みほさんちで引き取られていた小さな子猫のチャックが、昨日の朝、死んでしまいました。
マルハンさんちに来てから、わずか1週間たった日曜日の朝のことでした。
亡骸は、お庭の仏像の前の土深く、眠っています。
前回のレポートでは、チャックはヘルニアの手術を受けることになっていましたが、結局は手術にはまだ早すぎるということになりました。
念のため、みほさんは別の病院へ連れて行ったのですが、やはり「様子見」と言われていました。生き延びられるかどうかは、ドクターもわかりませんと言っていたので、みほさんもまるおさんも、覚悟はしていたのですが、やっぱり、死なれてしまうと、堪えます。
わずか1週間のことですし、みほさんも、あまり写真を撮っていませんでした。なので、前回と同じ写真もいくつかありますが、改めてここに、記録を残しておきたいと思います。
最後に、みほさんがFacebook、というものに書き残していたチャックに関するメモを、転載します。
マルハンさんちに引き取られた数時間後のチャック。最初は、ものすごく臭かったんですよ! 糞尿にまみれて汚れていたのを、みほさんがお風呂に入れてきれいにしました。たくさん、ノミも出てきたので、猫専用の櫛で何度も毛を梳かします。みほさんは、いちいちヒ〜ッ! と言いながら、ノミをしらみつぶしに捜索していました。
最後に身体を乾かして、ノミ防止のパウダーをふりかけて、ようやくすっきりです。
すっきりしたチャックは、見違えるほどきれいになりました。身体はガリガリで骨皮筋右衛門状態なのに、毛がフサフサしているので、大きく見えるんです。
骨皮筋右衛門って、なんですか?
午前中、CUPAという病院に連れて行きました。このときドクターから明日、手術だと言われました。あとから思うと、こんなに小さな弱々しい身体で手術を受けられるはずがなかったのですが、みほさんは専門家ではないので、ドクターのことばを信じました。
この写真は、月曜日の午後です。多分、生後1カ月半ほどのはずですが、とても小さいです。小さいけれど元気で、みほさんの机の上をうろうろします。
結局、手術は受けないことになりました。木曜日、みほさんが別の病院に連れて行きました。そして、具合が悪い猫専用の餌や、虫下しのような薬を処方してもらいました。
実は前日から下痢がひどく、みほさんは1、2時間おきに新聞紙を取り替え、お尻を拭いたり、湯たんぽを入れ替えたりと、世話に追われていました。血便もありましたが、ドクターは様子を見るしかない、点滴の必要はないとのことでしたので、連れて帰った次第です。
まだ下痢はしていたけれど、頻度が減って、少し元気になりました。餌も、よく食べています。みほさんの足と比べると、とても小さいことがわかりますね!
みほさんの足によじ上って、膝の上に座ろうとしています。でも、みほさんが抱っこしている間、何度か粗相をしました。みほさんはその度に着替えねばならず、辟易していました。
翌日の土曜日は、みほさんはOWCのバザールがありましたので、朝6時に起きて、お弁当を作ったり、チャックのおトイレの世話をしたり、慌ただしくしていました。
でも、チャックには愛情が必要だと思って、朝のコーヒーを飲む間、膝の上に載せておいたら、またうんこをして、みほさんはまたシャワーを浴び直したりなんかして、たいへん、大忙しでした。猫のおむつがあればいいのに。とも、言っていました。
超プチ介護状態だ、とも言っていました。
みほさんが先に出かけたので、土曜日はまるおさんも、チャックの世話をしました。まるおさん曰く、汚れた新聞紙を交換したり、餌をやったり、あと、お尻を拭いたりしたそうです。
それぞれ1回ずつ、ですけどね。
でも、それだけでも「僕だって、チャックの世話をしてやったんだ!」と、ずいぶん、やった気になってましたよ。
土曜日の夜になって、チャックは、少し元気がなくなりました。餌もあまり食べなくて、みほさんの足にもよじのぼってきませんでした。
それからのことは、みほさんの記録を読んでください。
チャックが天国で駆け回っていることを願いつつ、わたしはこの辺で失礼します。
ごきげんよう!
追伸:NORA&ROCKYは、相変わらず、元気ですよ。NORAのハゲはだいぶ回復しています。まだお薬を飲んでいますけれど。このごろは寒いので、みほさんは自分のインドなベストをNORAにかけてやりました。超似合ってますね!
【Facebookの記録より】
◎11月18日(水)
ヘルニア手術の件を心配してくださっている方もいるので、ご報告を。結論からいえば、まだ手術を受けていません。
CUPAの動物病院にて、月曜日に担当してくれたドクターは未熟者だったようである。CUPAは動物保護団体で、ミューズ・クリエイションの慈善団体訪問でも別の施設を訪れた。
今回はその付属病院を訪れたのだが、少なくともわたしとこの子猫に対する対応はよくなかった。子猫を数日保護してくれていたご近所に暮らすCUPAのスタッフ曰く、CUPAかセスナホスピタル(NORAやROCKYがお世話になっている)に連れて行ったほうがいい、とのことだったので、今回は試しにCUPAへ連れて行ったのだった。
病院そのもののが、環境が全く異なった。セスナの方が、格段に近代的で安心感のある病院である。とはいえ、CUPAは猫の治療に関して経験豊富だと彼女が言っていたので、任せることにしたのだった。
ところが、手術日当日、シニアのドクターが診たところ、体力が消耗しているし小さすぎるということで、手術にはまだ早いということになった。数日、様子を見るようにとのこと。そんな基本的なことが、なぜ初日のドクターにわからないのか、という話しである。
仕方なく様子を見ることにしたものの、こちらは素人。弱った猫をどうすればいいのか、という状況である。もちろんできるかぎりの世話はしているが、ネットなどを見ても的を射ない。
子猫はそれなりに元気で、それなりに食事を食べて水を飲んではいるが、排泄の具合がよくない。ヘルニアのせいもあるだろう。ということで、明朝、改めて今度はセスナホスピタルに連れて行くことにした。無駄足を踏んだが、仕方がない。わたしの判断ミスだった。
考えるほどに、この時期、育児放棄されていた生育不良の彼が生き延びていたことは、稀なことだと思われる。せっかくだから、もうひとがんばり、生き延びて欲しい。
それにしても、なんでまた、こんなことに巻き込まれているのだろう。土曜日はOWCクリスマスバザール。諸々、立て込んでいるというのに、何かと気持ちが休まらない日常だ。
◎11月21日(日)
朝起きたら、子猫のチャックが死んでいた。
映画『キャスト・アウェイ』でトム・ハンクス演ずる無人島からの生還者「チャック」の名前をもらっていたのだが、生き延びることは、叶わなかった。
たった1週間、世話をしただけだったが、NORAとROCKYを足して2で割ったような風貌に、最初から親近感を覚えていた。
写真では、毛がフワフワとしていてそれなりに健康そうに見えたが、身体は本当に小さくて骨だらけ、ゴツゴツとしていた。長雨の寒い中、親に見捨てられ、まともに餌もないなかで、生き延びられていたことが不思議だった。
夕べは一昨日に比べると、少し元気がなかった。体重も2日前の335グラムから20グラムほど減っていた。それでも少しは餌を食べていた。夜、湯たんぽを入れ替えて寝床の準備をしてやったら、気持ち良さそうに、しかし力なく、横たわった。
つぶらな瞳でじっとわたしを見つめていた。チャックの小さな瞳は、とても賢そうな光を放っていた。あまりにじっと見つめるので、そっと手のひらに載せて間近で見た。
小さなチャックは、食い入るようにわたしの両目を交互に見つめる。その様子に、ひょっとしたら、死ぬのかもしれない、と思った。
そう思ったら、目頭が熱くなった。わたしの目が潤んでいることに気づいたチャックは、少し驚いたような顔をして首を伸ばし、わたしの頬を小さく、ぺろっと舐めたのだった。何度か小さく、ミャア、と鳴いたりもした。
再びチャックを暖かな寝床に戻し、横たえた。
寝る前、夫に、「チャックはもう、だめかもしれない」と伝えた。だから、心の準備はできていた。できていたが、心は痛む。
朝、チャックは空を駆けるようなポーズのまま、冷たくなっていた。子猫だったころのROCKYの寝姿に似ていた。やはり兄弟なんだな、と思った。
死ぬかもしれない、生き延びたとしても、いろいろな病気を抱えているかもしれない、なにしろ母親が見捨ててしまったのだから。わかってはいたのだが。
ディワリの夜、彼を見つけなければ、なかった1週間。たくさんの子猫らが生まれ、その多くが落命しているなか、彼だけが特別な1匹となってしまったのも、縁。気づかずに、雨に打たれて路傍に倒れていたかもしれぬ彼のために、線香を焚いて嘆くのも、不思議な縁。
最後に、暖かな場所で眠れてよかったのだ、と思うことにする。
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人は全人類のために泣けないし、ましてや全猫のためにも泣けない。縁がある存在を喪ってこその衝撃や痛み。だから世界のどこかで起こり続けている戦争やテロや天災で死ぬ人のために、等しく嘆くことなどできない。
身近な一つの死に丁寧に向き合えば、無数の死の向こうにある無数の痛みを想像できる。……と、パリのテロのことについても、思いを馳せる。
★ ★ ★
小雨降る日曜日の午後。本当なら休日の庭師に来てもらい、仏像の前に深い穴を掘ってもらった。そこに子猫を埋葬した。数年前に、バンガロールにもペットの火葬場もできたらしいが、せっかく自分たちの庭があるのだから、ここで眠ってもらうのがいいと思われた。弔いが終わったら、少し気持ちが楽になった。
なにも気づかず、いつものように気ままに駆け回るROCKYを捕まえて、抱き上げる。デブロ(デブなROCKY)のどっしりとした重みが、殊の外、有り難い。同じ母親から生まれ、排水口に育った彼。彼とて、片手に載るほどに小さかったのに、よくもここまで育ったものだ。改めて感慨深く。