昨夜、OBEROIでの催しを終えた後、わたしたちは、友人Tristhaの結婚披露パーティへ赴いた。尤も、結婚式や披露宴はすでに終えており、今回は、友人たちとのカジュアルなパーティだ。先ほどに引き続き、こちらもガーデンパーティ。
バンガロールでは、モンスーンの時期を除き、ほとんど一年中、こうしてガーデンパーティが催せるのも魅力だ。一年中、衣替えをせず同じような服を着回せるので、クローゼットにもメリハリがなく、歳月の流れを確認しにくい。
ついこの間、買ったばかり……と思っていた服が、実は5、6年前のものだった、などということがよくある。この、The Matrixのキアヌ・リーヴスなロングドレスも、まだ新しい気がしていたが、思えば2018年に購入したものだ。
ところで、この会場でも共通の友人たちが多く、ライヴの大音響の中、グラス片手に声を張り上げながら会話をする。会場で、特にわたしの目が瞬時に捉えたのは、友人Yashoのサリー姿! 今夜のサリーもまた格別にすてき。
なんとこのサリー、彼女の伯母(母親の姉)のもので、約65年〜70年前のものらしい。シンプルながらも存在感のある手刺繍。特に縁のアーチ型の処理が非常にかわいい。最近、こういうデザインのサリーを見かけるので、新しい意匠かと思っていたのだが、古くからあったのだと学んだ。
ちなみにこれは、Chantilly lace と呼ばれるフランスのボビンレースを起源とするようだ。レースのサリーもまた、エレガントで本当にすてきだ。軽くて着心地もよさそうだ。いやはや、一枚布サリーの世界もまた奥が深くて尽きない。
インドでのパーティといえば、毎度おなじみライヴとダンス。もう本当に、みんな元気。つくづく元気。飲んで語ってアペタイザーを食べて、飲んで踊って語って、そして深夜にこってりディナー。もう本当に、タフ。
……などと言いつつ、ABBAの曲が流れ始めると、ついついステージに赴いて、他のゲストらと踊る我。ABBAはもう、ボリウッドソングに並んで、多くのインドの人々が愛する国民的歌謡といえるだろう。
あれはわたしとアルヴィンドが出会った翌年の1997年。同棲をはじめて半年ほど経ったころ、デリーに住んでいた義父のロメイシュが泊まりに来た。今から25年ほども前。まだまだインド世界は封建的で、見合い結婚が主流で、結婚前に同棲するなど基本的に許されることではなかった。
そんなインド事情などこれっぽっちも知らなかったわたしは、非常に寛大かつオープンマインドなパパを「パパ」ではなく、アメリカンに「ロメイシュ」と呼び捨てし、共に過ごした。そのパパが我々のフラットに滞在中、アルヴィンドが持っていたABBAのCDを朝な夕なに聴きまくり、わたしは「どんだけABBAが好きなんだ」と、正直、呆れていた。
さらにはパパは、当時ブロードウェイで上演されていたCHICAGOに夢中になり、滞在中、少なくとも3回は観に行っていたはずだ。あるときは、雨だった。傘を片手にうれしそうに出かけるパパの姿が、思い出されて懐かしい。
インドに暮らしはじめたあるとき。パパの友人(ロイヤルファミリー/マハラジャの末裔)の家に招かれた。そのとき、若きお嫁さんが、自分の義父の前ではサリーを頭から被り、恭しく対応しているのを見て、ほぅ……と感心していた。しかしながら、人のことを感心している場合じゃなかった。
パパがトイレに立った際、ご友人から、「ロメイシュのことを、あなたは、パパと呼んだ方がいいです」と指摘された。それとほぼ同時に、トイレから戻ったパパにこっそりと「ミホ。ここでは僕のことをパパと呼んでくれるかな。もちろん、美穂の本当のお父さんは一人だから、無理をする必要はないけれど……ね」とやさしく声をかけられたのだった。
わたしは本当に、インドのことをこれっぽっちも知らずに結婚し、ただ本能の赴くまま「これからはインドの時代だ」と前のめりで移住したが、徹頭徹尾、無謀で無知だった。こんなわたしを、インド家族や親戚は、本当に寛大に受け入れてくれたものだ。改めてしみじみと、ありがたい。
そうそう、ABBAの話題だった。インドに暮らし始めて、パーティの際になにかとABBAが流れるのを知り、ABBA好きはパパだけじゃなかったんだと知った。そして今となっては、わたしもABBAの曲が流れると血が騒ぎ、ステージに向かい踊らずにはいられないのだ。
◉義父ロメイシュを偲んで。アルバムに滲むインドの歴史。家族の肖像。
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