジャスターン州やグジャラート州に接する)の典型的な朝食、ダル・パクワンに目が眩む。本来は、生地と具が別々に供されるようだが、ここでは見た目ピザのようなプレゼンテーションだ。
香ばしい皮の上には、ダル(豆)のペーストが塗られ、その上にトマトやタマネギ、コリアンダーのみじん切りなどがトッピングされている。これが非常に美味! 今回、食のレポートは極力、抑えているのだが、ラジャスターン地方の料理はまた、この地で食するからこそのおいしさが堪能できることを実感している。強い胃袋と太りにくい身体を持ちたかった。
フレンチプレスのコーヒー☕️は、カルナータカ州から。なじみのあるおいしさ。幸せ。
★リラクセーションもまた、ひとつのエンターテインメントなのだ
濃厚な旅も終盤。あまりにも濃密な9日間を経て、今日はホテルで終日リラックス。またしてもスパでマッサージを受ける。
4種類のオイルから好みの香りを選ぶ。それを「特殊なパワー」があるらしきクリスタルに流して、オイルに力を与え、マッサージに使う。昨日の「海の化石」同様、地球のエナジーが籠っているということか。
トリートメントルームは非常に心地のよい空間。ヒマラヤの岩塩で作られたランプが置かれている。空気を浄化してくれる岩塩。我が家でも、厄除の盛り塩がわりに、配してみようかしらん。
夫の実家のあるデリー2泊に始まった今回の旅。
YPOのイヴェントに参加したジャイプル4泊(すでに遠い)、そしてジャイサルメール3泊。そして明日、約280キロ離れたジョードプルへ車で移動する。
毎年、ニューヨークや日本には2週間程度、旅に出るが、インド国内を、出張以外で2週間続けてというのは、今回が初めてだ。最早、国内旅行の域を超えた異世界へのいざない、である。
正直に言えば、猫らが恋しい。でもって、ごはんと味噌汁が食べたい。3カ月も欧州を放浪旅していた20代の自分が遥かに遠い。人は否応なく歳を重ねる。今はもう、あのころのようなやんちゃな旅はできないし、したいという衝動がわかない。
取り憑かれたように旅をしていた、あのころの衝動は、尊かった。
若者向けセミナーでは、いつも伝えていることではあるが。
若者よ。ガジェッツを捨てよ、旅に出よ。
地図と手帳を携えて。
……と、改めて。