ミューズ・チャリティバザール&コンサートを土曜日に控え、今日はバザールの具体的な内容を含め、ここにあれこれ告知する予定だったのだが、そういう気分ではなくなってしまった。
本日、バンガロール市内の随所で暴動が起こるなどし、夫も早々に帰宅、夜は外出禁止令が発令されたからだ。
先々週の金曜日はインド全国ゼネラルストライキ。月曜日はガネイシャ祭で4連休だった。
先週の金曜日は、カヴェリ川の水利問題で、最高裁より不利な判決を言い渡された当地カルナタカ州にて、隣州タミル・ナドゥ州への反発行動が出ることが懸念されてのストライキだった。カルナタカ州が堰き止めているいるらしきダムから、タミルナドゥ州へ一定量、放出せよ、とのことらしい。
そして明日は、イスラム教徒の犠牲祭……ということで、飛び石連休状態となるはずだったのだが……。
月曜日の今日もまた、昼過ぎから街の機能が停止している。木曜日にはまたストライキだとの話しも出ており、メンバーが集ってのバザールの準備もままならない。
もっとも、会場やヴェンダーとのやりとりなど、大枠は整っているし、その他の準備は前倒しで進めてきたので、せめて金曜日には街が落ち着きを取り戻し、土曜日が平穏であれば、問題はない。問題はないが、この世間の有り様には、気持ちがざわめくし、やり場のない怒りに駆られる。しかし、こんなときこそ、平常心だ。
ミューズ・クリエイションのメンバー50数名には、数時間前に注意喚起の通信を送った。大手企業など複数の日本人、従業員が勤務するところであれば、このような通達はすぐになされるだろうが、そうでない人もいる。送っておくに越したことはない。(※注1)
現在、午後7時半。近所で爆音が轟いている。犠牲祭を祝う爆竹なのだろうか。このようなときに爆竹を鳴らすな! と言いたいところだが、これもまた、混沌のインド。
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南インドには、Kaveri (Cauvery) という名の大河が流れている。カルナタカ州西ガーツ州を源流とする全長765kmの川。日本最長の信濃川の、約2倍の長さ。デカン高原を横切り、タミルナドゥ州の東、ベンガル湾に流れ出す。この豊かな川の水の利権を巡って、両州は久しく、争い続けてきた。
水不足を巡る問題は、気象や地理的な問題ではない。ここには、豊かに、水が流れている。うまくシェアすれば、水不足に陥ることはない。
問題の背景にはさまざまあるようだが、最大は、政治家の有り様。私利私欲に絡んだ問題。
加えて、システムの崩壊。というよりは、システムの、なさ。水道局、というものが、そもそも機能していない。たとえば我が家のアパートメント・ビルディングの場合は、主に地下水をくみ上げている。隣のコンプレックスは、どこかから飲料水を運び込んでいる。
それでも、一定の所得がある層は、お金で水を買えるから、まだいい。気の毒なのは、低所得層の人々だ。バンガロールの人口の30%が、スラム居住者。数年前、リサーチの仕事で、界隈の低所得層の家庭訪問を、20軒以上だったろうか、実施したことがある。
各家庭のライフスタイルを、徹底的に調査する仕事。なかなかに過酷なリサーチではあったが、低所得者層の暮らしぶりをつぶさに見られたことは、本当にいい経験だった。
そのときに痛感したことの一つは、水や電気のインフラの劣悪さだった。特に水。生活用水は、まだなんとか自宅の水道から出ているところが多かったが、飲料水は、週に数回しか得られないところが多数だった。それも、自宅の蛇口から出るのではない。公共の場まで赴かねばならない。その公共の場が自宅から離れている人もいる。給水車が来るのを待たねばならないところもある。
スラム居住者よりも、まだ「ワンランク上」の暮らしをしている人たちでさえ、その状況であった。
水を汲みに行くだけで、一日数時間もの時間を費やさねばならない人たちが、この街には、この国には、ごまんといる。
インフラストラクチャーの問題、というよりも、そもそも最大の問題は、腐敗した政治家たちの行いだ。当地に限らず、たとえばマハラシュトラ州の現状はすさまじい。マハラシュトラ州全体の農地の4%を占めるサトウキビ畑が、同州で使用されている農業用水(地下水を含む)の、実に71%を使っているという。
サトウキビ、水を使い過ぎである。というよりも、どうやら、給水方法も間違っているらしい。水を有効利用すべくインフラを整備すれば、浪費は免れるのだが……ということを書き始めるときりがないので、この辺にしておくが、そのサトウキビを使う製糖会社の経営者の多くが、政治家たちである。諸々の問題が渦巻いて、水を得られない他の農作物を育てる農民たちが、苦境に立たされている。(※注2)
先日の、リライアンス・ジオの件もそうだ。Facebookに記したコメントを、下に転載しておく。(※注3)
腐敗勢力のパワーが凄まじすぎて、誰にも止めることができない、というのもこの国の悲劇だろう。
すばらしい人たちは、たくさんいるというのに、太刀打ちできない。
ここカルナタカ州でも、結局は政治家たちの私利私欲という残念な理由が、トラブルの原因となっている。なぜ、そこまで腐敗できるのだろう。自分たちだけで利益を独占して、いったい何が幸せなのだろう。こればかりはもう、インドに限らず、遍く世界のあちこちで見られることではあるが、この国ではそれがなおいっそう、顕著なのだ。
最高裁でタミル・ナドゥ州に有利な判決がくだされたことで、激怒するのはカルナタカ州の農民ら。先週の金曜日はストライキ。そして、今日はまた、市街の随所で、タミル・ナドゥのライセンスプレートを付けた車両が投石や放火の被害に遭っている。
そんなことをして、何の解決にもならないということを、理解する能力もない低次元思考の一部市民のせいで、街の機能がまたしても、停止する。繰り返されるストライキによって、どれほどの人たちが、大小の被害を被っていることだろう。
1947年。インドが分離独立して以来、この多様性の極みの国は、異なる宗教間、コミュニティ間での諍いが、折に触れて起こって来た。そもそも、一つの国として存在していることが「奇跡的」な状況であるこの国においては、常に諍いの危険性を孕みつつも、微妙な均衡が保たれている。
その均衡を、崩したくてたまらない人たちは、多分、一定数存在する。そしてなにか火種を見つけたら、ここぞとばかりに暴れ出す。それがいかに愚かなことなのかを考えることなく、感情をぶつけ合う。感情が高じて、殺し合いに発展する可能性もある。
今回は、そのような血の流し合いが起こらないことを、願うばかりだ。
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上の写真は、先ほど徒歩圏内の隣のアパートメントコンプレックスに付属する生鮮店で購入した野菜。午後から町中の店舗が閉鎖し、ドライヴァーにも帰宅してもらった。が、夕飯の野菜がない。
買い物かごを携えて赴いたところ、幸い、小さなその店は開いていた。この際、オーガニックだのなんだのと言ってはいられないので、野菜を調達。ひょっとすると、明日もどうなるかわからないので、多めに買って籠に入れたところ……重い!
普段は大量に購入しても、ドライヴァーに運んでもらうので、まったく気にならないのだが、久しぶりに自分で買い物かごを携えてみて、そうだ、買い物は、重いんだ。ということを思い出す。
ちなみにこれだけ買って、500円程度。物価が上がったとはいえ、野菜は廉価なインドである。無論、廉価でなければ、低所得層の人々が、食べていけないのであるが。
ともあれ、久しぶりに、いろいろと考えさせられるインドである。
そうこうしているうちにも、今、近所のモスクからコーランが流れてきた。明日は明日で、彼らの儀式が無事に終わらんことを願いつつ。
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(※注1)ミューズ・クリエイションのメンバー宛に送った通信
カーヴェリー川水利問題の判決を巡り、金曜日のストライキを終えたと思ったら、本日は市内各所で、自動車が燃やされるなどの暴動が起こっているようです。バンガロールだけでなく、マイソールでも小競り合いなど見られるようです。
タミル・ナドゥナンバーの自動車が投石や放火の対象となっているところもあるようです。タミルナンバーの車両をお持ちの方はないかとは思いますが、どうぞお気をつけください。
それでなくても、街には犠牲祭待ちの羊がヤギが溢れていて混沌なのに、阿呆な輩が加わって、本当に残念だし迷惑です。車両攻撃だけでなく、タミル人などに危害が加えられると、事態は深刻です。そうならないことを願います。
ちなみに、バンガロールにはたくさんのタミル人が住んでいます。大半の住民が、平和に暮らしています。が、そうでない側面もあります。隣州ですし、仲がいいのではと思われそうですが、実は「州民感情」的に、昔から敵対しているところがあるようです。というよりも、互いに愛郷心が強すぎて、他者を受け入れないというところもあるかと思います。
昨年のタミル・ナドゥ大水害のときにバンガロールにいらした方はご記憶かと思いますが、カルナタカ州からの支援車両を追い返し、州長ジャヤラリタ(元女優の老婦人で権力者。ブラックマネー関係で何度も逮捕されたりしているが、不死鳥の如く蘇る)の支援を大々的に受け入れるという歪んだ感情があります。
南インドの人は、概ね温厚とされますが、時に狂ったような阿呆な輩が登場します。残念なことですが、止められません。もっとも、あまり賢くない層の市民らではありますが……。ここぞとばかり、暴れたい鬱屈した人たちが大半だと思います。
今から10年余り前、わたしがバンガロールに移住した直後にも、有名な映画俳優の死を悼んで大暴動が起こりました。彼の死が悲しくて、みんな暴徒化したそうです。意味がわかりません。当時はまだなかったUBシティの界隈の建物が、ぼろぼろにされていたのを呆れて見た記憶があります。
もしもスーパースター・ラジニカーントが死んだりしようものなら、この場合、タミル映画の俳優とはいえ、バンガロールでの人気も高いですから、どうなることやら、恐ろしいです。彼には長生きして欲しいものです。
話しがそれましたが、要点は、「なるたけ外出を控えましょう。街の中心部を避けた方がよいです」とのお知らせでした。外出の際には、メディアの情報をチェックした方がいいかもしれません。
世の中、気ぜわしくはありますが、平常心を意識して、注意を払いつつ、過ごしましょう。
(※注2)マハラシュトラ州におけるサトウキビ畑と水の問題
A bitter sugar story (←Click!)
(※注3)リライアンス・ジオの記事を巡って
このごろはもう、ネットに溢れるニュースを見て、ひとつひとつに反応していたので時間がいくらあっても足りないと思われるほど、インド関連だけでも、さまざまにあり。これはブログに書こうと思うトピックスが日々溢れ、結果、いっぱいいっぱいになって、なにも書かない日が続く。
今日は久しぶりに『インド百景』を書こうと思いつつ、パソコンを立ち上げてFacebookを徘徊していたら、友人のウォールにこの記事を見つけた。それを見て、どうしてもスルーできず、しかし友人のウォールに長々コメントするのも憚られたので、ここに記すことにした。
■印大富豪、無料4G接続を10億人に提供 高速ネット普及へ (←Click!)
◎この記事のタイトル「無料提供」はあたかも慈善のような誤解を招くが、ここで紹介されている「リライアンス・ジオ」サーヴィスは100%ビジネス。記事に書かれている通り、無料は「年内限り」で、来年からは廉価ながらも課金される。実はアルヴィンドが数日前、試しにこのサーヴィスを使い始めたが有料だ。無料なのは限定サーヴィスだけだと思われる。この記事は紛らわしい。
◎インドの政治家は概ね腐敗しており、汚職だらけだとされているが、社会のために投資する実業家、財閥は昔から存在する。そのような人たちの尽力もまた、この国の成長を育んでいるともいえる。社会のために巨額を投じ、学校や病院を作る大財閥、富裕層は数知れない。たとえば日本人にもなじみのあるところでは、タタ財閥、ビルラ財閥、ゴドレージ財閥などだろうか。ちなみにマハトマ・ガンディと縁の深いビルラ財閥は、彼の願いを受けて、ムンバイの日本山妙法寺や日本人墓地の建立に貢献、今なお維持にも投資をしてくれている。
◎記事にあるリライアンス財閥(リライアンス・グループ)は、戦後に誕生した新興財閥。世間では「成り上がり」的な存在として認識されている。ディルバイ・アンバニという創業者が、中東で石油会社に勤務後、帰国。化学繊維のビジネスからスタートし、一大コングロマリットに育て上げた。彼をモデルに描かれた『GURU』という映画は興味深い。もちろんフィクションが織り交ぜられ、美化されてもいるが、大まかな彼の生き様を見ることができる。彼の死後、二人の息子(この記事で取り上げられている兄のムケシュ・アンバニと弟のアニル・アンバニ)がグループを引き継いだが、記事にもあるように喧嘩が絶えず、二つに分裂。兄の評判は特に悪い。
◎ムケシュ・アンバニは、世界の長者番付でもしばしば1位になる大富豪。富を社会にシェアしないことで有名なばかりか、お金の使い方が非常に汚いことで有名。ムンバイの閑静な住宅街にあった孤児院を取り壊して、世界で最高額の高層住居を建設したり、妻の誕生日にボーイング737を贈ったりと、派手に話題を提供。しかし新築当初、その住居に、彼はあまり寄り付かなかった。今はどうだか知らないが。インドの風水であるところのバーストゥ・シャーストラに基づいて建築されたとされているが、方角を間違えて建築したらしく、居心地が悪いらしい。詰めが甘すぎる。詰めが甘いといえば、ムンバイの最高級ホテル、タージ・マハルパレスも、実はエントランスが海側に作られるはずだったのを、間違って反対向きに建設されてしまった。建築途中に現場を見た設計者が衝撃のあまり自殺したという話しもある。なにしろ、詰めが甘い。
◎ムケシュ・アンバニがお金で何もかも買収し、何もかもを動かしていることは有名な話。天然ガスを盗んでビジネスとしたり、いやもう、挙げれば枚挙に暇がない。以前、彼の息子がムンバイで自動車事故を起こして路上生活者らを殺傷したが、それもメディアを買収してニュースにならなかった。が、そのニュースはネットを通して流出しているし、小説『6人の容疑者』の中でモチーフとして描かれてもいる。
◎つまり、リライアンス・グループのムケシュ・アンバニは、社会を思って尽力するような人格者ではないと、今のところは見受けられる。
◎なお、低所得者層、貧困層をターゲット(対象)にするビジネスの展開については、普通に存在することだし、何ら否定されるべきものではないと思う。BOPビジネスというカテゴリーもある。インド企業だけでなく、海外の多くの企業が、インドの人口の多数を占める低所得者層を対象としたビジネスを展開している。貧困層を思うふりをして、「薄利多売」と目論んでもいる人だって、インド人に限らず、世界中にあふれている。
◎ムケシュ・アンバニを否定することばかり書いてしまったが、この記事が真実であれば、広大なインドの村落含め、10万もの基地局を建設することによって、恩恵を受ける人は大勢いるわけで、廉価でサーヴィスを受けられるのであれば、それはよいことではないかと思われる。
◎富裕層だから、お金があるだろうということで、他者へ社会への奉仕を期待するのではなく、その気持ちは、資産の大小を問わず、誰もが持つべきものだと思う。ヴォランティア、チャリティは富裕層の道楽……的な見方をされる社会も存在する。それはそれで、お金が動けばインパクトはあるが、しかし、そればかりが奉仕ではないと思う。
◎この国は、経済的に貧しいはずの人たちが、より貧しい人たちに施す社会でもある。それぞれに帰依する宗教に依るところもあるだろう。家族親戚、ご近所、コミュニティが支え合って生きているところは、数多くある。そういう側面を見つめつつ、腐敗した社会を反面教師にしながら、果たして自分はどうありたいのか、を問い続けつつ、暮らしたいものだと考えている。
……軽く書くつもりが、こうしてすぐに、長くなってしまう。なにか一つのことについて説明しようと思うと、バックグラウンドを遡る必要があり、何につけても長くなってしまう。