今年もまた、ニューヨーク。米国を離れ、2005年の終盤にインドへ移って以来、少なくとも年に一度は、米国の地を踏み続けている。グリーンカード(米国永住権)のステイタスを維持することが目的だが、このニューヨーク滞在は、年に一度の帰郷のようなものであり、大切な節目のようにもなっている。
昨年は、デング熱を罹患し、退院した直後のニューヨーク、そしてフィラデルフィアの旅だった。準備もそこそこに駆け込むようにニューヨーク入りし、この地で身体を復調させた。ゆえに、スローな滞在でもあった。
今年は幸い、体調もよい。ただそれだけで、幸せなことと思う。夫は例年に増して、今回は仕事の予定をいれていることもあり、一人で過ごす時間も多くなりそうだ。
はいえ、実質10日、移動を含めて2週間弱と、いつもより短めだ。さほど時間に余裕があるわけではない。
それもこれも、猫らを案ずるあまりである。あまり長く、家を空けたくないということから、意味があるのかないのかわからない程度に、微妙に、短い。猫以前の自分たちには考えられなかった現象だ。
初日は、夜、ニューヨーク入り。チェックインはいつものリンカーンセンター前のホテル。かつての住まいのすぐ近所だ。ここに滞在するのもこれで4年目。いつもはリンカーンセンターを望む西側の部屋だったが、今回はブロードウェイを見下ろし、コロンバスサークルも望める東側の、広めの角部屋だ。
朝は、5月のニューヨークらしい爽やかな青空が広がっていた。しかし5月下旬にしては気温が低く、このところは天候が不安定のようだ。天候が不安定なニューヨークには慣れているので、夏冬両用の衣類を持って来てはいるが、暖かい方がもちろん、うれしい。
ホテルの目の前に、リンカーンセンター。オペラやバレエシアター、コンサートホールのほか、ジュリアード音楽院などを擁する総合芸術施設だ。
そして、その向こうには、かつて住んでいたアパートメント(左端)も見えて、それだけで、「ただいま」という気分になる。
正面のビルディングには、かつて大型書店のBARNES&NOBLEが入っていた。そこの4階にあったスターバックスカフェで、アルヴィンドと出会った。つまりこの界隈は、我々夫婦にとって、スタート地点でもあるのだ。
ということを、毎年書いているが、まあ、初めて読む方もあるだろうから、書いておく次第だ。
1996年4月、今からちょうど20年前の今頃、当時、東京でフリーランスのライター兼編集者だったわたしは、1年間の語学留学予定で、ニューヨークを訪れた。
当時は、海外旅行雑誌やガイドブックの仕事に携わっており、海外取材も少なくなく、また休暇のたびに旅行に出かけるなど、英語を使う機会が多かった。にもかかわらず、平均的日本人同様、普通に英語を話すことができなかったわたしは、なんとか通訳なしである程度の仕事ができるようになりたいと、英語の勉強をすることに決めたのだった。
結局は、英語学校は3カ月ほどで辞めてしまい、現地の日系出版社に就職。その1年後にはMUSE PUBLISHING, INC.を起業し、1年半後には就労ヴィザの「自給自足」も果たし、独立するに至った。
若かったころの自分の、無謀なまでの絶大なるエネルギーには、感心する。エネルギーの向かう方向が時に間違っていて、無駄な労力を使うこともあったが、それにしても、力がみなぎっていたと切に思う。
20年前とは著しく異なるコロンバス・サークル界隈。このタイムワーナービルディングができたのは、わたしがマンハッタンを離れ、夫と一緒に暮らすべくワシントンD.C.に移ったあとだから、2002年ごろのことだ。
わたしが住んでいたときに、ここが完成していて、WHOLEFOODS MARKETがあったなら、どれほどわたしの食生活もまともになっていたか、とも思う。当時の米国のスーパーマーケットは、まだまだオーガニックなどというコンセプトは稀で、不健康な食材が並んでいたものである。
合成着色料だらけの菓子や、山積みされたソーダ類、巨大なアイスクリーム、ゴロゴロと、大きいばかりで味の薄い野菜類、黄色っぽい脂肪がたくさんついた、不健康な鶏肉……。
ともあれ、お気に入りのブティックなどを、まずは「ウォームアップ」の気分で、散策する。昨年は、デング熱の直後で、少々判断力が鈍っていたのか、「インドでも蚊に刺されないように」との思いが脳裏を占めていて、無駄に「長袖の服」をたくさん買ってしまった。
いや、昨年に限らず、毎年、靴や服などの買い物で、バンガロールでは履けない、着られないタイプのものをうっかり買ってしまう。
今年はそういう失敗を、いい加減、やめるようにしなければと思う。
一方、キッチン関係の用品などは、失敗することなく、すべて使いこなしている。今年もまた、少しずつ「お気に入り」を補充するつもりだ。
ランチは、毎度おなじみのLe Pain Quotidienでスモークサーモンのサラダを。長旅で疲労気味の胃腸には、なるたけ軽めのものがいい。去年は、病み上がりにも関わらず、こってりしたものが食べたくて、一風堂に行ったところ、たいへんな目にあってしまった。
ずっとMSG(化学調味料)が入っていないと思い込んでいた(思おうとしていた)お気に入りの一風堂であったが、食べたあとから具合が悪くなり、視界に歪みが生じたのだ。視界の中心に、水面に石を落としたときのようなぶよぶよとした波紋が表れ、一部が見えなくなって動揺した。両目とも同じ現象になったので、コンタクトレンズのトラブルのせいではない。
最初はデング熱の後遺症かと思ったが、喉が渇くし、目の奥が熱くなるしで、ひょっとして……と思い、確認する意味をこめて一風堂に電話をしたところ、MSGを使っているとのこと。その後ホテルで調べてみるに、アレルギー反応の一つと合致していた。
ニューヨーカーはMSGを避ける人が多いので、彼らにも人気のある店だから使われていないと思い込んでいたのが、間違いであった。病気の際にデトックスされた身体には、多分、濃度が高すぎたのだろう。それにしても、かなり恐ろしい経験であった。
数時間後には治まったが、数日後、韓国料理を食したあとに、また同じ現象が起こった。間違いなくMSGが原因だと確信した。
午後は、のんびりと、アッパーウエストサイドを散策。ペット用品ショップに目がとまる。
マンハッタンは、犬連れの人が本当に多いから、ペット用品ショップも不可欠だ。猫のトイレ砂だけでも、高級感あるものが多数。選択肢が多いと、迷うというものだ。
犬の玩具やおやつ類も充実。いずれも自然派の高品質なプロダクツが揃っている。
観光客、ではないのだから、滞在中にあれこれと予定を入れすぎるのはやめようと思う一方、年に一度なのだから、できることを、という気持ちがいつもあり。
最初のころは、毎年のように、ミュージアム数カ所を訪れ、ミュージカルに、オペラにバレエ、各種コンサートと、エンターテインメントも複数、盛り込んでいたものだ。
もちろん胃腸も今よりずっと強く、食欲もより旺盛だったから、昼夜、よく食べたものである。しかし2010年頃だったか、滞在中にお腹を壊して、それを契機に体調不良になって以来、気持ちが少々「守り」に入ってしまった。
一旦ホテルに戻り、しばし休憩したあと、夕暮れの街へ再び。セントラルパークを横切り、ついつい五番街まで足を伸ばす。初日から飛ばすまいと思いつつも、実によく歩く。
ちなみにマンハッタンの水は、やさしい。他の都市は多分、硬水が多いはずなのだが、マンハッタンは軟水なのだ。ゆえに、コンディショナーなしでも、髪の毛がさらさらになる。あくまでも、自分比、ではあるが。
尤も普段から、コンディショナーを使わなくなって久しい。オーガニックのシャンプーのみ。あとはアーユルヴェーダのヘッドマッサージで、週に一度はオイル分を補給している。
ただこの時節のニューヨークはまだ、空気が乾燥しているので、手足がすぐに乾いてかゆくなる。モイスチャライザーは必携だ。
五番街は下りすぎず、50丁目あたりまで。途中、慎重な気持ちで、しかし何枚かの衣類を購入。鏡に映る自分に向かい、「これ、バンガロールでも着ますよね?」と、いちいち念を押しながら、確実なものだけを。
そして午後7時過ぎ。まだ空は青く、日が長い、夏のニューヨークがうれしい。夫は急遽、ディナー・カンファレンスに招かれたとのことで、一人で夕食をとることに。
ノープロブレム。
この街に住んでいたころも、そして東京でも、わたしは、概ね、一人であった。一人は一人なりの清々しさがある。自由だ。
夕食は、コロンバスサークル近くに数年前にできた、MAISON KAYSERへ。せっかく気候がよいのだから、外のテーブルを選ぶ。
あいにく、アルコールのライセンスはないようで、置いていないとのこと。しかし、持ち込み可能ですよ、と、隣のワインショップを指差されたので、テーブルを確保してもらい、ワインを買いに行く。
かつて、よく訪れていたなじみのワイン店。
オークの香りがいい、カリフォルニアのカベルネ・ソーヴィニョンで、20ドル前後で、お勧めはありますか?
と尋ねたところ、オークの香りはやや抑え気味だけれど、このワインは、他に比べて味のバランスが取れていて飲み易く、非常に人気があるのです……と勧められたのがこの1本。ナパ・ヴァレーのAVALON。
お勧めに従って、即購入。テーブルでギャルソンに開けてもらう。
おいしい。確かに、バランスが取れた味で癖がなく、どんな料理にも合いそうだ。
……幸せ。
そして料理は……。以前、試して気に入っていたビーフシチュー。これがまた、本当においしい。欲を言えば、もう少し野菜が多めで肉が少なめでもいいのだが(肉は少し残してしまった)、ここはアメリカ。仕方がない。
少し肌寒い風が吹く中、身も心も温まる料理である。
ゴロゴロとしているニンジン、ジャガイモ、タマネギ、そしてマッシュルームは風味がしっかりとしていて、煮込まれすぎてドロッとしておらず、歯ごたえが残されているところがまた、いい。
残ったワインは、ホテルに持ち帰り、また夜、飲むとしよう。
我がニューヨークでの日々を描いた拙書『街の灯』(2002年ポプラ社刊)をお読みの方は、火事のときのエッセイもご記憶かと思う。
左手の高層ビルの左側19階から火が出て、わたしの部屋18階は、危機一髪の状態であった。左手に見える教会が、鎮火されるまで、住民が避難していた場所だ。あの、ドアを支え続けてくれていた女性がいた教会。
4名の住人が亡くなった、本当に、悲惨な火事だった。
いろいろな出来事が、つい先日のことのように、思い返される。
夕映えのこの街が、本当に、本当に、大好きだった。
東京に住んでいたころ、夕暮れ時は、とてつもない寂しさに襲われて心もとなかったが、この街の夕日は、「明日も、がんばろう」という気持ちを、かき立ててくれた。だから、ここを離れられなかった。
この街からもらったものの偉大さは、計り知れない。
あれから20年。
歳月は重ねたけれど、まだ、思うところにたどり着いてはいない。
思うところは、果たしてどこなのか、を見極められていない。
力を出すべきポイントが、まだまだ、ずれている。
核心を突くに至っていない、我が人生。
インドでの日常の渦に身を任せ、久しく、探すことを忘れてきた気がする。
足るを知りつつ、渇望することの、必要。