夕べ、ケララ州の旅から戻った。上の写真は、船の上から眺めた、昨日の朝のバックウォーターの情景だ。深く清澄な心持ちで朝を迎え、太陽が昇るのを眺めるのは、本当に久しぶりのことである。
4泊5日の小旅行ながらも、非日常の心持ちを味わえた、旅らしい、いい旅だった。
わたしのキャリアの原点は、海外旅行誌の編集者であり、ライターだ。
20代のころは、時間の余白のほとんどを旅に費やし、日々の糧の大半もまた、旅に費やしていた。世界地図を、地球儀を眺めるのが好きで、まるで取り憑かれたように、公私ともに旅を軸にするような歳月。とにかく、旅が好きだった。
30歳のときに1年間渡米したのもまた、旅の延長だった。
その旅が、結局は以来20年間も続いている……というには、長くなりすぎたが、結局は、旅の果てに今がある。
その現在。ここ数年は、ここからの更なる旅に対して、ずいぶんと熱情が冷却している。あれほどまでに、まだ見ぬ世界を見たいと渇望していた気持ちがすっかり落ち着き払っている。
年に一度、米国と日本に行かねばならないということもあり。加えてミューズ・クリエイションを初めて以来の3年半は、それまで3泊以上なら、必ずといっていいほど便乗していた夫の出張にも、ついていかなくなった。
心はしばしば旅情にかき立てられるものの、頭と身体が「面倒かも」などと思うようになった。そうこうしているうちにも、歳月はどんどん流れる。我がことながら、残念だ。
今回の旅を決めるときですら、そうだった。
本当なら、1週間余りの休暇を取り、インドを脱して新しい場所を旅することにしていたのだが、結局のところ、乗り継ぎが面倒だ、とか、夫のパスポートの関係でヴィザの取得が必要だ、とか、諸々の条件を取沙汰しているうちにも、旅の間際となり。
夫婦揃って「もう近場にしよう」ということになったのだ。
それでも、この選択は、よかったと、旅を終えて思う。なにしろインド国内。まだまだ旅をしていないところがたくさんあり、ケララ州の観光もまた、インド移住前の10年以上前に一度、クマラコムというリゾートを訪れたきり、だったのだ。
ここバンガロールのあるカルナタカ州のお隣、ケララ州。一年のうちで、今が最も過ごしやすいシーズンだ。
ケララにはコチやトリバンドラム、アレッピなどいくつかのリゾート拠点があり、それぞれに美しいビーチやバックウォーターが横たわる、魅力的なリゾートがある。わたしたちも最初は、トリバンドラムに行く予定であった。
しかし、今回はどうしても、ファミリーで賑わうリゾートホテルは避けたく、できれば落ち着いた場所を選びたかった。
タージ系列のリゾートに泊まることを前提で、ホテルのサイトからリゾートを検索したところ、ケララ州の北端にあるベカル (Bekal)というリゾートが導き出された。トリバンドラムよりは、地味そうな場所。空港から車で2時間余りと、地の利も悪い。しかし敢えて、ここに決めたのだった。
トリバンドラムのビーチに比べると、波が荒く泳ぐには適していないが、わたしは海で泳ぎたくはないので、問題ない。夫は少し、残念そうだったが、それよりも、各部屋にプールがついている方が実践的だと判断した。
以下、インスタグラム経由でFacebookにも投稿した写真と言葉を主に転載する。
遠い昔は、ノートとペン、カメラと大量のフィルムを携え旅をした。記録した言葉、撮影した写真のほとんどは、人の目に触れることなく、眠り続けている。
それを思うと、今の世の、なんとインスタントに発信できることだろう。と、今更ながら今回の旅では思ったのだった。
数カ月前にiPhone6に買い替え、入力がしやすくなった。日本帰国時に友人にインスタグラムを勧められ、複数の写真をまとめて1枚にレイアウトすることも同時にやりはじめ、まとめて発信できる便利さに目覚めた。
遠い昔の旅の仕事では、自分の文字が活字になり、書籍になり、人の目に触れるまでには、数カ月の歳月を要していたのに、今では即座に地球全体に鏤められる。
と、ホームページで写真や言葉を発信し始めて15年以上たつというのに、今更ながらな発言ではあるが、今回の旅では、殊更に、隔世の感を抱いた。
多分、手のひらからすべてを発信できる、という点において、自分の中で改めて、思うところがあったようだ。
1月に旅しよう。1週間くらい。どこにする? イスタンブール? トリエステ? モーリシャス、いやニュージーランドは? アンコールワットも行ってみたい。ブータンは寒いよね。乗り継ぎがないところがいい、暖かいところがいい。悩んだ末の行き先は‥‥ご近所の海辺4泊5日。これに乗って行ってきます!
バンガロールからプロペラ機で約1時間。まずはカルナタカ州沿岸部の都市、マンガロールに無事着陸。ここから車で南下して、ケララ州北部のBekalを目指す。敢えてマイナーなリゾートで、のんびり過ごすことにした。
ケララ州に入る前に、マンガロールでランチ。ニールドサに魚のグリル、魚のカレー。美味! チリは控えめにとお願いしたのに、カレーは少し、夫には辛すぎた。約2時間のドライヴを経て、到着。
久しぶりの海風! アラビア海に日は沈み、東の空には満ちる月。
Good morning, Kerala! He is the most handsome Ganesh that I have ever seen!
川と海が出合う場所の朝。幾種類もの鳥がさえずり飛び交う。穏やかに流れる水。本当にいいところ。
わたしはこの広大な亜大陸の、ほんのひと欠片しか知らないということを、改めて思う朝。
Kerala's delicacy. Heartwarming breakfast.
ケララ州の伝統的な料理も楽しい朝ごはん。好物の蒸しバナナもある。餅のような食感のsabudhana vada がおいしい! タピオカに似た食材で作っているのだと、シェフが丁寧に作り方を教えてくれた。
米粉のパンケーキ風アッパムは、シナモンの効いたホワイトシチューとともに食す。アイスコーヒーは懐かしいコーヒー牛乳の味。
更には食後、サウスインディアンコーヒー。ローカル食堂のようなプレゼンテーションがまた、風情があって楽しい。
昼間からワインを飲み、本を読むうちにも昼寝をし、書き物をしようと持参したラップトップを開くこともないまま、もう夕食の時間だ。
庭に野良猫やってきた。我が家の猫らは元気かなあ。
目覚めれば、重なり合う鳥の声。窓を開けば、きらきら舞降る朝の光。緑をたたえた潤いのある空気のおかげか、肌がしっとり調子いい。夫は今日も、この小さなプールで泳ぐのだろう。静かに透き通る、きれいな水。外の大きなプールより、こちらが落ち着くらしい。
ふと思い出す。The God of Small things. アルンダティ・ロイ、という作家がケララを舞台に描いた小説、『小さきものの神』。夫に勧められていたのに、読まないまま十数年が過ぎていた。帰ったら開こう。と思いつつ、今日の新聞を開いたら、彼女がいた。言論の自由、を巡る裁判の記事。多様性の坩堝、社会問題渦巻くこの国では、言論の不自由に晒されている作家も少なくない。出版が禁じられた本もまた。
さて、今朝も元気に朝ごはん。枝のまま吊るされたバナナがケララらしい。今日は北インド料理、チャナ・バトラがおいしかった! ヒヨコ豆(チャナ)のカレーに揚げパン(バトラ)のコンビネーション。食べ過ぎないないようにと思いつつ、ついついお代わり。シナモン水は、懐かしいニッキ水の味の味がする。
五感の、日ごろは眠っている場所を、やさしく刺激されるような、旅。
初日から、昼夜、魚料理が続いていた。今日のランチは趣向を変えて、ケララの伝統的な宴席料理 “Sadhya”を試すことに。バナナの葉の上に並べられる、20種類以上の食材が用いられたヴェジタリアン料理だ。
バナナやパイナップルなどの果実や、豆、インゲン、カボチャ、ドラムスティックなどの野菜が用いられている。味付けは、マスタードシードやココナッツ、ココナツオイルなどが中心で、ニンニクや唐辛子など刺激の強いスパイスほとんど使われていない。
バナナの葉の左上の定位置に配された、レモンやマンゴーのチャツネ、バナナのチップス、ジャガリ(天然の糖)のチップス、タマリンドのピューレ。これらが味に起伏を与え、アーユルヴェーダ的「六味」(甘/酸/塩/辛/苦/渋)を、やさしく刺激してくれる。
本来は9〜10月の収穫の時節に食されるとのこと。神話に基づくストーリーもあるのだと、給仕のお兄さんが詳しく説明してくれた。昔は座して胡座をかき、右手で食べるのが作法だったとのことだが、このたびはテーブルで。手を洗ってなお、右手の指先に、ココナツオイルの風味が残っている。
遥か遠い昔から、この土地に受け継がれてきた、大地の恵みが息づく料理。五臓六腑に染み渡る、素朴に豊かな食生活だ。
橋を渡り、川を越えて、スパへ行く。アーユルヴェーダのふるさと、ケララにて、しかしいつもの「俎上の鯉」状態で受けるオイルまみれのマッサージとは異なり、ラグジュリアスな空間で、やさしげなオイルで以て、ひたすらに、優雅に、穏やかに、トリートメントを受ける。
5000年前のいにしえから受け継がれた伝統医学アーユルヴェーダの発祥の地、ケララ。この地はまた、他の土地とは異なる、さまざまな「独特」がある。
・キリスト十二使徒の一人聖トマスが紀元52年頃に訪れキリスト教を布教したという説あり。
・上記が不確かだとしても、最も古い「シリア正教」が紀元数百年より浸透した。
・遠い昔、女性が家長だった時代があるという。
・識字率がインドで最も高く90%を超える。即ち教育水準が高い。
・ドバイを中心とした中東へ出稼ぎに行く人が多い。
・現在はBJP政権だが、かつては共産党が政権を握っており、「スターリン」と言う名の政治家が牛耳っていた。彼に限らず、ロシア人の名前を持つ政治家が少なくなく、ブレジネフやらレーニンもいるという。政治家にとどまらず、ガガーリンさんやらスプートニクさんもいるらしい。笑えるほどに、赤い。
・赤い一方で、女性のサリーは白い。インドにおいて白いサリーは一般に寡婦が着用するものであるが、ケララのそれは白地に金色のボーダーが入っているところに違いがある。
・ケララの人は、象が好き。あっちこっちで、象の像をみかける。象の頭を持つ神様、ガネイシャもよく見られる。
・少林拳の起源? とも言われるカラリパヤットという武術発祥の地。
・歌舞伎の起源? とも言われるカタカリというダンスの発祥の地。
……と、挙げればきりがなく、個性的な州である。まるで一つの国だ。
インドとは、そういう個性的な、「州」と位置づけられた、異なる国々が一つとなった国家なのだ、ということを、このケララ州の小さな小さな点に身を置きながら、改めて、肌身に感じさせられる。深くて、広い。面白い。
第一の故郷福岡から、第二の故郷ニューヨークから、雪の知らせを聞く朝に。川風海風混ざり合う風受けながら。
わたしが最後に舞降る雪を見たのはいつだろう。11年前のワシントンDCか。あまねく世界を白くして、音を吸い込み静寂を重ねるように、降り積もる雪の、遠く。
海は広いな大きいな。月は昇るし日は沈む。
海にお舟を浮かばせて、行ってみたいなよその国。
幼きころの願いかなって、ずいぶん遠くまで来てしまったことよ。
Arvind started to swim in the backwater.
僕、泳ぎたい、と夫。いいですよ、と船を停める船長。
海と川の水が混じり合うバックウォーターにて。水深浅く胸もとまで。
ともあれ、自由だこと。
この道、数十年。このバックウォーターは、俺の庭。的なムードを漂わせていた船長。夕日スポットに向かう途中、引き潮の浅瀬でまさかの座礁!
船倉に潜って修理すること1時間余り。非常にインドな展開だ。今夜はここに停泊か。
船長とスタッフの兄さんが船を修復するあいだ、船尾にて沈みゆく夕陽を眺む。日本の唱歌が次々に思い出されて歌い続ける。歌ううちにも遠い日本の光景と、異郷の海辺の情景とが、不思議と懐かしく重なり合う。
「カラスなぜなくの、カラスは山に」「カラスの赤ちゃんなぜなくの」「カラスと一緒に帰りましょう」「カラスがなくから帰ろ」‥‥と、何かとカラスの登場頻度が高い夕暮れ時の歌。
やがて太陽はみかんのような色になって、椰子の森の向こうに落ちていった。
船は修理も終わり、しかし本来は漁船の邪魔をしないよう、6時までには所定の位置に戻っておかねばならなかった。すでに7時を過ぎた夕闇の中、月明かりと懐中電灯をたよりに、魚網を切ったりしないよう、注意深くゆっくりと進む。
煌々と輝く満月が、緩々と東の空に昇るのを眺めつつ、小さな小さな漁船が、魚網の準備をしているのを眺めつつ、思いがけない夜の航行。
持ち込んでいた赤ワインを飲みながら、こうして記録をしている。今、船長が小さな漁船から受け取った。これが夕飯になるらしい。
などということを、バックウォーターのただ中から発信できるネットワーク。
iPhone6に買い換えて、こうした発信がたやすくなって、これもまた、奇妙な感じだ。
人間は蟻のようなもの。大いなる地球を前にしては、我も昆虫も同じ。
今から25年前、モンゴルをひとりで旅し、広大無辺のゴビ砂漠に寝転がったとき、そう思った。
今、数百年前、いや数千年前から、同じような営みを受け継ぎ生きる人々の様子を眺めながら、改めて、同じことを思う。
日没、満月、日昇。
この50年の間に幾度となく繰り返されてきた回転の、このたびは3度目の、刻印。
1度目は、ゴビ砂漠に沈む夕陽、昇る満月。昇る太陽。
2度目は、モニュメントヴァレーに沈む夕陽、昇る満月。昇る太陽。
そして3度目は、昨日と今日。このバックウォーターに、沈む夕陽、昇る満月。昇る太陽。
1泊2日の船上の旅では、昼、夜、朝と、ケララの家庭料理を振る舞われた。
初日の昼は、魚のグリルと魚のカレー。ティータイムにはバナナのフリッターとチャイ。夜にはカニのカレーとイカ&ココナッツのソテー。ダールやごはんもたっぷりと。まろやかな味付けに素材の旨みが滲みでる。食後のデザートもついていて、ついついお腹いっぱいに。
朝は瑞々しい果物。わたしの好きなバナナのスチーム、普段はあまり好まないイディリやサンバルが、なぜかとてもおいしい。
天然自然の食材で作られる、土地の恵みを映した手料理は、食の原点。命の源。丁寧に、手間をかけて作られる、滋味に富んだ料理の数々。食べ物の大切さを、改めて思う旅。
※写真の紫色の植物は、まだ若い、カシューナッツの実だ。
リゾートには、ワインボトルを3本持参。ケララ州はドライステート、アルコールの購入は政府直営の店で購入せねばならないなど制限があると聞いていたので、空港からリゾートへ向かう途中、カルナタカ州にて購入していたのだった。
選択肢は少なかったが、お気に入りのスパークリングワイン、それにSULAのDINDORIが赤白あったので、ノープロブレム。グラスはホテルのルームサーヴィスに頼んで持って来てもらう。ノープロブレム。
わずか4泊5日の旅ながら、綴っておきたいことは、まだまだたくさんあるのだが、さて、やるべき仕事が山積している。
食べて、ぼ〜っとして、寝て、食べて、ぼ〜っとして、寝てを繰り返した休暇につき、心身ともに、緩めすぎるほどに緩んでしまった。
インドの共和国記念日で祝日の今日もまだ、ゆるゆると過ごした。
さて、明日からは気分を入れ替えて、通常営業でいこうと思う。
参考までに、わたしたちが利用したリゾート及び、ハウスボートのリンクをはっておく。ハウスボートは「座礁事件」はあったものの、非常にいい経験ができた。