昨日、「ハンピの都市遺跡1泊」&「フブリのカンファレンス2泊」の旅から帰宅した。わずか3泊4日の旅ながら、非常に実り豊かな時間を過ごすことができた。
今回、主目的はフブリで開催されるカンファレンスの出席であった。その件については、後日、改めて備忘録を記しておこうと思う。
ユネスコ世界遺産に指定されている観光地ながら、その名を余り知られておらず、観光客もさほど多くないのは、その地の利が悪いのも理由の一つだろう。
今回、バンガロールから1時間余りのフライトでフブリへと飛び、フブリから約3時間半のドライヴ(約150km)を経て、ハンピへ赴いた。
わずか1泊、夕方と午前中の、実質5時間足らずの滞在であったが、しかし、それなりに味わい深い時間を過ごすことができた。
主には写真を中心に、まとまりなく、メモとして記録を残しておこうと思う。が、その前に、ハンピの概要を少々。
ハンピは、ここバンガロールと同じカルナタカ州にある。バンガロールから北西へ約370km。ニューヨーク=ワシントンD.C.間と同じくらいの距離だ。
ここが米国なら、気軽に車を走らせたいところだが、そこはインド。道路には、障害物がたっぷりだ。寝台列車や深夜バスで出かける方法もあるが、そうまでして行く? という思いもあり、6年が過ぎていた。
精神的距離が、非常に遠かったハンピ。この機を逃しては、きっとこれから先も訪れる機会はないだろうと思い、今回、訪問を決めたのだった。
ハンピは、14世紀(1336年)から16世紀前半(1565年)にかけて栄えたヒンドゥー教勢力、「ヴィジャヤナガル朝」の王都であった。
最盛期には約50万人が暮らし、ポルトガルや中国など、大陸の商人らも訪れたという。
ごつごつとした岩肌。巨岩の転がる乾いたデカン高原の大地。
半径約3キロ圏内に、いくつものヒンドゥー寺院や宮殿などが建立されたが、16世紀なかばに、北から侵入したイスラム勢力によって制圧された。
ガイドによると、その後、ハンピは久しく「打ち捨てられ、忘れられ」ていたという。樹木が生い茂る、まさに「兵どもが、夢のあと」だったこの地が再発見されたのは、英国統治時代らしい。
1986年、ハンピはユネスコの世界遺産に指定された。
ハンピに見られる建築物は、南インド伝統様式の「ドラヴィダ式建築」だとのことだが、一部、イスラム建築の技法も取り入れられているとのこと。
今回の旅でつくづく「読んでてよかった!」と思ったのは、年末年始、アーユルヴェーダグラム滞在時に持参していた『ラーマーヤナ』。
『ラーマーヤナ』とは、『マハーバーラタ』(こちらは未読)と並んで、インド人(ヒンドゥー教徒)にとっての、多分バイブルに相当する神話である。
概要は、下記を参照されたい。
『ラーマーヤナ』については、簡単な感想を書きたいと思いつつそのままだが、これを読んだのと読まないのとでは、インド、そしてインド人に対する見方がかなり異なると、今更ながら思っている。
インド人の伴侶を持ち、インドに暮らしていながら、今の今まで読んでいなかった自分を反省した。
というわけで、わたしが読んだのは、そもそも子ども向けに編集されたのであろう、わかりやすい上下巻。
この本を読んだことで、普段、腑に落ちなかったあれこれが、なるほどな、と納得できた。インドにお住まいの方、インドと関わりのある方には、ぜひ一読をお勧めする。
わたしももう一度、読み直すと同時に、『マハーバーラタ』も入手して読もうと思っている。
生きとし生けるもの、みな同列。
「神」と、「地上に生ける衆生」の関係。
時間と距離の精神的概念。
軽やかに面白く、奥深い本である。
さて、ハンピは、この『ラーマーヤナ』の舞台ともなっている場所。
物語の主人公であるラーマ王子に忠誠を尽くす猿のハヌマーン。
読後、わたしはすっかりハヌマーンのファンになってしまったのだが、彼の生まれ故郷がこのハンピなのだ。
……と書いていて、はたと思い当たった。
『ラーマーヤナ』と、日本の『桃太郎』。共通点が散見される。
ランカ(スリランカ)に棲む悪魔退治。鬼が島に棲む鬼退治……。
ハヌマーンと西遊記の孫悟空は、きっと関連があるのだろうとの印象を受けていたのだが……。
『桃太郎』の『ラーマーヤナ』起源説、きっとあるに違いない。といったことは、別の機会に検証するとしよう。
あれこれと話が広がると、旅の記録が終わらなくなるので、以降、写真にキャプションを添える感じで、ざっとご紹介したい。
なお、MiPhone@Indiaにも、ここに載せていないiPhone撮影の写真をあれこれと載せている。
土曜の昼ごろ、フブリの空港に到着した我々。予約していた車を呼び、荷物を積み込んでハンピへ向けてドライヴだ。と、その前に。
軽くランチを、とドライヴァーお勧めのローカルレストランに入った。この店のドサがおいしくて感激! というのも、ギーが軽めでクリスピー、だけど旨味が濃厚という、かなり理想的な味だったのだ。
今回の旅で一番おいしかったのは、この店のドサであった。
フブリから、車は東へ目指して走る。途中、視界に飛び込むのは、乾いた農耕地。農地ながらも、決して緑が潤っているわけではない、乾いた印象を受けるのだ。
綿、トウガラシ、粟、ヒエなどの穀物の畑が、交互に目に飛び込んで来る。
牛車が行き交い、ヤギの群れが道路を横切る。黒豚の家族が道路を横切る。交通量があまり多くないのをいいことに、凹凸の少なくない道路を、ドライヴァーは時に100kmも出して走る。
インドの、整備されていない一般道(ハイウェイと名付けられていても、ハイウェイとは思えない道路)で時速100kmは、ある種、自殺行為である。
時折、ドライヴァーをいさめつつ、久しぶりに「インド的ドライヴ」を経験するのであった。
途中、風力発電の風車が立ち並ぶポイントも見かけた。今が一番涼しい時期だとはいえ、陽光は鋭く照りつけ、熱い。
太陽光発電もまた、この国では偉大なるエネルギー源となるに違いないと思うのだが、そのあたりのことも、さておいておこう。
さて、午後4時ごろ、ようやくハンピに到着。村に入り、観光ポイントが点在するエリアの路上で車を停められる。
車の入場料金を払わねばならないらしいが、物売りだの、自称ガイドだの、なんだのかんだの、車のまわりをどっと取り囲む。見るからに「有象無象が跋扈」の状態で、誰が「本当に料金を支払うべき人」なのか、わからない。
そんな中に紛れて、声をかけてきた政府公認のガイド。身分証明を見せてくれたし、英語もわかりやすいし、態度も悪くない。
時間も短いことから、交渉し、2時間500ルピーでガイドをしてもらうことにした。結果3時間近く、なかなかに的確なガイドをしてもらった上、翌日の行動予定も立ててもらった。
効率よく巡るためにも、ガイドは不可欠だ。もちろん、ガイドの知識や人柄にもよるけれど。昨年のアジャンタ&エローラ遺跡でも、ガイドの必要性を痛感した。
本来、ホテルや旅行代理店などを通して手配をするのが安心だが、今回はこれで十分であった。
左上は、ナラシンハ像 (Narasimha Statue)。ヴィシュヌ神の第4の化身で、ライオンの頭と人間の身体を持っている。
右上は、シヴァ寺院にあるリンガ。シヴァ寺院では、シヴァ神の像を奉るのではなく、このシヴァ・リンガが礼拝の対象となっている。
リンガは男性器の象徴であり、ヨーニと呼ばれる器の上に立っている。ヨーニとは女性器の象徴だ。
つまりこの像は、性交中のシヴァ神を、女性の体内から見ている格好となる。
我々が生きる世界は即ち、シヴァ神が女性と性交をした結果、現れた世界であるということらしい。ということを、今回、初めて知った。リンガとはなるほど、そういうことだったのか。
リンガとヨーニとは、生命原理の最高のシンボルであるらしい。
上の写真は、特筆すべき場所ではない。ガイドがこの傍らを通過した際、教えてくれて車を降りた。何かと言えば、400〜500年前のハンピ最盛期、村の人たちが祝宴に使っていた場所だとのこと。
この上に、バナナの葉を載せて、テーブル代わりに用いていたらしい。今でもたまに、使われているという。即ち食卓である。
エローラの仏像を見た時にも思ったが、別の土地から訪れる観光客にとっては、世界遺産とは、守られるべき場所であるとの印象を受ける。
しかし、ずっとここに暮らしている人たちに取っては、いにしえから今日に至るまで、祈りの対象であり、生活の場であるのだということを、忘れてはならないと思う。
遺跡の壁面に名前を彫るなど、徒に傷をつけるのは勿論よくない。
しかし神体に触れて祈りを捧げたり、普通に出入りすることを、外部の人は「保存」を名目に、とめることはできないのだ、ということを、改めて感じた。
その後、特に行く必要はないが、近くを通ったので取り敢えず、というわけでミュージアムへ。遺跡にあった彫像などが、ここで展示されている。
インド人であるところの夫を、「ああ、インド人なんだな」と思うことが、折に触れてある。この写真を見た時も、そうだ。
夫のフェイスライン。猿(ハヌマーン)の彫像に似てる! と思うのはわたしだけか。
ちなみに、夫が怒ったときなどは、「あうん」な「金剛力士」みたいな顔になる。カッと見開いた目が立体的に飛び出し、濃く太い眉がそり上がり……。ああ、誰かに見せたい。
あと、後ろ姿(特にお尻の辺り)が、象の後ろ姿に似てるな〜と思うこともある。ああ、これは見せずともよし。
そんなしょうもない所感はさておき、今日のうちに、一番の見どころだとされているヴィッタラ寺院 (Vittala Temple)を訪ねることに。
普段のハンピは、比較的静かで観光客が少ないとのことだが、この日(土曜)は週末であるのに加え、祝祭日とあってか、着飾った人々が大勢、訪れていた。
ガイドのおじさんは、やたらと「写真撮影」にこだわる人で、「このポイントから」「このアングルで」と、過剰に親切。
確かに写真も撮りたいが、それよりなにより、自分の目で、じっくりと、対象を眺めることが大切やろ。
と思うのだが……。このところ、Facebookに自分の写真を載せるのが楽しいらしい夫。といっても、自分で撮影するのではなく、わたしが撮ったものを使うから厄介だ。映りのいい写真を所望するのだ。
以前は、「美穂は、写真ばっかり撮って」などと言っていたくせに。
ガイドとふたりして、あっちで撮ろう、こっちで撮ろうとうるさい。ここには載せていないが、かなりの数、撮らされた。
かなり、イラッとする妻。
中盤から、笑顔さえ失せてしまったが、しかしこうして帰宅してから見るに、珍しく夫とのツーショットがいい感じで撮れている。
これは、ガイドがうまく撮影してくれたお陰である。感謝せねばな。
左上は寺院の台座の部分。雨が降ると、この彫刻に水が伝わって、きれいに見えるらしい。水が流れるところをぜひとも見てみたいと思う。
台座の人物の彫刻の中には、当時大陸から訪れた、中国人やポルトガル人らの姿も見られるという。衣類や帽子に、その特徴が現れているそうだ。
さて、ゆっくりと巡りたいところだが、徐々に太陽が傾き始めてきた。日没にいいポイントを、とガイドに尋ねたところ、「サンセットポイントへ行きましょう」とのことで、直行する。
小高い丘の上にたどり着けば、太陽が本日の最後の力を振り絞るように、あたり一面を黄金色に染めている。
荒涼の乾いた大地に、緑浮かび上がる光景が、視界を埋め尽くす。
天然自然のものと、人間が作り上げたものとが、違和感なく、静かに調和しているさまが麗しい。
このサンセットポイント、ヘマクタの丘 (Hemakuta Hill)からは、ハンピの遺跡群の中で、唯一、現在も寺院としての機能を果たしているヴィルパークシャ寺院 (Virupaksha Temple)が見下ろせる。
わたしたちの背後に見えるのがそれだ。
今日は祝祭日ということで、寺院前の通り、即ちハンピ・バザールと呼ばれる界隈は、大勢の人々で賑わいを見せている。しかしこうして、遠くから見る限りにおいては、静寂の光景だ。
この寺院には、明朝、訪れることにして、そろそろホテルへと引き上げるころである。6時過ぎには、観光ポイントも殆どが扉を閉じてしまうのだ。
寺院の入り口にそびえる、ピラミッドのような形をした屋根の壁面には、さまざまな彫像が施されている。薄暗く、すでによく見えないのであるが、しかし、アルヴィンドが声を上げた。
「ミホ! あれ見て!!」
カメラをズームにして、撮影してみた。
目のつけどころが、すてきです。
さて、こちらは翌朝の風景。ホテルで朝食をすませ、9時前にはチェックアウト。なにしろランチを終えたらフブリに向かわねばならず、残すところ実質4時間程度のハンピ滞在である。
まずは、ヴィルパークシャ寺院へ再び。本日も祝祭日ゆえ、バザールは飲食店や雑貨店、装飾品や色粉を売る露店などが並び、賑わっている。
わたしたちのような観光客よりもむしろ、参拝に訪れる人の方が多いように見受けられる。入り口で靴を脱ぎ、境内へ入る。
お香の匂い、鐘の音……。写真からその喧噪は伝わらないが、しかしここは生命力が満ちあふれている、遺跡の中の現在だ。
一隅では、参拝者が持参のココナツを祭司に託している。祭司はココナツを割り、ココナツウォーターを台座の器に流し入れる。
これはきっと、神への捧げものなのであろう。
境内を一巡して、さて寺院を離れようかとしたとき、先ほどはいなかった象と、象使いが立っており、その周囲を人々が取り囲んでいる。
よくよく見てみれば、象は参拝者から「鼻で」お金を受け取ると、それを象使いに渡している。象使いが指示を出すと、象が参拝者の頭を「よしよし」という感じで、なでてくれるのだ。
「ぼくもやってもらうよ!」と、マイハニー。「ちゃんと写真を撮ってよね!」と厳しい。これは失敗できんな。
まずはお金を渡し……。
はい、象さんが笑いながら(笑っているように見えるでしょ?)、頭を撫でているの図。
実はこれ、2度目の撮影。一度目、iPhoneで撮った写真が、本人的には気に入らなかったらしく、再撮影を言い渡されたのだ。
こっちの方が、がっしり頭に鼻が載っている感じが出ているかと思う。
ちなみに、わたしもやってみた。
5ルピーを渡したところ、なでなでしてくれない。
象使いが、「10ルピー!」と言う。
10ルピー以上じゃなきゃ、なでてくれんらしい。
なかなかに、いい商売である。
というわけで10ルピー渡して、なでなでしてもらったというのに!
夫ときたら、撮影失敗。
これだもの。
ってか、そんなくだらんことは、どうでもいいのだ。見ていただきたいのは、この象の表情。人間の顔はともかく、この賢そうなやさしそうな象の顔をごらんあれ。
実際、笑ってるつもりはないんやろうけど。
こうして見ると、象になでられて大喜びしている人間の方が阿呆に見えるから、不思議なものである。
それにしても、楽しかったぞう。
……失礼。
さて、次なる目的地は、ハザーラ・ラーマ寺院 (Hazara Rama Temple)。
ここでもまた、読んでてよかった『ラーマーヤナ』、である。
キリスト教会のステンドグラスが、聖書の物語で彩られているように、この寺院の壁面はまた、『ラーマーヤナ』の名場面なども彫られているのである。
訪れる人も少なく、空気は清澄で、実に心休まる空間だ。じっくりと眺めて回りたいところだが、あまりゆっくりもしていられない。
ハンピには、少なくとも2泊はすべきだと、訪れてみて痛感した。ひとつひとつの遺跡を丁寧に見学しつつ、同時に、心を浄化すべくのんびりと、過ごしてみるのにもいい場所なのだ。
さて、次に訪れたのは、ロータス・マハル (Lotus Mahal)。この建築物は、ムスリムの建築様式が取り入れられているという。
見るからに、今まで見てきたヒンドゥー教一本やりの世界とは異なる空間。レリーフなどの細工などにも、その特徴が見られる。
開放的なオープンスペース故、中に入って写真を撮っていたら、遠くから警備の人に注意された。どの遺跡も、あちこち進入自由な状態だったが、ここはのぼっちゃいかんらしい。
が、ここに座ったとき、本当に気持ちがよかった。このあたり、くつろぎたい場所である。
左上はエレファント・ステイブルズ (Elephant Stables)。即ちゾウ小屋の跡である。小屋と呼ぶにはあまりにも重厚な、象のお住まい跡地だ。
さて、ロータス・マハルをあとにして、すぐ近くにあるクイーンズ・バス (Queen's Bath)へ。王妃の浴場である。
実際にこの浴場が浴場として使われていたころの様子を、脳裏に思い浮かべてみる。バラの花びらなどがちりばめられ、カラフルなサリーに身を包んだ侍女たちが仕え、それはそれは、艶やかな光景であったろう。
さて、クイーンズ・バスをあとにしたわたしたちは、最後に再び、最初に訪れたヴィッタラ寺院へ向かう。
もう一度、今度は昼間の様子を見ておきたく、帰る前に訪れようと決めていたのだ。他にもまだ見るべきポイントはいくつかあったようだが、今回は無理にたくさんを回ることはやめた。
改めて、写真のみを掲載しておく。
慌ただしくも実り多きハンピ観光を終え、フブリに戻る前に、友人から勧められていたレストランへ立ち寄ることにした。
Mango Treeという名の、眺めのよいその店で、ランチタイムだ。
バナナ畑を歩いた先にある、こぢんまりとアットホームな店である。
さまざまなサイトなどで取り上げられているせいか、外国人観光客が多い。メニューにも、サンドイッチなどスナック類が用意されている。
わたしたちはローカルの定食を注文。素朴なミールスだが、清澄な空気が料理の味を引き立ててくれ、食が進んだ。
本来、ローカルの店ならばおかわり自由なので、そのつもりで頼んだら、基本、おかわりなし、らしい。が、そう言いつつも、追加を持ってきてくれた。食欲旺盛な客である。
ここでもまた、食後にゆっくりとくつろぎたいところだが、4時半までにはフブリに到着せねばならない。カンファレンスのオープニングスピーチが、5時には始まるのだ。
スピーチは、インフォシスのナラヤン・ムルティ氏によるもの。すでにカンファレンスは今朝から始まっているので、せめてこれは聞いておきたい。
後ろ髪を引かれつつも、車に乗り込み、西を目指すのであった。
というわけで、駆け抜けるように、ハンピ旅の記録、終了。
フブリの記録も、自分の経験を消化するためにも、記すつもりだ。
★追記:先ほどの夕食時、夫と「象の頭なでなで料金」について話をしていたところ、新事実が発覚! 夫は2ルピーでなでなでしてもらったらしい。わたしが要求された10ルピーとは「外国人料金」だったらしい。やられたぜ!