« 2007年3 月 | メイン | 2007年5 月 »
確かに疲れていた、ということもあるが、それにしても。 夕べほど熟睡できたのは、久しぶりのことだった。 新居は、風水的にもいいような気がしていたが、 一日過ごしただけで、いい場所だということが実感できた。 6時すぎに、小鳥たちのさえずりで目を覚ました。 網戸にして寝ていたのだが、風がひんやりと冷たく心地よく。 まるで森の中のキャンプ場にでもいるような、そんな目覚めだった。 庭に椅子を出して、朝のお茶... Read more →
気がつけば、4月である。 31日は、9時ごろまで、引っ越し業者の運び込みが続いた。開封できるものはすべて開封してくれ、ともかくは、とてもよい仕事をしてくれた。 このWRITERという業者。米国からインドに移住した際、米国で頼んだ引っ越し業者がインド国内の提携先として利用していた業者で、そのときの対応が結構よかったこともあり、今回も頼むことにしたのだった。 営業担当者は、なぜか古典的な英国英語を話す... Read more →
●引っ越しの後片付けは、遅々として進んでいるんだかいないんだか、わからぬ。 ●ペンキ塗りは、ついには明日、完了らしい。ペンキ塗り職人は2日間に亘り、頭痛で欠勤であった。ペンキ屋のマネージャーのモナ曰く、彼らはマスクや手袋を「したがらない」のだとか。 ●大工も、工事人も、ペンキ塗り人も、肉体労働者の誰も彼もが「自己防衛本能」が、あまりないのか。それとも、たくましいのか。思えば、あの日。あの職人は、銀... Read more →
諸々の出来事が凝縮している日々。毎日毎日、自分の耐性を試験されているかのようである。 忍耐力、柔軟性、寛容性、的確な判断。 あくまでも、わたしは「部外者」であり「異邦人」であるのだということを、この地には「お邪魔させていただいているのだ」ということを、肝に銘じながら、わきまえながら、抑えて、抑えて、抑えて……。 と思うのだが。 うぉ〜〜〜〜っ! とインドの中心で吠え叫びたくなるんですよこれがもうほ... Read more →
毎朝、庭でお茶を飲み、朝食をとる。朝の澄んださわやかな風。そして何種類もの小鳥たちの、にぎやかなさえずり。 少し日が高くなると、どこからともなく、やはり何種類かの蝶たちが飛んで来て、我が家の花々と戯れてゆく。 しかし、そんな平穏も、まだまだ束の間。引っ越してから1週間が経とうとするが、本日もまた、出入りの激しい一日である。 まずは、またしても上海雑技団の登場。予定より丸一日遅れて金曜の朝。ようやく... Read more →
●家が、だんだんと整い始めた。ダイニングルームの片付けも8割方終え、あとは「掃き溜め」となっていたゲストルームの片付けだ。 まだメタルワークの追加作業やフェンスの工事が途中だとはいえ、あと1週間もすれば一段落する。予定通りに引っ越せたことだし、上出来だろう。 ●今週末はやはりパーティーをできそうだ。と思った矢先、デリー実家から電話。ダディマ(祖母)の調子が、いよいよ悪いようだ。米国行きの直前ではあ... Read more →
明日(木曜日)の件、携帯電話もつながらないし、メールもなぜだか返送されて来て送れないの。 正午あたりから適当に始める予定です。とりあえず、そちらから電話をください。 料理一品、忘れないでね! 最早、料理でもデザートでも出来合いのものでも、なんだってOKです。 ゆかこさん以外のみなさま、失礼しました。インドのインフラ、まだまだ不安定です。 Read more →
あいかわらず、熱く激しい日々が続いている。 【二つの死】 このアパートメントの管理事務所で働くニナ。ここ1カ月ほど、彼女がずいぶんと、手助けをしてくれている。その彼女の母親が、心臓発作で急逝した。 1週間後の月曜日、憔悴しきった面持ちで、しかし彼女が手配してくれた仕事の状況を気にして、我が家を訪れた彼女。67歳だった母親は、糖尿病を患っており、いろいろな薬を飲んでいたという。 ニナには数名の兄弟が... Read more →
夕べ、待ちに待った雨が、大地を濡らした。 最後にこの町で雨を見たのはいつだっただろう。思い出せないほどに遠い。 夕暮れどきから、灰色の雲が空を覆い始め、やがて日暮れてのち、雷鳴と稲妻とが空を。雨は優しく軽く、降り注ぐ。こんなにも強く、雨を待ちこがれたことが、かつてあっただろうか。 中学一年のときに福岡を襲った「大渇水」のとき以来の、雨への喜びのような気がする。 さて今日は、友人らを招いて、ポットラ... Read more →
明日の朝、デリーへ発つというのに。 今日の午後、義姉スジャータから、ダディマ(祖母)の死を知らされた。 今夜にもデリーに向かうべきだったのかもしれないが、チケットが取れず。 明日、土曜日の火葬に間に合えばよいということで、早朝の便に切り替えた。 日曜日は何もなく、月曜日に「お別れの会」が行われるという。 白い服が必要なのだが、ない。白いサリーは持っているが、金糸の刺繍が入っているので駄目だ。 困っ... Read more →
先ほど、デリーからバンガロールへ戻って来た。3泊4日の間、ダディマを弔ういくつかの儀式を経験した。 滞在中の時間を縫って、記録を残したので、冗長かつ散漫ではあるけれど、ここに残したいと思う。 【訃報】 90歳を過ぎた頃から、身体の不調が増え始めたアルヴィンドの父方の祖母、ダディマは、昨年末の91歳の誕生日を前にして、入退院を繰り返していた。 血糖値が上がったり、心臓が弱ったりと、さまざまな身体の不... Read more →
かなりの速度で、走ってるんです。 デリーの路上にて。 Read more →
濃厚インド生活からの脱出。 シンガポール1泊を皮切りに、サンフランシスコ、シリコンヴァレー、ヨセミテ国立公園。 これから出かけます。英気、養ってきます。 シンガポールでは、寿司か鼎泰豐の小籠包を食べたい。 いや、カニにすべきか。麺類、ニョニャ料理も捨てがたい。 米国では、おいしいプライムリブを食べたい。 おいしいカリフォルニアワインを飲みたい。 今日も今日とて、いろいろあった一日だった。隙を縫って... Read more →
シンガポールに来ている。 夕べ、バンガロールを深夜に発ち、3時間余りのフライトで早朝6時過ぎのシンガポールに到着。機内では2時間ほど寝たとはいえ、相当に、眠い。 なんだかんだと食べたがっている場合ではないくらい、眠い。 ホテルは7時半という早朝でありながら、しかしチェックインできるところが観光王国シンガポール。ホテルのカフェで朝食ブッフェをとり、部屋で2時間ほど仮眠をとり、外出した。 今回、シンガ... Read more →
何回、機内食を食べただろう。 何本、映画を見ただろう。 ともかく、さっき、サンフランシスコに到着した。シンガポールを出て、韓国で給油。そうしてサンフランシスコに着いた。シンガポールに1泊したのに、この辟易感。帰りを思うと気が遠くなる。 1年ぶりのサンフランシスコ。 土曜の市街は、車が込み合っているにも関わらず、信じられないほど静か。まるで無声映画を見ているような光景だ。 ハイウェイも、町中も、なん... Read more →
朝の8時過ぎ。スタンフォード大学のあるパロアルト(Palo Alto)という街の、Apple Storeの近所にあるPeet's Cafeにいる。 8時から、アルヴィンドがこの界隈で打ち合わせがあるので、今朝は5時半起床でホテルを出て、レンタカーを借り、1年ぶりに車を運転して、ここまで来たのだ。 サンフランシスコ市内からパロアルトまでは車で1時間もかからないが、なにしろ久しぶりに運転するし、早く着... Read more →
なんだかんだといいながら、わたしはなんと、内助の功な妻だろうか。と、自画自賛するカリフォルニアの空の下。 それにしても青い。カリフォルニアの空というのはどうしてこんなにも青いだろう。風は冷たいが日差しは暖かく、複雑な天候ではある。ジャケットを着なければならないようでもあるし、TシャツでもOKのような気さえする。 さて、何が内助の功かと言えば、わずか一週間ばかりの限りある米国滞在にも関わらず、今日の... Read more →
昨日の午後、ヨセミテに到着しました。 今は朝の10時。朝食を終えたばかりです。これからトレッキングに出かけます。好天に恵まれ、本当に気持ちのよい朝です。 今日の写真は、また後ほど、折をみて更新します。 Read more →
すばらしい快晴だ。 ヨセミテを訪れるのは三度目。最初は1996年の冬。アルヴィンドと出会って数カ月後の、初めての二人での旅だった。彼がいろいろと手配してくれたのだが、冬のヨセミテは寒すぎて、すっかり風邪をひいてしまった。 二度目は、1999年の5月。日本の雑誌の取材で、米国西海岸をシアトルからサンディエゴまで縦断ドライヴした。そのときに1泊だけ、立ち寄ったのだったが、あいにくの雨でいい景色を眺める... Read more →
※これを記している現在、29日の朝。ヨセミテでの3泊を終え、夕べ、ヨセミテから少し離れた町にあるB&Bにチェックインしました。今日はこれから朝食のあと、ベイエリアへ向かいます。深夜のフライトまで時間があるので、サンノゼの「みつわ」で日本食を調達したり、久しぶりにサンタナ・ロウで過ごそうと思っています。ヨセミテの記録は、フライトの待ち時間などを使って、更新します。 ヨセミテ3日目の今日。昨日のトレッ... Read more →