今回、夫が日本に来ると決めたとき、東京へは行かず、福岡周辺を旅することは決めていた。とはいえ、九州とて、広い。どこを旅するか少し悩んだ。かつて九州一周旅で、熊本に宮崎、大分、鹿児島、長崎、佐賀……と、一通りをざっと踏破しているが、圧倒的に魅力ある未踏の土地は多い。
どこを目指すかと地図を眺めていたとき、「壱岐に行きたい」と思った。今回の韓国旅では、旅の前の想像以上に、九州と朝鮮半島とのつながりを実感したのだが、その中間地点に位置する壱岐や対馬は、その結びつきがつぶさに体験できると思ったのだ。
同時に、わたしが育った福岡市東区の名島や千早、香椎にゆかりの深い第十四代天皇である仲哀天皇の妻、神功皇后は、壱岐にも関わりがある。先ほど、資料を読んでいて知ったのだが、彼女は妊娠中にも関わらず、三韓征伐(新羅、百済、高麗)を果たした女傑でもあった。
ほんの数十分、資料に目を通しただけでも、歴史の重みが伝わってくる。
邪馬台国の時代、中国の史書にて「一支国」と記されていたという壱岐の島。日本誕生の歴史に深く関わり、至るところに古代遺跡が点在し、無数の神社が祀られている、歴史の栄枯盛衰が、すさまじいまでに凝縮された、しかし今は穏やかな島。
元寇の際には、この島が前線、フロントラインとなった。多くの島民たちが非業の死を遂げたこともあり、関わる史跡が多々、残されている。元寇は、日本史にとって重要な出来事だと思うので、概要だけでも、ウィキペディアの記載ではあるが、わかりやすいので転載する。
「元寇は、日本の鎌倉時代中期の1274年・1281年に、モンゴル帝国および属国の高麗によって2度にわたり行われた対日本侵攻である。蒙古襲来とも呼ばれる。1度目を文永の役、2度目を弘安の役という。 なお、弘安の役において日本へ派遣された艦隊は、当時世界最大規模の艦隊であった。」
調べるほどに、ここに来たいと思った直感は正しかったと確信する。
曇天の博多埠頭を出港して約1時間。12時ごろに芦辺港に到着した。旅館からのお迎えの車を待つ間の2時間あまり、軽いランチをすませたあと、自転車を借りてサイクリングを楽しむ。
壱岐で最も新しいという「壱岐神社」を訪れた後、海に面した「龍蛇神神社」へ。辰年の今年、我が巳年の到来を目前にして、訪れずにはいられない場所であり。少し雨が降ったのは、龍神様から歓迎されたのだと、むしろ感謝する思いだ。
ちょうど1週間前の日曜日は、対岸の釜山の海東龍宮寺から、こちら側を眺めていた。同じような曇天で、しかしここは釜山ほどの観光地ではなく、この龍蛇神神社はわたしたちしかいなかった。
諸々、綴りたいが、今は旅館で秘湯に浸かり、すばらしい料理を堪能し、土地の酒を飲み、しかし壱岐に関わる資料を読み漁って衝撃を受けている最中につき、アウトプットはほどほどに、しばしインプットに浸ろうと思う。
壱岐には3泊4日、滞在する。ゆっくりと、過ごすことに決めて、本当によかった。
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