1998年。マンハッタンでMuse Publishing, Inc.を起業したとき、タイムズスクエアのお土産ショップで買った自由の女神。セントラルパークを見下ろし、摩天楼を見渡す窓際に、お守りのように、置いていた。
ひたすらに、何百枚も、何百枚も、営業用の会社案内をプリントし、製本し、1社でも、2社でもいい、仕事をくれるクライアントを探して、東奔西走した日々。やがて大きな仕事も入り、事業は軌道に乗り始めた。社費出版のフリーペーパーも創刊した。困難辛苦の日々ながらも、自分がマンハッタンで自立して生きていることが、うれしかった。誇らしくもあった。
2001年7月、ニューデリーで結婚し、10月には、マンハッタンで披露宴パーティを開く予定だった。が、9月11日を境に、世界は一転した。ニューヨークとワシントンDC、遠距離結婚だった自分たちのライフスタイルを見直した。夫と一緒に暮らそうと決めた。今まで、自分のことを優先して来た人生から、二人で育む人生を選んだ。ニューヨークを離れることは、言葉にし難い悲しみだったが、あのときのわたしは、途方もなく、弱気になっていた。ワールドトレードセンターの跡地から立ち上る煙は、風となってマンハッタンを包み、焦げ臭い匂いは、アッパーウエストサイドの我が家にまでも、届いた。それは、ワールドトレードセンターと、そこで絶命した多くの人たちが、燃える匂いだった。
大小の、悲喜交々の、出来事の延長線上に、今、インドで暮らすことを選んだわたしたちがいる。生きているからには、一生懸命、生きないと。米国同時多発テロ、そしてムンバイ同時多発テロを身近に経験した者としては、そのことを、一層、強く思う。私利私欲のためにだけではなく、世界に目を向けながら。
自分の経験を生かしながら。悲惨な出来事が続く世界で、自分の心の軸は、しっかりと、ぶれないように、持ち続けてゆこう。揺るがぬ強さを、祈りながら。
右横の小さな自由の女神は、インドの骨董品店で見つけた、真鍮製の、なんちゃって自由の女神。