日曜日。十数年ぶりに、近所の「名島神社」へ赴いた。子供のころ住んでいた、今はなき地名、「名島汐見町」のあたりを通過して。
名島神社に隣接する宗栄寺。ここは弁財天が祀られている。
わたしが子供のころから、両親が毎月のように詣っていた場所。わたしは、数えるほどしか訪れたことはなかったのだが、今回は、なぜか「行きたい」との気持ちになり。
I went to a small shrine near my mother's house yesterday. I hadn't been there many years.
My parents used to go there to worship since I was a child.
”Benzai-ten" the God of music and speech, is enshrined at the shrine. The origin of Benzai-ten" is the Hindu goddess Saraswati.
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照りつける太陽。蒸し暑い空気と、空蝉。思えばこんな日本の夏を肌に感じるのは、久しぶりのこと。9年前に、一度9月に帰国したことはあったが。
空を仰げば、バンガロールの庭で見かけるのと同じような蝶が、楽しげに乱舞している。
ところで、七福神の一人である「弁財天」。インドの神様、サラスヴァティーが、その起源である。ちなみに、大黒天、毘沙門天も、インドの神様が起源だ。
おん そらそばてい えいそわか
という、弁財天の読経の「そらそばてい」とは、「サラスヴァティー」のことである。
琵琶を携えた、音楽、芸術、弁舌の神。どことなく、ギリシャ神話の「MUSE」とも似ているな、と今更ながら、思う。
弁財天ではまた、蛇も祀られている。巳年のわたしとしては、少なからず、ここにもまたご縁があるというものだ。
手を清め、蝋燭と、お線香とあげ、手を合わせたあと、境内を散歩する。静かで、心鎮まる、本当にいいところだ。
一隅には、昔はなかったはずの、お稲荷さんの朱塗りの鳥居が、延々と続いている。思えば京都の伏見にも、訪れたいと思いつつ、一度も足を運んだことがないままだ。
宝篋印塔(ホウキョウイントウ)。随所で、インドがにじんでいる。遠く離れた国でありながら、インドと日本の、精神的な結びつきがそこここにあったことを、今更のように、感じる。
アルヴィンドが、京都を訪れたときに、蓮華王院(三十三間堂)にインドの神々を見て、ひどく感銘を受けていたことを思う。
インドの人々にとっても、日本の中に垣間見えるインドは、得も言われぬ情念を、沸き立たせるものではなかろうか。
懐かしき、名島の海。
昭和6年(1931年)9月17日。今からちょうど80年前。リンドバーグ夫妻が世界各国親善訪問飛行の途中、かつてここにあった「名島水上飛行場」に飛来したのだった。
幼いころのわたしは、水平線を見るのが好きだった。山の稜線を見るのもすきだった。
太陽が照りつける水面に、トビウオが飛ぶさまを、眺めたころの懐かしき。
うみは ひろいな 大きいな
月がのぼるし 日がしずむ
うみはおおなみ、あおいなみ
ゆれて どこまで つづくやら
うみにおふねを うかばして
いってみたいな よそのくに。
海の向こうにある世界を想像すらできず、ただ水平線を眺めていたころ。あのころの好奇心を満たしながら、いきているのだろう。
このあたりには、わたしの原点が、散らばっているのだな、ということを、しみじみと。