師走らしい日々が続いている。ブログは表裏ともに更新が滞りがちだが、元気でやっている。
年末は、三年連続で「アーユルヴェーダグラム滞在」に決定した。そう。アーユルヴェーダの診療施設(よく言えばリゾート、厳しく言えば道場)に籠り、超ヘルシーな1週間を過ごすのである。
キャッチコピーは、「肉なし、酒なし、踊りなし」。
健康的すぎる年末なのである。
1年目は、大晦日くらいは派手に過ごしたいと、大晦日の夕方にチェックアウトしたのだが、すっかり「健康になりすぎた心身」が、夜遊びを受け入れず。
外に出かけることもなく、二人で地味〜に、自宅でシャンパンをあけたのみであった。
ということもあり、昨年は大晦日をはさんでの滞在。アーユルヴェーダグラム内で、それなりに地味に、それなりに味わい深い大晦日を過ごした。
そして今年もまた、27日から1日までの5泊6日を過ごすことにした。
このごろは、殊更に、「健康第一」を痛感している。1年のあれこれを心身ともに整理整頓するためにも、この年末の過ごし方、かなり気に入っている。
この一週間余り、実にさまざまなことがあった。あれこれを、克明に綴りたいところなのだが、克明に綴っていると時間がかかる。
「ぜひとも書き留めておきたい」ことを除いては、せめて写真だけでも載せておこうと思う。
ところで、今週から、改めて英語の勉強を始めた。実に8年ぶり。
週に2回、家庭教師にきてもらうことにしたのだ。
ヒンディー語に挫折した身。せめて英語くらい、もっときちんと勉強を、というわけだ。英語の勉強に関しては、また時を改めて、記そうと思う。
これらの写真は、言わずと知れたU-KO隊員一家、すなわちF家の人々との「お別れ会」各種の写真である。
詳細は大幅に割愛するが、バンガロールに暮らして6年。ここまで大騒ぎして帰任した家族を、わたしは知らない。
本当に、楽しませていただいた。
お嬢さんの編入先の学校も、早速、決まったよう。
本日届いたその知らせが、本当にうれしかった。
これまでも幾度となく記してきたが、海外赴任にあたっては、ご本人の仕事、伴侶の負担もさることながら、子供の心や学校教育が、最も懸念されるところ。
異国の地への転校に際しては、その子供の個性ももちろんあるが、負担が大きいことには変わりはない。
以下、過去の記事にリンクをはっているので、ご覧いただければと思う。
■束の間、国語教師/異国で子供を育てるということ (←Click!)
■チャリティ・ティーパーティ/補習校で「桜」作文 (←Click!)
いきなり話題が変わるが、蚊を侮るなかれ。
特に、インドやらアフリカやら、その他、蚊媒介性の病気が根付いている土地においては。
かく言うわたしは、蚊よけのための、薬剤が身体に悪そうな気がしていやなので、もっぱらハーブ系のあれこれを愛用している。
上の写真は、インドで一般的に売られている蚊とりリキッドな"GOOD KNIGHT"の上部を用いて使用できるハーブな商品。
蚊が嫌うハーブはあれこれあるが、代表的なシトロネラ (CITRONELLA)などが配合されているようだ。これと同系列の商品で、ハーブな蚊取り線香も売られている。
バンガロールではMother Earthなどで入手可能。
左のスプレーは、あらかじめ部屋に噴霧するタイプのハーブな薬剤。
配合された各種ハーブの匂いを、蚊が嫌うらしく、確かに蚊は寄り付かない。
まあ、人間も寄り付きたくなくなる匂いがしないでもないが、薬剤を吸うよりは「まし」な感じだ。
これはTHOM'S BAKERYでも売られている。
このほか、シトロネラの精油やキャンドルなどもあちこちで売られている。
大々的にペストコントロール(薬剤散布)で蚊を殺す方法をとっている商業施設などもあるが、長い目で見るに、あれはよくない。
蚊が抗体をつけて、どんどんたくましくなっていくのだ。
インドの蚊のすごいところは、気温が低くても、蚊よけを使っていても、生き延びる種が存在するということ。これはもう、抗体がつきまくっているとしかいいようがない。
我が家にも、ときどきそういう蚊が来訪し、我々の睡眠を妨げる。
「また、スーパー・モスキートだ!」
「ああ、もう、ぼくは、蚊が嫌いだ!!」
「いや、誰だって、蚊は嫌いやろう!」
と、毎度同じやりとりで、忌々しさを炸裂させながら、寝ぼけ眼で「蚊取りラケット」で殺生するしかないのである。蚊取りラケットについては、また後日したい。
で、なにゆえ、蚊の話題かと言えば。デング熱である。
〜以下の話題は、ご本人の了承を得て、掲載しております。〜
それは先週、水曜日のこと。
イライザ改めPAKAKO隊員も、シルクマーク・エキスポへ行きたいと行っていたので、お誘いのSMS(携帯電話のショートメッセージ)を送ったところ……。
彼女の携帯電話から、長大なローマ字入力のメッセージが届いた。内容を要約すると、以下の通りであった。
昨夜、デング熱であることが判明。現在、入院中です。
デリーに住んでいる時に1度かかって、これは2度目。
わたしの血はおいしいに違いありません。
今、全身の痛みと闘っています。
1週間前のタミル・ナドゥ州への旅行中にやられたようです。
潜伏期間1週間で、ビンゴ!
ああ、シルクエキスポには行けません。
ラーメンも食べられません。
わたしはなんて不運なのでしょう。
高熱と痛みの中、なにげに余裕をかました長文を入力できることに驚きを禁じ得なかったが、ともかく、これだけ入力できるのだから電話に出られるだろうと、電話したところ、電話に出た。
40度前後の熱があるというのに、口調がはっきりとしているところも、フルマラソンを走りきる、普段から体力のあるPAKAKO隊員ならではだ。
高熱と痛みにさらされながらも、翌日に控えた『U-KO隊員一家主催のとんこつラーメンお別れパーティ@播磨(麺の提供は日清食品)』に出席できない無念を吐露するPAKAKO隊員。
電話を切ったあと、急ぎデング熱について調べてみる。文献によって記述が異なるので、ここでは詳細は記さない。
デング熱の、おおざっぱな症状のみを記すならば、蚊を媒介としてかかる疾病で、通常4日間〜7日間の潜伏期間を経て、高熱と全身の痛みなどが発症するようである。
ともあれ、熱が引くまでには1週間ほどかかるとのことで、入院もその程度になる見込みのよう。
なお、症状が悪化した場合は、「デング出血熱」という病態に至るという。
また、血小板の数値が著しく低下した場合、血小板輸血をせねばならないらしい。
実は、とんこつラーメンなお別れ会の際、PAKAKO隊員の夫のヤクルト王子も出席していた。
が、もちろん、王子の表情は晴れない。
その日の朝の血小板の数値が下がっていたので、ひょっとすると、翌日には輸血が必要になるかもしれないと、ドクターに言われていたとのことだった。
PAKAKO隊員はA型で、ヤクルト王子もA型だから、いざという時には、まず王子の血液を採取することになるとはいえ、万一、合わないことも考えられるという。
そんなときのために、ドナーを数名、確保しておくよう、ドクターから言われたとのこと。
わたしは、あいにくB型。ちなみにU-KO隊員もB型。
と、A型なマイハニーが、
「僕の血、使ってくれていいからね! 明日、万一のことがあったら、いつでも連絡して」
と、スウィートだ。
しかし、妻は微妙に、微妙な気分。というのも、マイハニー、過去にマラリアを2回も経験しているマラリア・キャリア。
マラリア・ダブル・キャリアな血小板が、デング熱ダブルな人の体内で、どう作用するのか……。
あんまり、考えたくないものである。
願わくば、輸血なしですむことを祈るばかりの隊長なのであった。祈りながら、熱くUFOを歌い踊るのであった。
ところで、日本人会の名簿には、会員の連絡先の他にも、血液型が明記されている。いざというときの輸血の際に、ドナーをお願いしやすいようにとの便宜である。
メディカル・ツーリズムの話題でも知られる通り、インドには優れた医療技術がある。海外からの患者も少なくない。
が、実情は決して、安心できるとは言いきれない。
たとえば、有名な大病院。勤務するドクターが優秀でも、スタッフの教育が行き届いていないところが少なくない。入院していても、病室へひっきりなしに、スタッフやら掃除人やらが出入りするところが大半。
PAKAKO隊員が入院していたアポロ・ホスピタルは、心臓外科医としても有名な大病院であるが、ナースらの技術にも、かなり問題があった様子。
点滴や採血をうまくできない人もあり、「デングじゃなくて、病院にやられてしまう」と思ったこともあったらしい。
もっとも、その後、王子がドクターに対応改善を交渉して、少しはましになったようだが……。
安心して入院できる病院を、あらかじめリサーチしておくことも必要だ。救急病院の件については、わたしも一昨年、母の入院事件で諸々を経験した。
一応、あの事件についても、リンクをはっておこう。
■救急車でICU搬送。熱過ぎる21時間の記録、超長編。 (←Click!)
ともあれ、火曜日の夜から続いていた熱は、日曜の朝にはぐっとさがり、ずいぶん楽になったとのこと。
翌日、月曜日の夕方、病院へお見舞いに赴いた。
約1週間、ほとんど食事もとらず、点滴とフルーツなどだけを主に食していたと聞いていたが、すでに顔色もよく、やつれた様子がないのには、安心したを通り越して、驚いた。
本当に、タフなお方である。むしろ王子の方が心労でお疲れのように見受けられた。
ちなみに、普段はローカルフード大好きな、マサラ度満点なPAKAKO隊員であるが、入院中は、とてもインド風味の病院食を口にする気にはならなかったとのこと。
そうなのだ。
日本を離れて、しみじみ痛感するのは、体調が悪い時に欲する「日本風味」のありがたさ。
長旅で外食が続いたりした時もそうだが、一杯の日本茶が、一杯の味噌汁が、一膳の日本米による白飯が、そらもう見事に、五臓六腑に染み渡るのだ。
普段、殊更に日本人を痛感しない食生活をしていても、身体が弱った時などに、「ソウルフード」との強い絆を認識させられるものだ。
そんなわけで、お見舞いに手ぶらで出かけるのもなんなので、薄味の味噌汁と、小ぶりのおにぎりと、やはり薄味の卵焼きを持参した。
日本食のストックが極めて少ない我が家だが、醤油と日本米(といってもカリフォルニア産やらヒマラヤ産)だけは、常備している。
逆に、これさえあれば、なんとかなる。
我が家の日本食材ストック事情とその活用法については、記そうと思いつつ記し損ねてきたので、これもいつか書きたいものだ。
ミニマムな日本食材で、マキシマムな日本の味。
かくなる次第で、ちょうど1週間後の火曜日、晴れて退院してご自宅に戻られたのだった。
出血熱に至ることなく、輸血もせずにすみ、本当によかった。しかし、彼女曰く、最初の数日間は本当に辛く、あまり記憶がないとのこと。
長大なSMSを打ったことも(U-KO隊員には、一度では送信できないくらい長いSMSが、分割して送信されてきたらしい)、あまり覚えていなのか?
高熱の最中は、苦しくて、辛くて、痛くて、本当に死んじゃうんじゃないか、というくらい、辛かったらしい。
基礎体力のある彼女だったから、速やかに回復できたものの、高齢者や、抵抗力が弱っている人には、かなりダメージの強い疾患であるには違いないと認識させられた。
どんな病であれ、普段から体力がある人の方が、ダメージが浅いのは当たり前のこと。
健康であることがいかに大切かを再認識させられると同時に、蚊を侮ってはならないと、改めて思わされるのであった。
そして、不調に気づいたら、速やかに病院へ行くこと。これが大切である。
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タイトルに「別れも人生のスパイス」などと書いたが、それに関する所感をすっかり書き忘れた。後日、書こうと思う。