●家族揃って、レザーファクトリーへ
昨年よりも気温が低い気がする。雨こそあまり降らないものの、モンスーンシーズンらしい灰色の空と強い風が街を覆っている。が、これはこれで、過ごしやすいとも言える日々。
インド国内のいたるところで水害の知らせが届き、今日はムンバイがまたしても洪水状態で、空港も閉鎖されているとのこと。バンガロールは今のところ大雨を免れているが、同量の降雨があれば、道路は確実に水没しているだろう。
さて、不安定な天気のせいか、体調を崩している人が少なくない。わたしと母は健在だが、繊細なマイハニーが、数日前に熱を出し、一晩でなんとか引いたかと思えば今度はくしゃみや鼻水。今ひとつ、体調が優れない。
とはいえ、今日は土曜日。わたしと母とで、例のレザーファクトリーへ出かける予定であったが、彼も財布や名刺入れを作りたいと同行することに。3人でバンガロール南部まで、渋滞のなか1時間ほどもかけて出かけたのだった。
「母日記」にあるように、母は気に入りの既製品を見つけ、更に自分でもいくつか注文。わたしもノートのカヴァーやパスポートケースなどの試作品を注文する。
そもそもこのレザーファクトリーは、日本人マダムの一人に教わった。日系企業で働くインド人男性の妻が経営している店とのことで、日本人マダムの間ではよく知られている工場である。
店のマネージャー格にあたる兄さんが、「これは##マダムのサンプル」「これは○○マダムのサンプル」と、段ボールから次々に、これまで日本人マダムに依頼された商品のサンプル(コピー)を見せてくれる。
確かに、「日本っぽい機能的なデザイン」の商品があれこれと、ある。
わたしはこの間注文したCelineと同じタイプの色違いを、またオリジナルのパスポートケースなどを注文したのだった。
結局3人で1時間以上ほども、革を選んだり、デザインを相談したりで工場で過ごし、その後、ホテルThe Parkにある"I-talia"でランチ。久しぶりにイタリアンを食す。エビのグリルもパスタも、そしてサラダも、どれも美味であった。
●楽しき夜。Wharton卒業生の集いにて。
今夜もまた、母はお留守番でアルヴィンドとお出かけ。Oberoi Hotelの会員制クラブBelvedereで行われるバンガロール在住Whaton School卒業生の集いに参加するために。
ペンシルヴェニア大学付属のWhaton Schoolは、全米屈指のMBA(ビジネススクール)。1881年に、米国初のMBAとして誕生した。
アルヴィンドは、大学を卒業しニューヨークで数年仕事をしたのち、1998年から2000年までをフィラデルフィアにあるこのビジネススクールで過ごしたのだった。
去年はムンバイで、Whaton Schoolの大々的なアラムナイがあり、わたしも数日に亘って参加した。伴侶のためのツアーや屋外での花火も華やかなパーティー、Taj Mahal Palaceでのディナーパーティーなど、楽しいひとときを過ごしたことは過去に記した。
今夜のホストであるマニシュは、インド初の人材会社を経営している40代の男性。30代前半と思しき妻、カヴィタと共に現れた。
カヴィタはインド最大、世界でも有数の製薬会社の令嬢。彼女自身はまた、ハーヴァードのMBAホルダーで、2005年、バンガロールにプレスクールを創業した。
Neevと呼ばれるそのプレスクール(保育園)は、インディラナガールとホワイトフィールドに2校あり、半数がインド人、半数が駐在員の子供たちとかで、日本の子供もいるとのこと。
さて、パーティーとはいえ、参加した卒業生プラスその伴侶で約十名とアットホームな規模。しばらくはラウンジに腰掛けて、グラスを片手に、スナック(タンドーリチキンやサテー、野菜スティックなど)をつまみながら、みなで会話を楽しみ、中盤は、立食となって、それぞれに数名ずつが語り合う。
興味深い話を聞けたのは、数年前、夫と二人の子供たちとともに英国から戻って来たプリヤ。
夫のシャムがWhartonの卒業生。彼女自身はサリー姿で、一見するとコンサヴァティヴな雰囲気ゆえ専業主婦かと思いきや、数年前に夫と二人でファイナンシャル会社を起業し、運営しているとのこと。
数々の大手企業がバンガロールに参入している昨今、営業せずともクライアントは次々に現れるという。たとえばマイクロソフトも顧客とのことで、数千名の社員のファイナンシャルアドヴァイスを行っているという。一方、需要に対応するべく社員の確保が、非常にたいへんなのだとか。
現在20名の社員を抱えているが、採用直後数カ月の教育期間を終えて、ようやく実務に移行というときになって、やめて行く人が後を絶たないのだという。
「最近の若い人たち、20代後半から30代前半は、どうにも我慢がたりないの。目先のことだけを考えて、たとえばうちより1000ルピー多いからと、他の会社にすぐに移ったりして。うちは歩合制だから、努力をすればそれだけ収入も増えていくのに、もうひとがんばりしようという気持ちがないのよ
「毎日、毎日、10人近くを面接しているの。いつ、誰がやめるかわからないからね。でもね、この人なら、と思える人は、100人に一人。1%なの。本来やるべき仕事よりも、今はこの面接に、エネルギーを使っている状態ね。
「ファイナンシャルの仕事は、クライアントの信頼を獲得して、誠意をもって対応することが大切だから、人材教育が本当に大切。自分の売り上げをたてるために、適切でないアドヴァイスをされたりしては、我が社の信用が台無しになるでしょ」
懸命に仕事をしている人たちの話を聞くのは、本当に楽しくためになる。
途中数名が次のパーティーがあるからと去った後は、またみなラウンジのソファーに腰掛けての話題。
MBAの教授(近々政治家になるとのこと)、IT企業の経営者、米系コンピュータ会社のチーフと、第一線で活躍する30代後半から40代後半にかけての人々。その大半が日本にも訪れたことがあり、しばらくは日本の話題で盛り上がる。
なかでもウォシュレットの話題では、知っている者が知らない者におもしろおかしく話すものだから、知らない者は冗談としか思えぬようで、海外生活が長いわたしとしても、遠い故郷が不思議な異境に思えて来る。
米系コンピュータ会社に勤める一方、ジャズミュージシャンでもあるジェイは、日本にしばしば訪れるようで、カプセルホテルも体験したとのこと。土地の少ないムンバイにカプセルホテルビジネスはどうか、立体駐車場のシステム導入はどうか、といった話題で盛り上がる。
が、結論は、「インドじゃ、メンテナンスが無理だな。やっぱりだめだな」
実はトイレットペーパーよりも水での洗浄が従来であるインドでは、ウォシュレットのはかり知れぬ潜在マーケットがあると、常々思っているのだが、これもまた、電力不安定供給な国である以上、当面は導入不可能であろうか。
ところでアルヴィンドは、わたしのことを結構他の人たちによく話すタイプで、出席した面々はわたしの仕事にも関心を持ってくれる。それより何より、みなが驚いていたのは、わたしが新居購入に際してすべてを自分で調達したことである。この件に関しては、わたしもまったく謙遜することなく、1カ月半ですべてを完成させた武勇伝を得意げに語るのであった。
ラッセルマーケットやシティーマーケット、ローカルの商店などに、日本人であるわたしは当然行かないはずだと彼らは思い込んでいるものだから、バンガロールのいたるところを制覇しているわたしの体験話に、みな、感嘆するのである。無論、半ば呆れているともいえる。
アルヴィンド同様、彼らも敢えて「汚れたインドの側面」に触れるような日常は、送りたくないのだ。得意げに語っている場合ではないのだ。
そんなこんなで、8時から12時を過ぎるまでの4時間あまり、さまざまな話題でひとときを過ごし、実にいい夜であった。
アルヴィンドと結婚して本当によかったと思うのは、わたしだけのネットワークでは実現し得ない出会いが、彼を通してこうして自らのものとなり、多くの人たちに触れ合えることだ。そもそも、インド生活というエキサイティングな体験が出来ているのも、伴侶が彼であるからこそ、なのだが。
我が母校である香椎高校や梅光女学院大学は、あいにく世界にネットワークがないけれど、彼の卒業校や経て来た企業は、世界のいたるところに同胞があり、それぞれの土地で、影響力のある仕事に就いている。彼を通して、自分の世界が広がることは、本当に有り難いことだ。
自分の過去だけでなく、彼の過去をも楽しめる。
インド生活。相変わらず、いろいろある。トラブル、不便は日常茶飯事。毎日ぷんぷん怒ったり、しかし毎日にこにこ笑ったり。退屈するいとまなく、差し引いて余りある、というところだ。