目覚めて新聞を広げると、かつてなく「母の日」の記事や広告が増えている。それらを軽く読み流した後、コンピュータを立ち上げる。
Facebookを開けば、友人たちの、母の日に関する書き込みがあちこちに。
友人が、子どもたちから贈られたカードやギフトなどを紹介した写真を眺めながら、ふと、自分は今世、「母の日」を祝してもらうことはないのだな、と思った。
そう思うと、急に寂しいような気持ちになった。
今までこんな思いに至ったことは一度もなかった。母の日と言えば「自分の母親」に対して思いを馳せる日であり、自分が母として云々を考えたことがなかったのだ。
今更? な気がしないでもないが、そういうお年頃のせいだろう。
しかし、そういう寂しさを感じることはまた、決して悪いことではないとも思う。自分に欠けているものを感じる一方で、自分が恵まれている部分へもまた、思い巡らす。
心の均衡を保つために、思いを巡らす。それも大切なこと。
と、米国に暮らす友人が、ご自身の Facebookのウォールに書いている一文が、目に留まった。
「お母さんとして、そしてお母さんじゃないけど頑張っている女性に感謝。」
彼女は二児の母。
こんな言葉を、さりげなく発することができるとは、なんてすてきな女性だろうと、改めて思う。
彼女の言葉そのものに、わたしも感謝したのだった。
●無口な夫
夫と口をきかなくなって、これで4日目だ。
そう。前回の記録に記したが、夫はドクターから「急性咽頭炎」と診断された。
水曜の夜、病院へ行き、薬を処方してもらい、「1週間は喉を休めるように」と言い渡された夫。
木曜、金曜はオフィスに行かず、自宅で仕事。電話は一切使わず、すべてメールとSMSで処理している。
声が掠れている程度で、全く出ないわけではないのだから、ちょっとくらいしゃべってもいいじゃない、と妻は思うのだが、驚くほどに、無言を貫く。
確かに来週、重要な打ち合わせがあるから、完治させたいのはわかる。が、そこまで無言を貫かなくても……。
薬を飲むほか、一日に数回、スチームで喉を潤わせ、ハチミツ&ターメリックの温かいドリンクを飲み、喉にタオルを巻いて温め……と、「これ以上、もう、養生できんやろ!」というくらいに気を遣った木&金曜。
昨日になって、うっかり電話に出てしまい、しゃべる羽目に陥っていたが、囁き声で瞬時に用件をすませ、速攻で切った。
そのあと、喉を手で覆い、片手で自分の太ももを叩き、
「電話に出ちまった、俺ってバカ!!」
みたいなゼスチャーを繰り返している。面白すぎる。
と、笑える話ばかりではない。無言で平和な数日か、と思われそうだがさにあらず。わたしを呼ぶにも大声をだせないので、手を叩く。
「自分がこっちに来ればいいでしょ!」
と叫び、無視していると、果てしなく手を叩き続ける。
そのうるささに根負けし、結局、わたしが階段を上り下りして、彼がいるところまで「従順な犬」のように飛んで行かねばならない。
そのような例は枚挙に暇がないのでこの辺にしておく。
そして本日。薬を飲み始めて5日目。いい加減、しゃべってもいいころだろう。
「いい加減、しゃべったら?」
という妻に、
「ドクターが1週間はしゃべるなと言った!」
とゼスチャーをする。
だから、しゃべるな、じゃなくて、「なるたけ負担をかけないように」ってことでしょ?! と妻は言うが、断固として聞き入れない。個性あふれる頑固者だ。
そして先ほど。本日は母の日ゆえ、福岡の母に電話をした。
と、夫が傍らに来たので母と話すように促す。さすがに、母の日の言葉を拒絶するには至らず、電話を受け取る。
いつものように、わたしが日本語でいう言葉を、リピート。
「ハハノヒ、オメデトウ、ゴザイマス! オゲンキ?」
普通の声じゃん! 掠れてもないじゃん!!
少しばかり、双方で一方通行な会話を交わしている。それは意味をなさない、音の発生と交換。あたかも、「オウム vs 九官鳥」のやりとりである。
それでもいいのだ。声を通して、何かが伝われば。
一通り、挨拶らしき言葉を交わしてのち、電話をわたしに託し、喉に手を当てて、神妙な顔をしつつ立ち去る夫。
もう、治ってると思うんですけど。
まあ、今日は日曜だし、ご自由に無口でいてください。
●地獄行き。
我が家のヤシの木が、この5年の間に恐るべきスピードで成長していることはかつて写真入りで記した。それはまさに、ジャックと豆の木状態だ。というのはかなり大げさだ。
ちなみに育っているのは我が家の木だけでなく、隣の敷地(北側)の樹木がまた、猛烈な勢いで伸びている。
こちらが南側にあたるせいか、枝が太陽に向かって、つまりこちらに向かってぐんぐんぐんぐんと伸びて、今や庭の半分以上が木陰である。
木陰はそれはそれでいいのだが、上階の人のバルコニーに、力一杯せり出して、しかもアリがすさまじい勢いで入って来るらしく、ついには隣の敷地の管理人に通知。枝を切ることになった。
一つは名を知らぬが、この木。これはもう、我が家と隣家を隔てるフェンスを崩壊させる勢いで伸びており……というかすでに崩壊させている。
鳥やらリスやらが集う「なごみの木」とはいえ、我が家の芝生は育たなくなり、それなりに問題ではあった。これは倒れ込んで来る危険もあり、伐採してもらうしかないだろう。
しかし放置しておくと、我が家のヤシの木との「空中戦」が激しいことになり……というか、すでに緑がせめぎあって、たいへんなことになっている。
そのうち、テレビのサテライトもシグナルを受信できなくなる……というか、すでに、受信できずに枝葉をカットしているのだが、それも追いつかなくなることだろう。
もう一つ、上階の人のバルコニーに伸びているのは、インド菩提樹(ピーパル・ツリー Peepal Tree)と、それに巻き付く巨大ブーゲンビリアである。
これほどまでに(←Click!) 花を散らすくらいだから、ものすごいのである。
しかしこの木は、枝を切ればいいだろう。と思っていたのだが、隣人曰く、枝ではなく、木を切るという。
冗談じゃない! 木の種類で差別するのもなんだが、インド菩提樹は聖なる木で、切ってはならない木なのだ!
結果的には「枝を切るだけ」で、木、そのものは残す結論となってほっとしたが、万一、わけわからん理由で伐採されることになった際に闘えるよう、夕べは急ぎ資料を収集した。
と、非常に興味深いあれこれを発見した。
インド菩提樹は釈迦がこの木の下で光明を得て、悟りを開いたとされている。そのことから、神聖なる木と崇められている。
これはよく知られている話だ。
つまりは主には仏教徒にとっての聖木だと思っていたのだが、ヒンドゥー教にとっても深い関わりと聖なる言い伝えがあるのだ。
思えば、ダディマ(夫の父方の祖母)が他界した際、火葬場に巨大なピーパルツリーがあったことを思い出す。
資料によると、この木は、インダス文明、つまりは紀元前3000年のころから、ヒンドゥー教徒に崇められていたのだという。
ヒンドゥー教の神々の一人でもあるヴィシュヌーは、この木の下で生まれた。シヴァは、この木の下で亡くなった。
このような背景をして、ヒンドゥー教の神、ブラフマー(根)、ヴィシュヌー(樹幹)、シヴァ(葉)の三位一体とも言われているという。
ともかく、さまざまな「聖なる逸話」が盛りだくさんなのだが、伐採を阻止するに、激しいまでに好適な一文を見つけた。
「ピーパル・ツリーを伐採することは、大罪とみなされます。ブラフミン(バラモン)では、それは殺人に匹敵する行いとされています。Skanda Pranas(誰?)曰く、この木を切った者は、間違いなく地獄に落ちる、と言っています」
Skanda Pranasがどこのどなたかわからないが(調べても出てこない)、ここまで言われちゃ、誰も切る気にはならないだろう。
とはいえ、都市開発が進む中、そうも言ってはおられず、伐採されて来た聖木も、無数にあったろう。
インドの建設現場では、必ずプージャー(儀礼)が行われる。樹木ばかりでなく、そこに住む生き物に対する祈りでもある。
ジャイナ教など、殺生をことごとく忌む宗教もある。そうでなくても、ヒンドゥー教徒の多くは殺生を避ける。
それが余儀なくされる時に祈りを捧げる。それは、前時代的などという言葉で片付けてはならない、破壊する人間の詫びの表現でもあると思う。
などということに、思いを馳せる夜でもあった。
●若者来訪
ここにはほとんど記していないが、この1、2年、旅する学生や若い起業家、インターン生など、つまり20代の人たちが、我が家に訪ねて来る機会が増えた。
ホームページやブログ、ツイッターなどでわたしの存在を知った人が、話を聞きたいと連絡をくれるのである。
自分自身、その年齢のころには、周囲の助言やサポートによって、勉強させてもらった。若い人々のために時間を作るということは多分、社会への恩返しでもある。と、自分に言い聞かせつつ……。
ときに、あまりに礼儀がなさ過ぎるメールも届く。とても目上の人に対するとは思えぬ言葉遣いなど。そんな折には、正直面会を断ろうかと思う。
また、会ったはいいが、来訪後は挨拶のメールひとつなくそのまま放置、という人もいる。
敢えて書くが、相手がどんな人であれ、自分から相手の時間を割いてもらった場合には、その会合がたとえつまらんものであったとしても、お礼の言葉をひとことメールするのは、最低限の礼儀である。
と、これだけは、明言しておく。
などと、やれやれな思いをすることも少なくないが、しかし極力、都合がつく限り、お会いしている。
自分に子がいないのだから、ちょっとはよその子の面倒を見てもバチはあたらんだろう、との思いもある。ひとつの社会貢献でもある。
もっとも、人と会うということは、こちらが情報を与えるばかりではない。自分自身もまた、今の日本の、若い世代の人たちの事情を知ることができ、見識も広がる。
ということで、男女問わず、ずいぶんたくさんの人たちと会って来た。
わたしの言葉の何かひとつでも、彼らの心に刻み込まれ、未来をひらく上での小さな光のひとつになれば、と願う。
特に、昨年の3/11以降の日本を思えば、尚更だ。
それなりに一念発起して、海外を、インドを目指す若者たち。そんな彼らの背中を押してやりたい思いもまた、ある。
若者よ。旅へ出よう!