★ジャイサルメールから約300キロのドライヴ。道中、核実験の名残に遭遇
ジャイサルメールからジョードプルに向かう途中のタール砂漠に、ポカランという土地がある。このポカラン郊外で、かつて2度の核実験が行われた。1度目は1974年、2度目は1998年、印パ間が緊迫する中、BJP政権のバシパイ首相指揮のもと実施された。
ドライヴァーによると、核実験と軍のミュージアムが作られたらしいが、数カ月で閉鎖したという。跡地が幹線道路沿いにあるというので、立ち寄ってもらった。
現在は小学校になっているそこには、古びた戦車や廃れたモニュメントなどがある。一画に、無造作に置かれたいくつかの大きな石。核実験のときに、溶けて穴があいたのだという。
印パ国境線に近いこのあたりでは、常に軍用車が行き交う。印パ間の戦いの話になると、ドライヴァーは饒舌だ。
インドが核実験を行った当時、米国をはじめとする先進諸国は非難声明を発表した。自分たちがやってきたことは、いったいなんなのか、ということについても、個人的にはしばしば思うところだ。
1945年から1998年までの冷戦時代、広島、長崎を含め、2053回もの核実験が、地球上で行われてきた。
これまでも何度かシェアしてきた、非常によくできた動画を改めて。ぜひとも、見ていただきたい。
◎ジャイサルメールからジョードプルまでは300キロ弱。休憩時間を含めて約6時間弱のドライヴだ。道路は思ったよりも整備されていて快適。無論、インド的な無茶な追い越しやホーンの嵐は免れぬが仕方ない。
途中、こぎれいなドライヴイン「マルワール」でランチ休憩。ここマルワール地方に暮らすマルワリとは、ラジャスターンを拠点とするインドで最も有名なビジネス・コミュニティの一つ。パールシー(ゾロアスター教)はタタ財閥が有名だが、マルワリはビルラ財閥が知られるところ。ちなみに先日から何度か言及しているところのジャイナ教徒もまた、インドにおける優秀なビジネス・コミュニティだ。いずれも、ユダヤ人や中国の客家人と似たような存在感だろう。
今までは書物や伝聞でしか知り得なかったインドのさまざまの断片が、このラジャスターン旅で検証されるように、浮かび上がってはしみ込んでくる。本当に、おもしろい。
ジャイプルはピンクシティ、ジャイサルメールはゴールデンシティ、そしてここジョードプルはブルーシティと呼ばれる。今日のところはまだ、あまり「ブルー」を見ていないが、ピンクサンドストーンが採掘されるこの地は、むしろピンクシティなのではないかと思わされる。
道中、ジョードプルに近づくにつれ、ピンクサンドストーンの採掘場を延々と目にした。そして夕刻、チェックインした2008年オープンのブティック・ホテルRAASもまた、ピンクサンドストーンに包まれている。古くからの建築物と新たに建てられた建築物とが渾然一体と調和して美しい。
このホテルの魅力は、1475年に建立されたメヘラーンガル城塞が一望のもとに見渡せること。今日から2泊。城塞は明日、ゆっくりと巡るとして、今日のところはホテルの界隈を散策だ。
◎眺めのいいホテルの眺めのいい部屋にチェックイン。ソリッド・ウッドの家具、石造りの調度品。自然の中に溶け込みながら、光と影を映し出す部屋。わたしの好きなフランク・ロイド・ライトの建築作品を彷彿とさせる。
心落ち着く空間がうれしい……と言いたいところだが、静寂を破るべく、どこからともなく結婚式の大音響の音楽が流れてくる。インドだもの。
◎ホテルのすぐ隣には、1740年代にマハラニによって建てられた階段井戸がある。インド各地に存在する階段井戸。それぞれに趣向が凝らされた建築、建造となっており、ただ水を汲み上げる場所という存在感を超えた、宗教的な意味合いをも備えているようだ。
吸い込まれるような景観が魅力だ。
わたしは、かつて滞在したラジャスターン州のニームラナ・フォート、バンガロールのナンディ・ヒル、そしてここの3カ所しか見たことがないが、もっといろいろな階段井戸を見たいと思わされる。
レッグルームも潤沢な、ビッグサイズのラグジュリアスなオートリクショーに乗って、メヘラーンガル城砦へ!
◎メヘラーンガルは、1460年ごろ、当時の君主ジョーダによって建設された城塞。インドの城塞はいくつかのカテゴリーに分かれるらしいが、この城は軍事が最重視されているという。市街より125メートル上に位置する城塞は、圧倒的な威容、四方八方を睥睨しているかのようだ。
先の記録で、ジョードプルではピンクサンドストーンが採掘されると記したが、ガイドによるとピンクとレッドの2種類が採れ、それらを組み合わせて、あらゆる建築物に使用されているとのこと。精緻な彫刻が施された内装、外装、すべてこつこつと石を彫って仕上げられたものなのだ。
フォートの入り口からは、彼方にウメイド・バワン・パレスが見える。現在もマハラジャの末裔が暮らしているこのパレスの一部は、タタ・グループのタージ・ホテルズと提携し、ラグジュリアスなホテルとして生まれ変わっている。
◎ラジャスターン州において、ジャイプルに次ぐ2番目に大きな都市、ジョードプル。ジャイサルメール同様、タール砂漠の入り口に位置するこの地もまた、シルクルートの通過点であり隊商交易の要地として栄えたという。
旧市街の建築物の壁が青く塗られていることから「ブルーシティ」と呼ばれている。ちなみに青い塗料はそもそも「殺虫効果のある塗料」が塗られたことが契機らしいが、ガイド曰く、水色はヴァーストゥ・シャーストラ(インドの風水)でも、よき色とされているらしい。
日本のサイトで情報を確認したところ、日本のアニメの「One Piece」のアラバスタ城は、このメヘラーンガル城砦がモデルなのだとか。
これまでさまざまな土地を旅し、さまざまな城塞都市を目の当たりにしてきたが、個人的にはこの城塞の景観に、最も心を奪われている。格好いい。
◎マハラジャのディスコルーム(響宴の間)。天井は80キロの9カラットの金で装飾されているらしい。きらびやかだこと! 響宴の間の隣には、「響宴のあとのお楽しみ」のお部屋もあって、あからさま。
城塞の一隅から出発し、移動しながら6つのラインを滑り飛ぶ。
川、岩山、緑、市街、そして城塞……と、あらゆる角度からの景観が望めるよう、非常にうまくレイアウトされていて、想像以上に楽しい!
練習のときには少々緊張していたマイハニーも、1回達成したらあとは随分慣れたよう。
この程度のアクティヴな旅は、この先もまだ続けたいと実感。今回は駱駝に乗ったり馬に乗ったりと、慣れない動きに腰が疲れ気味だけれど、これからはヨガをちゃんとやるなどして、心身のコンディションをしっかり整えようと思う。
◎数百年前に建てられた、かつてパレスだった場所が公立学校になっていたり、寺院だった場所が、打ち捨てられてスナック菓子店の厨房になっていたり。節度なきまでの、時空の歪み。
◎バザールにて。店を見て回り、ショッピングをするエネルギーは残されていなかったが、唯一、ガイドが案内してくれたテキスタイル店に足を運ぶ。
バンガロールでも、すでに見慣れたテキスタイルが多い中、小物で便利なテーブルランナーが、色合いやデザインもなかなかによかったので、まとめ買い。あれこれと勧められるのを振り切って、これで十分と店を出ようとしたところ、「ぜひ、これだけは見て欲しいんです」と店主に誘われ、店の一隅へ。
最近、売り出し始めたばかりだというヤクのブランケット。触ってみたところ、柔らかくて肌触りもいい。これはいい!
ヤクはインド北西部やチベット、北東パキスタンなどの、標高5000メートル前後の草原や岩場に生息する牛科の動物。無論、このような製品は家畜化されたヤクの毛で作られたもの。丈夫でしなやか、暖かいといった特徴があるようだ。
バンガロールで、ウールを必要とする日は年に数えるほどしかないが、たとえば年末のアーユルヴェーダグラムでは冷え込むので、こういうブランケットが役に立つ。今回のように、寒い場所への旅にも連れて行ける。
薄くて軽いので、大判のストールのような使い方ができる。見た目、ホームレス的ではあるが。
どの柄も上品ですてきだが、織り目が詰まっていない方が、軽くてふわふわとしている。夫は要らないというので2枚を購入。
一枚は日本の母へ。年内には発送いたしますので、しばしお待ちください。
◎ジャイプル4泊、ジャイサルメール3泊、そしてジョードプル3泊の濃厚ラジャスターン旅も、ついには最後の日を迎えた。今夜は別のホテルへ移動すべく、途中でワインショップに立ち寄り、スパークリングワインを購入。準備万端!
★旅の最終日を飾るのは、世界でもっともラグジュリアスなホテルのひとつ、ウメイド・バワン・パレス
ラジャスターン旅、最後を飾るホテルは、「国会議事堂?」的なたたずまいのウメイド・バワン・パレス。
眺めがよすぎる部屋。麗しく剪定されたブーゲンビリア。右手彼方にフォートが見える。
◎ラグジュリアスなホテルでは、チェックインのときの服装が、きちんとしているに越したことはない。とはいえ、一般には長旅のあとで、くたびれた状態でチェックインというのが相場だ。今回は、同じ街のホテルからホテルへと短距離の移動だったので、身ぎれいにチェックイン。
予想以上に、インテリアと調和している!😺
◎1929年に当時のマハラジャ、ウメイド・シンによって建設が開始され、1943年に完成した比較的新しいこのパレス。印パ分離独立のわずか4年前のことだ。
なぜ完成までに十数年もかけたかといえば、当時、深刻な飢饉に見舞われていたジョードプルの農民たちに、雇用機会を与えることが目的だったからだという。豪奢な建築にお金をかけ過ぎだとの批判もあったらしいが、危機に瀕していた大勢の農民らを救うことになったことは事実だ。
しかしながら、ロイヤル・ファミリーには不幸が続いた。
ウメイド・シンは、わずか4年、このパレスで暮らしたのち、43歳で死去。後継のハヌマント・シンは、1952年の総選挙に勝利した直後、帰宅途中の飛行機事故で若くして他界した。彼の息子であり、現在のマハラジャであるガージ・シンは、1971年、パレスの一部をホテルにすることを決める。
以来、久しくITC (Imperial Tobacco Company of India) 系列のホテルだったが、2005年よりタージ・グループのホテルとして生まれ変わっている。
◎いくら胡椒の国だからといって、このペッパーミルは大きすぎ。外敵が襲って来たとき、武器として使えそうだ。
ところで北インドの外食は、なにかと胃に重い。今回の旅では、途中でイタリアンやタイ料理を織り交ぜつつ、調整してきた。インドの高級ホテルでは、朝食にヴァラエティ豊かなフルーツが供されるので、外食続きでも何とか調子よくやっている。が、もう、いい加減、日本米の炊きたてごはんと、味噌汁が恋しい。
若いころは、欧州などの旅先で日本料理店に立ち寄っている年配メインのツアー客を眺めながら、「海外に来て、なぜ敢えて日本料理?」「土地の料理を食べればいいのに」と冷めた目で見ていたものだ。すっかり大人になってしまった今、ちょっと反省。
アラジンの魔法のランプのごとく、ドライアイスが噴き出しているのはアミューズ。最近のお洒落なレストランで、すっかり定番となっている「スイカとフェタチーズ、バルサミコ酢」の前菜。
野菜のグリルとフィッシュ&チップスをシェアすると注文したら、それぞれを二分して供してくれた。インドでは、こういうシェアを厭わずにやってくれるところがうれしい。食文化の違いとはいえ、欧米の高級レストランなどでは、こうはいかない。
炭火焼きの野菜は風味よく、魚のフライも香ばしくておいしい。
◎タージマハルに次いで、インドで二番目に大きいキューポラ(天蓋)を備えたこのパレス。建築には、主にゴールデンイエロー・サンドストーンのほか、タージマハルで使われているマクラナ(Makrana) マーブルが使用されている。家具調度品の木材はビルマのチーク材。
全体に重厚感があり、圧倒的な強さを漂わせている。比較的、男性的な印象が強い建築物だ。
建築物の好みもまた、人それぞれ。
個人的には、ハイデラバードのファラクヌーマパレス(こちらもタージ系列のホテル)の方が、内装や調度品の風情が優美で好みだ。
◎潤沢なスペースの客室には、バルコニーが備えられ、庭のブーゲンビリアが目に鮮やか。
インテリアは、建築当時の面影が残されているようで、クラシックな雰囲気だ。どことなくアールデコ風味が漂う。
◎ホテルからのコンプリメント(無料)のハイティーは、裏庭を見渡すテラスにて。ランチを終えて2時間も経っておらず、とても食べきれない!
◎夕暮れ時、広大な庭を散策する。掃き寄せられたブーゲンビリアの花々さえ美しい。
◎2、3年、長くて10数年。古の歴代マハラジャの在任期間の短さと、その短命を、絵画や系図を見て学ぶ。
約25代、500年以上もの長きに亘り、孫の生誕を見たマハラジャはいなかった。
わずか4歳のときに就任した現在のマハラジャは、来週70歳の誕生日を迎える。彼には2歳になる孫がいる。5世紀を経て、初めて、孫の顔を見られたマハラジャ。
戦いに、攻防に、埋め尽くされた果てしない歳月。
君臨する人々の苦悩もまたしのばれる夜。
◎「高校〜三年生〜♫」ではない。日本の学ランに酷似した装い。ここジョードプルが発祥の地とされるバンドガラ(Bandhgala) ・スーツ、通称ジョードプリ・スーツだ。インド男性の正装のひとつ。
ラジャスターン旅最後の夜、バーでくつろぐ。とはいえ、すでに酔っ払っていたので、ホームメイドのジンジャーエールを。
深く静かな夜。
◎ラジャスターン旅、最後の朝食はまた、眺めのいいテラスにて。建築物に合わせるかのように、ダイナミックに切られたフルーツ。新鮮な野菜もおいしくて、爽やかな朝。
さて今夜、ついにはバンガロール。猫らはいつものように、歓迎の姿勢をみせず、冷淡に出迎えてくれるんだろうな。待ち遠しい!😽
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