毎月一度の折り紙教室。聾学校の子供たちと、今日は和紙を使った人形を作ったり、「福笑い」などをして遊ぶ。
その後、テイラーへ。昨年末デリーで仕入れてきていたサルワールカミーズ用の布や、以前ムンバイで購入していたレンガーチョーリー用の布をテイラーに託し、仕立ててもらっていたものを引き取りに。
こうして気軽に、自分の体型にぴったりとあった衣類を仕立ててもらえるのは、インド生活の醍醐味のひとつともいえる。なにしろインドはテキスタイル王国。安価で高品質の素材を入手できる。
とはいえこれまでは、サリー用のブラウス縫製を除き、テイラーをあまり活用していなかったのだが、今後は何軒か開拓しつつ、お気に入りの店を見つけて、オリジナルの衣類を揃えていこうと思う。
さて、その後はカニンガムロードの歯科へと赴く。米国で入れていたポーセリンのクラウンが欠けてしまい、更にはその隣のクラウンにも不具合が見つかったため、思い切って2本とも、新しい歯をいれてもらうことにしたのだ。
麻酔薬を使っての、2時間の長丁場になると聞いている。麻酔が残って夕飯を食べられないだろうと、早めの夕食をとることにする。目指すは歯科の近所にあるシグマモールのマクドナルドだ。
実は金曜日にマクドナルドの話をして以来、どうにも気になっていた。KFCでは何度かハンバーガーを食べたことがあったのだが、実はインドのマクドナルドで食事をしたことがなかったのだ。幸い夫は出張中。試す好機だ。
インドのマクドナルドのメニューは、どの国のマクドナルドよりも「独自性の高いメニューをそろえている」ことで知られている。ヴェジタリアン、ノンヴェジタリアンの差が明らかになっていること。またビーフのかわりにチキンが主体になっていることなど。
他国のビッグマックに相当する「マハラジャバーガー」が人気商品のようだが、はじめから大物に挑戦するのもなんなので、チキンバーガーを選んだ。
個人的にはKFCの方が好みであるが、これもなかなかにいける。
フライドポテトも新鮮な揚げたて感があり、おいしい。
こうして写真におさめると、これがどこの国のマクドナルドなのか、さっぱりわからないだろう。
しかし、米国との明らかな違いがここにはある。
それは、「紙ナプキンの少なさ」だ。
インドでは、紙製品は貴重品だ。
トイレットペーパーや紙ナプキン、ティッシュ類を使う習慣のある家庭は、全人口に比してごく一部。従っては非常に高価でもある。
トイレにはたいてい水桶か専用のホースのようなものが備えられており、「手動ウォシュレット」的に利用される。
2001年、結婚式のために初めてインドを訪れ、デリーの空港のトイレに入る時、入り口で数ルピーを支払って、トイレットペーパーを買ったときのことを思い出す。
恭しい手つきで、その男性はトイレットペーパーを広げ、20センチほどのところに定規を当てて丁寧に切り、ピラ〜ンと上品に手渡してくれたのだった。
約20センチで足りたのかどうかはさておき、今でこそ、ショッピングモールのトイレなどにはトイレットペーパーも備えられ、普及率は徐々に高くなりつつあるが、紙が貴重品であることには変わりない。
一方のアメリカ。1996年、初めてニューヨークのマクドナルドに入った時、何に驚いたかといえば、店員がどっさりとトレーに載せてくれる紙ナプキンの量であった。
厚さ1、2センチほどの紙の束を、どっさりと載せるのである。そんなに要らぬ! というくらいに、載せるのである。それはマクドナルドに限らず、あらゆるファストフード店で見られる現象であった。
欧米文化が流入し、生活習慣が目覚ましい勢いで変わっているインドにあって、この国の十億人が、たとえば米国人と同じ量の紙を使用したとしたら、いったいどうなるのだろう。「紙」という一点にだけにおいても、環境破壊の速度は、猛烈に加速されるだろう。
インドはそもそも「無駄をしない」国である。生活の中には、未だリサイクルの智恵が生きている。貧しいから無駄にしていないだけだ、という見方もできるが、それは貧富の問題ではなく、「観念として」守られたいことだと思われる。
ところで、世界中で話題になっているインド発の超低価格車Nano。TATA自動車が開発した10万ルピー(約27万円)で買える小型自動車だ。
この自動車の出現もまた、恐ろしいと言えば、恐ろしい。インドの膨大な中流層が、オート二輪の代わりにこの車に乗り始めた時、日ごとに増え続ける自動車によって、今でこそ飽和状態の道路は、汚染著しい空気は、いったいどうなるのだろう。
確かに、TATAグループ(財閥)の総帥ラタン・タタ氏の言う通り、オート二輪に一家数名が団子状に乗っているのは危険極まりなく、そんな彼らにとって安価な自動車の出現は願ってもいない事態であろう。
すでに「先進」を知っている「先進国から来た」わたしが、途上国の、その急速な発展において利便性を追求し、娯楽を、豊かさを求めようとしている人々に、干渉する筋合いはないと自覚している。
どの国も、物質的豊かさを追求する日々を、何十年と続けて来ている。その挙げ句に、果たして幸福は、快適は、理想はあったのか、という問いかけはまた別の問題として、この「発展」に、誰が意義を唱えられよう。拍車をかける趨勢しかない世界で。
その一方で、思う。先進国における1日一人あたりのエネルギー消費量で、いったい何人のインド人が、生活をしているだろう。1:10を上回っているのではないか。
もしも、その比が1:1になる日が来たら、地球はどうなっているだろう。
わたしは、インドの人々が、いつまでも紙ナプキンを「けちけちと」使ってくれることを、願わずにはいられない。