インドの南東端、亜大陸のすぐそばに、そっと寄添うように位置するスリランカ。その地形を見る限りでは、まるでインドと一つの国であっても不思議ではない印象を受ける。
しかし、インドとは似て非なる、独自の歴史、文化を育み続けた国だということを、今回の旅を通しても、切に感じた。
日本の国土の約9倍、人口は約10倍の12億人以上を抱える多様性国家、インド。
比してスリランカ。九州より大きく、北海道より小さい国土に、約2,000万人が暮らしている。
インドほどではないにせよ、スリランカもまた、多民族国家。
主に仏教を信仰するシンハラ人が74%、次いでヒンドゥー教徒のタミル人(インドのタミルナドゥ州に起源のある人々)が18%。
このタミル人とは、英国植民地時代、ティープランテーション(紅茶の農園)の労働者として、半ば奴隷のように連れてこられた人々を起源としている。この件については、後に触れたい。
このほか、キリスト教徒、イスラム教徒などの信者も少なくない。
スリランカが、バンガロールから非常に近いにも関わらず、これまでなぜ積極的に旅をしなかったか。その理由の一つに「内戦」がある。
スリランカでは、2009年の5月まで、政府軍と反政府武装組織「タミル・イーラム解放の虎」(LTTE)の間での内戦が続いており、情勢が不安定だった。
もっともわが夫は、インド移住直後の2006年から数年に亘り、しばしばスリランカの最大都市、コロンボを訪れている。
というのも、当時夫が勤めていた会社が、スリランカの企業に投資をしていたため、3カ月に一度行われるボードミーティング(役員会議)に出席せねばならなかったのだ。
しかし彼も、コロンボ以外の場所を訪れたことはなかった。
内戦などに関する事情は、日本の外務省のページに記述があるので、関心のある方は、下記、目を通していただきたい。
■スリランカ内戦の終結/外務省 (←Click!)
■「スリランカに行きたい!」と思った瞬間のこと
わたしがスリランカに強い関心を持ったのは、我々が主にムンバイに暮らしていた2008年。件(くだん)のスリランカ企業のボードミーティングが、ムンバイで開催された時のことだ。
スリランカ企業のCEOであるニハール〈今回、旅のアドヴァイスもしてくれ、最終日、ランチを共にした〉が、夫に貸してくれたスリランカの写真集を見た瞬間だった。
そこには、今まで全く見知ることのなかったスリランカの仏教遺跡や豊かな自然の光景が、極めて魅力的に編集されていた。「スリランカに行きたい!」と思った。
その写真集は数日後、ニハールに戻したのだが、今回の旅で同じものを見つけられなかったのが残念だ。
その1年余りのち、内戦は終わった。
しかし、「近いから、いつでも行ける」と思うせいか、なかなか機会がなかったのだが、ついには昨年末、冬の休暇の旅先を、スリランカに決めたのだった。
■あくまでも、「インドに暮らすわたしたちの主観」で決めた行程
今回の旅の計画。実はかなり時間をかけて練った。といっても、わたしは要点を伝え、時折、口を挟むだけ。今回は、主には夫が尽力してくれたのだった。
ニハールが紹介してくれた旅行代理店のアドヴァイスを参考に、自分たちで情報を集めて行程を練った。
宿の一部と車(ドライヴァー)は旅行代理店を通して依頼したが、自分たちでもいくつかのホテルを探し出し、直接予約した。
特に、昨年末のアーユルヴェーダグラムでは、最初の数日の自由時間を、旅の計画に費やしたと言っても過言ではない。
「インドでは見られない、スリランカならではの場所」に焦点を絞り、しかし「起伏に富んだ経験」をしたい。
なるたけ2泊以上の滞在を主にしたかったが、最終的には以下のような行程を組んだ。
●旅の起点、空港近くのニゴンボ:1泊
●仏教遺跡などのあるダンブッラ:2泊
●セイロンティーのふるさと、ヌワラエリヤ:1泊
●森林保護区のシンハラージャ:1泊
●コロニアルな海辺の街、ゴール:3泊
ヌワラエリヤからシンハラージャの移動は、地図を見る限り、山道が多く時間がかかりそうだったので、間に1泊いれるべきだと妻は主張。
しかし、夫が旅行代理店の担当者と相談したところ、5時間ほどで到着するから問題ないと言われて決行した。
結果、妻の予想は的中。ドライヴァーのルート選びがまずかったこともあり、たいへんな長距離ドライヴが待ち受けていたのだった。が、過ぎてしまえば、それもユニークな思い出だ。
一方、削れるところは思い切り削り、旅行者の多くが立ち寄る最大都市のコロンボには宿泊せず。また「仏歯寺」で有名なキャンディも敢えて避けた。
従っては、この旅の記録をして、たとえば日本からの旅行者が参考にされても不都合があると思われる。
ここでは、ガイドブックでも雑誌でもない、極めて個人的かつ主観的な旅日記として、取り敢えず書き連ねる予定だ。
なるたけ正確な情報を盛り込みながら綴るつもりだが、中には偏りのある見方、勉強不足による誤解などもあるかもしれない。
また、多くの人にとっては不要な、しかしわたしにとっては意味のある、インドとの比較をも記すかもしれない。
明らかな間違いに対するご指摘は、ありがたくお受けするが、主観的な意見に対しての突っ込みに対しては対応しかねるので、その点、ご容赦いただければと思う。
予想を遥かに上回るすばらしい旅だったこともあり、自分と夫の二人だけで、旅の経験を共有するにはあまりにも惜しい。
スリランカの魅力の断片を、多くの方々とシェアしたいとの思いから、今回、膨大になるであろう旅の記録を残すつもりだ。
■ニゴンボ Negombo:一晩だけの、海辺の街。心地よいウェルカム
1時間20分の予定よりも15分早く、バンガロール発のスリランカン・エア便はコロンボに到着した。デリーよりも、ムンバイよりも近い。あっけない空の旅だ。
宿は空港からほど近い「ニゴンボ」という海辺の街にとっている。空港から30分ほどの場所にあるブティック・ホテルだ。
空港では、ドライヴァー兼ガイドのサミートにピックアップしてもらう。サミート曰く、この街は漁村であると同時に、クリスチャンが多いことから「リトルローマ」と呼ばれているらしい。
なるほど、街路の随所に、マリア像やキリスト像が見られる。インドのクリスチャンの表現とよく似た印象だ。
ところでドライヴァーのサミート。これから9日間の旅を共にする。旅の流れを大きく左右する存在でもある。旅行代理店を通して手配してもらった彼は、誠実そうな印象の、年のころなら50代の男性。
しかし同時に、少々神経質そうなうえ、吃音があるため、話を聞き取りにくい。
雰囲気としては、激ヤセした山下清。我が家の庭師もそうだが、わたしは「山下清」的なキャラの人物に遭遇する確率が、結構高いようだ。
「一晩、寝るだけだから、手頃な値段で快適な宿にしよう」というわけで、夫がガイドブックを参考に選んでくれたブティック・ホテル。
設備はミニマムだが、こぢんまりと居心地がいい。
建築、インテリアが味わい深い。欧州の街に紛れ込んだかのような気分にさせられる。プールサイドなど、トスカーナのサンジミニャーノやアッシジを彷彿とさせる。
灯りが極力落とされた敷地内だが、「雰囲気のよさ」が漂っている宿だ。