毎度、晴れ渡った日曜日である。今日は、先日女子のみで夜遊びをしたOlive Beachへ、夫とともにサンデー・ブランチへ。
車中、マイハニーが、先日故郷のケララで見合いをした運転手ラヴィにその後の進展を尋ねる。本命と言われていた女性は16歳だった上「かわいくなかった」がため、本人、気に入らず、19歳の次候補との「相性診断結果待ち」状態だったのだ。
「で、彼女との星占いの結果は出たの?」
結婚の話になると、過剰に照れ、後部座席からでも、その褐色の肌が赤面しているのが見て取れるラヴィ26歳。初々しい限りだ。からかいたくもなるというものだ。いや、からかっているわけではないのだが。
「相性は、よかった……です」
恥ずかしそうに答えるラヴィ。
「じゃあさ、結婚するの?」
とすかさずマダム。
「はい。多分、8月頃」
おおう。インドらしい急展開である。それが見合いというものなのね。話によれば、先日見合いをして以来、電話で話をしているのだとか。今日は家族が、先方のお宅を訪問しているらしい。
「で、彼女の名前はなんていうの?」
「@@@@です。あ、いや、間違えた、####です」
おい。名前を間違えてどうする。大丈夫か。ひょっとして、本気で照れて、わけがわからなくなっているのか? 頼むぜ。
さて、ランチである。Olive Beachの店内は、予想通り海外からの赴任者が目立つ。家族連れや大人だけのグループなど、顔ぶれはさまざまであるが、みな一様に楽しげだ。
料理は、「基本的にイタリアン」の、充実のブッフェである。アルコールを含むドリンクもお代わり自由だ。一人1500ルピー(税サ別)と、インドにしては贅沢ではあるが、その価値はあると思われる。
最初にスパークリングワインで乾杯をする。昼間のアルコールは酔いが回りやすく、1杯を飲み終える頃にはすでに上機嫌の我。普段は夫の方が弱いのだが、早くも顔や首周りをすっかり赤くしている妻に、夫は心配げである。
ブッフェは冷菜が美味であった。(インドにしては)モッツアレラチーズもおいしく、生ハムやスモークサーモンもなかなかである。
インドで生ガキを食べるのは避けて来たが、コーチン(ケララ州)から届いたばかりというそれに挑戦してみる。免疫力強化の一環でもある。
味わいは、「ふつう」ではあったが、新鮮であった。
ブッフェだけでなく、シーフードや肉類のグリル、焼きたてのピッツァなども出してくれる。秀逸だったのはニュージーランド産のラムチョップ。インド産のラムチョップもあるが、あくまでも「ニュージーランド産」と指定をするのが肝要だ。
米国でも、ニュージーランド産のラムチョップは高級品であったが、インドでも然り。柔らかく滑らかな肉質で、ミディアムレアであっさりとグリルするのが、いかにもおいしいのだ。これもまた、非常に美味であった。
その他、パスタバーで、好みのパスタを作ってもらう。あれこれソースをまぶすよりもシンプルがよいと、単にオリーヴオイルとガーリック、サンドライド・トマトとベーコンのスパゲティを頼んだ。
「塩味は控えめに」と頼むと、ほどよくおいしい味わいだった。パスタはもちろん、一皿分ずつを一から茹でている訳じゃないが、それなりにおいしければ、いいのである。
2杯めは夫の大好きなライチーマティーニをわたしも。もう、このころには、二人ともご陽気である。店内で、米国から赴任しているトリニダード・トバゴ出身の知人と再会し、しばらくおしゃべりをする。
「バンガロールの暮らしは決してすばらしいとは思わないけれど、子供たちにヴォランティアで英語や数学を教えたりしていて、毎日充実しているの。自分でも不思議なんだけど、1年以上もインドに暮らして、まだ米国が恋しいとは思わないのよ」
わずかな会話ながら、彼女の前向きな生き方と明るい人柄が感じられ、話をしていて楽しかった。
ゆっくりとグラスを傾け、ゆっくりと食事をし、とりとめのない会話をしながら、時に音楽に耳を傾け、気がつけば4時半! 店に入ったのは1時だから、二人で3時間半ものんびりとランチをしていたことになる。
夫はライチーマティーニをもう1杯、わたしは最後にサングリアを頼んだが飲みきれず、結局は2杯ちょっとしか飲まなかったのに、ずいぶんとたくさん飲んだ気分だ。
二人で旅した土地を反芻し合い、これからのことを語り合い、来し方行く末、思い巡らせる。こうして漫然と思いを巡らすときにはしばしば、今ここに暮らす自分の身の上の因果を思う。
何十もの国を巡り、何百もの町を訪ね、無数の人々とすれ違った果てに、ニューヨークを選び、インド人と出会い、いくつかの町を経て、ここに来ている。
ニューヨークでミューズ・パブリッシングを立ち上げたのは十年前。あのころは、自分がインドで暮らすことになろうとは、ひとかけらも思っていなかった。
そしてやはり、この先十年の自分を、まったく予測できない。十年どころか、1年後、2年後の自分たちさえ、何を考え、何をしているのやら、想像ができない。あてがあるようで、ないような、Life。
インドに暮らしていることを、それにしても愉快だと思う午後。