音楽に満たされ、音楽の力を改めて肌身に感じることのできた、日曜の夜だった。
バンガロールの市内のホテル、チャンセリー・パヴィリオンにて、日本のプロピアニスト、碓井俊樹氏を招いてのチャリティ・コンサート "Power of Music" が開催された。
そもそもチェンナイで実施されるチャリティ・コンサートへのご出演が目的で来印が決まっていたところ、足をのばしてバンガロールでも、ということで実施される運びとなった。
主催者がバンガロールの合唱団ロイヤルエコーの元メンバーだったこともあり、ロイヤルエコー経由でミューズ・クリエイションにも声がかかり、ミューズ・クワイア&ダンサーズも前座出演をさせていただくことになった次第。
ここ1カ月余り、披露する演目であるところの『やさしさに包まれたなら』、『花は咲く』、そして『JAI HO!』の練習を重ねてきた。
プロピアニストの前座でパフォーマンスを披露するに際し、「果たして、いいのだろうか」という懸念はあった。世界各地を旅され、さまざまな場所で演奏活動をされている、フレキシブルで気さくな方だ、ということはお聞きしていたが、とはいえ、プロフェッショナルな方に対しては、相応の敬意を払いたい。
毎度記しているが、メンバーの入れ替わりが多いミューズ・クリエイションにあって、チーム歌は一番、「積み重ね」が構築しにくいグループだ。過去の歌を共有できる人は常に少数。ゆえにどんな曲も、新鮮な心持ちで、取り組まねばならない。
週に一度しか合同練習できないので、個々人での自主練も促しつつ、当日にのぞんだのだった。
当日は早めに会場入りし、リハーサル。何かと「段取りがうまくいかない」インドにあっては、機材の搬入が遅れるなどは日常茶飯事につき、リハーサルがリハーサルにならないケースが多々ある。しかし今回は、本番通りの機材が揃っていて、きちんとリハーサルをすることができた。
そのお陰もあってか、結果的には、金曜日の最後の練習のときよりも、本番はずっとよく、気持ちよく歌って踊ることができたのだった。
なお、最下部に、わたしたちのパフォーマンスの動画(限定公開)を添付している。我が夫アルヴィンドがiPhoneで撮影したゆえ、画面が傾いている。なおかつ二曲目では、長過ぎたせいか、終盤の盛り上がる前で途絶えているし、わたしの露出時間が長いしで、何かと痛い動画であるが、雰囲気は十分伝わるかと思う。
今回は白黒ファッションで地味目なミューズ・クワイア&ダンサーズ。
本当に、幸せなひとときだった!
実は、リハーサルのときから、会場で碓井氏の練習をお聞きしていたのだが、その独特の「繰り返す」練習方法(詳細は触れるべきではないだろう)にまた、感銘を受けた。
人間が身を以て行うその技術を磨く方法、技法というというのは、たとえば楽器にせよ、ダンスにせよ、スポーツにせよ、書道にせよ、大いなる共通項があるのだということを、コンサートのあとの親睦会で碓井さんといろいろとお話をしているときに、再確認させられたのだった。
1曲目は、碓井氏が拠点の一つとされているウィーンに縁のある作曲家、ベートーヴェンのピアノソナタ第14番『月光』。次いでピアノソナタ第21番『ヴァルトシュタイン』。
そして、子どもたちにも喜んでもらえるようにとのことで、誰もが耳にしたことのあるであろう、モーツァルトの『トルコ行進曲』と『きらきら星変奏曲』。
『トルコ行進曲』は、わたしがピアノを習っていた子どものころ、練習をした曲でもあるが(今は弾けない)、こんなにも、躍動感と力強さのあるすばらしい曲だったか、と、異質の曲を聴くような気分である。
弾いてはいたが、全然、弾けていなかったな……などということを思いつつ、流れるような旋律が、本当に気持ちよい。
そして坂本龍一の『ブリッジ』。この曲は、坂本龍一氏が作曲、演奏されていたものの、楽譜がなく、碓井氏が坂本氏の同意を得て楽譜化し、演奏されているとのこと。
日本の情景が思い浮かぶ曲だ……とのことだったが、個人的には、ニューヨークのことがぐるぐると思い返されたひとときであった。
今から20年前、1996年のちょうど今ごろ、わたしは東京からニューヨークへと渡った。そしてちょうどそのころ、坂本龍一のコンピレーション・アルバム『1996(いちきゅうきゅうろく)』が発売された。過去の作品からピアノ、ヴァイオリン、チェロの編成で録音されたもので、わたしの好きな"Merry Christmas Mr. Lawrence"や、"The Last Emperor"なども入っている。
それを毎日のように聞いていたころ、定員が100名にも満たぬダウンタウンの小さなライヴハウスで、坂本龍一のライヴが行われた。友人の計らいにより、幸いチケットを手にすることのできたわたしは、前列から彼の演奏を間近に聞くことができ、本当に感激したものだ。
特に"Rain"が、忘れられない。
……とニューヨークのことを語ると長くなるのでこの辺にしておくが、日々、音楽、エンターテインメントに満ちあふれていたマンハッタンでの日々に比して、ここでの暮らしは、あいにく「生の音楽」に触れる機会が少ない。
ムンバイに住んでいたころは、NCPAのメンバーになっていたこともあり、米国在住時ほどではないにせよ、音楽やパフォーマンスに触れる機会はしばしばあった。
今では年に一度のニューヨークが「エンターテインメント補給の場」となっている状態である。そんな状況にあって、このバンガロールで、このようなひとときを持つことができたのは、幸せなことであった。
最後、アンコール曲は、ショパンのエチュード『革命』。まさに血湧き肉踊る旋律に包まれて、ダイナミックに幕を閉じた。
碓井氏の演奏が終わったあとは、碓井さんのピアノに合わせて、みなで『ふるさと』を合唱。
翌日4月25日は碓井氏のお誕生日だということで、バースデーケーキが差し入れされた。
この日、ミューズ・クリエイションを運営する者として、最もうれしかったのは、ミューズ・クリエイションで訪問したことのある盲目の子どもたちのための施設、JYOTHI SEVAのシスターたちとピアノを習う子どもたち(青年ら)が来てくれたことだ。
実は、ミューズ・クリエイションのメンバーのひとりが、数年に渡って、毎週この施設に、ピアノを教えにいっている。彼らにとって、彼女からピアノを教わることは、本当に貴重な時間であるに違いなく、彼女が継続して通っていること対し、日頃から敬服している次第だ。
ミューズ・クリエイションを媒介にして、メンバーが積極的に、インドのコミュニティと関わりを持つ場を持ってくれることは、とても意義深いと考えている。
今回、彼らがとても喜んでくれたことが、わたしにとっても、非常にうれしいことであった。碓井さんも彼らとフレンドリーに話をしてくれていた。彼らにとって、この夜は、きっと忘れ得ぬ思い出になったに違いない。
■JYOTHI SEVA SOCIETY 訪問時の記録 (←Click!)
コンサート後の懇親会では、碓井さんともゆっくりとお話をする時間があったのは光栄だった。ウィーンと東京を拠点にされているものの、常に飛行機にのって世界各地を飛び回り、演奏をする日々。
その過密スケジュールっぷりには、ただただ驚かされるばかりだ。個人的に、「ご旅行=移動」がお好きだとのことだが、いくら旅行が好きでも、並大抵の人間にできることではない。この日の夜も、バンガロールに1泊もされぬまま、空港へ。バンコク、シンガポールを経由して、沖縄に入られるとのことだった。
プロピアニストとして、コンサートホールでパフォーマンスをされるのはもちろんだが、世界各地、音楽の環境が整っていない場においても、「鍵盤さえあれば」という心意気で、取り組まれているご様子。
実は、主催者の方のFacebookを通して、チェンナイの慈善団体時の様子を拝見したのだが、この写真を見た瞬間、わたしはもう、ハートをドキューンと射抜かれてしまったのだった。💘
(Spastic Sociey of Tamilnadu/関係者の了承を得て転載しています)
生の音楽に触れ合う機会のない子どもたちにとって、未知なる音を耳にすることがどれほどエキサイティングで好奇心をそそられることか、それは多くの慈善団体を訪れてきた者としても、たやすく想像できる。
わたしたちの歌にでさえ、喜んで耳を傾けてくれる子どもたちである。プロによる「上質の音楽」の力がどれほどのものか、は、説明するまでもないだろう。
将来また、地球のどこかで、碓井さんのピアノの音を聞ける機会があることを願いつつ……ありがとうございました!
■碓井俊樹オフィシャルサイト (←Click!)
ロイヤルエコー合唱団の団長であり、ミューズ・クリエイション「働き組&男組」の組長でもあるしのさんとツーショット。諸々の計らいに感謝である。
今回のコンサートは入場無料のチャリティコンサートであったが、入り口には募金箱を設置し、寄付を募っていた。
集まった寄付金22,880ルピーは、ミューズ・クリエイションを通してJYOTHI SEVA SOCIETYなどに寄付をさせていただく。ご参加のみなさま、どうもありがとうございました!
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『やさしさに包まれたなら』
『花は咲く』(途中で切れてる……)
『JAI HO!』
【後日追加写真】
(ちなみに、わたしは身体が大きい割に、手は小さい方です)