季節のメリハリが浅いまま、歳月が流れ、気がつけば9月も半ば。前回の記録から、また間が空いてしまった。いったい、誰が読んでくれているだろう……と思いつつ、ここに記す頻度は激減しているが、しかし、こうして自身の記録を書こうと向き合うのは、自分の現在の気持ちを整理する上で、大切な儀式のようでもある。
思い返せば10数年前の移住当初は、毎日のようにブログを書いていたものだ。今となっては、あのころに比べると、何十倍、いや、何百倍、何千倍もの情報が日々ネット上にあふれ、一旦、その海に放り込まれると、取捨選択もままならず、情報に溺れる。
年齢を重ねたからそう感じるわけではなく、時間の流れが、多分、本当に、目まぐるしくなっている。人々は、常に変化を追っている。そんな時代の流れに身を置きながらも、ときに時代を逆行したくなる衝動に駆られる。
温故知新。テクノロジーからの、適度な距離感。
8月31日は誕生日だった。去年は50歳という節目の歳だったので、誕生日のだいぶ前からカウントダウンをする気持ちであった。世間にも「生誕半世紀を祝って」と祝福を強要し、誕生日の何日も前から、幾度かバースデーケーキを食する機会を与えられた。
しかし今年はといえばもう、すっかり忘れ去っており。夫から、「来週の水曜日は、どこへ食事に行きたい?」と尋ねられ、「なぜ、外食なの?」と問いかけてしばらくして、思い出したくらいである。そんな次第で、さりげなく迎えた51歳。
次の盛り上がりは還暦か。いやその前に、GOGOな55歳で盛り上がりたい……などと思いつつ、誕生日も日常に溶けてゆくのだった。
ところで、我が食のブログ『食べたように、生きている』でも時折触れているが、このごろはSHANGRI LA(シャングリ・ラ ホテル)での食事が多い。日本料理店のYATAIIもお気に入りだが、イタリアン、地中海料理のCAPRASEがまた、いい感じ。チャイニーズもお勧めだ。
外食頻度が低い我々だが、この1カ月で4〜5回、訪れている。IISのキャンパスに暮らす義姉一家に会うときは、これまで中間地点のITC WINDSORを利用することが多かったが、このごろは、そこから近いSHANGRI LAが定番となっている。
惜しむらくは、館内のアロマだ。タージやオベロイなどの高級ホテルは、入るなり、柑橘系のナチュラルで爽やかな香りに包まれて幸せな気持ちになるのだが、このホテルはなぜか、男性整髪料みたいな匂いがするのだ。
臭い。
少なくとも、わたしにとっては、臭い。
なんとかして欲しい。と、差し出がましいのを承知で、実際にホテル側へ提言してみたのだが、改善されていないので、この整髪料臭がSHANGRI LAの香りなのだろう。世間は好意的なのかもしれない、とも思う。至極、残念だ。
そんな話しはさておき。
これは、今から15年前の写真。同時多発テロの約1週間後、当時住んでいた高層アパートメントビルディングの屋上から撮影した一枚だ。そこにあったはずの、ワールドトレードセンターが、ない。
15年前の今日、9月11日、当時わたしが住んでいたニューヨーク、そして夫が住んでいたワシントンD.C.が、同時多発テロのターゲットとなった。インドで結婚式を挙げて2カ月後。ニューヨークでの披露パーティを10月に控えていた矢先のことだ。もちろん、パーティその他のイヴェントは、すべてキャンセルとなった。
当時はまだ、遠距離結婚状態で、わたしはニューヨークを離れる心の準備ができていなかった。しかし、この日を境に、物事の優先順位が大きく変わった。夫と共に暮らす道を選び、ニューヨークをあとにした。
このときだけではない。
2008年、バンガロールとムンバイの二都市生活をしていたときには、ムンバイが、大規模なテロに見舞われた。自分たちの生き方について、命に在り方について、深く考えさせられざるを得ない出来事に、直面してきた。
当時の記録を遡り、当時の思いを振り返ることもまた、大切な一つの儀式のようなものである。
■決して忘れることのできないあの日から11年 (←Click!)
上の記録から、さらにリンクで遡り、テロ当日から発していた記録を、ざっと読み返してみた。15年前。36歳だった自分の考え方に対して、いくつか突っ込みたい箇所は散見されるものの、しかし、概ねの印象や考え方は、今とほとんど変わらない。
悲劇を目の当たりにして、自分はどうあるべきなのか。常に、頭の隅で意識しておきたいと、改めて思う。
バンガロールの日常はといえば、外に目を向ければ混沌の極みが益々極まり、ときおりさまざまをシャットアウトしたくなるほどである。
変わらないもの、変わりゆくものが渾然一体、濁流となって渦巻いている。我が家周辺の開発も進み、近所の景観は日を追って変わってゆく。
衣食住、あらゆる場面において変化し続けるこの国、この都市での生活は、常に「俯瞰する気持ち」で眺めていなければ、巻き込まれててんてこ舞いするばかりである。
昨今は、1年の後半のホリデーシーズンに突入し、そもそも「週休4日制」で動いている感じの世の中が、「週休5日制」といっても過言ではない状況だ。
たとえば先週の金曜日は全国ゼネラルストライキで街の機能が停止。土日を挟んで月曜日はガネイシャ祭だったこともあり、4連休。
今週金曜はまた、バンガロール(カルナタカ州)が大々的なストライキ。カルナタカ州は久しく、お隣タミル・ナドゥ州と、カヴェリ川の水の利権問題で争ってきた。先日、最高裁で、カルナタカ州に不利な判決が出されたことを受けての反発行動、ストライキであった。
水を巡るこの国の問題も大きく、水だけではない、電力に関しても書きたいことは募るが、書き始めると終わらないのでもう、スルーする。
こういうことは最近、セミナーなどでまとめて語ったり、ミューズ・クリエイションのメンバー(常時約50名)向けの通信で軽く言及するなどして小さく「発散」しているが、自分の知り得る情報を、多くの人にシェアしたいという衝動は、このごろ益々、強まるばかりだ。
そのストライキに続く、この週末。そして明日月曜、もしくは火曜日は、ムスリム(イスラム教徒)の犠牲祭だ。ゆえにこのごろは、ドナドナな羊やヤギの群れが、町中で散見された。
というわけで、またしても、4、5連休。
いくつもの宗教、さまざまなコミュニティ、カースト、著しい貧富の差……。ひとつの国でありながら、EU全体よりも変化に富み、人口も倍以上の、ひとつの国、インド。その絶大なる多様性の国が、ここ20年余り、急速な変化を遂げ続けている。
氷山の一角の現象を伝えることはできても、全体像を見た上で、判断することは、本当に、難しい。
日々、話題があまりにも多すぎて、一つのことをきちんと正しく知ろうとするにも追いつかない。そういう日々がこれからもずっと続き、この国に住む限りは、渦の中に巻き込まれるような思いで生きるのだろうとも思う。
そんな日常において、自分なりの平穏、自分なりの達成感、自分なりの生き方というものを、問い続けて、これからも試行錯誤を続けていくのだろう。
ここ数年は、インドを訪れるインターン生へ向けてのセミナーを行ったことも理由のひとつだと思うが、若者らと関わる機会が少なくない。
自分が20歳前後だったころを思い返せば、彼らは圧倒的に、情報通である。自立心が強く、行動力にも長けている。世界の隅々までが、日常に近い。吸収力が高いのに任せて、非常に理知的に、物事を判断することができるし、大人と話すことにも決して、臆しない。
自分が若かったときは、相当に馬鹿者だったな、などと自虐的になることも少なくない。
感銘を受ける点は多々ある。
が、一方で、「世間にちりばめられている、ありふれた言葉」に囚われすぎているとも思う。影響を与えられすぎている、とも思う。インドに来ている若者に共通する匂い。それがいいことなのか悪いことなのか、といえば、行動力があるという点において、間違いなくいいことだ。
が、どこからが、その人自身の個性なのか、というところが、わかりづらい。
テクノロジーから離れても生きられる力強さを、独創力を、自分の内から涌き上がる衝動を、見つめる、鍛えるを訓練して欲しい、とも思う。動物としての人間。生命力が迸る存在としての。
それはまた、歳を重ねて、わたしもまた、同じこと。素、すなわち「裸一貫」になったときの、自分の生き様を問う。
若者に向けてのことばは、久しくまとめて書きたいと思いながら、書かないまま来ている。いろいろな考えを整理せねばとの自戒をも込めて、端緒のみ、記しておく。
◎いよいよ、第5回、ミューズ・チャリティバザール&コンサート!
ミューズ・クリエイションを創設して4年余り。17日土曜日は、5回目のチャリティバザールだ。よくもここまで、続いていると思う。
続けられていることを、広く全般の環境に対して、感謝している。バザールについては、後ほど改めてここに告知をする予定だ。
今回はホテルの会場を借りて、規模拡大で初めての試み。ヴォランティアでの活動とはいえ、それなりにしっかりと力をいれて、準備を進めている。
ヴォランティア、に対する自分の力の入れ方、力加減というものを、どの程度にすべきなのか、実は今になっても、まだ掴めずにいる。一人で気合いを入れすぎるのもどうかと思うし、だからといって手を抜く気にもならない。
ともあれ、このバザールは、間違いなく、すばらしいものになるだろう。なにしろ、多くのメンバー、多くの人たちが、多かれ少なかれ、協力をしてくれ、楽しみにしていてくれているからだ。
上の写真は、先週金曜日のもの。
今回は、屋外にステージを設けてバザールと同時進行でコンサートも行う。
その出演者の一人が、以前もここで記した、盲学校の青年だ。ミューズ・クリエイションのメンバーの一人がピアノを教えており、彼の演奏だけでなく、二人の連弾も披露される。
金曜の夜、サロン・ド・ミューズ(毎週金曜日のメンバーの集い)を終えた後、二人が拙宅で連弾の練習をしているときの一枚だ。
いろいろと思うところ多い日々にあって、自分の好きな旋律が、流れて来た時、心を射抜かれる思いがした。ミューズ・クリエイションを通して、こんな音が生まれている。こんな時間が育まれている。それだけで、ひとつの大きな成果だとも思えた。
がんばるべきことはまだ、たくさんある。ということを、思わされたひとときでもあった。
「わたしにしかできないこと」は、多分、そんなにはないが、「わたしだからこそ、やれること」は、たくさんあると思う。
さて、わたしもバザールの実務的準備もさることながら、ステージ出演に向けて、歌って踊っての練習をせねば! と、残り1週間を切って、今更であるが。
英語の歌の暗記はもう無理なので、歌詞カードを見つつ、無理なくがんばろう。ステージプログラムその他の情報も、のちほどこちらにアップロードしたい。