「明日はわたしたちは、7時45分から準備をはじめて、8時丁度には儀式を始めますから、ぜひ来てくださいね」
昨日、大家夫人のチャヤにそう念を押されていたので、6時半に起床した。いくら時間にルーズなインド人とはいえ、宗教的、あるいは占星術的に「いい時間」を主張しているのだから、さすがに時間を守るであろうと思い、「儀式なんて行きたくない! 眠い!」とベッドに潜り込んだままの夫を叩き起こして身支度を整えていた。と、チャヤより電話。儀式は、ちょっと遅れて8時半から始めるとのこと。やっぱりインドだ。ま、ゆっくり朝食でも食べて出かけようと思った矢先、「プジャーの前に朝食は食べないでくださいね。食事をせずにのぞまねばならないんです」と、付け加えられる。
自らの宗教心を遂行するのはかまわないが、定期検診前じゃあるまいし、なんで朝食抜きなんだ! わたしは朝食をとらないと、力がはいらないんだ! 朝食抜きの件を夫に言うと怒るだろうな、と懸念したが、8時半に変更と知るや再びベッドで眠り始めたので、少々安心。
そうしてちょうど8時半、アパートメントを訪れたら、チャヤらはまだ到着しておらず。ったく、「いい時間」ってのは、自分の都合にいい時間ってことじゃん。プールサイドで待つこと20分。夫妻はチャヤの母と使用人数名を率いて、ようやくやって来た。簡単な儀式を行うだけかと思いきや、間もなく祭司もやってくるという。
キッチンの一画に、ヒンドゥーの神々を飾り、祭司が来る前に祭壇の準備をする。まずはチャヤの母親が、相当に大きな声で読経を唱えはじめ、神々に向かって手を合わせるよう、我々を促す。
そうこうしているうちに、祭司登場。花や果物やスパイスのようなものらを、てきぱきと、祭壇の上に飾り付けてゆく。そして、ミルクを沸かす簡易ガスコンロにも、「清め」の印をつけ、花を添える。
祭壇が賑やかに飾り付けられている間、チャヤはミルクを沸かす準備。着火もまた儀式のひとつらしく、わたしにコンロのスイッチを握らせ、チャヤも手を添え、ふたりしてスイッチを入れる。超弱火。祭壇の準備が整ったら、いよいよ読経のはじまりである。
これまた相当に大きな祭司の声は、アパートメントビルディング一帯に響き渡る勢いだ。実際、響き渡っていたらしく、ほどなくして、すでに初日、顔を会わせていたお隣の夫人が現れ、儀式に参加。ちなみに階上の夫人は最初から参加していた。二人ともとてもフレンドリーで、何か必要があったら、手をかしますから声をかけてね、と申し出てくれる。
読経は延々と続き、それから、この場にいる人々、及びその家族の名前を口づてで、祭司が読み上げていく。はじめに大家夫妻の家族の名が延々と続き、それからマルハン家、そしてわたしの母の名前、サチコ・サカタ、妹の名前、アユミ・ホリ、妹の夫の名前、カズオ・ホリを読み上げてもらう。マルハン家も日本家族も、少ない。あっというまに読み上げ終了。
わたしたちの結婚式のときよりも、むしろ真剣かつ本格的な、そして長い儀式である。もう、お腹が空いたし、早く終わってほしいものだと思う。手を合わせ、目を閉じながら、しかし心は澄んでいて、今朝見た夢を思い出していた。その夢は、今まで見たなかでも、最も気持ちのよい、夢だった。
万歳をして、体中の力と精神を集中させると、ふわりと身体が浮かぶ。それからより精神を統一すると、身体はゆっくりと上昇し、空を飛び始めるのだ。それはとても気持ちのよい感覚だった。何度か試したが、いずれも飛ぶことができて、本当にうれしかったのだ。
やがて、ようやく読経が終了したかと思いきや、今度は一同玄関に移動し、玄関先で火を焚いての儀式。煙いったりゃありゃしない。それからライムの実を床におき、ココナツの実で叩き割る、という儀式をさせられる。そして最後に、主要メンバーがお供えの載ったトレーを皆で支え、台所まで運ぶ。という儀式をやる。
キッチンに戻るころ、弱火にかけておいたミルクが沸騰し始めていた。火を止めずにいいのかとチャヤに問えば、沸騰させ、吹きこぼれさせねばならないらしい。なんだかもう、意味不明の儀式が連発だが、すべてを素直に体験させてもらった。
そうして沸騰したミルクに、チャヤは砂糖とインスタントコーヒーを入れ(コーヒーは儀式の一部ではないと思う)、紙コップに注いで皆に振る舞う。このミルクコーヒーが、インスタントコーヒーだったにも関わらず、空腹だったせいもあろうか、こくがあって非常においしかった。ミルクが濃厚な分、おいしさが際立ったのかもしれない。
儀式を終えると、チャヤは、
「わたしたちは、もう、家族みたいなものだから、何かあったら、何でも言ってね」
と、これまた濃厚である。気持ちはありがたく笑顔で受け止め、しかし用心しながらつきあおうと思う。
それにしても、こてこてに信心深いチャヤのお陰で、マルハン家にはない「インドらしい」側面を経験できたのは楽しかった。が、しかし、マルハン家が、こういう家庭じゃなくて、本当によかったと思う。チャヤが義母だったら、わたしはインドに住むなんて、絶対にあり得なかったと思う。振り回されまくりそうで、怖いぞ。
壁ではサイババが微笑んでいる。濃厚な儀式が終了し、晴れて我々はバンガロアの、このアパートメントの住民となった。