福岡は超絶寒い。3月中旬だというのに、なんでこんなに寒いと?!
さて本日、無事に母の白内障手術第一弾(左目)終了。第二弾(右目)は1週間後。まだまだ続く小さくて大切な不可欠ケア。ともあれ今日のところは昨日のことを記す。
一時帰国後の行動範囲は、連日ご近所周辺で地味。眼科やら整骨院の通院メインでは気が滅入ってしまう。週明けからの眼科詣でに突入する前に、楽しい予定を織り交ぜるべく、昨日は久留米まで足を伸ばした。「地場産くるめ(久留米地域地場産業振興センター)」で開催されている久留米絣の一大展示会を訪れるためだ。
わたしが絣の魅力に開眼したのは2011年。バンガロールで開催されたDASTKAR(手工芸品展示会)で、オリッサ州の絣のサリーを購入したのが契機だ。その直後の一時帰国時に、久留米絣の里として知られる広川町を訪れ工房を取材。当時、5年に亘り連載していた西日本新聞の『激変するインド』に記事を書いた。
その数年後、たまたま見かけた福岡大丸の特設展示会で、久留米絣の「椿柄」のジャケットに一目惚れして購入したが、それ以外に日本で絣の衣類を買うことはなかった。ところが前回の一時帰国時、やはり大丸の特設展示会で絣ブランドが集っているのを目にし、母と自分のために思い切って何枚か購入したのだった。
それらをインドに持ち帰り着用すること数カ月。想像通りに着心地がよく、丈夫で、肌にやさしい。特に緩めのモンペ的パンツは日々の部屋着に好適だ。長持ちすることを考えれば、少々お値段が高くても価値がある。すっかり「久留米絣愛好家」となってしまった。
今回も近場で購入の機会がないだろうかとソーシャルメディアをチェックしていたところ、大丸での恒例の展示会は4月8日からとある。わたしがちょうど、インドに帰る日だ。タイミング悪すぎ……と思っていたら、別の投稿で3月15日16日に、久留米で一大展示会が開催されることを知ったのだった。
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JR千早駅から久留米までは、鹿児島本線で1時間あまり。車窓からの光景を眺めつつ、思えば久留米駅で降りるのは初めてだと気づく。閑散としているが、九州新幹線も停車する。会場までの送迎バスを待つ間、駅でランチ。案内所でお勧めを尋ねるが、いまひとつの反応だ。「フミヤくんの好きな焼きそば屋がありますよ」ということで、そこへ行った。
チェッカーズの藤井フミヤや松田聖子はじめ、複数の芸能人の出身地でもある久留米。実はとんこつラーメンの発祥地でもあるらしい。
さて、会場には久留米絣の作業工程を伝える展示やファッションショーの舞台が設置されている。また久留米絣の歴史や特徴をつぶさに眺められる反物や着物の展示もある。
一方、実際に絣の衣類や小物を購入できる20を超える工房のブースが立ち並んでいて壮観だ。ゆるゆると歩けば、魅力的な色柄が次々に目に飛び込んできて、目移りする。とはいえ、気に入った柄とデザインが一致するものを見つけるのは簡単ではなく、そこもまた、吟味しがいがある。
柄、デザイン、そしてサイズが自分の希望と一致してはじめて、「欲しい」となる。欲しいものが多すぎても悩ましいし、見つからないと残念。そういう意味で昨日は、非常にいい塩梅でいくつかの「欲しい」を見つけられた。
大丸に出店されていた丸亀絣織物(わたしが着ているグレイのトップを購入)、野村織物、池田絣工房、坂田織物も勢揃いされており、ご挨拶&お買い物。このほか、今回は、藍華田中絣工房、野村雅範絣工場で、「手織り」のすてきな衣類を購入した。
さらには! 14年前に取材させていただいた山村健さんと奥さまの羊候(ようこう)さんと再会できたのがうれしかった。お元気そうでなによりだ。2011年のブログの写真も転載しておく。
帰り際には館内の「久留米絣資料館」に立ち寄り、その歴史を垣間見た。久留米絣の祖とされる井上伝(1789-1869) の物語も興味深い。インドでは少なくとも1400年以上前から存在したイカット(絣)と、どのような接点があったのか(あるいはなかったのか)、諸々、気になる。
この写真は、毎度、我が記録ではおなじみの、アジャンタの仏教石窟壁画に描かれた女性。アジャンタ&エローラ遺跡を訪れたのち、この本を購入し、じっくりと壁画を眺めるなか、この女性の衣服を見たときには衝撃を受けた。トップは絞り染め、ボトムは絣。これが描かれたのは少なくとも1400年以上前……なのだ。
ちなみにモノクロの写真は父方祖母の子供時代。100年以上前のもの。上段は左端が祖母だ。女学生らが身にまとう久留米絣の美しいことよ!
……またしても、話が長くなる。
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