昨日は、終日デスクワークであった。その傍ら、引っ越し関係の雑事や打ち合わせ。
海外生活での不都合を乗り越えることには、比較的慣れている上、編集者という「スケジュール管理・命」な職業を続けて来た故、ここインドでもなんとか希望通りに物事を運ぶべく努力をしているが、その実現のためには、言わずもがな、大小の面倒が山積だ。
南インドの「スローな気質」と付き合わねばならぬのに加え、昨今では「国内物価格差」が著しい。つまり、各方面で見積もりを取り、「じゃ、これでいきましょう!」とすんなり受け入れられない事態が多発しているのだ。
わたしはもちろん外国人だし、夫もNRIとくれば、大いにふっかけてくる人もいる。5、6年前のインドでは有り得なかった数字が、桁数増やして跋扈している経済急成長の昨今。インフレーションも著しく、どの塩梅で、数字を選び取ればいいのかわからない。
今回の引っ越し関係に集約しても、たとえば、壁のペンキ塗りにせよ、外の鉄柵にせよ、庭師の作業代にせよ、相場がわからないから、まずはその相場を調査せねばならない。万事、一発で物事が進まない。
今日は、ペンキ屋に「呆れて、最早笑いが出るほどの高い見積もり」を出された。値切る気力も失われるそれは数字だったので、もうそこに頼むのはよした。また他を数件あたらねばならない。
やれやれ、と憤りつつも、夕暮れ時。今日は自分で夕食をと、ビリヤニ(インド炊き込みご飯)で使用するバサマティライスを使って、チキンとエビのパエーリャを作った。そしてポテトとにんじんのグリル。夫も喜び、美味なる夕食であった。
のだが……。
(注意!)
ここから先は、「不」爽やかな話題につき、爽やかな一日を過ごしたい方は、お読みにならない方がよいかと存じます。
就寝前、なんだか胃が重く、腰が痛い気がして来た。無闇に鬱な気分が襲ってくる。自分でも訝しく思いつつも、明朝からアルヴィンドは2泊3日でスリランカ出張だしと、早めに就寝する。
と、午前1時頃、吐き気で目を覚ました。トイレに直行である。
なぜ吐き気? 自分で作った料理にあたったわけ? 涙目になりながら、自分に問う。何が悪かったのだろう。アルヴィンドは平気そうなのに。昼間も別段、生ものを食べた訳でもないのに。
まさか、昨日のランチのオイスター? いくら年齢を重ねてきたからって、筋肉痛じゃあるまいし、食あたりまで反応が遅れるなんてことはないわよね。オイスターだったら、昨日の夜のうちに具合が悪くなっているはず。
ひょっとして、ストレス? 意外にも、自分の気づかぬところでストレスを溜めていたのかしら。そうだわ、ストレスだわ。やっぱりわたしは繊細なのだ。とめどない嘔吐感の襲来に、なんだか悲劇の主人公である。
出張を控えた夫を起こしてはかわいそうだからと、ゲストルームのベッドに自分の枕を運び、1時から、なんと朝の6時ごろまで、30分から1時間おきにトイレである。
インド移住以来1年4カ月にして、初めての過激嘔吐体験だ。
それにしても、原因が気になる。ひょっとして、エビ?
……と、思い出した。
2003年9月11日の夜。夕食は丸ごとエビの塩焼きであった。新鮮なエビでおいしかった。それを食したのち、9/11の追悼番組を見た。封印していた2年前の記憶がまざまざと蘇り、途中から見ていられなくなった。あの夜、わたしは激しい嘔吐に襲われたのである。
わたしとしては、「わたしのなかの、繊細なわたし」が過剰に反応した故のことと思っていた。でも、ひょっとして、エビ? とも思っていた。
以来、エビは頭部分を含め、何度も食べている。が、異常はなかった。
ひょっとして、エビもオイスター同様、たとえ料理をしていたとしても、やばい菌を保有しているのだろうか? それとも本当に、これは「精神的な要因」なのだろうか。……違うな。エビだな。しかも「頭部分」だな。
5時ごろ、わたしの異変に気づいた夫は、さすがにベッドから起きだして、水をついでくれたり、背中をさすってくれたりする。
わたしが具合を悪くすることはほとんどないため(悪くしていても、彼にはあまりみせない。いろいろ面倒なので)、彼の方が動揺している。
わたしは、人に構われるとむしろ気を遣うので、一人でトイレに籠りたいのである。なのに、ドアをドンドンと叩いて、
「ミホ、あけなさい! 子供じみた態度はやめなさい!」
と、うるさいのである。別に子供じみているとも思えんのだが。
「僕は今まで、もう何回も吐いて、そのたびにミホが助けてくれたから、僕も助けてあげる」
と、スイートなハニーではあるが、一人にしてほしいのである。
それでも、ベッドに横たわり、背中をさすってもらうとずいぶん楽にはなった。夫には、なんとか30分ほどで引き上げてもらい、寝てもらった。
さて、7時起床で夫は身支度をしているが、さすがにわたしはふらふらとしている。今日は午前午後と、引っ越し関係のアポイントメントを入れているが、少なくとも午前は休んだ方がいいだろう。
夫は「ドクターに往診に来てもらわねば!」とOWCのガイドブックを見てドクターに電話をかけようとしている。
「ドクターはいいよ、あの、粉の薬を飲んで、午前中ゆっくりすれば、治るから」
しかし夫は譲らない。9時すぎにドクターに来てもらうよう、アポイントメントをいれる。
「モハンに、水で溶く、あの粉の薬とココナツとリンゴ、買って来てもらって」
「粉の薬ってなに?」
「あなたが吐くたびに医者が処方してくれて飲んでた薬、あるじゃない。あれよ。名前思い出せないけど」
「そんなの、飲んだことないよ」
「あるってば。もう、何言ってるの? 水分を補給する、ゲータレードみたいな味のドリンクよ」
「知らない」
ああもう。これだもの。よたよたとしながら、わたしは書斎へ向かい、コンピュータのスイッチを入れる。よかったよ。こんなこともあろうかと思っていたわけじゃないが、ホームページに写真を載せておいて。
このページに載っているこのパッケージの薬、これは優れものなのだ。Electral。処方箋なしで買える。胃腸の調子が悪いとき、これを水で溶いて飲むといいのだ。これは常備薬としておかねばな。
それから、ココナツウォーター。これもまた、ポカリスエット的に、体内に水分が速やかに吸収されるため、身体によいのである。
さて、夫が出かけた後、ほどなくしてドクターから電話。
「悪いんですけど、急患が出たので、お宅に伺えません。薬の処方だけ、お伝えします」
とのこと。わたしは急患じゃないのか。と、ちょっと気分を害したが、医者に来てもらうほどでもないと思ったので、おとなしく処方を聞き、モハンに買いにいってもらった。
そんなわけで、午前中はアポイントメントの変更の電話をいれ(せっかく入れたのに。インドでは、アポイントメントをうまくいれるだけでも、結構面倒)、午後も外出を控えることにした。
夜は、デリーのクリスタルショップ(シャンデリア店)の店主が来ることになっていたので、それだけは対応することにした。
彼らの店は、バンガロールのオベロイやタージ、リーラ、ウィンザーマナーなど、あらゆる高級ホテルに卸しているとのことで、信頼できそうである。いい感じの商品を選ぶことができ、満足だ。
さて、夜。まだ食欲はないので、おかゆを作り、梅干しをいれて食べる。おいしい。
それにしてもだ。あんなひどい目にあったのに、体重計に乗ると、ほんの数百グラムしか減っていないのはいったいどういうことか。ココナツウォーターを4つ分も飲んだからか(ちなみに1つがコップ1杯くらい)。
しかも、顔もやつれるどころか、ピチピチ(ピンピン)しておる。どういうことなんだ。
自分としては、2、3キロ、一気に痩せたとしても不思議ではないくらいの消耗度だったのに。合点がいかぬ。
さて、スリランカからは、夫が妻の身を案じて電話をかけてくれる。
「今日、何食べたの? キチリ(米と豆で作るインドの粥)?」
「日本のおかゆ。キチリじゃないよ。わたしは日本人だからね。こういうときは日本米がいいの」
「ぼくはね、日本食を食べにいこうと思ったんだけど、クライアントがチャイニーズがいいっていうから付き合ってさ〜。北京ダックを食べたよ。おいしかったよ!」
いきなり、胸が焼ける話題だ。
「あ、それからさ〜。ミホ、ホテルにキューバンシガー(キューバ産の葉巻)の店があるんだけど、おみやげに欲しい?」
だからさ〜。その話題、吐きそうなんだってば。
そんなわけで、夫の温かな愛に包まれ、妻は平和に、快癒していくのであった。
いやはや、たいへんな一日ではあった。