米国の、人影見当たらぬ道を走るとき、「こ、ここは死の街?」とさえ思えるほどの、その静寂の強調は、あまりにもの喧噪の、インドの路上を見慣れているせいだ。
牛やら人やらオートやバイクやらを縫い走り、天を仰ぐ以外、どこを見ても、人が見当たらない視界がないインド。
●ポロシャツに短パン、花柄のスカーフを巻きIPLの試合を見ている。
その不思議な出で立ち。それは現在のマイハニーの有り様だ。
IPLとは、2008年に開始したクリケットの国内リーグ。以来、毎年この時期、開催されている。インドの人々のクリケットに対する熱意については、いやというほど書いてきたので割愛する。
なにゆえ花柄のスカーフ(木綿)かといえば、喉を温めるためである。妻の体調が戻った途端、今度が夫が「急性咽頭炎」となり、今朝から声が出ない。
ドクターからは1週間の「無口」を言い渡されたらしいが、電話での打ち合わせもできず、それなりにストレスフルな様子。
声を失う咽頭炎は、わたしも一度、あの『世界に嫁いだ日本女性 密着! 仰天ライフ』収録の最中から直後に経験している。声が出ないとは、辛いものである。
先ほどから、二人で筆談を繰り返しつつ、たいそう面倒くさい。
が、体調が悪いのはかわいそうなので、早く治ってもらうべく、今日は「これ以上健康的なスープは作れない」というくらいに、栄養満点の健康的なスープを作った。
ニンジン、レンテル豆、玉ねぎ、生姜、カルダモン、クローヴ、シナモン、バター、ミルク……。やっぱり、「大地に近い素材」を使った料理は、心身に、ぐっと効く。
●子ども向けの記事を書くことで、脳みその異なる部分が刺激される。楽しい。
2006年の冬、福岡へ帰省した際、西日本新聞本社に、文字通り「飛び込み営業」をしたのをきっかけに、2007年2月から月に一度、連載を持たせてもらっている。
『激変するインド』は、以来、5年に亘り続いている。先のことはわからぬにせよ、わたしにとってはとても大切な仕事の一つだ。
それに加えて、今月から不定期ながら、別のコーナーでもインドのことを伝える記事を書くこととなった。
今朝、初回の原稿を入稿した。
『もの知りタイムズ』のコンセプトは、「小学校高学年ぐらいのこどもたちからお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんたちまで、すべての世代のみなさんが家庭で、学校で、読んで学べる紙面です」
ということである。
とはいえ、読者は子どもたちを想定しているとのことで、表現をなるたけ平たくわかりやすく、難しい漢字にはルビがふられるなどの編集だ。
文字量は『激変するインド』と同じ1200文字程度。新聞紙面でそれだけの文字数をいただけるのはありがたいが、インドを語るのに、毎回、1200文字に絞り込むのは至難の業。
『もの知りタイムズ』は、「ですます調」で書くことにもなり、文字数がより増える。わかりやすくするには、説明も必要。
という状況の中、テーマ案をいくつか提出するうちにも、『激変するインド』とはまったく異なるアイデアや、伝えようと思う事例、エピソードが次々に思い浮かぶ。
初回の今回は、インドの概要を知ってもらうためにも、インドの多様性についてを記した。
子ども向けに内容をかみ砕きつつ、興味をもってもらいたいと願いながら文字にする作業は、大人向けの記事とは違う感性が働くということが自分でもよくわかり、その作業が楽しかった。
逆に、そうして子ども向けの記事を書くことにより、大人に対しても、もっと違うアプローチがあるのかもしれないとの思いもよぎっている。
ともあれ、不定期ながら、こちらの連載もこれから久しく続けられることを願うばかりだ。
●果てなき欲望と、足るを知る心。ケララを語る午後。
今日は、友人のT子さんとランチ。彼女は先月、1カ月に亘ってケララ州のアーユルヴェーダ施設で「修行」をしてきた。
その彼女とケララ料理店で久々の再会。
5000年もの歴史をもつアーユルヴェーダのこと。1カ月に亘る、彼女のかけがえのない体験に耳を傾け、心と身体の健康のことを語り合う。
と書くと、とても静かなイメージだが、二人とも、根が「熱い」ので、ついつい盛り上がって賑やかなランチ。
ここでも時折書いていることだが、食にせよ、ライフスタイルにせよ、先進国のそれらの在り方が人間にとって理想だとは、わたしは少しも思っていない。
今回、米国でも感じたように。
たとえば選択肢が多すぎる、巨大なスーパーマーケットの、加工食品の数々。
食べられる口は一つ。味わえる舌は一つ。消化できる胃腸は一つずつ。
にも関わらず、選択肢の多すぎること。そして大地から遠い食べ物の多いこと。その一つの現象は、個人の生活の、他の側面へも波及効果を与えながら、人のライフスタイルを形成してゆく。
しばしば書いていることだが、「足るを知る」ことの尊さを、改めて思う午後。
この件については綴りたいこと多く、尽きぬので、このあたりにしておこう。
T子さんからいただいたお土産。これを煮出したピンク色の湯(水)が、身体によい。アーユルヴェーダの診療所でも、マッサージのあとに出してもらえる。
ケララでは、ローカルの食堂などでも、水と言えば、ピンク色なのだとか。
もちろん自然の草木の色。
アーユルヴェーダ発祥の地、ケララ州。
他の州とは異なる世界が広がっている。
もっとも、インドはどの州も、地域も、似て非なるのではあるが。
インドの奥深さを、改めて思う。
この国の歴史や伝統の、ほんの一端を知るだけで、その向こうに広がる世界の広さ、奥深さを思い知らされる。
この国の日常の混沌と、理解不能の現実。何が常識なのか、常識の基準が見当たらない世界においては、多くの異国人、いや、インド人そのものですら、打ちのめされる。
苛立ち、嘆き、怒り……。
喜怒哀楽の渦。
人間のめくるめく感情を大きく飲み込む大河のような、善くも悪くも、この国の存在感の気ままで奔放な姿はいったい、どういうものなのだろう。
●そしてまた、新しいショッピングモール。先進国化の行方
食後、MGロードのトリニティサークル近くにできた新しいショッピングモールへと赴いた。
ここを訪れるのは3度目だが、まだ、完成するには遠く、開店していない店舗も多い。
それはともかく、上階、下階への移動がややこしく、理解不能なエレベータ、エスカレータ、非常階段の設置構造でもって構成されている館内は、そのものが、インド的混沌。
ともあれ、最上階のスーパーマーケットへ。
T子さんもまた、その品数の多さに驚きの声を上げていた。商品の半数以上が海外からの輸入食品。麗しい缶に入った、なぜかスリランカのお茶の種類が異様なほど充実しており、それがまた、理解できない。
まあ、理解できないことは山ほどあるのだが、理解する必要もないだろう。インドだもの。
それら商品を一通りながめ、しかし、買い物自体は、いつものThom's やNamdharisの狭い店舗の方が便利。
というわけで、他の新しいショッピングモール同様、あまり利用することはないだろう。ただ、手軽に魚介類が入手できるのは、便利だ。
そういえば、先だって火災に見舞われたラッセルマーケットは2週間ほど前に営業再開したそうだが、電力供給などの問題がまだ片付いていないようだ。
新聞記事で見る限り、「きれいな感じ」に生まれ変わったラッセルマーケット。近々、赴いてみよう。
●5年目の、メンテナンス。庭の改装をそろそろ。そして月下美人
この住まいを購入して、移り住んでから、早くも5年がたった。ちょうどあちこちのメンテナンスの時期である。
ペンキの塗り替えや、クローゼットの立て付けの調整、それらに加えて、今年は庭の大改造を行う予定なのだが、作業の手間を考えると、気が遠くなる。
それにつけても、あのとき、わずか1カ月半で「プチ家作り」を成し遂げた自分を、本当にワンダフルと思う。まだインドに慣れきっていない当時、この家の内装工事全てを、言葉の通じない人々相手に、完成させたのだ。
すごいじゃないか。自分、できるじゃないか。
と、自分を鼓舞して、そろそろ、始めるかなあ。でも、雨期に入るしなあ。と、及び腰。いかんいかん。
ところで「プチ家作り」には、家を購入してから工事に着手し、完成するまでの記録が残されている。
インドで仕事をするうえで直面するトラブルの多くが凝縮されており、相当に「意義深い記録」となっている。と、今更ながら思う。
お時間のあるときにでも、ぜひ、ご覧いただければと思う。インドがいやになること、請け合いかもしれませんが。
ともあれ、無理。と思えることでも、物事には必ずゴールがあるのだ。ということを、肌身に感じていただけるだろう。
■インド生活:プチ家づくり (←Click!)
ところで、MiPhoneに記したが、庭の月下美人に蕾がついている。去年は月下美人の鑑賞会を開いたが、今年も1カ月後あたりに開催できそうだ。
あの夢のような、花の夜。
今年は蕾も10を超えているので、より華やかな夜になると思う。ご近所にお住まいの友人知人各位。咲く頃には、ここに観察日記を記し、鑑賞会のお知らせも告知するので、どうぞ見にいらしてください。
●そして、動きある日々の始まり。来週はムンバイ!
二都市生活をしていた2008年〜2009年が最早遠い。最後にムンバイを訪れたのは10カ月前というブランクに驚きつつ、来週久々のムンバイだ。
わずか2泊3日だが、「大都会」のあれこれを、楽しんでこようと思う。
25日には、チャリティ・ティーパーティも開催の予定。メーリングリストに入っていない方も多いので、ここで改めて告知したいと思う。