◎米国を東海岸から西海岸で、横断するドライヴをしたときに立ち寄ったモニュメント・ヴァレー、ナヴァホ・ランドの夕景を思い出す、すばらしい景色だった。カサ・ミラ(ラ・ペドレラ)の屋上からの景色。
★夫と合流。遅いランチのあと、市街北部、丘の上にあるグエル公園へ
午前中は、ホテルでのんびりと過ごし、本を読んだり、旅の記録などを残していた。昼過ぎに、夫がシッチェスからやってきた。さて、今日からは二人旅。
仲良くせねばと肝に銘じるも、夫。部屋に入るなり、無造作にスーツケースを広げ、雑に荷物を開封し、わずか数分後にはもう、清澄な空気が木っ端みじんだ。壮絶なる空間破壊力に、言葉もない。
さて、昨日の記録、文章をゆっくり書いている余裕はないので、主には写真だけでも残しておこうと思う。
◎朝の空気は涼しく爽やかで、パティオ(中庭)での食事が気持ちよい。
◎白ワインで乾杯。手前のタパスはレーザー・クラムと呼ばれる貝。ガーリック風味が利いていて、美味。
◎二人とも、連日食べ過ぎなので控えめにと思いつつ、このスペイン風フライドポテト、パタタス・ブラバスがおいしくて、つい頼んでしまう。この店のそれは、ほくほくと旨味も抜群、本当に格別であった。
◎一人旅だったので頼めずじまいだったイカのフライもついには注文。食事というよりは明らかにおつまみなメニューとなってしまったが、それはそれだ。
◎コーヒーを頼んだら、焼き菓子がついてきた。ココナツ風味のカステラ。
午後4時。本当は近所でも散策しようと思っていたのだが、翌日訪れる予定にしていたグエル公園へ足を運ぶことにした。ガウディが手がけた丘の上の公園だ。バスに乗って赴く。
◎坂道を上って公園をめざす。広大な公園の、見所が詰まっているエリアは予約しておかねばチケットが買えないと聞いていたが、夕方だし、さほど並ばずにすむのではという気持ちもあり、行ってみたのだが。
◎なんと、次のチケット販売は2時間後の6時半! 現在は旅行のハイシーズンとはいえ、本当に観光客が多いのだ。ここには19年前にも来たことがあるし、周辺を歩くだけでもいいだろうと、取りあえずは散策開始。
◎バルセロナ市街を見下ろす。手前のかわいらしい建物は、ガウディ記念館。ガウディの愛弟子が建築したもので、ガウディが年老いた父親のために買い取った。のち、彼がここに暮らすことになる。
◎ミュージアムには入ったことがなかったので、訪れたいと思っていた。ここには並ばずに入れた。
◎バルセロナ近郊にあるコロニア・グエルの地下聖堂に並べられている椅子。この聖堂の設計は、のちにサグラダ・ファミリアを設計するための足がかりになったとされており、訪れてみたかった場所のひとつである。
◎父親が亡くなったあと、ガウディはここに暮らした。彼の寝室。所有欲がなく、簡素なライフスタイルだったという。ヴェジタリアンでもあったらしい。物を手に入れることよりも、対象を眺め、創造することに歓びを見いだしていた。モデルニスモ建築家三巨匠の中で、政治やお金に関わりのない、唯一の独特な個性だった。
◎路面電車の事故で急逝したガウディ。これらは遺品の一部だという。
◎1989年に来たときには、このエリアは改修工事中で入ることはできなかった。こうして上から見下ろしたことを思い出す。
◎この波打つ柔らかなベンチのモザイクに、ガウディ・コードが隠されているとかで、探してみたかったのだが……。
左右に立つ、お菓子の家のような建築物。そもそもここは、グエル氏が分譲住宅地にすべく、ガウディに設計依頼をしたらしいが、街中から離れすぎていることから、買い手がつかずに計画倒れとなり、後年、公園になったという。
◎実はこのエントランスエリアにも、ガウディ・コードが隠されているらしい。確かに! フリーメイソンのシンボルとされている「神の全能の目」(プロビエンスの目)が見られる。米国の1ドル紙幣にも印刷されている、ピラミッドとその上部の目、を連想させるレイアウトだ。△の上部に、○がある。撮影する角度を変えると、本当に○の部分が目のように見えるはずだ。
◎帰りは下り坂。道沿いには、ガウディゆかりのお土産やさんなどがたくさん並んでいた。なんとなく、長崎を思い出す。
◎バスに乗って、ホテルの近くのパッセージ・ディアゴナルで下車。すでに夕暮れだが、カサ・ミラ(ラ・ペドレラ)を見た夫、入ってみたいという。わたしも中を見ていなかったので、同意。幸い、列もなく、速やかに入れた。
◎ガウディ晩年の作品。ミラ氏に依頼されて設計した大規模な集合住宅(マンション)だ。そのユニークな形状から、ラ・ペドレラ(石切り場)の愛称で知られている。
◎現在も人々が暮らし、働いている「生活と仕事の場」であり、見学できるのはこの地上階、そして屋上と、屋根裏、1フロアのみとなっている。
◎昼間は柔らかくも暖かな日差しが差し込むのであろう中庭。渦巻くカタツムリのようなモチーフ、床の緩やかで不規則に思える起伏が、洞窟の中にでもいるような気分にさせられる。
◎そして屋上。心地よい風が吹き抜け、爽快感たっぷりだ。その後、定められたバルセロナの建築基準に反しているとのことで、一時は上階と屋上部分が削られる可能性もあったとか。特別措置で保たれたのは、当然の結果であろう。
◎キノコのようないくつもの突起は、装飾ではない。煙突や階段を隠しつつ、ユニークな形状を見せているのだという。
◎意図して作られたアーチ。サグラダ・ファミリアを額の中に納めるかのように。
◎10年後、サグラダ・ファミリアが完成したのちにまた、訪れる機会があったなら、ここにも足を運んで、同じ光景を眺めてみたい。
◎振り返れば、太陽が沈まんとするところ。この時間帯に来て、本当によかった!
◎うろうろとしているうちにも、太陽が、塔の背後に下りて、立つ場所によっては、目のように見えることに気づいた。これももちろん、ガウディが計算したうえでの遊び心だろう。楽しすぎて、何枚も写真を撮る。夫もまた、別の場所から、同じような写真を撮っていた。
◎ひとしきり屋上を楽しんだあと、屋根裏部屋へ。ここにはまた、ガウディの作品などが展示されているほか、天井部の構造が見られて、興味深い。
◎ここで、『バルセロナ 地中海都市の歴史と文化』で気になっていた箇所が蘇る。一部抜粋。
産業革命で出遅れたカタルニアは、イギリスなどに比べて鉄道をはじめとする鉄の導入も遅れていた。だが、カタルニアはレンガ造で大空間を覆うという近代的技術を開発していた。遅れて入っていた鉄の架構と近代レンガ造が結びつき、独自の近代芸術であるモデルニスモを技術的に支えたのである。
レンガ造の近代技術は「カタルニア・ヴォールト」と呼ばれる。一言でいえば、薄板レンガとセメントを積層させて床や天井を彎曲面全体で支える工法のことだが、カタルニアでは近代以前から民家などでふつうに使われ、現在でも使われている。
(中略)
カタルニア・ヴォールドは……アメリカ東海岸で大いに用いられた。ニューヨークの地下鉄駅や大中央駅ターミナル駅からカーネギーホールに至るまで……
このくだりを読んだときに、「カタルニア・ヴォールト」とは、実際にどのようなものなのだろうか、見たいと思っていたのだが……きっと、これである。
一見頼りない感じの、この薄いレンガが、積み重ねられて、建物をしっかりと支えている。本当にもう、しみじみと、建築という世界の奥深さと偉大さ、無限とも思える可能性に、感じ入る。
◎建築物の造形を生かし、シンプルな調度品で暮らすのもよさそうな印象を受ける。
★ ★ ★
思いがけず、夕暮れのカサ・ミラを訪れたのは、本当に幸運だった。昼間は昼間なりのよさがあるだろうが、夕日を望む光景は格別であった。
時計を見れば、すでに7時55分。ちょうどアルヴィンドのアスペンの友人らが、9時半からのフラメンコ観劇を前に、軽食をとるべく集まるとの連絡が入った。わたしたちは翌日に観劇する予定だったので、カクテルだけでも合流しようと場所を確認したら……。
なんと、カサ・ミラの斜向いの店! 徒歩3分である。この広いバルセロナでなんという奇遇。というわけで、早速、店へ。
◎ずいぶん雰囲気のいい店だ。建築物も古びた重厚感があり、味わい深い。
バルセロナ。本当に魅力的な町だと、しみじみ思う。夫は最初、「ガウディには格別に関心があるわけじゃないから、サグラダ・ファミリアとグエル公園だけ見られたらいいよ」と言っていた。
ところが、グエル公園のミュージアムで、彼の生き様に触れ、カサ・ミラの建築哲学に心を打たれたようで、実は今、一人でカサ・バトリョを見に行っている。わたしはすでに見て来たので、ホテルから近いことだし、一人で行ってもらった。
というわけで、その間を縫って、今これを、急ぎ書き上げたところだ。
今日はこれから、ドメヌクが建築したサン・パウ病院の見学を経て、夫とともに、再びサグラダ・ファミリアへ赴く。またしても足が棒になりそうだが、休み休み、観光を楽しもうと思う。