土曜の夜から、アルヴィンドは出張で香港。日曜はメイドのプレシラも休みだし、ガーデナーも来ないので、とても静か。一人で簡単な食事を作り、午後早い時間からワインを開け、珍しくDVDでも見る。
『Rang De Basanti』。インドの映画。映画の内容に触れ感想まで記していると、またしても長大な記録になってしまうので触れずにおくが、さておき、この国に住んで2年が過ぎて、それは同時にこの国のことを、知らないことの多さを、知らされる日々である。一本の映画を通してもまた。
ひとこと付け加えておけば、主演俳優を固める脇役として登場していたAtul Kulkarniという俳優に惚れてしまった。今、サイトを見てみたが、写真だと雰囲気がいまひとつだ。しかもあまり人気がある俳優ではないらしく、ファンの存在が見当たらない。
ともあれ、この映画における彼の「超右翼」な役柄が、とてもよかった。ついでに言えば、わたしと同じ年で、誕生日が10日しか違わないことも発覚! ちなみにシャールク・カーンも同じ歳。でも最近、シャールク・カーンが暑苦しく感じる。最早、好みじゃないかもしれない。
と、そんなことは本筋とはあまり関係ない。
さておき、インドの特に何を深く知らなくとも、生活をしていくことはできるが、インド人に嫁ぎ、インド人を家族に持つ者として、知らないだけでは「すませたくない」ことの多さに、途方に暮れることの多い日々。
●Brain Circulation と寿司とNRI
金曜の夜は、夫に同行してWharton卒業生の会合に参加した。場所は前回同様、Oberoiの会員制クラブBelvedere。この間は十名余りの参加者だったが、今回は倍以上。新しく米国より帰国したNRI (Non Resident Indian: 非インド在住インド人)たちも数組見られる。
1947年に英国より独立して以来、長らく続いていた頭脳流出 (Brain Drain)の傾向が、数年前より減速していると言われているが、確かにBrain Circulationの傾向を、肌に感じずにはいられない。
これまでも何度か記したが、NRIの人たちにも、海外で生まれ育った二世もいれば、アルヴィンドのように大学進学を機に国外へ出た人もいる。
バックグラウンドも千差万別で、インド的なものを排他してきた人、あるいは二世三世の家庭にありがちな、故国の文化を頑ななまでに守り続ける人、とさまざまだ。そんな彼らの考え方、生き様は、単に母国から駐在員として渡印している人々よりも一層複雑で、かつ興味深い。
今日初めて出会った二組の夫婦は、共にニューヨークからバンガロールに戻って来たばかりだった。妻同士の会話の「噛み合なさ」がまた滑稽でもある。
サルワールカミーズを着た、大学卒業後に渡米した女性。先日バンガロールにオープンしたHard Rock Cafeの話題になると、あからさまに嘆きの表情で、米系の飲食店の進出に異論を展開する。
「わたし、絶対に行かないわ。KFCにも、マクドナルドにも、行かないもの。でも子供たちがピザハットに行きたがるから困るのよね」
一方、幼少時に米国へ渡った女性。彼女は困惑の表情。あとでわたしに耳打ちをするには、
「わたし、マクドナルドが大好きなの。世界のマクドナルドで食べ比べるのが好きなのよ。バーガーは国によって味が違うけど、フライドポテトは、どの国も、ほとんど同じ味なのよ!」
かように意見の異なるNRIであるが、一方多勢に共通してみられるのは、「寿司好きが多いこと」である。
いったいこれまで何人のNRIに、バンガロールはどこでおいしい寿司が食べられるのかを尋ねられたことか。尤もNRIに限らず、海外駐在員の多くから尋ねられることであるが、ともかく、寿司が好きなのである。
ヴェジタリアンですら、「寿司が好き」と言い切るのである。カッパ巻きや卵やアヴォカドロールなどを愛しているらしい。
お察しの通り、インドで刺身を入手するのは非常に困難だ。その他の料理に関して言えば、日本米、醤油、味噌など基本的な調味料や素材があればなんとかなる。
むしろ野菜や鶏肉などは日本よりも安価でおいしいから、メニューを工夫すれば、日本よりも安くでおいしい料理を出すことも実現可能だ。
現在、バンガロールには日本料理店が2軒あるが、これから先増えたとしても、十分に需要はあると思われる。問題は刺身と日本米の流通であろう。
●フードマイレージの低い食生活を。やはりフランスは……
前回もこの会合で会い、その後仕事で取材をさせてもらったジェイとしばらく話をした。彼はムンバイ生まれのムンバイ育ち。大学卒業後に渡米し、Whartonに入学。その後、創業まもないDELLに就職し、 現在はトップエグゼクティヴとして、インドと米国を行き来する生活を送っている。
2000年に入ってまもなく、会社にインドへのBPOを提言したのも彼である。独身の彼はトップエグゼクティヴのその名からはほど遠い「カジュアルな暮らしぶり」で、お宅にお邪魔したのだが、まるで一人暮らしの大学生のようであった。
そもそもミュージシャンだった彼は今でもジャズのベースをやっていて、自宅には防音装置も万全なスタジオがある。週末、男友達を招いてライヴをやるのが趣味らしい。
その彼もまた、日本食愛好家で、マクロビオティックの創始者である桜沢如一(George Ohsawa)の本などを読破しているとのこと。ジェイ曰く、
「日本で食べるみそ汁は好きだけど、アメリカのレストランのみそ汁は、味が濃くていけない」
「僕はノンヴェジタリアンで、何でも食べるけれど、気を付けているのはその食べ物の産地。遠くから運ばれて来たものではなく、できるだけその土地その土地で収穫されるローカルな食材を口にするように心がけているんだ」
わたしはマクロビオティックに明るくないのだが、それは桜沢氏の食の哲学の一つらしい。何かと繊細な発言である。
食料品の輸送距離について、「フードマイレージ」という概念がある。世界各国の中で、日本が群を抜いて高い。高ければいいというものでは、当然なく、むしろ悪い。興味のある方は、こちらをどうぞ。
ところでジェイはインド以外にも、アイルランド、英国、シンガポール、日本、スロヴァキア、モロッコ地区を担当していて、年に一度、それらの国々を転々と出張するらしいのだが、モロッコについて、興味深いことを聞いた。
実は彼の担当は「フランス」なのだが、フランス語をできる人が多いモロッコに、現在はすべてアウトソーシングしているのだという。ごく一部のマネジメント職をフランス人に任せる以外は、勤勉なモロッコ人に託した方が効率がはるかにいいのだとか。
「フランスは、35時間以上働けないだの、ヴァカンスは4週間だの、子供が産まれたら夫婦揃って産休だのって、本人たちにしてみればいいかもしれないけれど、こっちはまったくビジネスにならないんだよ」
と、嘆いていた。久しぶりにパリへ行き、その現状を目の当たりにした直後である。彼の言葉に深く頷かざるを得なかった。
●フラット化する世界。柔らかな球体。
トーマス・フリードマンという米国の著名ジャーナリストが2005年に出版した "The World Is Flat(フラット化する世界)" という本は、世界の話題を集めた。インドや中国が牽引力となっての、グローバルな経済社会についてを説いた本である。
「世界のフラット化」という言葉を聞いて、世界が平坦に均されている、というイメージを思い描くと同時に、この地球が、柔らかなボールのようにもイメージできる。まるでサルバドール・ダリの絵画にあらわれるような、柔らかな球体。
軽く全体を押さえれば、米国とインドが、隣り合わせにくっつく。
小さくつまめば、フランスとモロッコがくっつく。
インターネットというのは、すでにそういう存在で、距離を超えた瞬間移動が当然で、この先世界は、まるで粘土のように、スライムのように、フレキシブルに変化(へんげ)していくのだろう。
この国に住んでいると、その様子が米国にいたときよりもはるかに切実に、感じられるのだ。なんと「とどまることを知らぬ」日々であろうか。
※Photo: 昨年末、デリーのカーンマーケットで購入したペーパーマシェ。あちこちの土産物屋で見かける手工芸品だが、これは非常に丁寧な作りだった。